2022-04-20

死にたいわけではない

なんて書いたけれど、生きたいわけでもない。

吐き出すところもないので匿名でつらつら書きなぐってみる。

人生とても不幸だった、と言えるほどどん底に落ちたことはないし、これからもないと思う。普通に平凡に生きてきた。

思春期の頃に死に方を母親相談した。

今思えば酷いことをしたと分かるけれど、あの時からずっと本気で考えている。

思春期特有の熱病みたいなものだったらもっとずっとマシだったかもしれない。たらればだけど。

漠然と今年は死ぬだろうな、と毎年思ってはこの年齢になるまで生きてしまった。

自分で死を選ぶのは年を重ねる毎にハードルが上がっていく。

とにかく色んな持ち物が増えたことも一つだが、何よりも死んだ後の手続きだとか余計な知識が増えたことが一番の原因だった。

わたしは確かにいいやつではないが、とても悪いやつとも言いきれない中途半端人間なので、残された家族のことを考えるといま一歩踏み出せずにいるのだ。

祖母と母が健在な当面は死ねないのだろうな。

と、こういうことを言っていると

おまえが死にたがったきょうは、誰かが人の生きたかったあしただ

みたいなありがたいお言葉を頂く。

からなんだよって話で、仮にわたしがきょう死んだところでその誰かがあした元気になるわけでもあるまいに。

なんて、そういう話でもないのも分かっている。

けれども、生きたいという気持ち尊重されるべきなのに、死にたいという気持ち尊重してもらえない。

生きていたらいいことあるよって、そんなこと誰だって百も承知だと思うよ。

それよりも嫌なことの方がずっと多くて、そのいいことを抱き締めて抱き締めて、すがって生きていくにはいいことが少し足らないから楽になりたいんじゃないの?

わたしだけかもしれないけれど。

毎日わたし自分を殺す想像をする。

大抵は刃物自分を刺している。想像なので痛くも痒くない。何も得られない。

首吊り自分美学に反するのでいずれ機会があっても実行しないと思う。

実際にお腹を刺そうか、最近は少し迷っている。だから台所には極力近付かないし、刃物はしばらく触っていない。

賃貸なので部屋で刺すわけにはいかないな、と近場でいいところがないか探している。

見付けた誰かが不幸になるのも可哀想なので出来レース的にどこかへ連絡してから実行すべきか、実行してから連絡する余裕があるのか、それがもっぱらの悩みだ。

ところで、これだけ死にたいって言うなら実行すればいいじゃないかと思われるに違いない。

実行しないのは上記した内容と、死ねなかった時が一番怖いからだ。人間は意外と頑丈だな、と思っているので誰か介錯してくれないだろうか。

なんて、他人を巻き込むわけにもいかないのできょうも保留にしている。

それでも、もしも、自分の手で他人迷惑をかけず必ず死ぬ方法わたしが見付けたとき、きっと待ち望んでいた気持ちを抑えることは出来ないんだろうな。

そんな他人事に考えるくらいには人生疲れてしまった。

お恥ずかしながら、これだけ言いながらODリスカの類いもしたことがない。

だって死ぬことの方が稀だから

他人のそれを否定するつもりはないけれど、この先もわたしはしないだろうな。

痛い思いしたり、ODでのたうち回ったり、そこまでして死ねないなら、わたしはこのままへらへらと生きていく。

まり苦しみたくない。

からわたし他力本願に毎年飽きもせず、今年はきっと死ぬと思い込んで過ごす。

わたしが求めるのは安楽死ではなく、尊厳死である

尊厳のあるうちにわたし死ねますように。

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