増田婚は匿名って性質上かなり難しそうだけど、はてブくらいだとありえなくはなさそう
俺は新参者だからわからんけど昔はもっと色々なサービスがあったみたいだし、中にはユーザー同士のふれあいが強いやつもあったかもしれない そういうのまで含めたら大いにありうるよな
いや、でもやっぱ今にこだわりたい
例えば増田だったら「6月13日にハチ公前で赤い帽子かぶって立ってます」みたいな書き込みによっていきなりリアルで会っちゃうことは可能なわけだ 理論上
はてブはidがあるんだからなんとでもなりそう はてブアカウントをブログと連携、みたいなこともできるっぽいし一対一の対話が生まれうる機会は多い 「あれ、この人私がブクマつけたエントリにいつもファーストブクマしてる…!(トゥンク)」みたいな展開からブログのコメント欄でのやり取りへ、そして…っていうのはありうる
ここ最近、仕事で「~していただくのは可能でしょうか?」っていうメールがくるんだけど、なんだか違和感がある。
依頼しているのに「可能」って聞かれるのがやな感じ。
ブクマカみたいな奴らだな
自分がやる時は嫌なら見るなと言いつつ嫌がる他人に無理やり見せつけて(そんなAAがあったな)
まあまあつべとかねブログとかねコジキみたいな奴らが金欲しさに気持ち悪い真似事始めるのはまあ理解できるわ
承認欲求の足しにもならん
あのな ここはリアルは言うまでもなくネットでさえ窮屈になった今言いたいことを大声で叫べる少なくなった避難場所の一つや
いやいやまあねじゃあその真似事自体言いたいことっていうならええよ
当方三十代独身男性、結婚歴は無し。結婚願望、子供が欲しい願望はそれほど無い。
二十代の頃ほどではないが、一般的におめでたいとされるライフイベントが周辺に発生する事は多い。
その際、あたりさわりなく「おめでとう」というリアクションはするが、そういったニュースを聞く度に、心の中では何かよくわからない嫉妬のようなが渦巻き、そんな気持ちを抱く自分の嫌らしさにさらに嫌になる自分がいるし、知り合いに愚痴るには重たい話題なので、こちらで吐き出して整理させていただく。
実際、すごいテンションでたくさんの人がお祝いしているのを見ると(実際どう思っているのかはわからないが)、そうしなければいけないのではないかという圧力を(勝手に)感じ、冷めた目で見ている自分の感覚との差異を強く感じ、自分がおかしいのではないか、という気分になる。
一昔前であれば、結婚・子育てをするのが当たり前そうで無い人は何かがおかしい、という価値観で生きている人がほとんどだったものの、最近は必ずしもそうではないよね、でもやっぱり純粋におめでたい事という価値観は強いんだな〜、と感じる。(斜に構えてるよね
自分は最初に書いた通り、結婚願望、子供が欲しい願望はそれほど無いのだが、絶対に嫌、というわけでは無い、と思っていたのだが、、、
自分が(本当は)したいと思っているけどできていない
↓
できてる人がうらやましい
↓
という事なのかな・・・
冷めた見方も、できない事の言い訳でそう理由付けしているだけなのかもしれない、、
例えば婚活や妊活にすごくエネルギーをかけている方であれば、↑のような気持ちはもっと強いのでは無いのだろうか。
「妊活 お祝い できない」で検索したら色々出てきたが、この記事が心に響いた。
https://dual.nikkei.com/atcl/column/17/072300110/082000006/
> 「おめでとうと言えない」という自分の気持ちに正直でいる勇気も大事かなと思います。おめでたいことって、皆に祝福してもらえると思うんですよね。その人は、もう妊娠しただけでハッピーなんだから、それでOK。
確かに!
happyな人は無理にお祝いしなくて良い。辛かったら適当に距離を置く。
以上、支離滅裂ですが。
「規制したらレイプが増えるぞ!」のような言説は脅迫的だし、それを批判するならわかるが、こうした売り方自体は全く脅迫的ではない。
下品だと言えなくもないが、大意としては「違法な行為は否定しましょう。合法な行為で満足しましょう」と言ってるだけ。
「犯罪に手を染めないよう努力している」と評価することはあっても、これを以って批判の材料にするのは流石に解釈に悪意が満ち溢れすぎている。
そんな言説を「ためにする批判」と呼んで怒られることはないと思う。
バカルディ → さまぁ〜ず
この短期でクラウドVDT導入運用できるような小回りきく企業が多いわけなかろ、あっても少数さね
回線云々言うなら、囲い込みのために学生に無料通信容量ばらまいてる携帯会社のほうが問題だろ
論外
そこの人間諸君!上を見て羨ましいと勘違いしていないか?今日はそんな誤ったイメージを正し、実際に人間の愚かさを教えよう。
人は上を見て劣等感を感じるタイプと下を見て優越感を感じるタイプかのふたつのタイプに大別できる。分かりやすい例を挙げると、東大生は学内の天才達や世界トップ大学の学生達の環境を見て劣等感を感じるが、慶應生はMARCH等の学生を見て優越感に浸り自信満々な態度を取れる。MARCH等の大学生は旧帝や早慶の学生を見て劣等感を感じるがさらにその下に行くと上の人のことを大して気にも留めず幸せに生きていく。
人間は自分が属していると思っている集団内での上下に敏感になる。自分がトップ集団にいると思っている人はその中で上の人を見て勝手に劣等感を感じる。自分が二流集団にいることを自覚している人はその中でトップであれば優越感を感じるし下にいると思えば劣等感を感じる。
年収1000万円に容易に手が届く人は、自分でビジネスを持っていたり資産を持っている人たちの生活ぶりを見て自分はまだまだ中流だと思ってしまう。年収1000万円なんて夢のまた夢なんて思っている雑魚どもは年収1000万円の生活に夢を見る。年収1億の人は年収100億の人を見て劣等感を感じ、年収100億の人は世界的な富豪を見て自分の小ささを思い知る。
全ては波なのだ。上か下、どちらの世界に目が向いているかということ、またそれに起因する比較指標に関する感情は、全て波のように移り変わっている。あなたが下にいれば上を見るし、上にいれば下を見る。もちろん個々人レベルで見れば自分がどの階層にいると思いこんでいるかということで矢印の向きも変わるだろうが、全体的な傾向を言えば大きな矢印の向きの移り変わりが各階層で起こっている。
あなたが年収1000万円を上と見るか大したことないと見るか。その生活が良いものか贅沢なものとみるか。それはあなたが見ている世界、見えている世界によって大きく変わる。