はてなキーワード: ngワードとは
肯定派とか否定派とかに与する前に、そもそもまずまともな議論が行われていないと感じる。
当該のMVという素材が視聴不可能になっているから仕方ない部分はあるが、まず否定した人たちが、「なぜ否定されなければいけないのか」について客観的妥当性のある理由を述べているのを私はまだ見たことがない。この増田の「表現としての伝わりづらさ」(イコール差別表現だと誤認識されやすい可能性、と読んだ)という意見が初めてだった。
感覚的に否定する(=不快表明)は何度も見ているが快不快での評価に客観的妥当性はないし、そんな基準で表現をキャンセルしてよいはずがない(自由の制限の濫用だ)。
例の口の悪い増田も、結局のところ「なぜ否定されなければいけないのか、ちゃんと理由を述べろ」と言っている。感覚ではなく、論理で納得できるために。
記号的に「“コロン(ブス)”はNGワードだからダメなの」的な、思考停止の意見が目立ったのも事実であり、その現象自体に私は最も危機感を覚えている。まずは開かれた議論を、という基本中の基本を大切にすべきではないだろうか。
不機嫌ハラスメントって、大きい音を立てて威嚇したり、叫んだりっていうのの他に、悲しいとか落ち込んでいるとかをあからさまに押し付けられるハラスメントもあると思う。
人を嫌な気持ちにさせることに遠慮がない人に対して、無視したり気にしない以外の対処方法がなくて、落ち込んでしまう。
他の人はうまくやっているのか、私に対してだけやられてるのかわからないけど、楽しい気持ちになっているところを、急に変なスイッチを押して相手の気分がガクンと下がってしまって、気にしなければいいのにつられて嫌な気持ちになってしまう。
相手が欲してる言葉はわかってたけど、それは自分を犠牲にしないといけなかったし、やりたくなかった。
前は機嫌取るため、というか相手が死んじゃうんじゃないかって夜中相手してたけど、泣きながら自分を削りながら必死でやるのは、結果的にあんまよくないのではと思ってやめた。
放っておけるようになったのは進歩だけど、でも気が重いのには変わらず。程度は違えど。
不機嫌ハラスメントって、大きい音を立てて威嚇したり、叫んだりっていうのの他に、悲しいとか落ち込んでいるとかをあからさまに押し付けられるハラスメントもあると思う。
人を嫌な気持ちにさせることに遠慮がない人に対して、無視したり気にしない以外の対処方法がなくて、落ち込んでしまう。
他の人はうまくやっているのか、私に対してだけやられてるのかわからないけど、楽しい気持ちになっているところを、急に変なスイッチを押して相手の気分がガクンと下がってしまって、気にしなければいいのにつられて嫌な気持ちになってしまう。
相手が欲してる言葉はわかってたけど、それは自分を犠牲にしないといけなかったし、やりたくなかった。
前は機嫌取るため、というか相手が死んじゃうんじゃないかって夜中相手してたけど、泣きながら自分を削りながら必死でやるのは、結果的にあんまよくないのではと思ってやめた。
放っておけるようになったのは進歩だけど、でも気が重いのには変わらず。程度は違えど。