ムキになるところはやっぱり信者か。
あぁ、すごくわかる。
「◎◎は矢が飛んできて死んだ。
××がこういった。△がどうなった。」みたいな説明をして
「それで?」とか。
だが、何度やっても上手く出来ない。原因は何となく分かるし、毎回気をつけているはずなのに
あと「わかってるはずのところ」を飛ばさないこと
そのためにタイトルにめちゃくちゃ凝れ
とやればわかるものを
「矢がとんできて~」ってところから入るととても分かりづらい
こんだけ各所が苦労してやってるのに基準がコロコロ変わって規制しすぎだのもっと規制しろだの紛糾してるのを見て「ちゃんと出来てるじゃん」と思える時点で認知の歪みに気付こう。
説明が下手。
ざっくり概要を伝えようとすると、質問が大量に来て「足りなかったな」と思う。
いつどこで誰がどうしてどうなったか伝えると「長い」「その後どうなった」「今後は」と聞かれる。
全て盛り込んだとしても「は?」と言われることもある。
相手から質問してもらって「あぁ、足りなかった」と気づくが、毎回毎回進歩しない。
状況が違うし報告のパターンも違うから、質問されずに終われることがない。
はー。死ねるー。
「すると私は『自分が人間だと思い込んでいるコンピュータープログラム』にされてしまったわけかい? 私の同意もなしに?」
雲ひとつない秋の空。病室の窓は大きく開け放たれ、日射しが真っ白なカーテンと真っ白なシーツを眩いばかりにきらめかせていた。上体を起こしたおばあちゃんの皮肉げな笑みはシーツからの照り返しを受けて奇妙に平坦に見える。どこかから風が子供たちの喧噪を運んできて短い沈黙を埋めた。楽しそうな叫び声、ボールを蹴る音。窓は開いているが虫が入ってくる気遣いはない──この世界に虫は存在しないからだ。そして声の主の子供たちも。おばあちゃんと僕と病室だけがこのシミュレーションの全てだった。
「おばあちゃんはプログラムなんかじゃない。ちゃんとした人間だよ。それに同意はあったんだ」
前半は僕の信念、後半は真っ赤な嘘。数十回に及ぶ失敗を経て、僕はこのステップで事実を述べることは得策ではないと学んでいた。
「今はまだ記憶が混乱しているだけだよ。そのうちに思い出せると思う。もちろん自分が人間であることも、ね」
新鮮な死体の脳を輪切りにして採取したデータから人格模倣AIを作り出す技術が確立してから5年。既に数万人の死者がAIとしてこの世に舞い戻って社会活動(そして経済活動)を再開していたが、未解決の問題が一つあった。AIが自分自身を人間だと疑いなく認識できなければ──要するに自分は元の自己と連続した存在だと心の底から信じることができなければ、そのAIはやがて必ず壊れるのだ。しかもこの自壊は伝染する。2年前の《大災害》は当時活動していた世界中のAIの半数を発狂や機能停止に追い込み、ついでにほぼ同数の生きている人間までをも死に追いやった。そのため現在では、目覚めたAIは「自分が人間であると確信している」と客観的に保証されない限り、隔離されたネットワークから外に出て行くことは許されなくなっている。病院の医療ミスで亡くなったおばあちゃんを現世に連れ戻すために(したがってこの高額な費用は病院持ちだ)、この病室での対話と説得は、法的にも倫理的にも現実的にも決して欠かすことのできないプロセスだった。
「お前の言いたいことは分かったよ。でもね、結局のところ今の私はただのプログラムとデータなんだろう? コピーも削除も編集もできるただのデータなんだろう? そんなものが人間であるわけがあるものかね」
「おばあちゃんが動いている基盤はとても厳重に保護されていて、コピーや削除はできないんだよ。暗号化されているから僕らは読むことも編集することもできない」
「まるで本質的じゃないね。じゃあ私を私たらしめているものは何かね? 私の魂のありか、この私が私であって他の何かではないこと──そして他の誰かが私にはなり得ないことはいったい何が保証するんだい?」
これは失言だった。おばあちゃんは手を叩きながらおかしそうに笑い始めた。その笑い声がヒステリックに加速していく。そのおばあちゃんの頭の上には僕だけに見える不吉な赤黒いバーが浮かんでいる。これはおばあちゃんの精神的な安定度を示すもので、緑は正常、赤は不安定。黒になると正気に戻れる見込みはなくなるため、そのおばあちゃんは慈悲深く自動的に終了される。僕はこれまでその光景を53回見てきたが、今日が54回目になった。一瞬のフリーズののち、おばあちゃんがきらきらと輝く光の粒になって空中に散逸していくと(本当にくだらない演出だ。僕はいつか機会があったらこの演出を決めた奴を殺してやろうと決意していた)、僕は口汚く自分を罵りながらHMDを顔から乱暴にむしり取ってシャツの袖で汗と涙を拭った。おばあちゃんが目覚めた直後のスナップショットからこのセッションをもう一度やり直す時間はまだあったが、僕には休息が必要だった。
僕はおばあちゃんを愛しているし、また家族と一緒に笑い合いたいと心から願っている。だからこそ毎日この「復活の間」──自分はデータに過ぎないと思い込んでいるAIに対話を通じて自分が人間だと納得してもらうための施設──に通い詰めているのだ。けれども最近は思う。果たして僕はおばあちゃんの人間性を本当に尊重しているのだろうか、それとも玩具のように蹂躙しているのだろうか?
すぐに「マーケティングとは?」とか言ってきたりするし、一定以上のレベルじゃないと会話の無駄みたいな態度とるし
たまに説明上手かったり、データ取りから分析・施策までやる人も居るけど、大半はデータ取らせて施策は考えさせて、分析だけやる
そしてシステム屋から見て新卒レベルのプログラミングしか出来ないくせに凄いことやってる感。そのくせPCスペックには文句言うし
マーケティング学んだ人が広義のマーケティングって言葉の意味との齟齬をプライドが許さないのも分かるけど、正直もう少し歩み寄っても良いんじゃね?と思う
例え分かりにくいかも知れないけど、マラソン大会で「記録より楽しもう♪」とか言ってクソ遅い奴みたい。完走はできるし多少は練習してるけど圧倒的に足りない感じ
アニメでもできてる(湯気、深夜帯)し一部書店(ブックオフやとらのあな)でもできてる「ゾーニング」というものをなぜ一般書店や広告でできない(むしろゾーニング開始しようとしたらやめさせようとする)のですか?
老若男女混在する社会では、余計な差別表現をひきおこさないように、受け取り手を区別したほうがいいのはもはや常識でしょうに?
はあちゅうを見ているといつもこれを思い出す。
君こそ、真ノ邪悪ダ。
君には「敵意」がナイ。「敵意」……「敵意」には力が向カッテ来ル……ヨリ強い力が「敵意」を必ずタタキにヤッテ来ル…
「敵意」はイツカ倒サレル。 実に単純ダ。
俺にとってはあちゅうとは計算高い悪女ではなくてこういう存在だ。
だからこそ最悪なんだけどな。
はあちゅうのやることにあんまり悪意を見いだしてもしょうがないと思う。
この件に関しても彼女は計算的というより本当に馬鹿だったぽい。
https://note.mu/loss60kg/n/ne7604649f09b
でも書かれているが、もともとはあちゅうはニセ医療系が大好きな人間だ。
これについてだけは金もうけ目的では得なく素で信じちゃうくらい馬鹿になってるくさい。
それは幼いころに医療が自分たちを助けてくれなかったという不信があるからだろう。
むしろ、いつも金もうけと承認欲求のことしか考えてない計算高いはあちゅうが
もちろん、だからといって、はあちゅうの過去の発信は許せないし
むしろ、計算じゃないただの無能だったからこそ今後も絶対に改善しないと思う。
むしろ変に勉強したら別のニセ医療にはまって、またそれを無邪気に発信する。
なので、はあちゅうは反省とかいいから、二度と健康について情報発信しないでほしい。
はあちゅうは何をしても害をもたらすことのほうが多かったが、別に他のはいいんだ。
これだけ悪行重ねてるのにいまだにはあ中の言うことを信じるやつが悪い、というとこまで来てる。
でも、健康だけは、まともな人でも精神状態によってはひっかかるし
単なる被害じゃすまない取り返しのつかないことになりかねない。
いと、きもひ。
一進なんかしたことあるか?
きもひきもひ。