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はてなキーワード: 昭和とは

2024-05-06

anond:20240506115921

ここで俳句解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアル相談した方がいいよ。

…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト文脈)に依存する芸術からだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力もつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。


それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。

「ここで昼餉(ここでひるげ)」

初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わず17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこち公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。

ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)

「真赤な夏の/花佇つゆゑ」

最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初のんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。

もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。

一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くそ花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的楽天的天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。

二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかたからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反用字である

結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。

そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的俳句もっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用物語調で独特だ。一般的俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか

まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。

anond:20240506071617

昭和政治家が何を言ってるか見てみなよ

本当に能力いから。

当時のおっさんたち、金はあるからとあぐらを描いてじゃぶじゃぶ使い込んでるだけですよ

将来また金が貯まるだろうという考え方

いつか困るという発想もない

それを止められない当時の人間無能

あんだけ無能おっさんしかいないのに、日本人男性無能さを直視できない日本人男性無能

女ってコスパ悪すぎ

女って維持費がめちゃくちゃかかる

しか費用対効果がめちゃくちゃ悪い ほんのちょっと効果を出すのに莫大な費用と労力がかかる

そもそもイメージ上の「女」ってのが17〜21歳くらいのクラスで3番目までくらいにかわいい子(具体的に言うとAKB)が普通基準になっていて、あらゆる年代容姿の女がそこから外れないように躍起になってる気がする

どんだけ費用対効果が悪いかって、まず「サラサラツヤツヤのストレートヘア」ってのが幻想であり(その証拠昭和の大女優写真を見ても髪の毛は大抵ボサボサしている)、手に入れるためにはものすごい金銭時間的コストがかかるのである

人にもよるが、まず消耗剤だけで毎月の美容院でのストレートパーマとトリートメント、家用の高いシャンプーとトリートメント、ヘアミルク等のアウトバストリトメント、ツヤ出し用のオイルスプレー、その他にセット用のスタイリング剤やアホ毛直し剤がいる

道具代としては、ドライヤー、櫛、ヘアアイロンも各数万円とかする

恐ろしいのは、これらのコストをかけているのが一部の容姿商売にしている女だけではなく、(全部ではないとしても)一般的学生会社員の女がそこそこ小綺麗な見た目を保とうとするとこれらのコストがかかるのである

こんだけお金時間もかけたら爆裂に美しくなるべきじゃないか?と思うが、手に入るのは最低限の女の子っぽい見た目である

これは髪の毛に限らず、肌とか顔の造作とか体型とかも同様である

というかコスパの悪さとしては肌なんか数段上で、ほんのちょっとの違いのためにみんな何十万もかけて美容医療とか美容液などに手を出しているのである

コストのかけがいがなさすぎる

じゃあ思い切って全てを諦めて無造作ショートカットスッピン、ガサガサの肌、ボーボーの髭や腕毛やすね毛で男と見分けがつかないような姿で生きていけるか?というと、その選択をできる女は少数なのである

  ブサイクな上に平成ブサイク昭和ブサイクにも容赦がない残酷性があるなど終わっているだけで何もいいところがない

anond:20240506124105

どうもならん

これから日本にもそういう人間が増えていくよ

特定世代だけじゃなく全世代で「まともなじゃい」人たちが「普通存在」になっていく

なっていくとうか、昭和末期以降極端に減っていたはみ出し者が復活するだけだけどな

日本という夢が覚めるんだよ

anond:20240506121353

あなたモテないのは昭和のせいでもクソオスのせいでもないのでは?

anond:20240506121222

君らクソオスが女をいつまでも言われっぱなしのサンドバックと思ってるから反撃にうろたえるんですよ

いい加減、昭和から令和に引っ越してきて欲しい

anond:20240506055301

昭和初期どころか明治時代から女性解放運動はあったわけだが。

「虎に翼」の登場人物はそれを知ってる程度に教養があるであろう階層の人がほとんどだが。

元増田の言う通り、差別というのは当時の「常識」に即して行われる。どんな人間でも、その常識に寄りかかっている生きている。ほとんどの人は、それが差別と気付くことはない。だからあんな直情的な反差別セリフが瞬時に出てくることは絶対にない。戦後ならまだしも、戦前の段階で。

主人公モデル帰国子女で、父親は娘を連れて海外赴任するほどのエリートであり、当時としてはかなり「先進的」な思想の持主でもあり、

娘に「普通のお嫁さんになるな」と言い聞かせて育てて法律家になる道を勧めたのだという。

当時もそういう人もいたし、そういう家庭もあったわけだよ。

主人公が進学する明治大学(作中では明律大学)にしたって、日本で初めて法科に女子部を作った大学なわけだし

それを推し進めたそこの当時の教授陣は「女性にも法律を学ばせて弁護士にしたい」という思想を持っていただろう。

当時男性しか弁護士になる事を認められていなかったのを、女性もなれるよう法律を変えた人たちもいたわけだ。

「あれは当時の『普通』ではないから間違っている」と言いたがる人をよく見かけるけど

そもそも普通』ではない家庭で育ち、『普通』ではない人生を歩もうと思った、『普通』ではない女性物語なんだよ。

当時の人間は全員教科書的な「昭和初期の『普通』の価値観」を持っていたはず、って前提で考えるから現実とズレる。

現実ってのは実際は色々な人がいるわけだよ、いつの時代も。

法的には女性の権利が大幅に制限されていたのは事実でも、その時代に生きていた人間が全員それを当然と思っていたわけではない。

そもそも当時の『普通』の価値観も、増田が考えているほどに女性差別が当たり前の常識ではなかったようだよ。

主人公が兄の結婚式で歌った「うちのパパはママの尻に敷かれてる」といった意味の歌も実際の当時のヒット曲だし、

DVから着物を取り返そうとする妻の裁判も、女医饅頭チフス菌盛って婚約破棄した男に食べさせた事件実在のもの

後者も「世間」は女医に同情的な人が多く減刑嘆願もされたんだそうな。

(当時の「世間の反応」は当然マスコミに記録された事しか残ってないし、当時のマスコミにはほぼ男性しかいなかっただろうが、それでもそういう書かれ方をした)

と考えると、当時の「普通」は現在のアンフェよりはよっぽど「男女平等思考かもな、現代チフス饅頭事件が起きたらアンフェは女医を袋叩きにするだけだろうし。

そういうネットの女卑思想に引きずられて、「現代ですらそういう風潮なんだから当時はもっと酷かったはず」と思い込んでない?

1960年代以前の昔の映画を見ている人にはわかると思うけど

現実フィクションをごっちゃにするのやめようよ。映画あくま映画現実を正確に反映しているわけではない。

 板津素子の夫  刑務官            板津素子・・・  司法事務官

   何も出来ねえくせに

   俺の前で言ったら承知しねえから

    昭和?年    刑務官採用

    平成25年   黒羽刑務所

     現在     横浜刑務所

anond:20240506091250

数百円の前半で含蓄ありげな御告げ()が読めるので毎年年始には引くし、観光地でもイイカンジに寂れた御神籤機器があったら引く

昭和の頃にドライブインの卓上によくあった球形で星座説明書きが表面に表記してた御神籤機をやらせてもらえなかった反動かもしれない)

anond:20240506012309

横だが昭和女性共働き家事育児介護も全部やらされるのがデフォだったからね

専業主婦なんて都会の上流だけ

それと比べたら今は楽になってるのは事実だけど、男性が輪をかけて楽になり過ぎたか

それと比べたらあんま変わってないんだよな

anond:20240506005725

実は昭和よりもさら母親負担は減っているんだけどな

フェミ価値観昭和現実制度は令和だからそこに違和感があるんだよ

anond:20240506001854

SF昭和中期の固定観念を持ったままのかわいそうなひとだ🥺

2024-05-05

anond:20240505165459

終身雇用年功序列保証されてた昭和ならともかく、今この時代にその考えじゃ40までは生き残れんだろうね。

anond:20240505103717

しかし、バーにおいて実際にアルコールを口にしたのは、『青鞜』の中心人物であったらいてうと荒木郁子の二人だけであったという。当時は女性アルコールを飲みに出かけることが一般的ではなかったため、ほかのメンバーたちは躊躇してしまったのだ。女性解放を掲げる人たちでさえ古い慣習の束縛は強かったのであり、その中でらいてうが非常に自由精神をもっていたことがうかがえるだろう。

らいてうが訴え続けた女性解放、男女同権の考え方は、戦後社会の中で徐々に結実していく。1950年代から始まる経済の高度成長と、60年代後半からの「ウーマン・リブ運動」を経て、女性社会に出て仕事を持つことは珍しいことではなくなる。それと同時に、戦前までの女性に対する蔑視偏見も薄らいでいった。

それを象徴する現象として、女性飲食店などでビールを当たり前に楽しめるようになったことが挙げられる。1956(昭和31)年の調査では、「女性ビールを飲んでよいか、飲まない方がよいか」の質問に、女性過半数以上が「飲んでもよい」と回答。高度成長期に入ると、戦前男性占有していたビアホールに、続々と女性進出ビールを嗜むようになる。『青鞜』のメンバーでさえ束縛されていた、女性飲酒することに対する社会偏見は、戦後社会の発展の中で急速になくなっていったのだ。

ブクマカなら釣れるかもしれんが増田は釣れぬよ。

anond:20240505150055

昭和の男は家事できなかったから女がいないと長生きできないけど、これからは流石に料理くらいできるでしょ。

明日も出勤…

結局、4月27日から5月6日までの、いわゆるGWは全て出勤することになる

GW前はウキウキてSteamでゲームを買い漁ったのに一つも起動することなく終わりそう

新卒で実務をしている訳じゃないんだけど、

みんな出勤しているんだから仕事がなくても出勤するのが当たり前みたいな空気

これが昭和的って言うのかな、、、鬱だ。。。

「虎に翼」で昭和初期の女性ビールを飲むのはおかしいという論評

「虎に翼」はパルワールドポリコレアフロディズニーみたいにいくら火付けしても表自が怒らない作品

昭和10年女子は本当に「ビールを飲んでいた」のか…朝ドラ『虎に翼』の根幹につながる「違和感

>4/27(土) 9:02配信

>第16話、ヒロイン寅子が大学の本科に進んだのをお祝いして、家で祝杯を挙げていた。

>寅子の母もビールを飲んで少し酔っているようだった。

>はて。

昭和10年に、男たちと同じように女性が酔うほどビールを飲むだろうか。

>はて。はて。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3f7838613cba09c314c67667d21f40e034684fb2?page=1

ビールを愛した近代日本の人々

雑誌制作息抜きビールを嗜んだ女性解放運動家・平塚らいてう

>(ひらつか らいちょう)1886-1971/東京都出身

彼女らは打ち合わせや仕事のあとに、息抜きとしてしばしばビール洋酒を楽しんだ。珍しい洋酒を一目見たいという好奇心からバービアホールへ出かけることもあったという。そして、そこで供される黄金色にきらめくビールや、比重の違う5種類の洋酒によってグラスに色とりどりの層をつくる「五色の酒」などに目を輝かせた。こうした色鮮やかな西洋の酒の中に、新時代空気を感じ取っていたのかもしれない。

https://museum.kirinholdings.com/person/kindai/26.html

明治女性はすでにビールを飲んでいる

女性向けっぽい作品に対しては急に表現の自由適用されなくなり火付けするなと普段騒いでいる人たちが見て見ぬふりをする

虎に翼もそういう枠に入っちゃってる

2024-05-04

anond:20240504121420

なにその昭和老害

その集大成が下の世代パワハラかましてる現状なんだが

お茶汲みやらせりゃいいのか?

anond:20240504121115

本当にお茶汲み「しか」してないのは昭和にも殆どいなかっただろうし

コネ入社お嬢様とかならいたかもな)

他の雑用もセットなら今でもいくらでもいるだろ

anond:20240504103949

ウチは女性でも荷運びやらせてたら、怪我が絶えずに労災が重なって

果ては産休前の妊婦流産しかけて、上司左遷されたな

昭和の話だけど

田舎中小なら令和でも体制変わらんだろうな

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