おなごにはかよわさも必要なのかもしれんね…
(手遅れ)
今こそこの言葉を贈ろう。
「もうダメかもしれないと思った時に、座り込んではいけませんよ。一度座り込んでしまったら、二度と立てなくなりますからね。その時は、死んでゆく時だと思いなさい。もうダメだと思った時こそ、立ちなさい」
週 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
4/26 | 15 | 14 | 44 | 8 | 50 | 41 | 16 |
5/03 | 19 | 20 | 25 | 28 | 50 | 41 | 19 |
5/10 | 15 | 55 | 50 | 33 | 33 | 42 | 15 |
5/17 | 23 | 33 | 22 | 32 | 22 | 24 | 14 |
5/24 | 35 | 27 | 27 | 30 | 13 | 31 | 8 |
5/31 | 16 | 21 | 27 | 19 | 22 | 8 | 5 |
6/07 | 15 | 25 | 27 | 17 | 11 | 12 | 6 |
6/14 | 10 | 4 | 19 | 4 | 17 | 5 | 3 |
6/21 | 13 | 4 | 15 | 11 | 5 | 7 | 0 |
ソースはNHKの毎日の報道と https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data/pref/osaka.html
それなら仕方ない🤝
ライフワークとして撮影してUPしているおじいちゃんたちいるぞ
blog全盛期はそれに至った背景や地域の歴史(真面目に郷土博物館や貸出禁止の図書から得た知識や写真)を
blogに書いてくれてたりしたがblogがどんどん死んでしまったからね
いまはTwitterに写真をUPと一言二言の世に向けた祈りだけだね
なんか先人(おじいちゃん・おばあちゃんたち)の苦労を無駄にしている気持ちになる
シリアスな場面を切り取ってるだけでどこにでもいる普通のおじいちゃんなはずで
普段はどうしようもないことに笑ったり・怒ったりしてるはずなんだけど
何日でも何週間でも時間かけてもらえばいいよ。
主にpixivに作品を上げているんだけど、最近Twitterのアカウントを作った。
Twitterで先にあげてpixivにまとめるのが最近の流れなのかな、と思ったので。
若い子が多いから、RTしてRT先でよく感想を言ってたり空リプが飛び交っていて
高校生ぐらいの時に味わった元々できてるグループに入れずぽつんといたあの疎外感を思い出して胃が痛くなる。
まあ、これは仕方ないけども…
鉛筆でざくざくーっとかいた絵やワンライの文庫メーカーの画像の小説でもなんでもRTして
褒めている人がいるんだけど…私が何を上げても絶対RTはしてくれないんだよな
いいねはしてくれるんだけど。あとは妄想ツイとかも全部いいねはしてくれるんだけど、絵とかになるとだめ
お前は妄想ツイだけしてろってことかなぁとか…
でも本来楽しくなるために創作をしているのにそんな気分になるのは本末転倒だよな
でも推しはかわいいし、絵はかきたい。でも描いたら誰かに見てもらいたいし認めてもらいたい。
しんどいね
結婚してください
現場マネージャーにたまにいる、マネジメント能力も現場レベルの業務遂行能力も怪しい人物。
その能力どおりプロジェクトを失敗に導いたあとも、マネージャーとしての資質は問われず、
新たなプロジェクトを渡り歩くケースをよく見るのだが、これはなぜなのだろうか。
もちろん失敗自体には多種多様な要因があり、仕方のない部分もある。
とはいえ、きちんと総括をすれば原因の幾分かがその人物にあることは分かりそうなものだが。
平社員にはわからない、起用され続けるだけの理由があるのだろうか。
こうした人物が排除される仕組みはなぜ導入されないのか、本当に不思議だ。
なんで?
俺は海沿いの街で暮らしていて、二日に一度くらいの割合で仕事が終わってから浜辺に焚き火台を出して一人で何時間も火を焚いているという、あんまり頭の良くない趣味を持っている。
職場から家に帰ってきて焚き火台と薪を持って浜まで行くと、始められるのがおおよそ19時過ぎで、何回もやっているくせに木が炭になる時間の感覚がいまいちつかめないのもあって、「俺はいま焚き火をやってるな」と実感できる数の薪を燃やしていると綺麗に燃え尽きるのが21時半ぐらい、それからようやく夕飯を食べ始めるのでやっぱり馬鹿なんだと思う。
季節で日が落ちるのが遅いけれども、灯りのあまりない海岸なので、20時を過ぎるとかなり暗くなる。自動車が道路を行き交う音と海鳴りが聴こえる闇の中にいるのは俺だけ…では意外となくて、砂浜に降りてくる道のコンクリートで舗装された突端に、よく誰かが二人で座っていたりする。
それは必ずしも決まった人たちではなく、異性のペアだったり同性だったりする。恋人だったり友人だったり、他人があれこれ言う組み合わせではなかったり、色々あるのだろうと俺は思う。
…
ところで、2時間以上も一人で焚き火の薪をつつき回している俺が言うのもなんだが、夜間、硬いコンクリートに座りながら暗い海を二人でずっと眺めているというのは、不思議な時間の使い方に思える。
別に聞き耳を立てているわけではないから、本当の雰囲気などわからないのだが、楽しくて仕方がないという具合に談笑している感じでもないのだ。ただ静かに二人で一緒にいるだけ、というように見える。
ハタから見ていて、俺はいつも、まるで奇跡みたいな関係性だな、と考えてしまう。彼女・彼らは毎回同じ二人組ではないので、その組み合わせが意味するところも当然いつも異なるわけだが、ああやってただ二人で海を眺めていられる関係性がこの世で成立しうるんだな、と驚いてしまう。
俺には、こういう時間の過ごし方を共有できる誰かがいるなんて信じられない…のは半分本当、半分嘘で、学生の頃に好きな女子とデートしてるときとかは、緊張でろくに話ができなくても、2時間3時間があっという間に吹っ飛んでたな、とも思う(相手の方がどう感じていたかはわからないが)。アインシュタインが相対性理論のたとえ話で語った(とされる)ストーブと女の子の例えと一緒だ。
よく考えてみたら、一番仲の良い友達とだったら、俺にも海で同じことができる気もする。思い出話と「暗っ」「寒っ」だけで海で2時間つぶせるかもしれない。
…
そうすると、ああいう関係性は俺たちの人生で意外と多く起きているのか。母数の大きな現象を奇跡と表現するのは矛盾しているわけだが、実際に目にする夜間の海に向き合う二人の人間の寒々しさとお互いの信頼感みたいなものの雰囲気は、第三者から見ると、やっぱり奇跡と呼びたくなる非現実感がある。
おい、お前らはいま奇跡を起こしてるぜ、と俺は焚き火の世話をしながら思う。俺たちの人生は、上手く何かがかみ合えば、時々ああいうことを起こしうるらしい。
…
ただ、ああいうことはきっと若いうちだけなんだろうな、という気もする。
俺個人で言えば恋愛方向で同じことをやろうとしたら、もう気恥ずかしいわ相手にも迷惑だわでやりようがないし、友達とだっていつか厳しくなるだろう。それが身体的に老いていくせいなのか、精神の方に齢とともにへばりついてくる余分なものがあるせいなのかはわからないが、俺の人生でああいうことができる機会と相手は、減りこそすれど増えることはおそらくないという予感がある。
それも含めて奇跡なんだろうと思う。ただ希少というだけではなく、人生のある時期を越えると、もう二度と起きることがないという意味で。
だからと言って慌てて友達に「おい、海行かねえか」というわけにもいかないので、まあ昨今の状況が落ち着いてお互いにワクチンの接種が終わったあたりで呑みに行きたいな、といま思った。なにしろ、アルコールありなら2時間どころか時間無制限でしゃべれるのだ。その関係だって、いつまで続くかはわからないが。
…
なお、自治体によって浜や水辺での焚き火はルールが違うので、焚き火台は必須として、細かい決まりはHPなどで確認した方がよいので付記しておく(ただ、そんなことをわざわざ電話で聞いてくるやつとなるとあまりいないらしく、以前あるところに口頭で質問したときは、大層困惑させてしまい恐縮した。まあ責任とか所掌とかいろいろめんどくさいのだと思う…)。
…
2000年代半ばに2ch(というかPINKちゃんねる)の風俗系の板で「推し」が使われていたかどうかを確認したところ、概ね「店がプッシュしている子」というような文脈でしか使われていなかった。一方、同時期のアイドル系の板では、既に「推し」が現在の用法で使われていた。終わり。