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はてなキーワード: 賽銭とは

2022-07-31

anond:20220729060006

anond:20220729060006

神社賽銭統一教会への寄付を「一緒!一緒!」という人たまによく見るけど、とう考えても違うだろ

2022-07-28

日本には軸となる宗教がないのか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a7e9f40a298676f89eee8ca7beea7965aa4535ca?page=4

日本カルト世界的な吹きだまりになっている。軸となる宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルト規制できず繁栄を許してしまった」という――。

 日本では多くの家で、キリスト教徒ではないのに、クリスマスにはツリーを飾ってお祝いをします。神道信仰しているわけではないのに、正月には神社初詣にいき「賽銭」という献金します。

 仏教徒ではないのに、その前日の大晦日にはお寺で除夜の鐘をついたりもします。七五三神社に行き、結婚式教会で挙げ、葬式はお寺と、考えてみればムチャクチャです。

 日本人は、宗教にはきわめて寛容で、悪くいえばだらしない感じすらします。

 もちろんこれは、柔軟で融通がきくとか、新しもの好きで好奇心も旺盛だとか、日本人のよいところの表れですから、一概に否定すべき話ではありませんが、それにしても、という印象を受けます

私のイメージとは逆だなあ。むしろ多神教である神道の影響かと???思った。

あと井沢元彦だったか戦後日本人がキリスト教化しなかったということは無宗教ではない(無宗教だったらキリスト教化していた)みたいな事を言っていた気がする。間違っていたらごめん。

2022-07-21

anond:20220720145652

でもお前の家の前は精緻になってお供え賽銭まれば喜ぶし、

犬猫聖地になって糞を老いてかれたら起こりますよね?

他人信仰をどうこう言うつもりはないで

2022-07-20

anond:20220720161035

それじゃ政治ツールとして使えないじゃん

本来用途として

2022-07-20

カルトかどうかよりお布施制限したほうが良くない?

~~~~~~~追記~~~~~~~

ブコメトラバをみて僕の狙いというのをちゃんかいておくべきだったと感じたので追記

お布施に上限をつけたい、というのは生きていく上での悩みや不安を少しでも減らしたいと思って宗教にすがったのに

その結果、自分だけでなく家族も含めて今日食べるものにも窮するという本末転倒なことが起きないようにしたいという考えから

いまはみんな旧統一教会に目を向けてるけどそれ以外にも胡散臭いものはたくさんあるし今後また起きる可能性をなるべく減らしたい。

個人自由制限することになるのではというコメントがあるんだけども会社法人における36協定宗教法人版だと思って欲しい。

会社法人は裁量労働契約労働者がどんなに働きたいと思っても労働者の肉体的、社会的健康まもるためにそれを止める義務がある。

それと同様に信者お布施をしたいと思ったとしても

生活に支障がでるレベルであればそれを止める義務宗教法人は持つべきだという考え。

社会法益の観点からみても理に叶ってるんじゃないかな?

強要が行われていることに着目すべきという意見もわかるんだけど、信心深いひとだと強要だと認識しない、という問題があるんだよね。

なにより強要だ、ということになってくれればすでに現行の法律対処できる。

あと霊感商法かどうかを基準にしちゃうぶっちゃけ仏壇戒名霊感商法みたいなもんだからね。

(まぁ個人的にはあれも制限していいとは思っちゃいるけど信教の自由観点から一律に制限しづらいでしょう)

なので「経済的困窮せしめ社会生活をおくるのに支障を及ぼすようなお布施献金を法として制限する」

信教の自由をある程度担保した上で依存による生活破綻が防げるラインじゃないと考えてるのです。

(本文では10万とかにしたけど別に生活破綻しないのであれば年収の2, 3%とかでもいいとは思う)

~~~~~追記おしまい~~~~~~~~

統一教会の話が最近持ちきりで、旧統一教会規制しろ、という声をよく見かける。

多分、個々の事案、トラブルには裁判等で対応していくということはできるとは思うんだけど

その一方で根本的な対応は無理な気がするんだよね。

統一教会名前変更が問題になってはいたけど

傀儡となるような人を立てて別の宗教法人を立ち上げるってことも現実的には可能なわけでそれをやられたら結局防げない。

何より日本信教の自由保証されているか教義の内容に政府が口出す、ということはできないし

するべきではない。

頭がおかしいとしか思えない教義でも存在は許されるべきではある。

となるとカルト宗教とそうじゃないものの間はグラデーションで「XXと◯◯があればカルト宗教である」という定義はなかなか難しいんじゃないだろうか。

というわけでここ最近、全宗教法人の寄付金詳細の公開義務付けと

一世帯あたりから寄付の年間総額の上限設定、というのを立法化できないかなと考えてる。(年間10万までとか)

宗教法人の非課税廃止というのもありだと思うんだけど、その非課税が認められてる建て付けが宗教法人は営利団体ではないから」なんだよね。

であればそれを逆手にとって営利団体じゃないんだから寄付金お布施目的じゃないよね、という感じで押し付けたい。

てか、個人的にも信者幸福功徳第一とか無償の愛だと言っておきながらお布施を払わせる事に矛盾を感じる

前段で日本信教の自由があるから頭がおかし教義でも許されると書いたんだけど、

流石に社会秩序を乱すような、例えば人を殺せば天国に行けると言った教義をもとにした「活動」は許されないわけなので

人の家庭を破産させるような恐れのある宗教活動制限されるべきだと思うんだよね。

これ立法するとしたら、どうだろう、問題なさそうかな?

だれか知識ある人、立法経験者の人教えて

(初詣のお賽銭あたりが問題になりそうだけどまぁ参拝客の概算総数から算出という手もある気がする)

カルトかどうかよりお布施制限したほうが良くない?

~~~~~~~追記~~~~~~~

ブコメトラバをみて僕の狙いというのをちゃんかいておくべきだったと感じたので追記

お布施に上限をつけたい、というのは生きていく上での悩みや不安を少しでも減らしたいと思って宗教にすがったのに

その結果、自分だけでなく家族も含めて今日食べるものにも窮するという本末転倒なことが起きないようにしたいという考えから

いまはみんな旧統一教会に目を向けてるけどそれ以外にも胡散臭いものはたくさんあるし今後また起きる可能性をなるべく減らしたい。

個人自由制限することになるのではというコメントがあるんだけども会社法人における36協定宗教法人版だと思って欲しい。

会社法人は裁量労働契約労働者がどんなに働きたいと思っても労働者の肉体的、社会的健康まもるためにそれを止める義務がある。

それと同様に信者お布施をしたいと思ったとしても

生活に支障がでるレベルであればそれを止める義務宗教法人は持つべきだという考え。

社会法益の観点からみても理に叶ってるんじゃないかな?

強要が行われていることに着目すべきという意見もわかるんだけど、信心深いひとだと強要だと認識しない、という問題があるんだよね。

なにより強要だ、ということになってくれればすでに現行の法律対処できる。

あと霊感商法かどうかを基準にしちゃうぶっちゃけ仏壇戒名霊感商法みたいなもんだからね。

(まぁ個人的にはあれも制限していいとは思っちゃいるけど信教の自由観点から一律に制限しづらいでしょう)

なので「経済的困窮せしめ社会生活をおくるのに支障を及ぼすようなお布施献金を法として制限する」

信教の自由をある程度担保した上で依存による生活破綻が防げるラインじゃないと考えてるのです。

(本文では10万とかにしたけど別に生活破綻しないのであれば年収の2, 3%とかでもいいとは思う)

~~~~~追記おしまい~~~~~~~~

統一教会の話が最近持ちきりで、旧統一教会規制しろ、という声をよく見かける。

多分、個々の事案、トラブルには裁判等で対応していくということはできるとは思うんだけど

その一方で根本的な対応は無理な気がするんだよね。

統一教会名前変更が問題になってはいたけど

傀儡となるような人を立てて別の宗教法人を立ち上げるってことも現実的には可能なわけでそれをやられたら結局防げない。

何より日本信教の自由保証されているか教義の内容に政府が口出す、ということはできないし

するべきではない。

頭がおかしいとしか思えない教義でも存在は許されるべきではある。

となるとカルト宗教とそうじゃないものの間はグラデーションで「XXと◯◯があればカルト宗教である」という定義はなかなか難しいんじゃないだろうか。

というわけでここ最近、全宗教法人の寄付金詳細の公開義務付けと

一世帯あたりから寄付の年間総額の上限設定、というのを立法化できないかなと考えてる。(年間10万までとか)

宗教法人の非課税廃止というのもありだと思うんだけど、その非課税が認められてる建て付けが宗教法人は営利団体ではないから」なんだよね。

であればそれを逆手にとって営利団体じゃないんだから寄付金お布施目的じゃないよね、という感じで押し付けたい。

てか、個人的にも信者幸福功徳第一とか無償の愛だと言っておきながらお布施を払わせる事に矛盾を感じる

前段で日本信教の自由があるから頭がおかし教義でも許されると書いたんだけど、

流石に社会秩序を乱すような、例えば人を殺せば天国に行けると言った教義をもとにした「活動」は許されないわけなので

人の家庭を破産させるような恐れのある宗教活動制限されるべきだと思うんだよね。

これ立法するとしたら、どうだろう、問題なさそうかな?

だれか知識ある人、立法経験者の人教えて

(初詣のお賽銭あたりが問題になりそうだけどまぁ参拝客の概算総数から算出という手もある気がする)

カルトかどうかよりお布施制限したほうが良くない?

統一教会の話が最近持ちきりで、旧統一教会規制しろ、という声をよく見かける。

多分、個々の事案、トラブルには裁判等で対応していくということはできるとは思うんだけど

その一方で根本的な対応は無理な気がするんだよね。

統一教会名前変更が問題になってはいたけど

傀儡となるような人を立てて別の宗教法人を立ち上げるってことも現実的には可能なわけでそれをやられたら結局防げない。

何より日本信教の自由保証されているか教義の内容に政府が口出す、ということはできないし

するべきではない。

頭がおかしいとしか思えない教義でも存在は許されるべきではある。

となるとカルト宗教とそうじゃないものの間はグラデーションで「XXと◯◯があればカルト宗教である」という定義はなかなか難しいんじゃないだろうか。

というわけでここ最近、全宗教法人寄付金詳細の公開義務付けと

一世帯あたりから寄付の年間総額の上限設定、というのを立法化できないかなと考えてる。(年間10万までとか)

宗教法人の非課税廃止というのもありだと思うんだけど、その非課税が認められてる建て付けが宗教法人営利団体ではないから」なんだよね。

であればそれを逆手にとって営利団体じゃないんだから寄付金お布施目的じゃないよね、という感じで押し付けたい。

てか、個人的にも信者幸福功徳第一とか無償の愛だと言っておきながらお布施を払わせる事に矛盾を感じる

前段で日本信教の自由があるから頭がおかし教義でも許されると書いたんだけど、

流石に社会秩序を乱すような、例えば人を殺せば天国に行けると言った教義をもとにした「活動」は許されないわけなので

人の家庭を破産させるような恐れのある宗教活動制限されるべきだと思うんだよね。

これ立法するとしたら、どうだろう、問題なさそうかな?

だれか知識ある人、立法経験者の人教えて

(初詣のお賽銭あたりが問題になりそうだけどまぁ参拝客の概算総数から算出という手もある気がする)

2022-07-18

anond:20220718163421

賽銭や、お守りグッズ程度なら可愛いものだけど、

日本宗教基本的に墓で金を集めてるんだよね。

田舎だと、たとえ兄弟であっても、寺の檀家として寺にお金を納めていないと、

墓に骨をいれてもらえない。

葬式で入れた後、てっきり檀家になるんかと思ったら、ならなかったので、

から骨を抜き出すことになったりする、えげつない世界

anond:20220718152523

免罪符って日本神道のお守りとかおみくじと同じだよね

神様にお賽銭という金を払って願いを叶えてもらう

普通米国人もそれを知って邪悪だって言ってたよ

そんな神様いるわけないって

霊感商法が出来なくなってもスパチャがある

カルト宗教は動く偶像作って、ネット上でも現実賽銭箱でも5万円入るたびに

動く偶像がニッコリ笑顔になって感謝してくれるシステム作れよ

仮に何かあって霊感商法が法的に行えなくなっても

偶像笑顔になって貰う権利に5万円払う商売禁止するのは難しいからイケるだろう

2022-07-12

カルト宗教とそうではない宗教の違いがわからない

神社だって、実際にいるかどうかも分からない神様へのお賽銭やらで人々から金を巻き上げてるわけで

神社悪徳レベルが1として、カルト宗教悪徳レベル100だから悪徳レベル10までは許容できる人々がカルト宗教は悪とみなしている(数字はテキトー)とか、そういう感じなのか?

特定宗教に対する批判でも擁護でもありません)

2022-07-10

神社サイレントに喪に服していた

近所に、境内じゅうにお賽銭箱を設置して、インスタ映えするイベントしょっちゅうやってSNSでもガツガツ広報してるがめつい神社があるんだが、

媒体で見かけたイベントに、子ども連れて行こうと詳細を調べようとしたら、普段あんだけアピールしてるアカウント沈黙している。

なんでだ?と思ったんだが、どうやらお仲間の神社のつながりの手前、イベントやりますと大々的に発信できないようだった。

しか子連れお金は欲しいようで、現地はしっかり盛り上がっていた。

こういう神社に金はおとしたくないなと思い、賽銭は投げずに参拝だけして、子に屋台で遊ばせ、帰ってきた。

やっぱ神社ってキモいわ。

2022-05-11

anond:20220511130012

モノやサービスを買うことは経済活性化につながる

千円札や万札の賽銭言わずもがな

これらが他人幸せにつながらないと思うのはなぜだろうか

首を吊る前にやりたいこと

クレジットカード限度額一杯の買い物

レベル風俗嬢指名

最寄り駅から終点までグリーン車にのって寝る

スーパーに置いてあるプリン全種類を一度に買って食べ比べ

高い場所から千円札をいっぱいばら撒く

ピシッとおしゃれな恰好ユニクロを歩いて買い物客にファッションマウンティングして優越感にひたる

1リットル以上の瓶入りの酒を買ってラッパ飲み

住んでる県の最北端・最南端・最東端・最西端を攻める

神社賽銭箱に万札をぶちこむ

回転寿司屋で大トロを食う

ひとりでピザラージを出前注文する

ネットカフェで棚の端から端まで漫画を読み切るまで連泊する

2022-05-10

沈没事故の件、文春の記事読んだけど、リゾート化とかで地上げ神主を立ち退かせた後、

自分神主になったというのはとんでもない所業だと思う

土地を守ってる存在激怒したのかもしれないな・・・

超えちゃいけないライン超えちゃったのだろう

賽銭着服したところもヤバイ結末になってたよね

2022-04-05

毎日お花見

寺でお花見

 お寺の境内花見子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある山桜は葉が出始めで、花はまだたった。

 去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。

 お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。

 境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。

 ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。

 両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。

桜並木お花見

 ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。

 あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わずしかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭り廃止になった。

運動公園お花見

 運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元少年野球チームやサッカーチーム練習試合をしにやって来るからだ。

 広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。

 ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場しっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。

 コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンド団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球サッカーチーム侵入禁止します。練習ウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。

 桜の木の下を通ると、ヒヨドリ金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。

 公園事務所ラウンジから死角となる場所桜の木の下で、お爺さん達のグループ酒盛りをしていた。

市民体育館お花見

 毎年花見に来るスポット子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。

 昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りいるかどうかは知らない。

公民館お花見

 家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。

 満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島なのだ。つまり挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。

 たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。

2022-04-03

マジメな話、天皇ってなんで中高年からあんな好かれてるの?

若い人で天皇好きな人って右翼思想に染まってキチガイぐらいだけど、中年になるとそこそこの割合に、高齢者になると普通に「ありがたやー」ってしてる。

世代差はともかくとして、なんで一部中高年はあんなに天皇のことを崇拝に近い感情で扱ってるんだ?

アイツなんのご利益もないぞ。

祈るんだったら近所のお稲荷さんに5円玉でも賽銭として入れてきたほうがまだ何かしらあるだろ。

オカルトじゃないってんなら手を合わせるなって話だが

2022-03-30

たまにはオフィスに出社するのも悪くないなって話

今日、かなり久々にオフィスに出社した。

テレワークが出来なくなったとかじゃなくて、物を会社から発送しなきゃいけなかったので、午前だけオフィスに出社したって感じ。

基本的テレワークで月に1、2回現地作業のために出ることはあっても、オフィスに朝から出社してPCを開くのは久々。

出社すると半年ぶりくらいに対面で会う上司がいて、4月から体制関連での雑談だのなんだのしながら仕事

ずーっと家にいると話す(会議除く)相手家族しかいないので、改めて「他人」と話すことはいものだな、とか思いつつ。

荷物を発送する用事も終わって、オフィスを出てからの帰り道、ちょっと二駅くらい?遠回りしてみた。

ちょうど東京では桜が満開でいろんなところできれいな並木道を歩く。ちょっと汗ばむくらいの暖かさ。

歩いていて、Googleマップを見ると有名な神社があることを知る。

ついでに参拝していこう、仕事中だからサッとだけ、と。

賽銭箱にお金を投げ入れ手を合わせる。境内を少し歩くと白い猫が毛繕いをしていた。

その後は電車に乗って家に帰ってテレワーク

午前、仕事の移動のついでに桜と神社

午後はしっかり仕事

なんとなく、今日はいい1日だった気がする。

2022-02-28

もしvtuberの中身がAIになっても人は投げ銭をするのか?

もしvtuberの中身がAIになっても人は投げ銭をするんだろうか?

vtuberの中身としてなら、そんなに高度なAIでなくても成立するような気がする。

そんな、人でないことがわかっているものお金なんて払うだろうか、と思ったけど、

神社賽銭箱に小銭を投げるのも、別にそれが神様に届くわけではないとわかっていても投げるんだから、意外にAIにも投げ銭をするようなこともあるのかな。

2022-02-27

anond:20220227125152

そうなんじゃね。お賽銭はお釣りが発生しないからな。

コレを機に、お賽銭キャッシュレスでいけるようにしたら面白いのにな、とは思う。

うそういうところあったりするのかな?

2022-01-24

慈善団体は今すぐ神社Go

賽銭とお札を交換するんだ。

今なら結構なレートで交換に応じてくれる神社があちこちにあると思うぞ。

2022-01-22

余った1円の使いみち

賽銭箱にまとめて放り込む

anond:20220120094146

より大きい単位硬貨分の金額の少額硬貨が財布にある状態が落ち着かなくてさっさと使うか10円以下は瓶にためて京都に遊びに行ったとき賽銭としてばらまきつくしていた。京都、そして伏見稲荷の(私設を含む)賽銭箱の数はすごい。最近キャッシュレス化で小銭も入ってこなけりゃ不要不急の京都行きもなしだからほとんど小銭触ってないや。

2022-01-20

あさひ観音

 実家の近所に「あさひ観音」と呼ばれる観音様がある。国道何々線と、私の実家に至る車2台が余裕ですれ違うだけの幅はあるがボロい道路のまじわる、信号のない交差点からちょっと実家寄りに入ったところにある。

 「あさひ観音」の「あさひ」がどういう字を書くのかは知らないが、そういう名前なだけあって、東向きに建っている。トタン屋根の小さな祠のような建物の中に、二体の石像が納められている。どちらも「ばかうけ」を真ん中から折ったような形の、子供の背丈くらいある石を彫ったものだ。岩肌は長く風雨曝されたかのようにざらついている。

 真ん中に据えられた一体は本当に観音像のような形が浮き彫りされている。が、向かって右隣の石は、言われてみれば人の形のように見えるかもしれない、「ばかうけ」か皮つきフライドポテトのような形のゴツゴツとした岩だ。

 父に聞いた話では、これらの石像はもともと河原に落ちていたのを、村の誰かが拾って来てここに祀ったものだという。

 祠の前には何故か、一基の鳥居が据えられている。鳥居バブル時代の頃に新品の木の鳥居に取り替えられたものの、それ以降は全くの手付かずなので、今や黒灰色に染まり朽ちかけている。

 祠の周りには紫陽花が植わっている。梅雨になると美しい青い花を咲かせる。昔はお賽銭箱もあった。今はない。

 神社のように鈴が下がっていたかどうかは、記憶曖昧だ。あったような気もするし、なかったような気もする。ただ記憶にあるのは、そこを通りかかる際は、祖母に五円玉をせがんでお賽銭箱に投げ込み、「ご縁がありますように」とその言葉意味も知らない癖に、神妙に手を合わせていたということだけだ。

 「あさひ」というと、父から聞いた都々逸を思い出す。近所の山に住んでいた三軒の金持ちの威光を読んだもので、しめに「朝日に輝く○○(家のあった場所地名)」という。その○○のお家が父の先祖だというが、信憑性は薄い。ただ、父の言うように山の麓の駅の側に、その家の古い墓標が道祖神お地蔵さんのように草に埋もれている。見た感じ「あさひ観音」くらい古そうな、風雨に曝され磨耗した、石の墓標だ。

 なんて、まるで父の生家と「あさひ観音」に関連があるかのようなことを書いたが、全然関係はない。あさひ観音は村の皆で崇拝してきたもので、誰が拾って来たのかは、今となってはわからない。ただ言えるのは、父の先祖明治辺りにこの村に越して来た人なので、村の歴史上では根っからジモティーではないのだ。

 あまり記憶が定かではないのだが、昔、毎年寒い冬の時期に村の公民館で「甘酒祭り」が行われていて、これが「あさひ観音」に関係するお祭りだったと思う。祖母地元の人たちは「甘酒マチ」と呼んでいた。「マチ」というのが「祭り」を意味する方言のようだが、しかし市の中心部にある大きな神社の「夏祭り」のことは「マチ」とは言わないのは、謎だ。

 甘酒祭りでは村の人々に分け隔てなく甘酒が振る舞われた。お年寄り等は酔っ払っちゃうまで飲む。子供も一杯くらいは無病息災のためだから飲めと言われたものだが、私はどうも酒粕が苦手なせいで、一口舐めただけでよした。

 それ以外に、「あさひ観音」にまつわるイベントごとの記憶はない。観音様はただそこにあるだけだったが、定期的に誰かが世話をするようで、湿気った祠の中にあるわりには苔むしもせず、赤い前かけと頭巾は時々新しいものに替えられていた。祠の格子戸には錆びた鎖が巻かれ南京錠で施錠されていたが、鍵を誰が管理していたのかは知らない。ただ持ち回りではなかったと思う。うちに観音様の鍵があったことはないので。

 観音様の祠は一軒の農家敷地に隣接している。というより、農家敷地がわざと観音様の祠を避けるように垣根をそこだけ凹ましてめぐらせてある。もしかすると、実は観音様の所までその家の敷地だったりもするのかもしれないが、よくわからない。その家と同じ並びの数件と我が家には何故か付き合いがない。別に仲が悪い訳ではなく、単に家がちょっと離れているというだけだ。回覧板を回し合う「班」がうちとそことでは違うのかもしれない。

 ともかく、私の子時代はまだ、「あさひ観音」は地域の人々から大切にされていたが、いつの間にか「甘酒祭り」は行われなくなったし、お賽銭を集めることももうなく、今はたぶん放置されていると思う。Googleマップで見てみたら、祠は昔と変わらず、だが屋根は錆びて鳥居は朽ちていた。なのに紫陽花そのままで、祠の外の石碑もちゃんとあり、祠のなかには苔ひとつ生えていない観音様がある。だが赤い前かけはだいぶ色褪せていた。

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