はてなキーワード: ナウなヤングにバカウケとは
お前は小豆島の農村歌舞伎を見るか? 興味がない? それはなぜだ? 甑島のトシドンに興味は? ないとしたらそれはなぜだ? クーリヤッタムやシチリアの人形劇を見たことがないのか? 日本の劇は見ているのに一体どうして? 今三体星系ではペロベロフゥングジョロバがナウなヤングにバカウケなわけだが、なぜお前は興味を持たないんだ?……
人間にとっては興味を持っていない状態がデフォルトで、何かに興味を持っていることがイレギュラーだ。デフォルトの状態である理由を問い質されても答えられるわけがない。演劇を好きな連中が「なぜ自分は演劇が好きなのか」を語るのはできるが、逆は無理だ。
ちなワイも家族との付き合いでしか演劇を見たことはない。理由は「俺には刺さらないから」。ウマ娘にハマっててヤマニンゼファーを何度も育成したりダイタクヘリオスガチャで爆死したりしたけど、劇には興味が持てないから欠片も情報収集してない。アプリを開けば彼女がいるのに、なんでわざわざ声が同じだけの別人の演技を見る必要があるのだろうか、と個人的には思うが、まあそういうコンテンツを好きな人がいるのも個人の自由だと思うよ。
布〇(以下布):どうもト〇・ブ〇ウンですよろしくお願いします
み〇お(以下み):120億円2秒で溶かします
布:キャーだよ細江さんキャーだよその場にいた客全員キャーだよ
布:お願いします
み:あのウマ娘のスペシャルウィークを5人集めて、日本総大将超ウルトラスペシャルウィークを作ろうと思ってるんだよ
布:えっ、何言ってるのでしょうね…でも、正直楽しそうですね やってもらいましょう
み:スペシャルウィークですスペシャルウィークですスペシャルウィークです
み:スペシャルウィークです合体
布:ゴールドシップが入っちゃったぞ一体どうなるんだ
布:ダメー
布:ゴールドシップキャラ強いからゴルシそのものになってるじゃないか
み:ミスっちまったな
布:次はしっかり頼むよ
み:う゛ち゛と゛や゛ろ゛う゛や゛あ゛ タマモクロスや
み:合体
布:なんかいろんなウマ娘たちが入ってきてるぞ。これは一体どうなるんだ
み:※△□〇×※△□〇×…
布:いろいろ混ざりすぎてわけわかんないことになってる。どうなっちゃうんだ
み:…夢、見ている人に夢を与えられる、そんなウマ娘に…
布:あれは…サイレンススズカ!
み:スぺちゃん、出ておいで
布:サイレンススズカがスペシャルウィークを呼んでる これはもしかしたら来るか
み:日本総大将超ウルトラスペシャルウィーク参上!ブロワイエだって返り討ちにしますよ!
布:よっしゃあ、できましたこれですよ
み:できたんで帰ります
・ツイッターで何年もフォローしてたらいつの間にかフリーランスとして結果を出していた
・その間に自分も正社員になってるし戦っている場所が違うだけで大差はないのかも
それはまだ私達が大学生だった頃、お互いが大学を中退する前ぐらいのことだ。
インターネットではSNSという新しいサービスがナウなヤングにバカウケだったので、私達もアーリーなマジョリティの一団に紛れてそこに移住してきた。
現実では誰からも面白いと言われない下品な冗談と自己憐憫の繰り返ししかできない者たちが、クリック一つで手に入るふぁぼを求めて日夜レス乞食をしていた。
そんな中で私達は出会い、そしていつの間にかお互いにリアルでの交流もないまま十年来の友とも親しいなにかとなっていた。
ツイッターのブームが去り、やがて世間の流行りはLINEへと移っていく中で、私達は大学を中退したまま何者にもなれず相変わらずツイッタラーでクズのフリーターだった。
もしも違いがあるとすれば、彼にはゲーム・アニメ・漫画・インターネット以外の趣味があり、私にはそれが無かったことだ。
ろくな趣味もないくせにダラダラと時間を浪費し大学から消えていった私は、ニートとフリーターを往復する生活にも飽き、就職活動を本格的に再開することにした。
大学を中退した理由である所の卒業論文にまつわる苦労を薄く広く伸ばしながら上手い具合に過去研究の成果を自分がやったものであるかのように捏造しながら面接を繰り返すうちに、いつしかそれらは真実味をおび、その中で私は流暢に自分のやった研究を喋れるそれなりの理系人間であるかのようになっていくのだった。
そうしていつしか私は年収300万円ほどのしがない正社員となった。
その会社の片隅で、どこへも行き場のなくなった人生を抱えながら、いつしか年収450万円ほどのしがない係長として野原ひろしの凄さに感嘆しながら死ぬ人生のレールの上をゆっくり進みだしていた。
私が自分の人生を虚無の塊と見切りそれなりの人生へと落ち着いた頃、件のツイッタラーも別の場所で結果を出していた。
私がフォローする前から続けていた趣味の世界で10年20年とかけて十分な力をつけた彼は、自分の創作物を価値あるものとして世に売り出せる所にまで来ていた。
彼の作った作品のウチ1つ目が小さくバズったあと、彼は自身をつけたのかフリーランスとして仕事を取り始めるようになった。
フリーとして働きだしてからは、単純労働のバイトも辞め、いよいよその趣味一本で生きる人生を確定させていくのが遠くから見て取れた。
2つ目の製品がバズっていく頃には、一部界隈ではその製品名が彼の名刺代わりのようになっているようだった。
そして、業界内で普通に仕事を取り、ただただ好きなことだけをして暮らす人生のレールの上を走り続けていくのだった。
差がつきすぎていた。
大学でやっていた勉強のウチ、好きなことの抱合せでついてきた好きでもない分野を武器として、好きではないが出来なくもないことをして働いている。
得意なわけではないし経験があるわけではない、正直言えば興味もないしやる気もないので今後その中で一角の人物になることもないだろう。
虚無だ。
栄光を人生に求めるならどこにもたどり着けなくなったあとの人生だ。
ただ生きて死ぬだけのいまを生きている。
彼はどうだろう。
同好の士とリアルでも繋がりを持ち、公私の人脈を広げるなかで確実に居場所を確保していく。
手に職があることの強さを思い知らされる。
だが、ふと自分の素性を振り返ってみれば、私だって仕事がクソなだけでその仕事の中で人との付き合いはある。
居場所がないという訳ではない。
平日は楽しくもないが、土曜日と日曜日はあっという間にすぎる程度には楽しめている。
結局、アニメとゲームぐらいしかない人生だが、それらはどんな無能でも受け入れてくれる。
何も生み出そうという気持ちがないから、何も生み出せずに過ごしたことへの後悔は気の持ちようだけで晴らすことが出来る。
楽な人生だ。
彼の人生は、遠くから見る分には楽しそうだが、その中では苦労もあるだろう。
会社員のようにいざとなったら会社そのものが持つ人脈によって仕事をフォローしてもらってあとはいつの間にかどうにかしてもらうという必殺技もそうそうは使えまい。
私が椅子に座って自動で流れてくる仕事に手を付けていく横で、彼は営業活動をしたりフリーランスの募集に応募をしている。
お互いがお互いに人には見せないウンコを自分の人生の中でそっと一人どこかの便座に腰掛け下水道へと流しているのだろうか。
誰もが腹にウンコを抱えて生きている。
クソ袋達が街をゆく、その人生は平等にその腹の内側からクソにまみれていく。
そんな中で人が人と比べあって何になるのか。
パンティー
『ナウなヤングにバカウケ』までいくとやり過ぎです
例外なく鼻白む。
そういう表現が出てきた時点でもう続きは見ない。親と一緒にテレビ見ててエロいシーンになったときの気まずさ以上の物がある。よくみんな平気だな。もう今すぐに逃げ出したくなるくらい恥ずかしい。古語で言う「かたはらいたし」の状態だな。
・当人が聞いているとも知らずにその人の噂話をしているのを見たとき
というような場合が「かたはらいたい」と清少納言は書いている。
話はそれたが、作品中におけるネット描写がなぜこんなにかたはらいたきことなのかを考えてみると、理由は二つあることが分かった。あくまで俺の場合な。
一つ目は、いずれ廃れる表現なのが分かりきっているから。どうせ数年後には「ナウなヤングにバカウケ」くらいの陳腐な表現に成り下がってしまう。今「~~とか言ってみるテスト」とか言っても「何言ってんだこいつ」以上の反応は期待できないだろ。それがすげぇ嫌なんだよ。今現在のこの瞬間を切り取ったドラマであるのかも知れないけど、「あぁ、今だけ受ければそれでいいんだな。数年後に作品を残すことは考えてないんだな」って思いの方が先にくる。作品を食い散らかすこと前提で作ってるのかな、と思う。それに、その作品が優れていればいるほど、スラングの古さが気になって評価を落としてしまうだろう。もちろん、その時代を表現する描写ということはわかるんだが…。
二つ目は、否が応にも現実世界を意識させられるから。俺は作品を鑑賞するとき、前のめりに作品世界に浸りきりたい。その世界の中で本当に人が生活しているのだというファンタジーを噛み締めたい。だから凝った設定をうまく背景にして展開する物語が大好きで、「なぜこのキャラクターはこの服装なのか」「どういう文化なのか」という点が自然と理解できるような作品が好きだ。現実世界を舞台にした作品でもそれは変わらない。しかしそこでネットスラングやネット描写がでてくると、一気に「こっち側」に引き戻されてしまう。ネット描写はどうしても第三者の目線を意識させる。しかもネット描写がうまい作品があんまりない。何ていうか、ネットがありありと描写される事で「その作品の世界観の中の出来事」が現実世界と地続きであることを意識させるというか。あるいは、「不気味の谷」みたいなもので、わざとらしく描写されたネットの様子というのがどうにもかたはらいたきことに見えてしまうのかもしれない。
ちなみに、洋画のなかでfacebookの描写が出てくるのは全く問題なく見れてしまったりする。これはきっと、外国のfacebookは日本のfacebookとは違う場所にあるのだという意識があるのかもしれない。作品の舞台が地元でもとくにかたはらいたくならないのと同じかな。あと、基本的に日本で公開される洋画の演出は優れていることが多いからというのもあるだろう。
ナウなヤングにバカウケ、とか、あたり前田のクラッカーとか、スイーツ(笑)みたいなもんだ。
あえて使うことによる味って物がある。
そういうのが味になるか痛くなるかの感覚的判断こそ中高年には無理
現に「喪前」は痛々しすぎるだけ
ていうかあんたが挙げてる例も面白くないけどな「あえて」にしたって
それとな、中年が若者文化にどっぷり嵌って最新の言葉遣いをしているところを想像するんだ。
逆に寒いだろ?
どっぷりっていうか
無理なく自然に使いこなしてるなら痛くはないし
使い方がスマートなら「かっこいい!」ってことにもなるんじゃね?
まあ強いて使う必要はそもそもないんだけど