はてなキーワード: リアル鬼ごっことは
自分もけっこう見たつもりだったけど、
上映してたことすら知らなかったものもいくつかある。
こういうのってどこで知ったり見に行ったりしてるんだろう。
不思議だ。
「2015年 この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞 結果発表」http://hakaiya.hateblo.jp/entry/2016/03/13/162933を見たよ。
上位の方は「フンフン」となってたんだけど、6〜8位は映画館で観ていて、しかもそれなりに面白かったので「お!」となりました。
それで投票コメントやブコメを読んでくと「今の日本映画は駄目だ」っていう主旨のコメント多いけど、そうなのかな。
と分けて良いと思うんだけど、1.に分類される作品を取り上げて「今の日本映画は・・・」と言うのはどうかなあ。
「映画 暗殺教室」は間違いなく1.だと思うから、映画好きな人達が、わざわざそんな映画に言及してくのは違う気がする。
「時間つぶしができればそれで良い」なんて映画がはびこるから駄目なんだよ!という主張をする人もいるのかな。
でも、そういう映画しか見ない人の方が多いでしょ。そして興行的に考えると、多い人の方に焦点あてないとだよね。
「映画作家が何かを主張しようとして作った映画」の面白さが解んないんだろうね。
映画を見慣れてないと、余計そう思うかも。
そして、その面白さをちゃんと伝えてくれる人がいないんだろうね。
取るに足らない作品を面白可笑しくあげつらうことはできるけど、良い映画のどこが良いのか、何が良いのか語れる人が少ないんだろうな。
単なる素人は、あげつらって楽しんでも良いと思うし、良い映画の良さを語れなくてもいいと思うよ。
でも、映画業界の内側にいて「日本映画をなんとかしなきゃ」と思ってる人達は考えて欲しいんだけど、日本映画を駄目にしてるのはあんた達なんだよ。
質の高い批評空間を作れないから、その中に出てくる作品も今一つになるんじゃないかな。
この定義難しいよね。
「今の日本映画は駄目」なら、いつの日本映画なら良かったの?って聞きたい。
そしてそれに答えるには「良い映画とは?」について持論がないと答えられないね。
駄作をあげつらっても良いと思うけど、併せて「良い映画とは?」についての考えも聞きたいな。
「良い映画とは?」についての持論は僕もまだ持ててません。
エンドロールが流れた時に、身体の中に何かが広がって、少し余韻を味わってから席を立ちたいと思うときは「良い映画だったな」と思うけど、それだと定義が曖昧だね。
なので、2015年に観た日本映画で面白いと思った10本を挙げておきます。
俺らもどんどん斎藤にすり変わっていって
「日本しね!斎藤しね!」のコールアンドレスポンスしながら
「保育園落ちたの斎藤だ」デモとかがニュースで取り上げられたり
週間文春に「ゲス斎藤の経歴詐称疑惑」という見出しがおどったり
そのうち「『安心してください!斎藤さんだぞ』とかいう芸人いたよね?」とか
女子高生の格好した斎藤子Aが友達の斎藤B作にくっちゃべってたりするような世の中になったりして
斉藤斎藤齋藤齊藤斉藤斎藤齋藤齊藤西東・・・(変換しても出ない異字体多し)どこ見ても斎藤の世界で
斎藤が斎藤から聞いた話としてこっそり斎藤に「斎藤のくせに、同じ斎藤のくせに俺よりいい暮らしして、
そのくせ『自分も斎藤なんだ。斎藤であるお前と同じように辛いんだ。』って顔しやがって・・・」と愚痴をこぼし
斎藤はそれぞれ斎藤なりにフラストレーションをどんどん溜めていって「もう斎藤なら誰でもいいから死んでしまえ」と
リアル鬼ごっこともバトルロワイアルともつかない斎藤の斎藤による斎藤をターゲットにした「斎藤さん狩り」に発展して
もうオリンピックどころではないというか、斎藤パンデミックというか、種目を「斎藤さん狩り」一つに絞った斎藤五輪が開催されて、
・60点。(ただし70点満点)
・(70点満点の映画の例:「ドゥームズデイ」「トロールハンター」「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!史上最恐の劇場版」など)
・とても面白かったです。
・「劇場版あまちゃん」を観に行ったら「橋本愛が福士蒼汰のセフレになっていた」という超展開。
・全国のあまちゃんファン激おこプンプン丸だが、能年玲奈ファンの私は、めっちゃかわいい能年ちゃんが観れたので大満足、といった塩梅。
・けれん味のあるゴアシーン。
・いまいちだと言われるシナリオも、ホラー映画と思えば十分すぎるぐらい。
・超映画批評、「リアル鬼ごっこ」75点、「進撃の巨人」40点
・「リアル鬼ごっこ」は、トリンドル玲奈の下着姿と、斎藤工の白ブリーフ姿が観られた。
・たぶんそれが原因で35点差。
・石原さとみがおっぱいを出してくれてさえいたら、本当に言うことがなかった。
・後編には期待しています。
・原作で唯一の東洋人ハーフのミカサ役の水原希子が、映画版では唯一のアメリカ人とのハーフ
・冒頭シーンに出てくる爆弾に金髪の白人女性が描かれているので、作中に「西洋」は存在するはず
ということで後編は「巨人は放射能大怪獣! 全部アメリカが悪いんや!」オチと予想します。
どうなる後編。出るのかおっぱい。
映画の予告編や広告で、実際の内容とは異なる印象を与えようとする戦略って、ちょっと意図がわからない。
宣伝文句として刺激的な言葉を並べてあったとしても、少し読み方を変えれば間違いではないのであれば、いちおうはフェアネスを担保できると思うけれども、ちょっと擁護が難しい場合は困惑してしまう。
思っていたのと違ったけどおもしろかったー、と観客が思えるのならいいのかもしれない。
けど、実際には、予告と違うじゃねーかふざけんなうんこ、とクレームのリスクのほうが高くなるんじゃないかな。
嘘大げさ紛らわしいどころか明らかに虚偽ともなると、賠償とか返金とか要求できたりするのかな。
具体例をあげると、ベイマックスさんは、まあいいかなと思うよ。
予告編のイメージと実際の内容はずいぶん違ったけど、間違ったことは言ってなかったし、ベイマックスさんに癒されたし、実際おもしろかった。
だが、リアル鬼ごっこ、てめーはだめだ。
JKのきゃっきゃうふふ感はよかったけどJKを減らすとか関係なくなってるし、マリコさまとかJK設定すら放棄してやがるし、あでもウェディングドレスでの蹴りは脚の長さが映えてかっこよかったです、陸上女子はまあいいんじゃないかな、うん。
何より「総勢37名全員女子」という表記がひどくて、どう見ても37名どころでは済まない人数だったはずだし、「全員女子」とか書いておいて男を出すんじゃねーよ気持ち悪い。ウホッじゃねーよ、うんこ。日常系萌えアニメに男が出てきたときの阿鼻叫喚を知らないのかよ。ふざけんなちくしょう。
毎日新聞が中高生に「好きな作家は?」とアンケートしたところ、
「あんな支離滅裂な文体の作家が選ばれるなんて、世も末だ」と嘆いている。
これって、「今時の若い者は・・・」と老人が嘆く、その構図となんら変わらない。
自分の中高生時代だって、赤川次郎とか新井素子とか田中康夫とか
それと一緒。
「科学が発達した遠未来に、独裁国家なんてありえない」という的外れな批判が多かった。
これは批判というより「自らの願望」であり、もっと言えば
「共産党中国&非民主ロシア&絶対王政アラブが、マネーにモノを言わせて世界支配するような
絶望未来が、本当は来てしまう気がするけど、来ないことにしてしまえ」という
逃避心情でしかない。
これを読んで思い出したことがある。下読みにまつわる話だ。
私は大学一年の頃によくある文芸サークルに所属していた。ただし、文章を書く要員としてではなく、挿絵を描く人間としてそこにいた。私自身は小説を書くことなどできなかったが、本を読むのは好きだった。部員の中には文章の上手いやつから下手なやつまでいてバランスがとれていた。上手いやつの小説は本当に面白かったし、下手なやつの小説はストーリーの概要をつかむことすらできなかった。どこがどう上手くてどこがどう下手なのかとかは分からなかったので、感想はいつも「面白かったよ」「いまいちだったかも」とかそういうことしか言えなかった。
ある日、部室に変な男が来た。背は低かったが、なかなかハンサムな顔をしていた。そいつは通り一遍の挨拶をして、同じ大学の学生だと名乗ったのちにこんなことを言った。「きみらの文芸誌を読んだよ」。そしてそいつは、自分が下読みのバイトをしていることを言った。
下読みくんは、部員一同がいる前で、次々と作品の批評をしていった。どの作品はどこそこがおかしい、ということを矢継ぎ早に語った。ひととおり批評が終わると、呆気にとられている部員たちを残して部室から出ていった。
部員たちは釈然としない顔をしていたが、私からすれば「下読みってそういうところを見ているのか」ととても参考になった。言っていることもまともに思えた。その後しばらくその下読みくんの話でサークル内は持ちきりだったのだが、やがてそいつの存在は忘れ去られていった。
何ヶ月後かは忘れたが、再びその下読みくんが部室に現れた。そのとき部室にいたのは、私とあと二人だけだった。下読みくんは「俺の書いた小説を持ってきたから見本にしてくれ」と茶封筒を部員に手渡して去っていった。私たちはさっそく原稿を読み始めた。六十枚くらいのA4の原稿だった。一枚ずつ、回し読みをした。十枚ほど読み終えた頃、一人が口を開いた。「これって、どう思う?」明らかに不満げな表情だった。私から見ても、このサークル内でも最低の部類に入るのではないかと思えた。当時話題になっていた「リアル鬼ごっこ」のような文章に、B級未満のストーリーがついている感じだった。
その小説はあとから来た部員たちにも読まれ、ある人は「こんなやつに審査されてたのかよ」と激高した。憤った部員数名が、今度はこの小説を俺たちが批評してやる、と仕返しをしようとしていたが、誰もその下読みくんの名前を聞いていなかった。
名無しの下読みくんの話はその後も語り継がれるかと思ったが、語り継がれた部分は「下読みは文章が下手だ」というところだけで、それはそれでひねくれた伝承だと思った。
現場で実際にどんな感じで本を買ったり捨てたりしているかを書いてみます。
ボランティアのお母さんたちが手伝っている所もあります。
それは化学に置いちゃダメ! - 子育て歳時記 - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/honbon/diary/200905110001
小学校から『ぼくらの七日間戦争』が撤去されたそうだ。 - 北沢かえるの働けば自由になる日記
http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20090515#p2
うちの学校にはどちらも入ってません。
水からの伝言は論外、七日間戦争は私が勤めた時に入っていなくて、
今が旬の児童向けの文庫を優先的に入れたいな、と。
うちの学校は本を買う、捨てるの判断は司書教諭の先生と相談の上、
校長・教頭に許可をもらってさらに市の決済を受けます。
・・・そんなわけはありませんW
国語なら掲載されている作者の他の作品や同じ傾向の他の物語など。
そんな学習に関する本と趣味的な本、読書をバランスよく入れるように心がけてます。
捨てる場合はあまりにも壊れたり汚れた本、
内容が古くなって学習に使えない本(市町村合併やら国の独立やらで結構これが多い)など。
でも本の冊数を増やせというお達しがあってそんな本を捨てられず
段ボールに詰めてしまっておくことも。
校長の一言で本が捨てられるか?
これはあるともないともはっきりは言えません。
ただ、幸か不幸かそこまで学校図書館に興味を持っている校長はほとんどいません。
そんなことがあったとしても学校の方針に意見を言う事は難しそうです。
今の小学生は「リアル鬼ごっこ」とかひぐらしとか携帯小説なども
お小遣いで買って友達同士でどんどん回し読みしてます。
昔ほど大きな影響を与えているとは思っていません。
ただ、いろいろな問題があって本に触れる機会が少ない家庭の子も多くいますし
どこの学校にもあればいいのに、と思いながら仕事をしています。
1作目を読んだ後にここで
作者当時22歳デビュー作だけあってさすがの文章力。
「床から顔を出した私の顔に、むせ返るような熱風が吹きつけた。」
妙にわかったような顔してるなと思っちゃうような「○○なのだが。」もやたら多い。
ストーリーは面白かったけどそういうところがやたら気になって世界に入り込みにくかった。
ストーリーは面白かったから続編もちょくちょく読んでいこうと思うけど。文章も洗練されていってるだろうしね。
http://anond.hatelabo.jp/20081026130041
こんなことを書いた。この後にシリーズ読み進めて行って今は最新刊以外は全部読んだ。
文章洗練されてっててねー。いや、1作目よりは2作目の方が全然うまかったんだ。文章。
けどその後に変化が見られない。日本語としておかしいだろって表現がほぼ毎巻出てくる。
近作はむしろまた下手になっていっているような気もする。
上の記事で俺にトラバをくれた人が編集者が注意すべきだと言っていた。
俺はそれに対して敢えて言わないこともあるんじゃないの?と言った。
けどこれはさすがに編集者が口出すところなんじゃないのと思った。
諸君 私は決断主義が好きだ
諸君 私は決断主義が大好きだ
『バトル・ロワイヤル』が好きだ
『リアル鬼ごっこ』が好きだ
『ドラゴン桜』が好きだ
『DEATH NOTE』が好きだ
『コードギアス』が好きだ
『Fate/stay night』が好きだ
『野ブタ。をプロデュース』が好きだ
この地上で行われるありとあらゆる決断主義が大好きだ
戦列をならべたゼロ年代の想像力の一斉発射が轟音と共にセカイ系を吹き飛ばすのが好きだ
空中高く放り上げられた第三世代オタクの自意識がパワーゲーム的世界観でばらばらになった時など心がおどる
サブカル保守の操る教養主義のアイロニーがポストモダン批評家を撃破するのが好きだ
悲鳴を上げて燃えさかる波状言論から飛び出してきた批評家を「現代の想像力」でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった
銃剣先をそろえた職業ライターの横隊がブログ論壇を蹂躙するのが好きだ
恐慌状態のブックマーカーが既に息絶えたブロガーに何度も何度もネガティブコメントしている様など感動すら覚える
敗北主義の引きこもり達を実社会に吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ甘えた感性の持ち主がゼロ年代の振り下ろしたサバイブ感とともに金切り声を上げる決断主義者にばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
哀れな反論者達が雑多なイジケパフォーマンスで健気にも立ち上がってきたのを河出スクールカースト文学が文化圏ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える
諸君 私に付き従う決断主義者諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる決断主義を望むか?
情け容赦のない糞の様な決断主義を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くしサブカル論壇の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?
よろしい ならば決断主義だ
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
だがこの暗いウェブの底で五年間もの間堪え続けてきた我々にただの決断主義ではもはや足りない!!
大決断主義を!!
一心不乱の大決断主義を!!
ならば我らは諸君と私で総力100万と1人の戦闘集団となる
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている批評家連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう
連中に不安の味を思い出させてやる
連中に我々の不安と憤りの音を思い出させてやる
ゼロ年代と九〇年代のはざまには奴らのテツガクでは思いもよらない事があることを思い出させてやる
一千人の決断主義者の戦闘団で
サブカル論壇を燃やし尽くしてやる