はてなキーワード: 死にたいとは
俺は増田を読む。たまにブックマークもする。ただ昔ほどの熱量はない。RSSフィードを読み終わって、ニコ動をチェックして、それでもすることがなくなったら増田を読む。面白い増田もあるが、たいていは既視感に満ちている。なんかどっかで聞いたような話をしているのだ。
以前は増田を全部読んでいた。増田が書き込まれるスピードよりも早く読んでしまえばよいのである。増田がスマホ対応する前の時代、全部の増田に目を通すというのはそこまで難しいことではなかった。実際自分以外にも全読してるブクマカが数人居たと記憶している。なにが目的で増田全読していたのか、今は思い出せない。確かなのは、その頃自分は相当に寂しかったということ。単身上洛したはいいものの大学にはついていけず、昼と夜が逆の暮らしを続けて、そんなときの増田は救いとなった。深夜には死にたい人間が長文を連ねる。お昼は仕事サボりのリーマンが暇つぶしで色々くだらないレスバトルを続ける。
増田には全てがあった。バカもいれば頭のいい人も居て、機知に富んだ返しをする人が居れば、いつも同じレスをする人が居た。他の匿名空間に比べて、あまりにも脈略がなかった。それがよかった。星を眺めたり、車窓から見える一軒家の数を数えたりするのと同じ効果を期待して、増田を全読していた。自分がいかに取るに足らない存在かを確認したかったのかもしれない。あの頃の自分は自意識が肥大しきっていたので、なんでもシリアスに捉えすぎて勝手に辛くなっていた。そこから逃げ出すためには、自分のちっぽけさを知る必要があった。
・お金の価値が小学生の頃に感じていたものより低くなったけど(小学生にとっての1000円は大金だった)、それでも300円分お菓子を買おうとするとたくさん買えること
両親は仲良しというほどではないけど、両親ともに友人がおらず、父親が子に無関心で母親の言いなりだった
父が母を盲目的に信じている感じだったので、いわゆる支配関係っていうのとは違うかもしれないと思って書いてみてる
また表面上、子供を一番に愛してる夫婦の顔をしてるけど、実態は母親は子が他の何よりも母優先にしてくれないと泣きわめき、父親はそれに気づいていないというのが常態化していた
学生として遅れて自我が出始めた頃、母親の「あなた(子)の友達に無償で〇〇やってもらってよ」との頼みを断った結果、自分の存在価値を否定する感じに何時間もめちゃくちゃに罵倒されて落ち込んで部屋に籠もった
罵倒される日々についに心が折れて、本当に初めて父親にLINEで「これ以上はもう頑張れないよ、言っちゃいけないとは知ってるけど死にたいくらいだ」と泣き言を言ったら「お母さんだって頑張ってるんだから、それくらい思ってもいいんじゃない?許してあげなよ」みたいな返事が来た
その時はそっか、自分が言うことを聞かなかったりめげるのが悪いのかと思ったけど、大人になって見返したら子の初めての緊迫したSOSに対して心配の一つもしない文面にドン引きした
結託かはともかく、日常的に「この世に本当の味方は家族だけだからね()」って言われてた割に、子の味方は家族に居なかったし、私を助け出してくれたのは親戚ですらない他人の大人だった
メンズ地下アイドルみたいな、ホストみたいな、そういうのにハマってたのが原因だと思う。絶対にそう。推しが被ってる他のオタクの動向が気になって、推しのちょっとした言葉が気になって、対応に病んで、でもやめられなくて、現場に行くことが義務みたいになって、泣きながら飛行機の予約を取っていた。
あれは麻薬みたいなもんで、たまにあるちょっとの幸福感をもう一度味わいたくて、味わえると信じてやめられなくなるんだよね。
今お金を使わなきゃもう二度とあのときみたいな対応はしてくれないかもしれない。
そんな気持ちでお金も時間も全部使って自分の全部を犠牲にしてた。
じわじわメンタルがやられて、ちょうどそのとき仕事でトラブルも重なって、一番ひどいときは毎晩ベッドの中で完全自殺マニュアル的なサイトを見たり、家の近くの高いビルを検索したりしてた。
車を運転しながら、今対向車がはみ出して来たら死ねるかなとか考えていた時期に、家族と車種の話になったことがある。
「軽自動車は事故の時危ないから嫌だ」という家族の言葉を聞いて、軽自動車の方がさくっと死ねそうでいいじゃん、と思った。
普通の人はあんまり、さくっと死にたいとか思わないのか…とそこで気づいた。
さて、世界がコロナで一色になって、あんなにメンタルを削りながら通っていた依存先はあっさり活動を休止した。
もちろん他の依存先を探すことも時勢的にままならず、寂しさを埋めるために、わたしはリアルで彼氏を作った。
とはいえ元が依存体質だから、ダメ男に引っかかり、捨てられ、ダメ男に引っかかり、捨てられ、を繰り返した果てにやっとだ。
彼氏は、今までの依存先とはまったく違う、普通で、優しくて、真面目な人だった。
わたしは気に入られたかった。次こそ逃がしたくなかった。全力で猫を被って、けれど被った猫は出会って3回目のデートの時にはすでにどこかに逃げ出していた。
がさつで、口が悪くて、すっぴんがとんでもなくブスなわたしでも、彼氏は好きだと言ってくれた。
わたしは何も気負うこともなく、自然体で彼氏の隣にいることができた。
この前、ホルモンバランスの関係で久々にメンタルが落ちて、死にたいな〜と思った。
いつもみたいにベットに入って、このまま目が覚めないまま死ねればいいのになぁ、と、無になることを想像しようとして……怖くて目を開けた。
死ぬのが怖かった。
もう二度と目覚めないなんて、そんなこと恐ろしすぎる。
明日も朝起きてLINEしたいし、来週は彼氏の実家に挨拶に行くし、再来週はわたしの実家で一緒にご飯を食べるんだし。
死にたくない。そう思った。
あんなに死にたかったのに、今では軽自動車より乗用車の方が安全でいいかもなぁ…と思ったりする。
助けてくれてありがとう。
どこにも書けないから、ここに書くね。
なんて書いたけれど、生きたいわけでもない。
吐き出すところもないので匿名でつらつら書きなぐってみる。
人生とても不幸だった、と言えるほどどん底に落ちたことはないし、これからもないと思う。普通に平凡に生きてきた。
今思えば酷いことをしたと分かるけれど、あの時からずっと本気で考えている。
思春期特有の熱病みたいなものだったらもっとずっとマシだったかもしれない。たらればだけど。
漠然と今年は死ぬだろうな、と毎年思ってはこの年齢になるまで生きてしまった。
とにかく色んな持ち物が増えたことも一つだが、何よりも死んだ後の手続きだとか余計な知識が増えたことが一番の原因だった。
わたしは確かにいいやつではないが、とても悪いやつとも言いきれない中途半端な人間なので、残された家族のことを考えるといま一歩踏み出せずにいるのだ。
と、こういうことを言っていると
おまえが死にたがったきょうは、誰かが人の生きたかったあしただ
みたいなありがたいお言葉を頂く。
だからなんだよって話で、仮にわたしがきょう死んだところでその誰かがあした元気になるわけでもあるまいに。
なんて、そういう話でもないのも分かっている。
けれども、生きたいという気持ちは尊重されるべきなのに、死にたいという気持ちは尊重してもらえない。
生きていたらいいことあるよって、そんなこと誰だって百も承知だと思うよ。
それよりも嫌なことの方がずっと多くて、そのいいことを抱き締めて抱き締めて、すがって生きていくにはいいことが少し足らないから楽になりたいんじゃないの?
わたしだけかもしれないけれど。
大抵は刃物で自分を刺している。想像なので痛くも痒くない。何も得られない。
首吊りは自分の美学に反するのでいずれ機会があっても実行しないと思う。
実際にお腹を刺そうか、最近は少し迷っている。だから台所には極力近付かないし、刃物はしばらく触っていない。
賃貸なので部屋で刺すわけにはいかないな、と近場でいいところがないか探している。
見付けた誰かが不幸になるのも可哀想なので出来レース的にどこかへ連絡してから実行すべきか、実行してから連絡する余裕があるのか、それがもっぱらの悩みだ。
ところで、これだけ死にたいって言うなら実行すればいいじゃないかと思われるに違いない。
実行しないのは上記した内容と、死ねなかった時が一番怖いからだ。人間は意外と頑丈だな、と思っているので誰か介錯してくれないだろうか。
なんて、他人を巻き込むわけにもいかないのできょうも保留にしている。
それでも、もしも、自分の手で他人に迷惑をかけず必ず死ぬ方法をわたしが見付けたとき、きっと待ち望んでいた気持ちを抑えることは出来ないんだろうな。
お恥ずかしながら、これだけ言いながらOD もリスカの類いもしたことがない。
他人のそれを否定するつもりはないけれど、この先もわたしはしないだろうな。
痛い思いしたり、ODでのたうち回ったり、そこまでして死ねないなら、わたしはこのままへらへらと生きていく。
あまり苦しみたくない。