じっくり見るのは初めてだったんだけど、年末にやっていたというダウンタウンの「笑ってはいけない」を、友人宅で録画されてるのを見た。
あんなの流していいの?
あんなのがいつの間にか「国民的番組」になってるようなので、まあひどい話だなと。
方正がビンタされるくだりとか、ベッキーがキックされるとことか、
「暴力を振るわれる事に怯えてる人を見て笑いましょう」
というメッセージを大部分の人が受け取るよね。推奨してるよね。
浜ちゃんの黒人云々の件はもっと複雑な話を含むと思うけど、そんなことよりなによりも、本当に簡単な話で、あの状況って、「いじめられっ子がいじめられてるのを見て笑うその他大勢」の構図だよ。
なのに頑なに否定する人がいるわけで。
あー、これわかる。だいたい第一印象で寝る人そうじゃない人無理な人って判断してるかも。
もちろん付き合って行くうちに変わることはあるけど、無理な人が無理じゃない人に変わることはないなあ、
なので、第六回シンデレラガールズ総選挙の一位から四十位までを、
そのアイドルが処女の場合はいつものハピハピな感じで「うっきゃー!」と言った後「ちゃん付け」で呼び、
自分が処女を頂いていた場合には愛情を込めて「きらりの」をつけて「呼び捨て」で紹介し、
渋谷凛が処女を頂いていた場合には「愛に包まれて気づいたいつもたくさんの笑顔ありがとう」と歌った後「渋谷凛の」をつけ、
森久保乃々が処女を頂いていた場合には「夜のデートは危険すぎるからなんて」と歌った後「森久保乃々の」をつけて紹介しますが、
ただし、森久保乃々とそのアイドルがもう別れている場合には「いつだってその笑顔をより輝いてるものはない、どんなに強がっても一人じゃ何もできない、交わす言葉も凍りつくいじけた都会でも、二人ならうまくやれるさ、きっとやれる、今全ての思い出投げ捨てて、今全ての夢に勇気を込めて、今全てをこの愛にかけてみる、ほどけた靴紐を結んで」と歌いアイドルの名前は言わない、
高垣楓さん
うっきゃー! 本田未央ちゃん!
うっきゃー! 藤原肇ちゃん!
うっきゃー! 喜多見柚ちゃん!
うっきゃー! 村上巴ちゃん!
うっきゃー! 北条加蓮ちゃん!
関裕美さん
うっきゃー! 鷺沢文香ちゃん!
うっきゃー! 緒方智絵里ちゃん!
安部菜々さん
うっきゃー! 輿水幸子ちゃん!
うっきゃー! 神谷奈緒ちゃん!
うっきゃー! 喜多日菜子ちゃん!
うっきゃー! 高森藍子ちゃん!
うっきゃー! 前川みくちゃん!
うっきゃー! 速水奏ちゃん!
うっきゃー! 島村卯月ちゃん!
三船美優さん
うっきゃー! 小日向美穂ちゃん!
愛に包まれて気づいたいつもたくさんの笑顔ありがとう、渋谷凛の森久保乃々
双葉杏さん
きらりのナターリア
いつだってその笑顔をより輝いてるものはない、どんなに強がっても一人じゃ何もできない、交わす言葉も凍りつくいじけた都会でも、二人ならうまくやれるさ、きっとやれる、今全ての思い出投げ捨てて、今全ての夢に勇気を込めて、今全てをこの愛にかけてみる、ほどけた靴紐を結んで
おもろーーー!
祝酒で深夜まで飲んでたってのに、朝イチで洗車した。
比較的大きめの車体なので洗うの大変なんだよね。
酔いが醒めるのを感じつつ、じっくり愛車を洗って吹き上げの時間。
ああ、今年も頑張ろう、と思った刹那。
鳥の糞がドーン。
拭き上げ完了したばかりの箇所に…。
(´;ω;`)ブワッ
これらの疑問はどれも共通の誤りを含んでいる。
それは、「人生を外側から見なければ答えを出しようがない」という点である。
つまり、「何にとって」意味があるのか、「何の」役に立つのかという目的語を定めなければ意味が定まらない。
意味が定まらないということは議論の俎上にさえ上げることができない。
たとえばドラクエをしている人に
と聞けば、
「レベルを上げるためだ」
と返ってくるだろう。
ところがこの答えは「ゲーム」という狭い枠組みの中の話でしかない。
→シナリオを進めることはゲームをクリアするために意味がある。
となって、それ以上は辿れない。すなわち「スライムを倒して何の意味があるのか」という疑問には、
【ゲームをクリアするうえで】という限定指示が暗に付属していると解釈せねばならない。
これがもし「【人生において】何の意味があるのか」という疑問だったならば、
とでも答えないといけない。答えが変わるということはすなわち元の疑問が全く違う疑問に変わっているということだ。
ところで冒頭に上げた疑問のうち、
これはいったい、「何にとって」なのか?
「他人にとって」、ならば、まだいい。
厳密には、「他人の人生に対して何か満足度を上げるようなことができるのだろうか?」という疑問になる。
これは疑問として成立する。
「俺の人生の意味」なんていうのは、「俺の人生」が一度終わってみないと確定しない。
しかし、「俺の人生」が終わっているということは、「俺」はもういないということである。
いない対象にとってどんな意味があるかという疑問は、疑問として(語用論的に)成立していない。
一応、死後の世界の存在を仮定すれば、その疑問を持つことは可能であるが、
神ならぬ我々には死後の世界の詳細がわからない以上、その疑問には「絶対に回答できない」。
絶対に回答できない疑問は、やはり疑問として成立しない。
という主張にある。
細かいことを言えば、効用関数とかリスク選好度はどうなんだとか色々突っ込むところはあるのだが、それよりも最も重要なのが、この主張は
ということだ。
言うまでもなく、この比較は、「人生を外側から見なければ評価できない」ことの典型的な一例である。
生まれた場合と生まれない場合の評価を、期待値で測るのか、期待効用原理で測るのかはたまた他の方法なのかは反出生主義の主張からは読み取れない部分だが、
いずれにせよ彼らは「生まれない場合の評価はフラットにゼロである」ということを前提としている。
ここがクリティカルな誤りだ。
我々は人生内部のことしか検知できないため、そもそも生まれない場合の評価をすることができない。
いわば、生まれない場合の評価はNullであり、Nothingであり、#N/Aである。
死後や生前の世界が存在しない場合、評価値が存在しえないという意味の#N/Aであり、
それが存在する場合、正当な結果を知りえないという意味で#N/Aだ。
#N/Aとの比較結果は当然#N/Aであり、前提が成り立っていないことがわかる。
(追記)
これに対する言及です(忘れてた)
イイことを教えてあげましょう。
甥や姪が数人いる。ちびっこたちはかわいいけれど、兄弟・義兄弟がけしかけてくる状況が不快。「今日は増田と風呂に入っておいで!」「次の夏休みは増田のところに遊びに行っておいで!」など。甥や姪が言ってくる分にはウェルカムだけど、大人から言われると「めんどくせぇ」と思ってしまう。「お前らが面倒に思っていること(例:風呂に入れるなど)を押し付けてるだけだろ?」って感じてしまう。
寝すぎだろwww
そっちサイドの人もそう
どうして寄り添って愛を持って接しないのか
そうしないと相手が間違いを認めるなんてことありえないでしょ
対立しないで目の前にいる人だけでも寄り添ってみては?
私も同じ病気かもしれない、と思った。
https://anond.hatelabo.jp/20171226063529
ひょっとしてお前、「月給プロゲーマー」のアマゾンレビューを荒らした一人では?
>ググってもらえるとわかるけど、完全なトラブルメーカー。
シーンにとって大事な"サポートする企業や団体"を運営してきたのが梅崎。
外面の良さだけでなく、内実もしっかりしている。
外国人プロゲーマーのビザ問題を解決した一人だし、LoLやスマブラの選手に給料を出し続けたのは快挙。
プロチームの給料未払いが時折問題になる中、梅崎はスポンサーを確保し続け、DetonatioN Gamingを国内最大手のチームに育てた訳。
壊れた様に"VACBAN"を繰り返す一部の連中は認めないらしいが。
>彼が率いる「DetonatioN Gaming」のメンバーの素行の悪さ……etc
この辺りに老害っぷりがよく表れてる。昔のイメージを引きずったまま。
LoL部門のDFMは今や人気チーム。素行に難ありと言われていたCeros、Yutaponも人気選手となり成長した訳。
なぞへーむのイベントレポートで不安になるe-Sports老人会か。
老人ではなくまだ初心者なのでは?
なぞべーむは業界分析・評論には長けてるが、オフラインのイベントレポートは変な物が少なくない。
JeSPA主催のイベントだけでなく、格ゲーのパーティにも難癖を付けていた。(お酒をついでもらえなかったのでダメイベント、など)
炎上してPVを集めた記事だけでなく、広い視野を持ってニュースを追うように。
teruyastarとなぞべーむの記事を引用した時点で、「あぁコイツは普段からホットエントリに上がった記事しか読んでないな」としか思えないので。
へ?
アプリで下がった時に通知くるようにしといて、大きく下がったら入金しといたお金で買えばいいんやで?
手数料が気にならないくらいの大きな値下がりならクレジットカードで買うこともできるんやで?
やってないのがどっちがはっきりしたな(笑)
いぇーい、田端ー見てるー?