はてなキーワード: zeppとは
私はとあるハンサムさんのファンを長年続けているんだけど、2009年初めてZeppにハンサムを見に行って、賢人くんと春馬くんの歌声に魅了された。
『歌が上手い』なんて単純な話ではなく、二人の歌声が重なった時のハーモニーに衝撃を受けるほど感動してしまったの。
歌声の相性が良ければ、1たす1が100になるような奇跡の音色に生まれ変わるのだと、生まれて初めて知った瞬間だった。
思えば後期ハンサムLIVEは、ファンイベントよりもショー作品と表現する方が近く、
推し個人とのコミュニケーション濃度より、全員のLIVEパフォーマンスを楽しむ祭典度の方が強かった。
(これは誰を推しているかによって変わってくるのかもしれないけど。
私がファンをしているハンサムさんは、ファンが望むことの読み取りと 本人が望むこととのバランス取りが篦棒に上手く、
彼はあらゆる場面で私たちとの時間の積み重ねを感じさせてくれるから、この関係性でいる信頼感と安心感がハンパない。
私たちそれぞれとの歩みを大切にしてくれる彼にはいつも心から感謝している。
そんな日々の濃度は、ハンサムで生ファンサをもらう濃度に決して劣っていないと、私は感じてる。)
だから私にとっては、ハンサムLIVEは推しだけを愛でる場ではなく、チーム・ハンサムを応援し全員が仲間になるお祭りだった。
そして、歌手ではない二人のハーモニーを聴くことができる、唯一無二の機会だった。
あの感動のひとときはもう失ってしまったのだと、今回のハンサムでようやく痛感し、
賢人くん春馬くんそれぞれのファンの方からすれば「痛感するの遅くない?」「なんでこのタイミング?」ってなる話だと思う。
二人が一緒に出演したのは伝説の2012年公演が最後で、もう4年も経っているから。
ファン感謝祭ジャンルのショー作品として究極であり完成してしまった伝説の2012年。
最高の先にある新しい世界を求めて挑戦をしたBrand New Worldの2013年。
常に『進化』してきたハンサムLIVEだったのに、先に進むことではなく『締め括り』のショー構成だった2014年。
(なお、この2014年も初日が終わった後に盛大に絶望していた。
Never Let Go!って、EVER LASTING SHOWや言うたやん!って思っていたけど、後から読みとってみれば最終回の常套句ばかりだった。
でも終わって欲しくないからストレートな言葉の意味意外ぜんぜん考えなかった。だって第二章が始まった次の話が最終回だなんて信じられないでしょ…?
演目構成として『終わり』を突きつけられるのは、参加者としてめちゃくちゃキツかった。楽しかったけど絶望を受け止めきれなかった気がする。)
と、2014年までが一つの文脈になっていたから、何というかワンチャン…みたいな希望がずっと私の中にあったのです。
(2014年は賢ちゃん居たけどwhite serenade担当しなかったことの意味とか…
デュエットの相方ははるるお気に入りの裕太がバッチリやってくれたこととか…)
それが一年寝かせて、名前がハンサムフェスティバルになった今年2016年。
とてつもなく素晴らしい引き継ぎ構成だった今回。
2014年に絶望した先輩ハンサムさんファンの私としては、このFestival Nightは毎年恒例なんて当たり前の存在ではなく、『ミラクル』なのだとストレートに突き付けられて漸く受け止められたし、
新入生ハンサムくんたちに『これまでの道のり』とか『後ろは振り向かないで』とか言われちゃ、世代交代という形の一つの終わりを実感せずにはいられなかった。
そして『THE GAME初出の曲をファンが歌うダブルアンコール』という奇跡は、最高の『私たちの時代の終わり』だった。
2014年は総集編だったから、そこにエントリーされたことはきっと喜ぶべきだし、賢人くんが春馬くん以外とwhite serenade歌ってしまわなかったことに救われていたけど、
引き継ぎ式の2016年にあえて歌う必要性は最初感じなかったし、2014年に続き桜田さんが担当していてオリジナルメンバーよりも多い回数を公式披露した現実にぶっちゃけ初日は死んでた。構成担当を怨んだ。
(ちなみに2013年はギャグ扱いだし悲恋ぼっち曲だから賢ちゃんソロでもノーカンセーフ。他の曲も同じ状況だったしね。確か壮ちゃんが紹介していた、舞踏派チームのbutterflyが流れた瞬間「ヤメテー!」って悲鳴を上げたファンの方の気持ち、今なら超わかるよ。笑)
初日の挨拶で桜田さんが賢人くんの話をしてくれたから、一命は取り留めれたけども…white serenadeから先は他の曲もオリジナル版で賢人くんと春馬くんのデュオだったパートになる度に、喪失感がすごくて。
(実際のところ、二人の持ち歌のwhite serenadeでは声を重ねるパートが少ないから、ハーモニーのファンだった私としては全体曲のCメロとかの方がより一層思い入れ深かったりはする。)
私の中のハンサム公演にとって、賢人くんと春馬くんのハーモニーはこんなにも自覚していた以上に大きな存在だったんだなぁと、喪失感の大きさから気付いた。
先述の通り、先輩ハンサムさんファンとしての私は、2016年の引き継ぎ公演っぷりに成仏できた。
それはハンサムフェスティバル全体を通してのことで、祭儀の結果。
(もちろん私もこのお祭りが大好きだし大切だから、彼を含む先輩チームにはぜひまたお祭りを開いてもらいたいけどね!宇宙にだって付いてくよ!全通皆勤記録まだまだ伸ばすよ!)
(彼のファンも一生続けさせてね。これからも私たちのことどうぞよろしくね。)
でもじゃあ賢人くんと春馬くんのハーモニーが大好きだった私は…となった時に、
私を抉ったwhite serenadeが、逆に葬送曲になった。
リリース当初は、どうして悲しい恋の歌を作ったのか疑問だった。
ハンサムミュージックは、いつもチーム・ハンサムと私たちの『今』を赤裸々に的確に表現していて、一般的なアーティストさんやアイドルさん等の楽曲とはメッセージ性の方向が全然違ったから。
でもねぇ喪失感あふれる今、white serenadeの悲しみのシンクロまじやばいよ…
ハンサムに会いに行っても二人はもう居ないし!
好きの終わりをうまく飾れないし!
私の推しハンサムさんがパート担当しても二人のハーモニーの想い出は消えないし!
終わらず続いたハンサムの会場で…
そして『もう少し待ってみよう 悲しいまま あの日のまま』と締められてしまうから、成仏できない。
葬送曲として『悲しい終わり』を突きつけられたけども、鎮魂して成仏なんてできないよ。
ずっとずっと待ってるから、
賢人くんと春馬くんのハーモニーがまた聴けることを。
悲しい恋の歌にギャン泣きして二人の歌声を探し彷徨うファントムになりつつ、
出演してくれた愛しいハンサムさんたちと素晴らしいハンサム・スタッフさんに心から感謝して、
引き続きブチ上がっていくぜ!!
8年半ぶりに銀杏のライブ。最後に見たの戦争反対ツアーのZepp福岡、社会人三年目。あれから8年半。結婚もして子どもも二人産まれた。確かに私の環境は変わったのかもしれない。でも、2004年4月に久留米でセッチューフリーで初めて銀杏を見たあの時の、21歳の気持ちから、どろどろした気持ちは変わってなくて。33歳になったけど、もがきながら働きながら子ども育てながら。何にも変わってない。峯田。くそったれ。活動しなくて、あんなに聞いてたファーストアルバルもいつの間にかほとんど聞かなくなってたけど、光の中に立っていてねがでて、DVD用にラブレター募集しててメール送った。やっと出た愛地獄にラブレターが載ってた。待たせ過ぎ。でも、素直に嬉しかったのは、銀杏BOYZがただ好きだからか。13年間も好きで、追いかけられるものがあることは幸せか。愛地獄見て世界平和祈願ツアー絶対行こうって思って、福岡くるし、チケット取れた。死ネT着て行った。8年ぶりに見た銀杏BOYZ。変わった。メンバーがやめてサポートになったかとか、それもあるか。ただ殺伐とした空気はなくなってた。せんそうはんたいツアーのときもそうだったけど、愛地獄のスメルズのライブ見て、2004年に一番見に行ってた時期の殺伐としたライブ見れるかなって思ったけど、違った。当たり前だけど、私も銀杏BOYZも変わった。私の環境も、峯田の環境も変わった。それでも、銀杏BOYZは私の中の深くに居着いていて、ドニラバンの銀杏Tを着て、日曜日の午前中子どもを公園に遊びに連れていく。
銀杏ボーイズのサイトを久しぶりに見たら、PV撮影のニュースがあった。峯田のブログも9月に更新されてた。そういえば最近銀杏ボーイズのこと忘れかけてた。最後にライブ行ったのいつだっけ。社会人3年目の冬に戦争反対ツアーでZepp福岡に見に行ったのが最後。そもそも、ライブやってないし、東北ツアー?だっけ、スメルズライクアバージンツアーのライブ映像をCSで見たのがいつだっけ?東京メトロのCMソングに銀河鉄道の夜第2章が使われて、ドキドキしたのいつだっけ?車のカーナビのHDDにはアルバム入ってるし、シングルも、ゴイステも入ってる。最近聞いてないな。
2003年から2005年。当時大学生だった私は彼らに心酔してた。大学生活、人間関係につまずいてかなり苦しんでた。唯一の救いが銀杏だった。当時福岡に住んでたから、セッチューフリーのライブ見に行くために関西まで遠征してた、ひとりでマンガ喫茶泊まったな。ロッキンジャパンフェス行って、佐世保のセッチューのライブで死ねTに峯田がサインしてくれて、まだ大事にとってる。DVDについてたポスターは今でも部屋にはってる。平和祈願DVDがいつ出るかずっと待ってたけど、待ってることすら忘れてた。
銀杏のサイトのBBS見たら、イトキンの名前があって懐かしくなった。当時銀杏ボーイズはかなりの知名度はあったけど、一定数の人間はヒリヒリした切実な想いで彼らを見てたと思う。私もそのひとりだった。イトキンとは面識はないけど、どこのライブ会場にもいたし彼の知り合は、銀杏のファンサイト作ってたりして私もよくそこにライブレポを見に行ってた。あたりまえだけど彼や彼女らも10歳年をとって、彼や彼女らの生活にまだ銀杏ボーイズが存在してるか、ふと思う。
私が銀杏ボーイズを知って10年。アルバム発売から8年半。大学生だった私は社会人になり結婚し子どもが2人。当時銀杏が載る雑誌は全て買ってたけど、その中で今でも忘れてない、ふとしたときに思い出す峯田のインタビューがある。ストリートロックファイルのアルバム発売直前に出た号で、「今、僕たちは報われなくていい。今、こうやって銀杏ボーイズを聞いている人が、社会に出てそれで世の中が、少しでも良くなってくれればいい。」そんな趣旨のことをいってた。当時、社会人としてやっていけるか不安だった私はこの言葉に背中を押された。
社会人になったら学生時代より、苦しいことが多かった。だけど自由になるお金も、増えてどうしても行きたかった童クリにヤフオクでチケット落札して行った。銀杏ボーイズを切実な想いで、救いを求めて聞いてた。いつから、だろう。切実な想いで彼らの音楽を聴かなくなったの。聴けなくなったの。待っても待っても、活動しないからか。31歳になって自分が変わってしまったのか。
でも、今でも満たされない気持ちがあってそれを埋めれるのは銀杏しかない。家族も他の音楽も趣味も宗教でもない。かつて、銀杏ボーイズに救われた多くの人がいてきっといまだに彼らの新譜をライブを何年も待ち続けてる。働いて毎日をやり過ごしながら待ってる。みんな峯田のロックを必要としてる。