このエントリの目指すところは、北方謙三の水滸伝に出てくる王進の生き方だ。これはすごく魅力的な生活だ。雨が降れば書を読み、晴れたら畑を耕して作物を育てる。大体自分たちが食べる分を自分たちで育成して収穫し、生きて行く。誰もがこんな状態で満足できれば、争いなんて起こらないだろう。地球にも強烈なくらいに優しいエコだ。
だが、こういう生活に魅力を感じていても、なかなか踏み込みきれない不安が二つある。
まず一点は、自分たちの生活を脅かされる可能性だ。農作物が計画的に大規模に略奪される事が多くなった昨今、そういう略奪の被害を受けないとも限らない。自分たちが食べる分だけ作っていると言う事は、裏を返せばそれが無くなった時は死ぬという事だ。台風やその他の気象条件によって不作の可能性もある。農業はギャンブルだという言葉もあるらしい。うまく行っている時は良いのだが、うまく行かなかった時はあっさり死ぬ可能性がある。狩りや漁なども併用して生きていける環境が欲しいところだ。
もう一点の不安は、家族がいる場合だ。自分だけ好きな生活をして死んで行くなら本望であり、何の悔いも無い。一点目の不安も自分ひとりだけならどうでも良いのである。だがしかし、家族がいて、自分以外の人が死にそうになる場合、非常に辛い。今の生活を捨て、農業をするとなると、今の環境よりある程度田舎で暮らさなければならないだろう。自分以外の人が、急病や急な出産の場面に遭遇した場合、どうすればいいのか。高度な医療施設の多い都会であれば、危険な状態に陥っても助かる確率は田舎よりも高いだろう。自分と生活をともにして農業をするという選択をしたばっかりに、家族が生命の危険にさらされる、そういう可能性も出てくるのだ。
自分が生きて行くだけで他に何も望まない生活を始めたとしても、家族や仲間の生命に対する未練はなかなか捨て切れるものではない。
かなり魅力的な生活ではあるが、それ相応の覚悟がこの生活には必要になってくるだろうと思う。