いろんな情報に秒でアクセスできる中の一つにエロがあるに過ぎん
そのマガジンの漫画のセックスがバスタードとかより過激な十八禁エロ漫画レベルなんかどうか知らんけど世の中がエロで溢れてた感は絶対に昭和の方が凄いよ
とか関係なく、悠久の営みとして、客の注文を聞く前に「店内でお召し上がりですか?」って質問する。
3割ぐらいの人はクーポン出そうとしたり、ポイントカードを準備したり、列に並ぶストレスから逃避したりと、他のことに気を取られてて、その質問を聞いてない。
ただし、返事はほとんどの人がしてくれる。当然、何を聞かれたかは聞いてないから、その返事が本心とは限らないのではあるが。
最近ふと思い立って、多分今店員に質問されたけど話聞いてなかった、みたいなシチュエーションでどういう返答をしてくるか、1つの仮説を立てた。
男はマウント取りたがりだからか、とりあえず否定してくることが多い。逆に女は肯定してくる(というか相槌的に「はい」という)ことが多い、というものだ。
それを証明するかのように、商品を渡す段になると、男は持ち帰りにされてる商品を「店内で食べるんだけど」と言い、女は「持ち帰りなんだけど」と言う。
今日一日気にしてたら、この仮説めちゃめちゃ当たってて、とてもいい気分になった。
袋詰めした商品をトレーに並べながら、男たちに心の中で、「このイートイン脱税野郎」と罵っていたら8時間あっという間だった。
流石にうちの店、間違い多すぎるわ
👺歯磨いたよ
絵は「人」か?
感じたことを書いておく。
10月末日現在、年収が3000万円を超えた。正確には今年手にした価値の増加分である。労働による収入が1200万円、株式の値上がり益と配当収入を合わせて1800万円。
年収3000万円とはずっと望んでいたことだった。ただ、どうすればそれが果たせるのか方法が見えなかった。見当もつかなかった。
それが今、気がついたら果たしている。労働では見当もつかなかったが、投資行動によって助けられた。
株式への投資は全く苦ではなかった。投資先を調べるのは趣味のようなものだった。楽しいからやり続けられた。その上で結果が伴ったとしたら有難い。
ときに株価が暴落して精神的に来たこともあるが、長い目で見ればリスクを受容できるのであって、時間がありさえすれば受け止めることができるのだと知ることができた。これからも不確実性と付き合っていくことになるのだろうが覚悟はできている。
やり遂げたという感覚はない。本当にいつの間にかという感覚である。全く肩肘張らず目の前の仕事を毎日やり続けて、できる限り高い価値を提供することだけを考え続けてきた。価値を与え続けていればそれに見合ったものが作用反作用とでもいうかのように返ってくる。そう考えてやってきたことはどうやら間違っていないようだ。
人を物扱いしないこと
できないことはしないだけや
痴漢は自分のレイヤーと違う相手だとサイパスな思考を持てるからできる
「被害者のかたたちのことは、最初から欲望の対象として見ていて、自分の家族や友人、お世話になった上司といった“大切な人たち”とは別の次元にいる。自分の中で線引きができているから、殺したことへの後悔とか、遺族に対する申し訳ないという気持ちとかって、一切ないんですよね」
私は食肉を受け入れない。人が肉を食べるため他の生命を奪うことを悪と考えるというよりも、私たちが食卓で口にする肉を生産する過程において他の生き物の尊厳が十分に守られていないことを問題視するというスタンスにおいてである。詳しくはアニマルライツとかそのへんのキーワードでググってくれ。
赤十字が宇崎ちゃんをキャンペーンに使うことがダメだ、と考える方々には、同じ論理を持って今すぐ公共の食堂に並ぶ肉類を全て消し去る運動にも同意をいただきたい。
私は肉を見るのも嫌だ。肉を食べることは自然の摂理、などと考えているのは理性の伴わない野蛮人の思考である。役所や病院の食堂においても平然と肉が並ぶこの社会は、食肉自体があたかも問題のないことであるように人々に刷り込んでしまう。テレビをつければグルメ番組、街を歩けば鉄板で焼かれた肉をデカデカと掲げた広告、レストランや食堂には多種多様な肉類のメニュー。
女性の権利と畜産動物を一緒にするな、ですって?あなたはなぜ人類が畜産動物より高等で尊重されるべきものだと考えているのか。それこそがまさに私が先述した刷り込みの結果でないか。そして私のように畜産動物の権利が迫害されることに心を痛める人間の思いは尊重される必要がない、との考えであるのか。もしそうお思いであれば、私にはその考え方が女性の権利の議論においてあなた方が批判しているものと同じであるように感じられる。
なお一言断っておくと私は赤十字が宇崎ちゃんを使ったことが社会的に許容されない、とは見ていない。かつ食肉に関して、社会的な規制を実施すべきであるとも考えていない。(私が思想として食肉に反対していることは変わりない)
多様性のある社会とは皆が同じように他者のことを分かり合える社会のことではない。仮に自分が許せないものが社会に存在したとしても、それが他者にとって重要な意味を持つものであるならば、それを拒絶せず存在を許容することである。ただし、それが許せないということを主張する権利はある。そしてそれに反論をする権利があることも。異をとなえ流相手にレッテルを貼り耳を塞ぐ事は理性の敗北であると思う。
職場でエログラビア貼ってたり地上波でエロ流れてるのがまさに女性の権利下って証拠じゃん
https://m.youtube.com/channel/UC9DMtPHKTa6vLvekIx2cquQ
YouTubeにアップロードしている動画で顔出ししてる社会人。
得意先にYouTubeの動画での発言が認識されたとしても問題ないんだろうか。
偉い人教えてください。
無灯火にわざとぶつかるおじさん