俺もコーディング好きなタチだけど、あまり公言しないようにしてる。
「仕事楽しい!」って言ってると、人生に悩みが無い馬鹿キャラ扱いされて、まれに困ることがあった。
要らん嫉妬で足引っ張られたり、余裕ありそうに見えて余分に仕事を積まれたり。
仕事はしんどくて辛いものだ、みたいな価値観が(良し悪しはともかく)根強いから、表現してよい場面かどうかの判断は慎重になる。
まじかよカバンちゃん最低だな
「こんなクソ仕事とってきてんじゃねーよ」ってのはあるよね
いるいる、そういうやつ。
こっちは興味ないのにポケモンの話ばかり。
適当にあしらっていたら「君は人の話をきかないな。」とかほざきだした。
どの口が言ってるんだか。
「小池百合子を都知事に選んだ東京都民は低能の集まり」という意見(?)を最近よく目にするが、
そんなこと言ったって鳥越が都知事になっちゃうかもしれなかったんだから、緊急避難行為として
許される範疇だろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170321193517
たくさんのブコメ本当にありがとうございます。現在昼休みです。
答えられる限り答えていきます。
Q. なんでどこの店の女子店員も「いらっしゃいまへぇ〜ぇ」って変な発声法で声出ししてんの? 業界マニュアルでもあるの?
A. 対象年齢・商品単価の低い店はその傾向なのではないだろうか。
商品単価の低い店は入客数を促して客単価の低さを客数と点数で稼いで売り上げを取らなければならないので、店内に「活気だし」が必要となる。
で、「いらっしゃいませ」のテンションが異様に高くなってしまい、ああいう発声に…と予測している。
ちなみに自店では落ついた声で、心地よくタイミング良い「いらっしゃいませ」を徹底している。
Q. 声かけられるのが嫌だから入りづらくて客足が減っているという可能性は検証しないのかな。。声かけ不要でゆっくり選びたい人用の袋とか用意して欲しい。
A. 当然、その可能性が一番店としは痛手だ…「だから通販で買います」とブコメで書かれてるの見ると、今後の自店の声がけのあり方にも生かしていきたい。
冒頭のインパクトを狙って書いているため、キツめの表現で、声がけの裏の目的からズバッと書いてしまったが、
なるべくお客様に圧迫にならないよう自然に。お客様がある程度自然に何かの商品に興味を持ってくれる段階まで滞在してから、声がけするのがベストだと肝に命じている。
そのためのロープレ(店員同士の接客模擬)も日々行い、検証している。
ただ、自然にお客様が興味を持つまで待っていると、自店のような広い路面店ならともかく、
キャパの狭い店舗(駅ビルなど)ではどんどん入店してはすぐ出て行く…の繰り返しになってしまい、
営業時間終了までに誰も残りませんでした…って状態がマジであり得る。
これは店に一週間立ってもらえれば、実感できると思う。
商品力や訴求力・店舗造作・PRだけではどうにもならない部分を、販売の力でどうにかするのが自分たちの仕事なのだ。
あと、万引き防止という重要な側面も持つ。実は非常に万引き被害がどの店舗どのブランドでもわりと甚大。
そして、万引きさるとスタッフの監督責任として上から問われてしまう。
なので声がけしてお客様に「見られている」意識を持ってもらうことも必要なんだ。
Q. アパレルの接客ならUNIQLOが理想。ウザ絡みしてこないし、こちらから声をかけるとすごく親切に笑顔でハキハキ接客してくれる。
A. それが出来るのはユニクロの一点単価の低さと商品数の膨大さと入客数の桁が違う「ファストファッション」の形態だから。
「お客様が決断までさほど悩まない単価」であればそれができるのだが、
一点単価が万越えする商品を揃えている店舗では、興味を持ってもらうために、
丁寧な使用品説明や「なぜこの値段なのか」「なぜこのデザインなのか」を、キチンとわかってもらう必要がある。
単価が10万超えると買う客層が全く変わってくるので話はまた変わるが、
1〜10万ぐらいの商品を主力として扱う店での買い物の決断って、競合が多い上に一番時間がかかるのだ。
ファストファションが今の時代に受けている理由というのも、こちらも十二分に理解している。
自分たちの仕事はこの先、形を大きく変えて淘汰されていくのだろうと思ってる。
Q. 「自分はコミュ力がある」「人と接するのが好き」と言うヤツに限って、ものすごいスピードでこの仕事を辞めていく""人も育つ前に見切りつけて、猛スピードでどんどん辞めていく。"転職先がすぐ見つかるだけでは
A. そう取られてしまうのはいまのアパレル販売の離職率だと本当に仕方がないが、最初から「コミョ力がある」とアピールしてくる人に対しては割と疑ってかかっている。
間接的に上司に対する不満を言ってるのでは。
「俺がそこにいた!」
初期ナンバガの歌詞を振り返るとこういう文体が多い
『omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ
これは一人称の文に見えるが、実は三人称だ
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物を第三者視点から見る必要がある
つまり三人称視点で登場人物としての「俺」を描写していることになる
だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的に記述した三人称、となる
自分自身を物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井は映画監督を目指していたそうだが、
カメラのファインダーという隔たり越しに登場人物を描写する手法もうなづける
だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしまう
その対象が持っていた熱や存在感、当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まりを向井は冷たいと感じた
そういった客観性の集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる
語り手の俺が登場人物としての俺や少女を描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか
ではザゼンだとどうなのか
カメラの技術が進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳のカメラ技術もこなれてしまった
だが、世間の当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動)
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
だから語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない
そこで向井はリフレインに注目する
同じ場所で言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマ一コマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常)
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井はカメラのシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ
とはいえこの主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代は当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色も自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写の対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在のザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか
ブログもツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ
6時半起床 眠い
13時 やる気が出てきた頃にお昼
14時 眠い
16時 具合が悪い
18時 やる気が出てくる
20時 とてもやる気が出てくるが、残業なので早く帰りたいと思う
22時 とりあえずアニメ見て、さあ活動的に趣味(サービス開発)するぞ! しかしやる気が出ない
23時 ようやくやり始める
0時 眠い 寝ぼける
2時 寝落ち
褒められたい