【食べたものの大部分は『大』ではなく『小』になる】
調理によっていくらか蒸発するとしても、ほとんどは水分である。
三大栄養素の中の炭素は、呼吸によって酸素と置き換えられ空気中に放出される。
人体には、炭素鎖-CH2-の炭素を酸素で置き換えたH2Oが残る。
炭水化物も、脂質も、そして実は蛋白質の大部分も、こうやって消費されて水になる。
これは勿論『小』として排出される。
よって、一般的なイメージと違って、食べたものの大部分は、正しく消化された場合『大』にはならない。
『大』の重量のほぼ全ては、腸内で増殖した細菌の死骸などである。
不思議な感じだけど、本当の話。
ー最初のオーダーではミラノ風ドリアとセットドリンクバーを頼んだー
「おーん、そらホントはな、アレ(お酒)も頼みたかったけど、まぁアレ(車)やしなぁ」
「おん、そらサイゼというたらな、まぁ美味しそうやったからなぁ」
ー最後の注文ではコーヒーゼリーイタリアンジェラートと迷いながらレモンシャーベットを選択ー
「そら、少し(値段が)高いからな、はっきり言うて。まぁコーヒーゼリーもよぎったけどな、よぎったやろ?まぁ昨年も美味しそうやったしな、そらそうよ」
この度5つ下の弟が離婚することになった。
コロナでしばらく実家に帰ってない弟が、孫を見せるために帰省を提案したところ、義嫁が俺がいまだに独身であることを問題視してそこから口論になったらしい。
その件で両親と弟からすごく責められてる。離婚しそうな雰囲気は前からわかってたけど、俺が原因だとは知らない。
「兄ちゃんが少しでもモテてたら俺は離婚せずに済んだ」とかうるさい。
高校時代は女子に事務的な話を話しかけるだけでセクハラ扱いされ、バレンタインのチョコすら一度ももらったことなく、37歳にして家族以外の女性から存在を認知されてないので今更結婚しろなんて無理。
以下の制約条件と入力文をもとに、【国内Webサイト】を出力してください。
# 制約条件:
・日本語で利用できること
# 入力文:
MetacriticとかIMDbみたいにビデオゲームのレビューや評価を投稿できる国内のサイトって存在しないかな?
映画やアニメはFilmarks使って観たい作品とか管理してるんだけど、ゲームになると無くて、そろそろ困ってる。海外のサイトだとタイトルが国内と違うから使いにくいんだよね。
何とかしてちょ。
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これからも大事にされるように努力すべきだと思うんだよ。たとえば一生懸命勉強していい大学に入って、いい会社に入る。それ以外で大事にされるものなんてないんだよ。そういうことの延長線上に、これからは大切な人が「価値ある人」であり、きちんと「評価された人間」になるんだと信じたいんだよ。だから、自分の足で探していかなきゃなんないんだよと思う
もうすでに出てるだろうけど上手・下手の話だと思った
公式アンソロって誰得なんだろう………みたいに思うことが無くはない……アンソロをよく分かってなくてとにかくその作品が好きでその作品関連のものは全部欲しい!になってたどり着いて買ったけどなんか全然あれだったのを思い出す……公式……
という有名な警句がありますが、Twitterにおいて嘘を嘘と見抜くのはかなり難しいのではないかと最近ぼんやりと思いました。以下、ぼんやり思ったことをつらつら書いてみます。
私は、掲示板を覗くときは、気構えとして、そこに書かれていることはほとんど冗談か嘘だろうと見なしていました。たぶんほとんどの利用者がそう思っていたんじゃないでしょうか。書かれていることのほとんどは無益で、たまーに良い情報が見つかることもなくはないって感じで。なんなら誰かが言い出した嘘を、それが嘘だとわかったうえで、より面白くなるように調理してさらに広めるみたいな、そういう使い方をしていた気がします。だから、掲示板を見る時って、自然に嘘を見抜こうという気構えになるんですよね。
ところが、Twitterを使うときはそうした気構えになかなかならない。理由として、文章のトーンが入り乱れていることが大きいのではないかと推測しています。掲示板と同じようなトーンで冗談をツイートしている人がいる一方で、学校や職場などリアルの人間関係を持ち込んでいたり、俳優や政治家などがオフィシャルな発言をしていたりする。1ツイート140字であることや、いいねやリツイートの仕様などの形式面が全く同じなのに、内容の質はまるで違うツイートたちがタイムラインに現れる。トレンドワードを検索すると、政治家が懸念を示すツイートが現れ、その真下に大喜利のようなツイートが続き、更にその下に学校や職場が休みにならないかなといった極個人的なツイートが連なったりする。このように複雑に種々のトーンが入り乱れた場で、ひとつひとつのツイートを嘘かもしれないと疑い続ける態度を維持することは困難だろうと思います。
私は性格の悪さ故に、どうして明らかに虚偽のツイートに騙されているんだろうとTwitterの人々を小馬鹿にしたくなる気持ちが起こるときがあります。一方で、掲示板生活で、書かれていることを疑う態度を養った経験がなければ、自分も今以上に騙されていたでしょうし、掲示板経験を経てなお油断してTwitterにおいて騙されてしまっていることは多々あるだろうなとも思います。
たとえばTwitterを最初のSNSとして始める今の若い子たちは、友達と話していただけなのに、リツイートやトレンドから知らず知らずのうちに誤った情報を植え付けられたりしてしまうことがあるでしょう。Twitterを友達と話す場と認識していたら、流れてくるツイートひとつひとつを疑い続けるのは難しいです。普段ならおかしいなと思う内容のツイートでも、友人と放課後カラオケ行こうとやりとりして浮かれている直後に流れてきたら、警戒心が弱まってすんなり読み流してしまうのではないでしょうか。健康情報のデマツイートなどは命に関わる可能性もあります。もし自分が最初に触れるSNSがTwitterだったらと思うとかなり怖いです。今の若者たちが可哀想に思えます。