全くだ。
基本、ビジネスや恋愛は「やって後悔する」と、最悪の場合、前科がつきかねない。
やって後悔した方がマシだ! なんてのは、よほど矮小な出来事を指すのだろう。
良い大人は慎重に行動を選択すべきだ。
話題になった事柄を何らかの縮図として捉えて無理やり議論する、なんてのは昔から評論家とかの常套手段。
まだ、それなりに常識、知識を持った人がやってれば聞ける話でもあるが、
今、ブログとか、ましてや匿名で書いてる人達なんてのはただの馬鹿しか居ないんだから
全く関係ない物同士でもホンノ一部の共通性を無理やり見つけて色々議論しようとする、愚の骨頂。
それがさ~
知的障害者だったりして、一人暮らしは到底出来ないアレな子なんですよ。
これから、両親が亡くなれば、面倒みるのは私一人になるわけで。
結構重いよ?苦笑
今まで、自分ルールで好き勝手生きてきたわけなんだが、路線変更する時期がようやく来ました。
どうやら社会のルールってやつがあって、それに沿って自分を調整していくと将来もっと明るいぞと。
今までは
①「やりたいことを好きなようにアウトプット」
②「仕事は言われたことだけ言われたようにやる」
な生き方をしていたが、これだと自分もまわりも不幸になると気づく。
今後は
という風にしていこうと思った。
その為に「社会で何が望まれているのか?」に敏感になり、自分を社会のために生かすためにはどうしたらいいのか?を頭の隅において生きていくとよいと思う。
いや、PGは現実的と言うか新しいオモチャに触れるならいいやってタイプがいるけど、企画がやたら作家性()を出したがる印象。
「俺の考えた素晴らしいシステムがー」「俺の考えた深淵なる世界観がー」とか言ってるくせに、大概は昔からあるものの焼き直し。
でもそれを指摘すると「新しい切り口なんだよ!」と切れるという。
既存ゲームの新しい切り口なんて、クラシックのコンサートで「おお、モーツアルトのこの曲にこんな解釈があったとは!!」なんつって、微妙な違いが分かる通な俺カッコいいアピールしてるみたいなもん。
スペック勝負をしかけているのは誰か?相手なのか、自分なのか?
誰かに嫉妬した時に、相手の不幸を望むのは不毛だ、自分が成功して見返した方がいいでしょう、ってのが恋愛や作品評価や色々な場面でよく言われる。
成功した奴の足を引っ張ろうとする日本の国民性がどうのこうの、なんかに話を繋げられたりもする。
これは大体正論だけど、ただあんまり建前すぎるんじゃないかなあって気がする。
人は凄く痛い時、その痛さが一刻も早くなくなることを望む。
傷が綺麗に治るとか全体的な健康状態をよくするとかを考えている余裕はない。
欲しいのは即効性の痛み止めや麻酔だ。
この場合、痛み止めに相当するのは相手の不幸と没落じゃないだろうか。
自分が成功して相手を見返せるようになるなんて、長い道のりだ。時間も労力も必要だ。
嫉妬で痛くて痛くて仕方ない時に、そんな気の長いことを考えられる人がどれだけいるだろう?
その反面、誰かの評価や人生がぶっ壊れるのはまさに一瞬で起こりうる。
今すぐにこの嫉妬が消え去ってほしいと願う人は、相手の足を引っ張りたくなるのではないだろうか。
また、自分が成功して見返すといっても、それで悪感情が消えるとは限らない。
たとえば、嫌いな奴が年収一千万で自分が年収二百万なのが悔しい。
必死に苦労して自分は年収二千万になって相手を見返した、これでスッキリするか。
私はしないと思う。だって、未だに相手はかなり裕福な暮らしをしてるじゃん。
これは嫉妬が恨みに転じた場合かもしれないけれど、嫉妬も恨みも心を苛む「痛み」には変わりないし、その転換は結構な確率で起こる。
人間は相手より上位に立つだけじゃスッキリしない、相手に苦しかった時の自分と同じかそれ以上の苦痛を味わわせなければ解放されない。
逆に、相手に苦しみを味わわせられるなら、必ずしも上位に立たずとも「痛み」から解放されることがある。
だから、相手より上位に立つことは直接嫉妬という痛みに作用する痛み止めではなく、痛みが落ち着いた後に楽しく生きていく体質管理のようなものだとたとえた。
更に加えて言えば、誰かが没落することと誰かが成功を掴むことでは、前者の方がずっとイメージしやすいというのもあるかもしれない。
時代的なものかもしれないし地域柄的なものかもしれないけど、この「できそうな感じ」の差は存在すると思う。
とりわけ嫉妬深いタイプの人は、自分が成功するイメージを持ちづらいように見える。
以上のようなことから、嫉妬に苦しむ人は、早く、直接的に、より現実味をもって嫉妬を消し去ってくれるものとして、相手の没落を願い、時には実際に足を引っ張る行動に出るのではないかと考えた。
っていうかまあ、他人事のように書いてもこれ全部私のことなんだけど。
足を引っ張るのはやめなよと諭す人は、こういう嫉妬側の事情も勘案した上で説得しないと、いまいち通じないんじゃないかしらん。
そりゃ、営業は金儲けができるならゲームの中身なんて知ったこっちゃないし。売れているらしいと聞いたら売れるなら作れとしか言わない。
(本当はそれじゃまずいんだが、どういう訳か俺が知る限り営業は「自分が何を売っているのか」に興味が無い奴ばかり)
開発職は作家みたいな奴が多いから、そんな凡百に埋もれそうなものは感情的に作りたくない。
そして消費者はそんな内情になんか興味が無い。
無限ループって怖くね?
かっこつけ乙www
野球を戦略ゲーで見るのなんて本気で野球やってた人間ですら難しいわ。
ま、パワプロ程度の知識でピッチャー疲れてるだの何だの言ってる程度で楽しそうだな?wそんで意味もわからず監督批判か?w
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2759.html
そもそも、ゲームを楽しみたいと思うユーザーが集まってて、金を落としてくれているところが「ゲーム業界」だろ。
昔のゲーム業界を懐かしみ、現状のソシャゲに文句言ってる奴らを馬鹿呼ばわりして腐す気持ちは解る。でも、それって昔っからあった事だろ?
開発者はそういう奴らを華麗に無視しつつ、いつだって金を払ってくるユーザーに向けてゲームを作ってきたじゃん。
文句言うマニアを馬鹿呼ばわりしてるけど、何を今更って感じなんだよ。
そもそも、ゲームをどこでどんな機種で遊ぶかは数年単位で変化してる。
パソコンからアーケード、ファミコン、スーファミ、プレステ、PS2、DS、携帯、スマホへとユーザーが移ってきたように。
プラットフォームが変わる度に保守勢力は新しいシステムに文句を言い続けてるけど、
結局今じゃゲームはテレビにつなぐものじゃなくポケットに入れて持ち歩くものになった。
PS3ユーザーがファミコンに戻らないように、スマホユーザーは据え置き機には戻らない。
ファミコンから続いた30年の据え置き機王朝は、新興の携帯機勢に譲り渡された。
新しい王を讃えよう。新大陸でゲームを繁栄させ新たな地平を目指そう。
今、我らが歩いている道こそが王道だ。
ゲーセンで自分が選んだゲームに100円払った時代があり、次にゲームを買う時代が来た。
パッケージと口コミと雑誌記事を信じて1つのゲームに数千円を払う博打の時代が暫く続き、高騰するゲーム価格にライト層が逃げ出していった。
逃げた層は携帯に移り、それなりに暇をつぶせて満足していた。
そしてスマホが登場し、リッチなゲームが遊べるようになり、ゲーセン時代のように気に入ったゲームにだけ課金する時代になった。
さらに素晴らしい事に、昔はお金を払うまでどんなゲームか分からなかったものが、無料で遊べるようになり、ユーザーが本当に納得して払えるようになった(射幸性の問題はあるけど)。
今までだってユーザーはゲームに金は払ってきたけど、この新しい課金のシステムでは、少なくとも金を払ってクソを掴まされる危険は減った。
開発者も、クソゲーだと知ってて発売し、やっぱり売れないで、ファミ通で3点とかついて、ユーザー騙した気分になって、有名どころと比較して卑屈になってた時代は終わった。
「嫌なら遊ぶな」
「払いたくなきゃ払わなければいい」
「つまらなければお代は頂きません」
売れたかどうかは別にしても、少なくともクソゲーに金を払わせる欺瞞は解消された。
これは誇っていい事だと思う。
ゲーム開発者は、自分の作品の出来について嘘をつかなくて済むようになり、誇りを取り戻した。
ユーザーは納得して金を払えるようになった。
開発者とユーザーの正しい関係が、スマホゲームによって、ようやく構築された。
俺は、少なくとも今の現状は、開発者にもユーザーにも好ましい方向に動いてると思うよ。
だって好きな時に、好きなゲームで金を払わなくても遊べて、気が向いたら好きな金額だけ課金すればいいんだもん。
ゲームを遊ぶ場所も時間も払う金額も自由にできる時代がやってくるだなんて、昔のゲーマーに言ったら泣いて喜ぶと思うぜ?
こんなに理想的な環境なのに、据え置き業界がダメだからってだけでゲームがオワコンだなんて言って欲しくない。
むしろゲーム業界は「全ての携帯ユーザー」という超幅広い層にリーチする、夢の時代に突入した。
ゲーミフィケーションなるバズワードも出てきて、ビジネスの世界にも浸透しつつある。
とりあえず、馬鹿って言うなと。
死人に鞭打つのは止めろと。
島国がDisってるような、限界集落に住む奴らの愚痴にはbotに「貴重なご意見ありがとうございます」のテンプレでも返させとけばいい。
あそこにビジネスチャンスは無い。
今のゲーム市場は、新しいスマホを手に入れ、どうやってこの端末を活用して元を取ろうか躍起になってる暇人達の手の中にある。
で、やっとこタイトルに戻るんだけど。
俺には島国が言ってる「俺は開発者として現状に満足していない」も、ユーザーの「俺の求めるゲームはこれじゃない」も、どっちも時計が止まってるようにしか見えないんだよなぁ。
開発「それは俺の作りたいゲームじゃない!」
営業「オンライン対戦だ!」
開発「つかしょぼいだろ。10FPSとか無理。当然それは俺の作りたいゲームじゃない!」
開発「操作スティック無いとか最悪!(DSは許すけど)。あとそれは俺の作りたいゲームじゃない!」
ユーザー「ミニゲームばかりで飽きた。タッチ操作やりづれーし、もっとリッチにしろ。あと俺のやりたい新機軸のゲームを作れ!」
何この無限ループ。
お前らいつまでやってるんだよと。
本当に時計を進めるべきなのは、現状のゲーム業界を否定している奴ら全員なんじゃねーの?って思う訳で。
今いるところが最前線なんだと認めることが、時計を進めるって事で。
時計の針が正常な位置にあって、さらにその先を模索するのが業界の中の人のお仕事なんじゃないの?って思う訳で。
いいかい?
大事なので2度言いました。
はい、分かったら解散。