はてなキーワード: 二束三文とは
そんなん、どこの国だってやってるじゃん。日本にだって、文化大革命時に大量に中国の茶器やら水墨画やらが流入したし、今、スペインやイタリアじゃ、庶民所有の骨董品が二束三文で東南アジアや南米に流出してるぜ。防ぎようがないわ。
横だけど年収200万とかでも毎年百万を超える額で税金を収めなきゃいけないこともあるんだよ?うちもそう。
年収200万ぐらいだと所得税や住民税は15万ぐらいかな。これに年金12万と国民健康保険で18万。これだけで公共へは充分払ってるよね。
土地などを保有しているだけでもお金はかかる。固定資産税だけでうちの場合百万超すし、贈与税などを考えるとやってられない。
インフラとか公共サービス使ってるんだから収支がプラスだとか言わんといてよ。
払った税金がどこに使われてるかって、自分が住んでいるところとは関係ないどこか過疎地の道路とかをつかわれてるだけじゃない。
そもそも、こっちのインフラの元になる土地や環境を誰がつくってきたのだとか、提供したのだとか、
そういう経緯を無視して後からきた国を名乗る連中が勝手に資産算定して公共財だからとかいわれても困るわ。
個人ともかく一族としては大損だよ。
戦前の財閥や華族とかに比べたらたいしたことないけど、守ってきた文化財などが二束三文で海外にされちゃったみたいなことと同じことがまたおきてるよね。
日本の主要地の土地だけみても既にだいぶ海外から買われてる。中華系の買収ものすごいよね。
四公六民を超えると江戸時代では一揆を超える水準になったというけど、なるほどこれくらいが限界だとおもうんだ。
景況感が悪く災害がおきてるときに税率をあげるとか一揆の時代からの学習があまりないよね。
法人税率なんかで4割とったうえに、均等割額とかいくつ税の種類があるんだか。
複雑すぎて士業すらもう把握しきれなくなってるじゃない。
FCからPS3まで新旧のいわゆるクソゲーを紹介しているwikiだ。
作品ごとにどんなクソであるかが述べられており、中にはどうみても製品未満といえるものもある。
このサイトを見ていくうちに、昔自分が持っていたゲームがいくつか挙げられているのを見つけた。
ああ、やっぱりあれはクソゲーだったのかと思った。
小学生だった当時。
と親に言っても、
「そんなにすぐに飽きるなら、次のソフトを買ってもすぐ飽きて、お金がかかるからダメ」
「買ったものは大切にしなさい」
もちろん親の言い分もわかる。
そんなにホイホイと買ってやれるものでもなかったのだろう。
また、戦後すぐ生まれ親には「ものを大切に使い続ける」という価値観から、まだ使えるソフトを二束三文で中古に売るなんてもったいないという考えもあったのだろう。
また、当時の自分にも落ち度はある。
本当につまらないと思っていたのなら、さっさとゲームなんかやめて、外で遊ぶなり、もっと勉強に励むなりすればよかった。
だがそれらを考慮しても、責任転嫁甚だしいが、やはり親を責めてしまう。
新規生産が為されている製品は原価割れでは売らない(というか生産を止める)が、生産が終了した在庫処分品の価格には製造原価による「下限」は無い。
例えば今日40GBのHDDは新品でも二束三文で売られる。需要が無いから。
これが車の場合だと「動けば良い」という需要が常に一定数あるから中古車でも10万円を切る事はそうそう無い。
HDDの場合だと例えば500GB HDDのような完全上位互換の代替品があり、また40GBという容量に今や価値が無いから、どの値段でも需要が0になる。
でも記憶媒体でも特殊な需要があれば値段が高止まりしたりする。FDとかMOとかは古い資産を使う為という需要があるからメディアもドライブも高い。調べてはいないけど、HD-DVDもメディアは高止まりしてそうな気がする。
最近、お見舞いに行く機会が多いので考えてみた。
人生に本当に必要なものは、入院するときに持っていけるものだけなのかもしれない。
それ以上に持っていると便利だったり、周りから賞賛されたりするものがあるかもしれないけど、入院するときに持っていけるものこそが本当に生きるために必要なものとして、ロートを通して濾しとられたものなのではないだろうか。
それ以外のものは、なくても生きていける。
もしも必要なのであれば、大切な何かを失う代わりに、心のすきまを穴埋めしているものだ。
やたらとものが多い人は、何か生きていくことが自体が本心に対してうそをついて生きているのではないだろうか。
電化製品、乗り物は持ち主がいなくなるとあっという間に劣化が始まる。
使わないと自然と動かなくなる。ガソリンは分離するし、エンジンは固まる。バッテリーは使えなくなる。
まだ鬼籍に入るような年齢ではない親類が亡くなったときに思ったことは、こだわりのコレクションや日常品も死んじゃったら膨大なごみになるかもしれないことだ。残された遺族がそれに価値を見出すことができるかどうかはわからないし、お金に換えようにも二束三文かもしれない。
そう思うと部屋を埋め尽くしているいろんなものは一時的に自分の近くにあるだけであり、時間が経てば、朽ちるかほかの人の手に渡るもので、刹那なものだと思えるようになる。
そう思うとアレもコレもと何か使えるかもしれないと保管しておいたことがバカらしくなってくる。
もしかすると、あなたが友達だと思っているだれかが、「いいね!」といってくれたり、「@」マーク付きで返事をしてくれたりしたことが、その不要なものに価値を与えてくれているのかもしれない。そんな評価は吹き飛ばしてしまうと、人生の視界が良くなってくるとような気がした。
思い出とか思い入れを断ち切って、今を生きる。
もう手に入らない初版が手に入ったり。
絶版でなくても地方だと入手が面倒くさいマニアックな本がamazonの古本で買える様になってすごく便利。
こないだ、自分が投稿した作品が乗ってる昔の雑誌をどうしても手に入れたくてamazonで買ったよ。
もう何年も前の雑誌だけど、売ってるのがとても有難かった。
まさか手に入るようになるとは思ってもいなかった。
こういうのが見つかるってネット素晴らしー。
増えすぎた本をどうしても手放さないといけないときも、二束三文でも捨てるよりは古本の方が誰かに読まれるし。
いまだとネットで買取販売してる古本屋があって、マニアックな本でも買い取ってくれる。
多分それは、また、うお!この本探してた!って人の手にいくのだろう。
無数の古本屋全体で、大きな図書館のような役割を緩やかに果たしてると思う。
問題は、著作者に金が行かない事だし、俺もこれ絶版だから古本で買ったけど印税払いたいくらいだよなーって思う事ある。
ようするに、古本から印税がいく仕組みがあればいいだけだよね。
もしそれができたら、今より多少古本が高くなっても新本よりは安いだろうし
入手が難しい本が見つかるというメリットは変わらないから、古本の存在意義は揺るがないと思うよ。
電子書籍にアレルギーはないし、技術書なんかは電子書籍まんせー!と思って実際買ってるけど
一番のメリットは人が来たときにみんなで読めたり、人に貸したりできることだね。
電子書籍って人にかせないじゃない。
あとは、これから環境が劇的に悪くなるとわかっているところ。近隣に産廃処理場が来るとか、斎場が来るとか。
でも、10年で1500万の頭金をためる+10年間の家賃+中古住宅買ってそのあと10年で1500万のローンを返すのと、
頭金0で新築住宅買って3000万借りて20年でローンを返すのと、どっちもどっちな気がするなぁ。
(試算)借金も貯蓄も年利2.5%固定とする。
10年で1500万返す=総返済額は約1700万円
総額:1700万円+1200万円+1200万円=4100万円(最初の10年:月20万円、あとの10年:月14万円)
20年で3000万返す=総返済額は約3830万円(月16万円)
特筆すべきは、賃貸の場合は「最初の10年間で」2400万円を用意しなきゃいけないということだ。
むむむ、本当に途中まで賃貸はお得なのか?
収縮傾向になったとき、その市場で食ってた連中って結構死ぬと思うよ。
俺もアジア向けのシンジケートローンをいじるお仕事してるけど、やってて
「これ中国がキたら大爆発だなぁ」と思いながら構築してるもん。
まぁ、大丈夫ですって言って法人営業するんだけどね。アレンジャーは面白いし。
海外に仕事を求めて出て行くってのはやっぱりさほどお勧めできないかもしれない。
だって、タイとかベトナム行けばわかるけど、都市圏でバリバリやってる奴等優秀だもの。
英語だって下手すりゃそこらのホテルボーイでも俺より上手い。専門用語は知らないとしてもね。
ただ、円がこれだけ高い中で海外で稼ぐのってそれほどメリット無いような気がしないでもない。
仕事無くて日本に戻ったら資産は二束三文、ってことでしょそれ。
永住前提で国内で5000万くらい貯めて、ベトナムに移住とかの方がまし。
俺は貯金が一定額に達したら仕事辞めてタイに移住する予定なんだけど、海外で「働く」って効率悪いよやっぱ。
日本で稼いで海外で使うことを考えた方が賢いんでないかとスゲー思う。
あと、そのスペックで戦コンは流石に眉唾とか以前に無理だから、そっちの道は考えるの止めた方がいいよ。
http://d.hatena.ne.jp/satohhide/20100827/1282918092
今回マスコミは「戸籍上200歳が見つかった」とはしゃいでいるが、
実は社会上重大なのは、戸籍の不備問題より、土地登記簿所有者の不備の方がよほど「重大」である。
死亡届の提出は「義務」だが、相続登記は「義務」でないゆえに、
「田舎の二束三文の土地だと、手続料の方が掛かってしまう」ので、
そのまま放置、という事案が相当ある。
感覚論だが、地方の田畑山林なんかでは、2割程度は「所有者は明治のまんま」と思われる。
で、登記簿上は「明治の所有者のまま」だが、実態は2~3代下の世代が「相続しているハズ」となる。
「そもそも、相続人自身、その土地を相続していることを知らない」という状態になってしまう。
これが一番怖い。
二束三文の間であれば、まだいい。
問題なのは、「社会がその土地を必要とする場合」、つまり道路等公共事業の土地収用の
局面において「誰が所有者なのかすらわからない」という状態で、
「そのまま収用が遅延する」というのが一番怖い。
http://www.hrr.mlit.go.jp/library/kenkyukai/h19/pdf/h/h_04.pdf
>「多数相続や共有地の処理が用地処理の隘路となる場合が多いため、
> 例えば一定期間相続登記が放置されるような場合には、固定資産税納付者等に
> 相続人を限定するような特別措置が検討されてもよいのではなかろうか。
> 現時点の登記簿上の権利関係が継続されれば、半世紀後には中山間地における
> 事業着手は相続処理のために不可能になることが予想される。」
「相続登記放置による公共事業進行への障碍」の事案が数多く集まっている。
マスコミは、「200歳の戸籍」のような、実社会には何の影響も及ぼさないような事案の
報道を行う前に、地方の公共事業の隘路になっている相続放置問題に
しかも、閉鎖戸籍については「80年経過すれば廃棄」とされているので、
このまま行けば、「相続人が誰なのか特定不能」となる危険性が高い。
最悪の場合、公示による土地収用手続きになるのだろうが、手間と費用が恐ろしくかかり、
※相続者不明によりやむなく土地収用手続きに入ったと思われる事案
http://124.146.182.228/pdf/0808000029.pdf
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/law/49.html
要は、移転費用を全額(概ね1,000~2,000万円)拠出するので、
【条件】
★集落居住者全員(住民票ベース)、及び登記簿上の土地建物所有者が
移転に同意していることが必要
なお、建物については、30㎡以上の面積を有すること
★人口集中地区、若しくは市町村役場から半径500m以内の地点に
引っ越すこと
【方法】
(なので、土地と建物の所有権が異なる場合は、支払先が変わる)
夫が持分2分の1、妻が持分2分の1、という場合は、夫に半額妻に半額払われる。
★「国に土地・建物を売り渡し、その売買代金として費用が支払われる」
★支払い時期は、契約時半額、引渡し時(=引越時)半額
国は最後の半額は、「引越が完了している(住民票が移転している)」ことを
確認してから支払う。
★資金の流れとしては、契約時に支払われる半額で以って、
人口集中地区の戸建ての頭金とし、残額は「つなぎローン」を借り、
引越完了時に、国から貰った残金でつなぎローンを消す。
【実施主体】
国の税金から支払われるが、選考や支払い手続きなどの事務作業は、
現場に近い県が行う。
入札方式を採用
A集落=4戸が「1,200万円」で同意
B集落=3戸が「1,210万円」で同意
C集落=5戸が「1,230万円」で同意
D集落=4戸が「1,240万円」で同意
E集落=3戸が「1,250万円」で同意
①A集落~D集落までを対象にした場合の支払額=(4+3+5+4)×1,240万円
=19,840万円
②A集落~E集落までを対象にした場合の支払額=(4+3+5+4+5)×1,250万円
=23,750万円
となり、①<2億円<②なので、
「A~D集落を対象とし」(E集落落選)、「1,240万円を、A~D集落に配布する」
ということになる。
しかし、東京都の耐震補助なんかもそうだが、こういう「半額補助」は、
「半額は自己負担になる」点が嫌われ、なかなか導入されない。
(結構、予算を余らせるらしい)
予算を用意しているのに使われずに政策目的を実現できないのであれば、
少しでも政策目的が実現できるようなスキームに変えた方がいいのでは?
また、「入札制度」を導入することによって、
政策実現効率が良い。
更に工夫した点は、「家の大きさに係らず、土地の大きさに係らず、世帯人数に係らず、
売買価格を一律にした点」である。
従来の行政の思考パターンであれば、それぞれの不動産について、
「土地を測量し、建物を測量し、不動産鑑定士を交えた適正価格で買収する」
という手筈を取るだろうが、限界集落のような「二束三文」の土地建物の場合、
「土地家屋調査士や不動産鑑定士の人件費だけで、下手すれば不動産価格以上のコストが必要」になる。
なので、「当事者が申し出た価格が、適正価格」という「一種の割り切り」を行うことによって、
「鑑定調査コストの極小化」を図れるのである。
更に、「移転先住宅については、各自が探し出す」という仕切りにしている。
従来の行政であれば「移転先の公営住宅を確保してから」となるだろうが、
中には公営住宅じゃなく、
「これを機に嫁夫婦が暮らす県庁所在地へ引っ越す(手金は二世帯住宅建替え費用に充当)」
という人もいるだろう。
そういう場合に、「公営住宅を用意したが、結局入居予定者が素通りして、公営住宅が無駄になった」
というロスを避けることができるし、又、公営住宅じゃなく民間住宅を活用することによって、
素早い転居が可能になる。
こういう「個人向け公的政策には、半額補助じゃなく、入札制度を活用せよ」
というのは
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/p/157.html
も参考にされたし。
まあ、別にわざわざこっちから言いふらす気も無いから、今後もずーっと未解決事件であり続けるんだろうけどね。
誰かがその気になって調べれば分かる事なんだろうけどね。面倒だし、謎のままの方が面白いだろうし。
http://anond.hatelabo.jp/20100526020935
俺が知ってる範囲の親類で妙な宗教(学会とか科学とか)に入ってる人はいないな(当然その人も)。追い返された記者の背景もそういう団体関係ってわけでもない。どこのコンビニでも普通に売ってるような媒体だったはず。
http://anond.hatelabo.jp/20091117080652
築60年で雨漏りしてても、とりあえず、ガス電気水道が動いていれば生活には支障ないよ。私が子供の頃住んでた家はそういう家だった。建て替えたのは、築70年になってから。なるほど、子供のころ自分が住んでたところが「住むところの基準」になるんだねえ。
マンションは「他人と相談しないと何もできない」ってイメージが強くってさ。戸建てなら最悪の場合でも「土地」が評価されるけど、マンションは建物価値が無くなったら二束三文じゃん。うちの近所の一戸建ては都内2DKマンションと同じ値段だけどねえ。どこかは言わない。駅からは遠いけど、バスが通ってる。買い物は便利。
社内に実力のある人がいないという前提ならば、ステップ数で見積もっても
十把一絡げ というか 二束三文 というかの理論でステップ数で計っても問題ない。
要するに、ステップ数でプログラムを計る会社は社内や外注先に 優秀なプログラマなどいない と 経営層が諦めてるってこと。
社員としては、自分も諦めて、二足三本プログラムを書いて定時に上がるという単なる1社員化(部品になる)するか、機能や性能を見てくれる会社に転職するか、今のままを貫いて、自分が偉くなって会社を変えるか ぐらいしかないと思う。
あえていうなら、そう言う会社で定時あがりすると仕事増やされて給料一緒ってのをされるから、適当に残業するとかどんどん不良社員化するしか防衛手段がないと思う。なので、さっさと出世するか転職するか、路を見据えた方がよいと思う。この業界、会社の方が本当にピンキリで個人を大事にする会社と二束三文の会社と幅がありすぎる。
財政難とか考えれば公立図書館が数十年後もあるとはいえないし、「日刊雑誌モドキのくだらない二束三文のタレント本や宗教本」って自治体の図書館だとうじゃうじゃあると思うけどね。
そもそも文化的歴史的に価値ある本を保存するなら全国各地に図書館乱立させる必要もないし、知へのアクセスなら文章コピーしてネットか何かに保存しとけばいい。紙で利用したいという人がいればコピーして渡せばいい、誰かが借りてて借りられないとか汚されるとか返してもらえないという問題もなくなる。
あんたのいう民業としての本屋は、とある文化的歴史的に価値ある本を、50年後も同じように店先に並べ人々に提供し続けてくれるんですか。知へのアクセスを弛み無く保証し続けてくれるんですか。売り場の本棚を眺めてもう一度教えてくださいな。50年と言わず5年後に、そこに同じように並んでる本は何冊あるんですか。
……そこにずらずら並んでる日刊雑誌モドキのくだらない二束三文のタレント本や宗教本が社会的に全く無価値だとは言わないけど、そういうモドキ売りが自らを「書籍を扱う専門店」であり「図書館と対等の位置関係」だと誤解してるのは滑稽ですよ。
そうそう。毎月本に数万使ってるけど、最近リアル本屋に行くとガッカリする体験しかない。近所にあった「絶版の岩波文庫とかずらずら並べてたヒャッホウな本屋」も最近全部それ捨ててクズ本屋に成り下がった。あの宝の山をいくらで売り飛ばしたんだ馬鹿。結局、リアル書店の価値は、買う前に中身確認できるとか色々関連書眺めるとかそういうあるわけだけど、使い勝手の悪さがそういうメリットと相殺されてる。せめて検索はもう少し容易にしろ、馬鹿。実際、時間作って近所の本屋に行って結局見つからず「取り寄せ」頼むよりどう考えてもamazonで注文した方が早いのはどうにかしなよ。俺が最近リアル本屋で本買わないのは、図書館のせいじゃなくamazonのせいだよ。
もう、農地を宅地に転用して売り払ったほうがいいのではないかと思えてきているけど、市街地からは遠く離れた山の中なために、土地の相場があまりにも安い。宅地にして高く売れたところで坪単価3万円から6万円がいいとこだ。農地のままならもっとアホ臭いくらい値が安い。これでは子供の小遣いで買えてしまうよ。
しかし、農地法があるから農地の転売や転用には役所の農業委員会の許可がいる。これまた面倒。
とりあえず農地を更地にしておいて、貸倉庫屋でも始めようかと思ったり、貸土地にしようかと思ったりするけど、そんなのやったことないからどのくらい儲かるのか僕あまり自信ないよ。
思い切ってアパート経営をするにしても、アパート経営を始めるには最低でも投資にかける費用が1500万円以上はかかるだろうし、だいたいそんな金はどこにもない。アパート建てたところでこんなド田舎のアパートに住むひといるのかな?入居者いなくて元とれなかったら首くくらなきゃならない。御先祖様もどうせ農地買うなら、もっと市街地に近い場所を選べばよかったのに。ここはあまりにも静か過ぎて時間が止まったような所しかない。
かといって本来の農地の使い方である農業をいまから始めようとは思わないよ。
金にならない土地が余ってます。だれか助けて。
http://anond.hatelabo.jp/20080709084425
もちっと切り分けようぜ。感情と理論が混ざってるから趣旨がはっきりしてないよ。
>著作権違反仲間だよねっ!
おおざっぱすぎ。道交法違反で駐車禁止とスピード違反と飲酒運転を全部同じ道交法違反仲間だよね、と言ってるのと一緒。
間違ってはいないけれど、そういう理解は本質を誤らせるよ。
>二束三文の稼ぎしかなく、すこしのトレースや模倣をしただけであっても、作家生命が絶たれるくらいにまで非難されるプロ。
>表現の自由の名の下に、二次創作という著作権違反を犯しながら、どれだけ稼いでいても(半ば)許されているアマチュア。
まずトレスについて考えようか。トレス・模倣自体は悪ではない。"他者の著作物のトレースを自作とする事"が、一般にNGとされているね。
実際、資料用に風景写真を調達してきてそれを参考に漫画の背景を描くこと自体は、そこまで問題になっていないと思う。
作家生命が絶たれるレベルで問題になるのは、ページをそのままトレスしたような状態、コマ割りをそのまま持ってきた状態だと思う(記憶違いかもしれないから調べてみてくれると嬉しい)。このレベルになると、。"他者の著作物のトレースを自作とする事"、要するに「盗作」になってしまう。これはNGだよね。
二次創作について言うと、
>著作物の翻訳、編曲、翻案等により、2次的著作物を作成する行為(著作権法28条)
とあるのでアウト。ただし、私的複製(著作権法30条1項)、引用(著作権法32条1項)、非営利無報酬無対価演奏(著作権法38条1項)など制限事項は結構ある。その上、著作権侵害は親告罪。この辺が事態をややこしくさせている。訴えられるかそうでないかが一つの線引きになってるわけだからね。僕らの判断と著作権者の判断は違う、と言うのは答えになるだろうか。
皆してディ○ニーとかを避けてるのには気づいているよね? あと、アン○ンマンの二次創作が問題になったこともあった。一方、二次創作をOKしている版元もある(参考:http://d.hatena.ne.jp/REV/20080531/p1)。全てが全て許されないわけでも、許されているわけでもない。
>どっちも著作権違反といえば、著作権違反。だけど、この扱われ方の違いは一体…。
まぁ、結局は湯加減問題というか程度問題に行き着いてしまうんだと思う。一刀両断な答えは無い、としか言いようがないね。
トレスも状況とレベルによるし、二次創作も状況とレベル、あと対称となる一時作品による、としか。