「晴耕雨読」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 晴耕雨読とは

2018-10-02

anond:20181002022940

なんつーか、屋根の下で働くってのが堪える

晴耕雨読でなんとか生きていきたい

2017-10-09

都会で晴耕雨読

が、自分理想生活かもしれない。

田舎だと車に乗らないと生活できないが、私は運転が苦手なのでそれは辛い。

晴れた日の午前は畑を耕し、午後からは軽いバイトでもやって

雨の日は日がな一日家で本読んで過ごしたい

2017-09-12

anond:20170912084353

自己顕示欲がないならずいぶん生きるの楽そうだけど。

晴耕雨読が苦じゃない人生遅れそうじゃん。

それとはまた違う感じなの。

2016-10-24

anond:20161023102338

田舎が「帰省先」ではなく「非都会」という意味ならコストはどこに住もうが変わらない。

田舎暮らしには当然田舎なりの別種のコストがかかり、そこコミで地価がつけられているのは自由経済からあたりまえ。

そこコミでも割安なら人が殺到して高騰する)

帰省先なら小学校からの知り合いなどがいることによっていろいろなコネ・ツテが入り、せめてものイニシャルコストがさがることを期待していわれていたことなんだけど、高知移住イケハヤ先生によって全く文脈上の意味がちがってしまたから「だまされた」って思うんだろう。

まあ若い男は生活感覚ない、年かさねた女なら自分自身秘書としてなんとかやっていける。(西炯子作品はこんな感じ)

 

まあ、これだけ野菜が高騰したら晴耕雨読自給自足は100円ショップのたねからでも始められるのよって優雅な顔していえるけど。

土地から金をゲットするつもりで農家始めるときはほんとにツテがないとキツいよ。

賃貸ではなく、買い取り、開拓からしないと、きれいに雑草とりきったとこで「じゃあ返して」って言われるからね。

あとは九州殺人事件の話読めばわかるよ。40くらいからずっと20年「若手だから雑用して」っていわれる土地も大変だ。

2015-08-31

うーん、晴耕雨読という言葉もあるし太陽光発電だけにして夜は早く寝て雨の日はお休み。そういうスローライフあかんのかなあ。

どうも原発ムラの人は24時間我々を働かせたがっているみたいなんだが、よく考えたら夜に働く必要ってほとんどないよね。

2015-01-24

明日休みでも月曜のこと考えると憂鬱

会社行きたくない

誰かお金ちょうだい

別に遊んで暮らしたいわけじゃない

晴耕雨読のんびり暮らしたいだけなの

本も図書館で借りれる本だけでいい

平日 9:00~24:00 の仕事が嫌なだけなの

2013-04-30

前提条件

30代前半、会社員、妻あり子なし。

就職で親・兄弟・親戚のいる地元から離れ生活

今の生活に対する疑問(前置き)

  • お金を稼ぐためだけに働いている
  • 生活ほとんどを会社勤めに費やしている
  • 仕事を通じて人の役に立っている実感がない

生活するにはお金必要なので仕方なく続けている。

世の中の人はこんな生活をしていて不安じゃないのか?

もっと本質的に生きたい。

どんな生活がしたい?(本題)

一言で言えば、一攫千金大金を手にして悠々自適生活をしたい。

一攫千金大金というのは、不安なく悠々自適生活に移行するための十分な蓄えが欲しいということ。数千万円くらい?

悠々自適というのは、自分たちが生きるために必要なことに自ら時間を費やしたいということ。あと晴耕雨読生活

生きている喜びを実感したい。

でも、「生きている実感はもう懲りごり」とならないようにするためにお金必要

結局、不自由なく趣味生活がしたい、という話か。

2011-09-24

最強の上司、A部長 後編

前回はオレが若手の頃のA部長やんちゃぶりいや豪快ぶりを紹介した。

だが、このA部長、誰もがその遊びぶりに文句を言えないぐらい、仕事の優秀さは伝説的な人だった。

オレたちの部は、A部長がやってくるまでは、他の部署と比べてけっして利益の額は多くなかった。

部長は就任早々に独自の戦略立案し、徹底的に実行していくことで、わずか3年程度で全社でも稼ぎ頭の部署に育て上げた。

「いいかタケシ仕事大事なのは、徹底的な論理マインドとほんの少しの気合だ」

というのが彼の口癖だった。

当時、イケイケだった日本企業の中で、論理を前面に押し出すのは、かなり異端だった。

今思えば、A部長は当時から、既にアメリカヨーロッパビジネススタイルだった。

オレが米国出張中のある案件の交渉でグチャグチャになってしまい、deal breakの瀬戸際ピンチだったことがある。

今のようにEmailもなく、テレックスでのやりとりが主流だった時代、超高価だった国際電話アメリカから部長にかけて、指示を仰いだ。

オレは要点を要領よく説明し、A部長

「どうすれば良いか?」

と聞いたところ、一言

タケシ、任せた」

と言われてあっさり電話を切られた。

その時は「何と無責任上司だ!」と思ったが、オレはそこから巻き返して、何とか形にすることが出来た。

数年してから、オレは

「あのやり方は、あまり放任すぎじゃないですか?」

とA部長銀座のバーで問い詰めてみた。A部長

「バーで仕事の話をするとは、低俗まりない。5分だけ特別だ」

と前置き(笑)してから口を開いた。

「オマエの国際電話での状況説明を聞いたら、オマエにしては珍しく、論点が全て整理されていた。強気が売りのオマエに足りないのは、逃げない勇気だけだった。獅子が子を崖から落とすじゃないが、オレは上司としてオマエの退路を断ってやったわけだ」

「そうは言っても、もし失敗していたら・・・

商社マンは信頼の上に成り立っている職業だ。その上司のオレが部下を信頼しなくてどうする?That’s allだ。さぁ、仕事の話はここまで」

と言われ、来日している著名なオペラ歌手コンサートの話に戻ったのは今でも鮮明に覚えている。

とにかく豪快なオヤジだったが、自分フィロソフィーを持っていた。

オレが若いころから、彼は常々オレにMBA留学をPUSHしてくれていた。

普通は部署に穴が開くから、なかなかこういう理解をしてくれる上司はいない。

何より

勉強して仕事が出来るなら、苦労はない。あんなのは海外かぶれの奴が行くもの

とMBA自体、怪しいものだと言う風潮もあった。

多くの企業にとって、エース級は社内に温存して留学させず、どちらかと言えば二番手グループで苦労した奴の夏休みのご褒美みたいなものだった。

しかしA部長はなぜかMBAの意義をわかっていた。

きっとヨーロッパを周遊中に、各地で世界中エリート連中と出会う中で、重要性を感じ取ったんだろう。

タケシ、部署のことは心配せず、そろそろ社内の制度を使ってMBAを取って来い。」

「これからの時代は、MBAが国際ビジネスパスポートになる。何より、オマエはまだまだ頭が足りない。英語で死ぬ気でディスカッションして、世界中に仲間を持て」

と言われた。精神力けが取り柄だったオレに、頭脳を鍛えるきっかけを与えてくれた。

「でも、オマエは文化の香りがしないから、ヨーロッパと言うタイプじゃない。アメリカスクールだな。ヨーロッパスクールの推薦状は書いてやらない」

と言われたのは、納得行かないんだけどさ(笑)

それでも、あの一言はいまだにオレの人生を変えた貴重な言葉だよ。

オレがビジネススクールから戻ってしばらくすると(オレは海外特命案件をを担当し、A部長とは違う部署になった)、社内ではA部長が次の人事で役員になるという噂があった。

留学報告も兼ねて、久々にA部長のところに行くと、いきなり

「いくぞ、タケシ

と言われて、銀座の高級寿司屋に連れて行かれた。

MBA留学ますます直球勝負に磨きがかかったオレは、ずばり

「役員の件は本当ですか?」

と聞いてみた。

「相変わらず酒の席上で仕事の話とは低俗な。それも極東の一企業の社内人事の話しなんて、オマエは何をしにアメリカに行っていたんだ?」

とあっさり切られたが、

留学してマネジメントが何か少しはかじっただろ?オレには向いてないよ。晴耕雨読なんだな」

と言って、それからまったく脈略なくフランス歴史やら農業の話を延々と聞かされた。

まったく意味不明だよ(笑)

そうしたらさ、ある日、いきなりA部長早期退職してしまったんだ!

オレは海外に出ていて送別を出来なかったんだが、しばらくすると、オフィスにどこかの海でA部長サメと泳いでいる写真が送られて来た。

一緒に入っていた手紙によると、何でも、その後、フランス暮らしていると言うじゃないか!!!

最初ビックリしたが、あの人らしいと言うかなんと言うか、地中海クルーザーの上で美女を囲んでいるA部長の姿が容易に想像出来て、にやけてしまった。

名誉とか出世に興味を示さず、潔いgoing my wayな男の格好良さを感じたものだ。

あんな豪快なビジネスマンは、もうあの人が最後かもしれないな。

その後、世の中は変わり、コンプライアンスだといろいろと制約条件が増え、会社がどんどん個人を管理し、性悪説にたった人事管理が行われるようになった。

いや会社だけではなく、社会全体が出る杭を容赦なく打ち付けるようになってしまった。

実に生きにくい世の中だ。

部長のことだから、こんな時代になることを見越していたのかもしれないな(きっと、今の時代ならA部長みたいなことをしていたら、仕事が出来ても処分されていただろう・・・)。

しかし、時代がどんなにルール社会や批判社会になっても、制約されすぎた圧迫の人生を送ってはならないと、オレは思う。

社会安全かつ効率的に動かすためのルールであって、そんな手段としてのルールによって不必要に自分を制約しすぎたり、また稚拙な批判に怯える必要はない。

部長生き様を見て欲しい。

部長も、あんな生き様から、敵は多かった。最も本人は、敵だと認識していなかったようだが。

「S部長経営会議でA部長について批判発言をしたみたいですよ」

「K室長が、A部長案件に反対の立場だと噂ですよ」

とかオレが心配して密告しても、子供のような顔をして

「S部長って、いいワインをコレクションしてるんだろ。オレをワイン会に呼んでくれないかな?」

「K室長哲学科出身だけあって、話が深くて勉強になるんだ」

と言う感じだった。敵すらも愛してしまうと言うか、そもそも敵と言う概念が無かったのかもしれない。

言葉は切っても、人格は切らず」とよく言っていたしな。

一方で皆さんはどうだろうか?上司や先輩、客先の顔色ばかり見て、何とか失敗しないようにと、縮こまっていないか

オレはこのブログでも言い続けているが、小さい失敗でくよくよしてないで、他人の目ばっかり気にしてないで、自分勝手に大胆に全力で人生という長いレースにぶつかって良いんだ。

困難も、苦しみも全身でそれを受け止めて立ち向かえば、きっと楽しい人生になる。

から、恐れることなく、自信をもって、人生という壮大なレースにまい進して欲しい。

もう一つA部長を見習うべきところは、自分フィロソフィー哲学)やプリンシプル(主義、信条)を構築するということだ。

MBA的な研修で小手先のフレームワーク技術を学ぶのはほどほどにして、20代半ばぐらいからは、自分の振る舞い、判断の基軸となる哲学信条をしっかりと作り始めるべきだ。

これは短期間でできるものではない。

膨大な量の知識と教養を身に着けて、そして、これまでの出会い経験から、「人はどうあるべきか?」という自分なりの人の理想像を練り上げる大掛かりな行為だ。

哲学歴史文学論理学などさまざまな分野のものをフルに動因して、この機軸は作り上げられる。

もちろん答えなんてないし、生きている間、それらは揺るぐことはなくとも、より深遠なものに円熟し続けるものだ。

部長はずっとオレら若手にこのことの重要性を、夜に飲みながら教えてくれようとしていた。

オレも部下にこういう大胆な生き方自分哲学、主義を持つことを伝え、後世を育てて行くべき歳になってしまった(心は永遠に若手だ!!)。

ただ、これは手取り足取り教えることはできない。A部長とオレがそうだったように、いろいろな人との会話を通じて、つかんで行くしかないんだ。

オレも、こんな豪快な奴が少ない時代だからこそ、若い皆には、何とかオレの生き様を、ブログやTwitterで積極的に伝えてきているつもりだ。

またオレの部署の若手の部下らには、夜の遊び方は十分すぎるほど教えているつもりだ。

でもオレは、A部長と今ならビジネスの手腕なら良い勝負になるかと思うが、いかんせん、芸術文化面がまだまだ弱い(笑)

もっともA部長は、そんな勝負すら眼中にないだろうが。

タケシビジネスなんてほどほどにして、本を読め、音楽を聴け、食を味わえ、旅をしろ。何より今夜も人と出会え」

そんなA部長の声が、真夏の南フランスから聞こえてきそうだ。

http://ameblo.jp/shousha/entry-10969359170.html

2011-04-23

引退政治家に最適な場所

過激な発言とは思うけど、原爆病院で「病は気から」発言をされた中曽根首相には、住民が避難した先月12日以降、半径20キロ圏内でとり残された家畜の世話などをしつつ晴耕雨読の生活を送って頂きたかったな、とか思います。静かな環境いいんじゃない?尋ねてくる人は原発推進していた人達だろうし。

 

 

 

 

追記

http://anond.hatelabo.jp/20110423182246

原子力基本法の成立は1955年

中曽根康弘代議士が「原発が免責になるのは関東大震災の3倍規模の天災」と答えたのが60年。

東海村実験炉が出来たのが63年。

福島第一原発着工が67年。

オイルショックは74年。

太陽光発電における固定価格買い取り制度の開始は他の先進国よりかなり遅かった。

2010-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20100218042117

 それを昔の人は晴耕雨読と言ったのだ、と書こうと思ってこの熟語の出典を調べてみてびっくり、どうも近代日本で生まれた言葉らしい。近代に入った当初から脱近代宣言してる日本人はいた模様。T

2009-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20090620202231

晴耕雨読ですな。いいなー。マジでいいなー。おれもがんばろっと。

2009-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20090219174850

なるほど、確かに鎖国した方が、縁は切り易くなるかも知れん。


でも、そもそも資本主義論理と縁を切りたいのはなんでなの?

それによってどういうメリットを得たいの?

そのために難民発生させたり、全員今よりずっと貧乏になってでも資本主義と縁を切ろうってのが、

そもそも本末転倒ではないの?


全員晴耕雨読自給自足みたいな社会が望みなの?

2008-12-12

晴耕雨読に惹かれるけど踏み切れない理由

[社会]お金を稼がなくても食べていければ良いのになあ

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20081211/1228957975

このエントリの目指すところは、北方謙三水滸伝に出てくる王進の生き方だ。これはすごく魅力的な生活だ。雨が降れば書を読み、晴れたら畑を耕して作物を育てる。大体自分たちが食べる分を自分たちで育成して収穫し、生きて行く。誰もがこんな状態で満足できれば、争いなんて起こらないだろう。地球にも強烈なくらいに優しいエコだ。

だが、こういう生活に魅力を感じていても、なかなか踏み込みきれない不安が二つある。

まず一点は、自分たちの生活を脅かされる可能性だ。農作物が計画的に大規模に略奪される事が多くなった昨今、そういう略奪の被害を受けないとも限らない。自分たちが食べる分だけ作っていると言う事は、裏を返せばそれが無くなった時は死ぬという事だ。台風やその他の気象条件によって不作の可能性もある。農業ギャンブルだという言葉もあるらしい。うまく行っている時は良いのだが、うまく行かなかった時はあっさり死ぬ可能性がある。狩りや漁なども併用して生きていける環境が欲しいところだ。

もう一点の不安は、家族がいる場合だ。自分だけ好きな生活をして死んで行くなら本望であり、何の悔いも無い。一点目の不安自分ひとりだけならどうでも良いのである。だがしかし家族がいて、自分以外の人が死にそうになる場合、非常に辛い。今の生活を捨て、農業をするとなると、今の環境よりある程度田舎で暮らさなければならないだろう。自分以外の人が、急病や急な出産の場面に遭遇した場合、どうすればいいのか。高度な医療施設の多い都会であれば、危険な状態に陥っても助かる確率田舎よりも高いだろう。自分と生活をともにして農業をするという選択をしたばっかりに、家族生命危険にさらされる、そういう可能性も出てくるのだ。

自分が生きて行くだけで他に何も望まない生活を始めたとしても、家族や仲間の生命に対する未練はなかなか捨て切れるものではない。

かなり魅力的な生活ではあるが、それ相応の覚悟がこの生活には必要になってくるだろうと思う。

2008-03-24

金とか地位を優劣の判断基準にいたしますならば。

十代で海外に出られなかった時点でハイ、おまえらの負けー。


俺はすんげぇー羨ましいけどね。晴耕雨読

30でひっろい畑買って若隠居ってのもいいな。

2007-08-01

金も要らなきゃ女も要らぬ、

晴耕雨読で生きていきたいなあ。

黒田硫黄の『茄子』の農村暮らしの高間センセいいよなあ。

まあ、おれはいいとこ松浦なんだが。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん