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2009-02-13

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以下のやりとりを読み、麻生総理大臣の考えを選択肢の中から選べ (複数回答可)

民主筒井

「先日の総理の施政方針演説でひとつだけ賛成した部分があります。小泉・竹中路線

 からの決別を宣言した部分です。アメリカオバマ大統領ブッシュによる市場

 能主義との決別を宣言しました。そこで総理に確認します。

 小泉・竹中路線とは完全に決別するんですよね?」

麻生

「(小泉政権発足の)2001年当時は、重苦しい時代だったと記憶している。

 そんな中、小泉政権経済活性化に成功した事は認めなくてはならない

 と思っている。しかし、その結果として、格差社会の歪みも生まれてし

 まった事も認めなくてはならないとも思っている。

 そして、今回の金融危機で新しい課題も出てきてしまった。

 私は(小泉路線の)改革をいっさいやらないというつもりはない。

 個別に検討すべきだと思う。改革を格差社会の歪みに対応させなくてはならないと思う。」

民主筒井

麻生総理のよくないところはそこだ。発言が玉虫色になるところだ。

 言ってることがはっきりしない。だから、国民にわかりにくいんだ。

 オバマ大統領はもっと明確だ。改革の良いところも悪いところもあったではダメだ。

 小泉・竹中っていうと言いにくいんでしょうけどw

 市場万能主義との決別をするんではないのか?」

麻生

市場経済原理主義との決別という事であればその通りです。」

民主筒井

「すると、その・・・市場原理主義市場経済原理主義か。

 まぁ、市場原理主義市場経済原理主義とは違うんだという

 認識なんでしょうが、そこはどうでもいいでしょう。

 今までの路線の政策は全て検証し、見直さなければいけない

 ですよね?」

麻生

「いろいろな部分で検証は進行中だ。わかりやすい所では郵政民営化

 郵政については、改善案もいろいろと出てきている。」

民主筒井

「今、郵政民営化についてお話がありましたが、これはまさに小泉・竹中路線

 の象徴と言っていいと思う。今の答弁は分割民営化を見直すという事なのか?」

麻生

「もう一度、国有化すべきって事を聞いてるわけではないですよね?」

民主筒井

「そうです。そうです。」

麻生

「私は民営化された以上、儲からないシステムではダメだと思います。

 商売から政治世界入ってきたのでそう思う。

 この今のシステムで本当に儲かるか3年後、5年後、きちんと黒字でやっていけるか

 どうかチェックしなければならない。すごく大事なことだと思う。

 だって、民営化したんだから。」

民主筒井

「(なにかしら文句を言う。小声で聞き取れない。)」

麻生総理大臣

「いや、その程度のレベルじゃ困っちゃうなw

 その中で見直すという意見があれば、改善すればいいと思う。」

民主筒井

「今、分割民営化で弊害が出てきている。

 窓口会社郵便事業会社が分離してしまって、局長が郵便事業に口出しで

 きないとか、あるいは、地方の事業はいずれも赤字だから、集配局が廃止

 になったり、簡易郵便局が休業状態になったりしている。

 だから、窓口会社郵便事業会社の一体化をするとか、郵便事業連携

 もっと、強化すべきではないのか?

 民主党ではこういう方向で議論がなされているが、総理の方針もそうなのか?」

麻生

「これは私の担当じゃないので、むしろ総務大臣・・・」

民主筒井

「いや、総理総理!」

麻生

「え?担当じゃないって話をね。」

民主筒井

「いやいや、ダメダメ

麻生

「ちょっと待って下さいよ。担当じゃないって話くらいさせてくださいよ。

 事実ですら。総務大臣がやってる話だから。これは所管ですから。

 大事なところですよ。いつも混線させてるけど。」

民主筒井

「逃げないで逃げないで」

麻生

「逃げるような話をしてるわけじゃないでしょ。聞いて下さいよ。

 前段の話くらいさせて下さいよ。筒井さん。それくらい。

 1時間あるんだから、いいでしょう?

 話がややこしくなるので、そこはきちんとしておかないといけない。

 所管の話はきちんとさせていただきます

 その上で、現在進められている話の中で、どういった形が望ましいかについては

 現場の最新の状況はまだ把握していない。その中にいないので。

 ただし、特定郵便局がどんどん減っているのではないかという話ですけど、

 最近は違いますよね?最近はまた増えてきてますから。

 最新の数字ではそうなってる。あとで見て欲しい。

 それも含めて、いろんな部分で修正や検討がされているんだと思います。

 4分社化した形が本当に効率がいいかどうか、もう一度、見直すべき時に来ている。

 3年と5年で見直すのは前から決まってたことだから。

 問題があれば、見直すと言うことがあっても別におかしくないのではないか?」

民主筒井

「それを聞きたかった。最後の答弁の部分を聞きたかった。4分社化を見直すと

 いうことを総理自身が考えている。その方向でやっていかなくてはならない

 と思う。しかし、総理の責任もはっきりさせなくてはならない。

 この分割民営化の時の総務大臣麻生総理ではなかったのか?

 4つに分社化したのは、この民営化の柱だ。自分自身が担当としてやった事を

 民営化がはじまったばかりなのに、見直さなければならないというのもどう

 かと思う。総理は責任を感じるべきではないか?」

麻生

「ごもっともな意見です。しかし、郵政民営化について筒井さんがどの程度詳しいかは

 知りませんが、私はそもそも賛成ではなかった。サインするしないでだいぶ揉めた。

 そういった意味では自分意見は言ってきた。しかし、内閣の一員だから、最終的に

 賛成した。

 みんな(野党)、勘違いしているようなので、たった一つだけお断りしておきます。

 私は郵政民営化担当大臣ではなかったんです。忘れないで下さいよ。これだけは。

 みんな(野党)は一緒にしたがってる。意図的にかどうかは知りませんけど。

 私は総務大臣だったんです。

 郵政民営化担当課は私だけ反対だったので、外されてましたからw

 郵政民営化担当大臣は竹中さんでしたからね。

 ここだけはきちんと記憶しておいて下さい。濡れ衣は面白くないから。

 (野党の野次)

 ただ、国会の中でいろいろ議論はありましたよ。

 賛成も反対もいろいろあった。しかし、民営化は決定されたんです。

 

 聞こえてなかったかもしれないので、もう一度、言わせて下さい。

 聞こえたくない人も含めて。

 国会において議論の末、最終的に民営化は決定されたんですから、

 今度は国民へのサービスの向上を考えていった場合、健全企業にするという

 のは当然の話。筒井さんご指摘の問題もいろいろあるんだと思いますので

 そういった意味でやっていただくというのは大事な事だと思います。」

民主筒井

「今、総務大臣の時代に反対だった言いましたね。事実ですね。

 しかし、信念のある政治家ならサインをしないのではないか?」

麻生

「これは本当に揉めました。私だけサインをしなかったから。

 しかし、内閣の一員としてサインをした。」

民主筒井

麻生総理が反対だったのは、はっきりしてた。

 説得されたかどうかは 知りませんが、結局、賛成をしたわけですね。

 今日は他のことを聞きたいので、郵政についてはこれで終わりにします。」


問1:民営化見直し問題について

  • A:4分社化は完全に見直すべきである。自分の権限でそれを実行する。
  • B:何を見直すかは現在検討作業が進行中であり、その結果が最優先される。
  • C:再び国有化すべきだ

問2:小泉・竹中路線について

  • A:小泉・竹中路線は完全に間違っていた。
  • B:小泉・竹中路線は良いところも悪いところもあったので、修正が必要だ。
  • C:今後も小泉・竹中路線でやって行く

2009-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20081117191106

アンチネガコメについて。

このエントリは、片に散らかった

http://anond.hatelabo.jp/20081117191106

を再構成したり、加筆したり加筆したりといった、無駄努力と抵抗の上起こした次第。

さて。

ぶっちゃけ当時もう下火になりつつあったネガコメネガコメ論争。

ネガコメをする人といやな人に分かれて色々言い合っていたわけだけれど。

最も言いたいこととして、アンチネガコメ、その主張は自体は別に存在してても良いんだけれど、そもそもやり方がおかしい。つまり、ネガコメに対して「死ね」とか言ったネガコメで返したり、ネガコメをしたidをさらし上げてみんなで共有したりするという方法は、自身が嫌悪していると主張する対象と同じ方法を用いているので、(自身がどう見ているのか関係なく)相手、殊ネガコメを肯定する人間には影響を及ぼさないよと。そして、それはスタンドプレーでしかなくて、(相手と自分以外に)ジャッジがいるような状況では有益かもしれないけど、そうじゃないでしょ、と言いたいわけです。

それはさながら、テロリズムとそれを抹殺しようとする反テロとの関係のごとくスパイラルを生み、肥大して行くだけだと思うんです。

さて、では、アンチネガコメという主張そのものについて。

自分自身、ここまで天下り的にネガコメというタームを使ってきたが、そもそもその線引きが曖昧で、明確になっておらず、また、共有もされていないという前提ないしは背景があると言うことをここで明記しておくことにして。

単純にアンチネガコメという主張を是としたんだけども、これはつまり、あらゆる主張の存在そのものは許されるべきであって、それそのものは等価であるという個人的な思想によるわけ。これについては、ことさら間違ったものではないと考えてもらえると思う。もちろん、程度はあるけども。

ネガコメについても、それ自身が"エントリーの主張に対してネガティブコメントである"とするだけならば、存在は肯定されなければおかしい。

アンチネガコメについても然り。

ここで一例

たとえば、俺がダイアリーで「ワープアの人って無能で我慢が足りないんでしょ?」とかいうありがちな偏見記事を書いたとする。

すると、まず間違いなく某idや某idあたりから、「現実はこうなんだよ、偏見で語るな」的なブコメが一杯付く。つまりdisられる。

でもそういうidは、その人をdisってるんじゃなくて、「その考えをdisってる」んであって、それはそれで、一意見としては存在すべきなんじゃないかと。

ブコメっちゅうのはそういうもんで、誰かに向けてかどうか、エントリを書いた人間に向けてかどうか、非常に強い意志が、それこそイデオロギーがあるかどうか、関係なく一意見とその集合がブクマページなわけで。

ところが、

アンチネガコメの人の多くは、

現実はこうなんだよ、偏見で語るな」

において、「現実はこうなんだよ偏見で語るな。こんなこと言うやつって何なの? 馬鹿なの? 死ぬの?」と言われているように感じるのではないかと考えている。

まぁ、実際、口の悪いidは言っちゃう傾向にあるが。

言っちゃっていた場合はなおわかりやすい。

みんながみんな、「こんなこと言うやつって何なの? 馬鹿なの? 死ぬの?」と言っているように見えてくる、感じてくる。

更に、ブコメは、はてな村民以外にも読めるがはてな村民以外からは書き込めない様になっているので、より手が届きにくい大上段から言われているように感じる。そしてこれが、"卑怯だ"と映る。

さらに、面倒なことに、アンチネガコメに走っちゃった人は、主張=自身の人格であり、なおかつ自身の考えを他者が支持してくれると思っている事が多い。ちょっとしたネガコメでイラっとする人や、大量のネガコメを見てイラっとする人は多分そうじゃないかと考えている次第。少なくとも自分は。

だもんで、そんな人は、論拠が崩れる崩れない以前に、ネガコメによって自分が否定されたかのように感ずる。

まぁ、ネガコメ派も、口が悪い人間はあんまりやり過ぎると円滑な議論や意思の伝達の妨げになる(そうでなくとも、相手が先鋭化して言論封殺を是とする人間になったところで、本人もその周りも何も良いことないし、いつ何時、じぶんに巡り巡って火の粉が降りかかるかもしれん)し、何より、いかなるものであれ、相手が主張せんとしていることを一度汲み取ってやったと見せる必要はあるのかもしれないが。

場が何でもかんでも修正する方向に働くとは限らないわけで。それは市場原理主義新自由主義者破綻したのと同じように。

そう思う次第。

ところで、結局のところこのネガコメ論争は、最終的にモヒカン論に帰着するんだろうけど。

あと、まぁ、エントリネット大公開してしまっている以上、どうしてもそういう主張間の摩擦が避けられないわけで、それを避けるためには端っから非公開とするか、大公開してるならネガコメを"見ない"という選択肢を選ぶ、スルー力を養うしかないんだけども、どうも。

アンチな人は多分そこら辺がわからないか、そこら辺にとても反発してるんだと、そう感じている次第。

だから、二つ上のパラグラフ(まぁ、ネガコメ派も、口が―)で言ったようにネガコメ派についてもやり方を変えた方が、良いんだと思うよのココロ。

2008-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20081219113530

不安定さを持つ就労形態って存在しちゃいけないものだっていう認識なのか…!

すげえ!なんつーかお花畑っぷりが。

「一定の無職人を創出することで賃金を低く安定させる」という考え方は、「人は職業を通して生きる」という価値観とは相容れない、後者の見地に基づいた経済学を考えるべきだと唱えたのは、ケインズ弟子ケインズから国際的な関税の仕組みを策定することを依頼されたE.シューマッハーだけど、それを「お花畑」の一言で切って捨てるあなたはシューマッハーより賢いか、それとも単に宗教の域にまで達する市場原理主義信奉者なのかな。

とりあえず、2003年に規制緩和されるまで、どういう考えに基づいて派遣規制されていたのか考えてみれば、単に「お花畑」の一言で切って捨てようとしてる自分がいかにイマドキの「特定の考え」に染め上げられてるかに気づけるんじゃないかな。

参考:「派遣労働者の拡大」http://ws1.jtuc-rengo.or.jp/nugw/soudan/haken/kakudai.html

参考:「シューマッハー経済学と国際経済論」http://www2.ocn.ne.jp/~ozeki/schumacher2.html

2008-11-17

ネガコメとか、ネガコメ論争とか

ネガコメすんなとか、ネガコメって何だよとか、いろいろ盛り上がってるね。

はてブ2.0に超期待とか。はてブもつまらなくなったな、とか。

でも思うんだ。ネガコメすんなっていう人(アンチネガコメ((ここでは所謂コメントの質が下がったとか、ネガコメが陳腐化してるなぁとか言って、あきれている人は含んでいるつもりはありません))と呼ぶことにします)とかって若干先鋭化し始めてるように(自分からは)みえるところがあって、言ってることとやってることが逆さまになってたりとか、非難してる人間と同質な事をしてたりするんじゃないかと。ネガコメに対してネガコメを返すとか。ネガコメiddisまくりーみたいな。てか増田であるよね、そういうの。ネガコメidを共有するとか、ネガコメするやつは死ねとか。

自分としては、それってテロリストテロとの戦いと同質の構図じゃねぇの? と思うわけです。その行動の結果はスパイラルを生むだけですよ。

まぁ大体(「アンチネガコメなひとに」)やられたやつって言うのは別にダメージなくて、むしろニヤニヤしながらそういう見てたりするんだけど、本人たちは大まじめに言ってる。実効性ゼロ、むしろそのネガコメidに対して燃料を与えているに過ぎないわけです。

アンチネガコメ」な人たちはいつも同じ様に、彼らに燃料を送り込んでは自分を燃やしてる、そういう風に見えるわけです。自分から見ると。

いや、何もするな、粛々とネガコメの餌食になれば良いんだという訳ではもちろんなくて。

もっと良い方法ってあるんじゃないの? ということ。いや、むしろ、「だんだん自分もそうなってますよ」と、俺が言いたいだけか。

そもそもネガコメボーダーって何処だろう。それが聞きたい。

つまり、どこまでがネガコメなのか、ということ。

たとえば、多少辛辣さが入ってればなんでもネガコメなのか。それがあからさまな悪意であろうが、そうでなかろうが関係なく?

要するに大量のid(など)から「匿名」か「匿名っぽく」自分の考えを「否定される」ことがいやなんだろうなと言うことだとりかいしてるんだろうけど、それは現実世界でもよくあることで。つまり、偽装したり、脱法・違法行為を働いた企業に対してマスコミとか、所謂街角の人が「あれ、いけんよねぇ」って言ったりとかしてるように。

てかホッテントリ入りするようなエントリって、そういった風な、昔のよくある「炎上」と同じ構図があったりするのじゃないのかなぁ。つまり論理的・倫理的突っ込みどころがあったりとか、あと、デリケートな話題に主観だけでエントリ起こしちゃって、たこ殴りされてるとか。

たとえば、俺がダイアリーで「ワープアの人って無能で我慢が足りないんでしょ?」とかいうありがちな偏見記事を書いたとする。

したら、まず間違いなくbuyoではじまるあの人やgoodではじまるあの人、多分有村さんや俗物記のあの人当たりから、「偏見で語るな、ハゲ」的なブコメが一杯付く。disられる。

でもそういう人は、第一にその人をdisってるんじゃなくて、「その考えをdisってる」んであって、それはそれで、一意見として認められ売るんじゃないかと。

あーいや、さっき上げた人らは確実に、「そういう思考をするその人そのものをdisってる」のが多いな。例が悪かった気がする。

つまり、ここで言いたいことは「否定されてしかるべきエントリを書いたんだから、黙って殴られてろ」っていうことでは全然なくて、「そういうブコメも一つの意見であって、大量につくのは同じように考えてる人が多いという証左ではないか」なわけで((いや、もちろん例外はあって、そいつのブクマをたぐっていくとあからさまにdisりしかしてないidも見たことあるけど))。

とはいえ、いくら意見の集合体だからといって言い様はあるだろっていう主張はもちろんあるけどね。

でも、そういうことが言いたいんなら、なおさら、「ネガコメつけるやつは死ね」っていう表現の仕方は通らないと思うんだ。

個々の事例を考えていく時に、否定したい手法を用いて用いた手法を否定するっていうのは、おかしいから。それがつまり2段落目の「テロテロとの戦いと同質」ということ。

言いたいことが散乱してるけど、要するに、ネガコメが嫌いな人はもっと違う方法を考えた方が良いよと言うこと。

同時に、現時点では、そのネガコメが嫌いという主張もネガコメをして何が悪いという主張もほぼ等価((共通認識が得られていないから))なので、前者と同じように後者も扱われてしかるべきだから、そこら辺ちゃんと考えて策を用意しておかないと、味方は増えないだろうし、相手も説得できないよ、と思う次第。

まぁ、所謂「ネガコメ」派もちょっと自重した方が良いなとは感ずるけどね。やり過ぎというか。新自由主義的というか。

うあー、延々内容の薄いことを書いてしまった。

知り合いの言ってた「何でいちいち議論やら突っ込みを入れたがるのか」に関して言及してないし。

追記:

やったー! disってもらえた。

いや、disりなのか? あれくらいで?

さておき。

ブコメの方で

2008年11月18日 ekken communication, ★ 外からの言及は「見ない自由」を行使する自由が得られやすいことに気付けよな、アンチネガコメの人は。

っていうのがあったけど、そもそもアンチネガコメ派は「見ない自由」というものを理解してないと仮定して話を書いてみたんだ。

その上で、いろんな手法・アプローチがなされているけれども、それらに対して、妥当性や正当性を問うてみたのが上の文章。

なんだ、アブストラクトが6行で済むんじゃねぇか?

書き直しの方ですが、考えてみたいとは思います。

無駄に長いのは事実なんで。

てかこうなるとダイアリーに起こした方が良いのかなぁ…それこそ増田である意味がないか。

あと、

>まぁ、所謂「ネガコメ」派もちょっと自重した方が良いなとは感ずるけどね。やり過ぎというか。新自由主義的というか。

ですが、これはつまり、(自分を含めた)ネガコメ派の主張は、ほとんど全て、あらゆる言説は表現の自由の発露として、かなり広く(または―ひとによっては―際限なく)認められるべきで、そういった「広く認められた自由」の中で効果的でない言説は淘汰されていくだろうという立場なんだろうけど、それは市場原理主義に基づいた新自由主義と同様の考えじゃないのかなぁ、と考えたので書いた次第。

すっげぇどうでも良いことですが、Ubuntu氏が寡黙な上にこんな話にまでブクマしてるのを見て思わずお疲れ様ですとブクマで声をかけたくなった次第。

再追記:書き直しました。以上

2008-11-06

[][]2008年11月3日 朝日新聞 スティグリッツインタビュー記事 全文

米国は「毒のモーゲージ住宅担保債権)」を世界中にばらまいてしまった。

サブプライム住宅ローン証券化による不良債権のことだ。そのせいで世界が危機に陥り、苦しんでいる。

1929年に始まる大恐慌の時は、危機が主に貿易関係を通じて世界に広がったが、今回は金融市場を通じてグローバルな危機を招いた。責任はまず、金融界やモーゲージ業者、そして私が「共犯者」と呼ぶ格付け会社にある。背景にあるのが、自由な市場経済を口実にしたブッシュ政権規制緩和企業優遇策だ。

問題は経済思想だけではない。イラク戦争アフガン戦争富裕層向け減税は、米国経済を弱体化させ、財政面でも金融面でも政策への重圧になった。それが連邦準備制度理事会FRB)にしまりのない金融政策をとらせたとも言える。FRBにも不良債権の毒を爆発的に広げた重大な責任があるが、とりわけ非難されるべきはブッシュ政権の政策だ。

我々は歴史経験を通じて、危機を大恐慌に転化させないための知識や政策手段を持っている。米国経済サービス産業化や労働者パート化も、かつてのように失業率が高まるのを阻んでいる。それでも恐慌の再現を防げるかどうかは、政府の行動いかんだ。

苦い教訓として思い出さなければならないのは、97年から98年にかけて起こったアジアなどの金融危機だ。米国国際通貨基金IMF)も正しい方策を採らなかったために、インドネシアなどで金融システムの崩壊や深刻な不況を招いてしまった。知識や政策手段があっても、正しく行使しなくては役に立たないのだ。

今回の危機に対し、ブッシュ政権は、巨額の金を金融界につぎ込めば他の人々もいくらかは助かるだろうという「トリクルダウン」(金持ち企業が富めば、そこからしたたり落ちた富で全体が潤うという考え方)の手法を取っている。企業を助けるだけで、働く人々を助けようとはしていない。何もしないよりはましかもしれないが、まずいやり方だ。

ウォール街の特殊利益を優先する「企業温情主義」の発想が、正しい政策を阻んでいる。ポールソン財務長官バーナンキFRB議長は、もはや市場の信頼も米国民の信頼も失っている。

米国政府がまずなすべきは、ローン返済に行き詰まった人が、担保の住宅を失うのを防いだり、失業者を支援したりする事だ。景気を刺激して、経済を回復に導かなければならない。予定されている減税は速く実施すべきだし、インフラ整備も必要だ。高速道路建設も有効だが、長期的な視野に立って地球温暖化対策に力を入れ、「グリーンアメリカ」をつくるべきだ。

民主党はそういう政策を掲げている。しかし、(11月の大統領選民主党オバマ候補が当選しても)新しい大統領が政策を打ち出す来年1月の就任式まで、まだ3ヶ月もある。この期間中、共和党内の支持すらも失ったブッシュ氏が大統領の座にあることが、対策を遅らせる要因になっている。

この危機をきっかけに新自由主義は終わりを迎えなければならないと思う。規制緩和と自由化が経済的効率をもたらすという見解は行き詰まった。

ベルリンの壁の崩壊で、共産主義が欠陥のある思想であると誰もが理解したように、新自由主義市場原理主義は欠陥のある思想である事を、ほとんどの人々が理解した。私の研究はすでにそれを説明してきたが、今回は経験によって示された事になる。

基軸通貨としてのドルと、米国の役割も、やがて終わっていく事は明らかだ。

ただ私がすでに著書「世界格差をばら撒いたグローバリズムを正す」(原題はMaking Globalization Work)に書いたように、各国が保有する準備通貨がドルから二つや三つに分散すれば、より不安定なシステムになってしまう。

もし、ドルとユーロの二つになれば、米国に問題がおきたときは、みんながユーロ買いに殺到する、逆に欧州に問題が起きれば、ドルに殺到するだろう。それでは不安定きわまりない。

結局のところ、特定の通貨依存しない多角的でグローバルな準備通貨システム、すなわち「グローバル紙幣」が必要とされているのだ。それは各国通貨バスケット方式であり、IMFのSDR(特別引き出し権)を恒久化したようなものだ。ケインズが44年のブレトンウッズ会議でドルやポンドの代わりに主張した国際通貨「バンコール」の現代版でもある。

同時にIMFに代わる国際機関を創設する事も必要だろう。新たなブレトンウッズ会議を開催すべき時なのだ。その意味では、今月半ばにワシントンで開かれる「G20サミット」は、今後のグローバルな金融制度について議論を始める場として意義がある。

しかしそのG20を、もはや誰もが尊敬しなくなっている大統領が主導するのは問題だ。危機を克服するには素早く行動しなければならないのに、それが出来ないという困った状況に我々は直面している。

日本バブル崩壊後の不況を克服するのに長い時間を費やした。今回の危機を長期化させてはならない。

これまで米国は最大の消費国として世界経済を引っ張ってきたが、現在世界危機と不況を克服する上で、「経済成長エンジンの多様化」も必要だ。特に日本の役割は重要であり、できる限り力強い経済成長を実現する事が求められる。

2008-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20081025121647

そうは言うけど今までの経済危機だって「前とは違う」とか言われてたような。株も商品先物も相変わらず存在してるし金融派生商品存在しなくなるなんてことはないと思う。

そりゃ前とは違うだろう毎回。

そういう意味じゃなくて、これまで金融危機が何度あってもそのたびに本質的には影響されなかった部分が崩壊しかかってるということ。

金融業預金保険やら公的資金投入やらで公的機関との絡み大きいわけだし、市場原理主義の敗北というのとは違うと思う。そもそも現実政府介入なしでやってる国なんかないし、存在しないものが敗北できようはずもない。

戦後、あるいはブラックマンデー後、金融業界の規制は緩和される一方だった。

俺にしたら、この期に及んで「なんとかなるんじゃね?」とか言える方が不思議。根拠はなんだよって。

俺の貼ったリンク先読んでみてくださいよ。英語だけど。

http://anond.hatelabo.jp/20081025021322

サブプライムを含めた、あらゆるデリバティブ関連商品が消滅しかねないということだ。

ブラックマンデー通貨危機や途上国デフォルト問題やITバブルとは話が違う。

そうは言うけど今までの経済危機だって「前とは違う」とか言われてたような。株も商品先物も相変わらず存在してるし金融派生商品存在しなくなるなんてことはないと思う。

それらの期間全てに渡って根底にあった金融ビジネスの成長の原動力が完全に崩壊しつつある。

市場原理主義の敗北と言ってもいいだろうね。

金融業預金保険やら公的資金投入やらで公的機関との絡み大きいわけだし、市場原理主義の敗北というのとは違うと思う。そもそも現実政府介入なしでやってる国なんかないし、存在しないものが敗北できようはずもない。

http://anond.hatelabo.jp/20081025020716

だからサブプライムなんて最早オマケなんだって。本質はそんなところには無い。

サブプライムを含めた、あらゆるデリバティブ関連商品が消滅しかねないということだ。

ブラックマンデー通貨危機や途上国デフォルト問題やITバブルとは話が違う。

それらの期間全てに渡って根底にあった金融ビジネスの成長の原動力が完全に崩壊しつつある。

市場原理主義の敗北と言ってもいいだろうね。

願わくば少しでも被害を小さくするための最良の政策が取られて欲しいが、もう当局の余力もあまり無い。

日本資産を完全に使い果たす勢いで大放出するか?

2008-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20081012201654

つまり、教育への市場原理の導入を目的して公教育予算時間を削減され単に「縮小」した。その結果、塾・予備校市場活性化した。一方で公教育がどうなったかは皆さんご存じの通りだ。

市場原理の導入が目的というより単に財政再建目的だったのでは?実際教育関連の規制緩和とか大してやったわけでもない。市場原理主義ならバウチャーとかやってるはずで補助金役人教育予算配分するのは市場原理じゃない。90年代行政改革規制緩和が進んだのも政官業の癒着がけしからんという世論が背景にあったわけで、だから中央省庁役人に権限や予算を持たせず市場原理地方分権やれよという流れが政権交代しようがどんどん進んでいった。というかそういうのを期待して自民党単独政権が引き摺り下ろされたようなもの。教育予算GDP比で見るとほぼ横ばいだし削減は長期不況の影響が大きいように思う。財政再建自体が長期不況を助長した面もあるとは思うけど。子供減ってるのに横ばいだから一人当たりで見ると増えてるともいえるが。

2008-10-05

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20081005/p1

fromdusktildawn 「「こいつらが何某を駄目にしている」という分かり易い「敵」」 ← 日教組歴史修正主義者、自称中立既得権益オヤジ、大企業経営者経団連金持ち自己責任教マッチョネオリベ市場原理主義者、老人

キャーまた分裂様がなにか上手いことを言った気分になってるまじすてきーw

2008-08-19

時給1500円なんて人生バラ色じゃね?

そう思っていた時期が私にもありました。

だいぶ前のことですけど、初めて派遣社員っていうのをやったときの衝撃。

それまでは奴隷のようにこき使われるサービス業正社員普通アルバイトしか経験がなかった。

初めて派遣仕事にありついて、時給1500円と聞いて人生はバラ色かと思った。

それまでバイトなんてやってた自分はまったくアホだったんじゃないかと思いましたね。

東京のど真ん中行ってもコンビニなら800円とかですよ。

飲食系のところでも900円とか、牛丼屋になればなんとか1,000円いくところもありました。

ただここらへんがよくあるアルバイトの時給の限界ですよ (引っ越しとかそういうのは除くのかな?)。

私はアルバイトで月20万ちょっと稼いでいましたが、生活のほとんどがアルバイト時間でした。

それが時給1,500円の派遣労働だとどうでしょう?

1日8時間労働だとして、

1,500円 × 8時間 = 12,000/1日

12,000円 × 20日出勤と仮定 = 240,000円/1月

少なく見積もって24万です。定時に帰宅して、ですよ?

実際は、時給が良かったので喜んで残業をしました。積極的に。

会社が忙しい時期は喜んで休日出勤もしました。

その結果、実際の収入は月30万弱くらいが平均になりました。

年収にしてだいたい350万くらい。

アルバイト時代と比べると年収ベースでおよそ100万のアップです。

これって世に言う「勝ち組」じゃね?プププ。

サラリーマン20代平均年収が341万円というデータがあるので、私の人生もまんざらじゃないですよ。人並みの年収をもらって、バラ色の人生が待っていると思いました。

でもここで第二の打ち止めがやってきました。

時給が上がらないのです。時給は固定されたまま変わりませんでした。

このままだとサラリーマン30代平均年収の484万円なんて夢物語です。

「そういえばマイホームとか持っているところのお父さんっていくらもらってるのかな?」

当時の素朴な疑問です。

マイホームって夢はちょっと大きすぎるかもしれないけど、

たとえば、2,500万のマンションを買うとしたら、

時給1,500円で考えると約16,666時間です。

もちろん所得税なんかは考慮に入れていません。

16,666時間は、約694日分の労働時間です。

当然ですが睡眠時間考慮に入れていません。

24カ月も飲まず食わずで働かなきゃいけないなんて当時の私には衝撃でした。

しかもトイレタバコ時間は計算に入っていないんですよ。

当時の座右の銘は「避妊はしっかり!」

こんな甲斐性で家庭なんて持てたもんじゃないッス。

人生絶望した私は自分でビジネスっつーのをはじめてみることにしました。

いや、ネットワークビジネスとかそういう怪しいものじゃないんです。

自分が社長さんになって、仕事を取ってきてそれをやってお金をもらうことを考えたんです。

起業1年目の目標派遣社員のころの年収350万を超えることでしたが、

運が良かったのか年収は500万ちょいを達成。

派遣社員時代と比べて150万アップにこぎ着けました。

伸び率は鈍ってきましたが、今も収入はちょっとずつ増えています。

自分だけの話かもしれないが

なんとなくバイトで暮らしているころって、人生にどのくらいのお金がかかるかなんて知らなかった。

全く見当も付かなかったし、極力考えないようにしていたかもしれない。たぶんすごいお金かかりそうだから。

でもそんな頃に、時給1,500円という夢にまで見た高時給でさえも、

16,666時間労働にまみれないと2,500万円のマンションが買えないとわかった時の衝撃は異常。

市場原理主義一辺倒の経済とか数字第一、結果第一、成果主義とかそういうことを批判するものいいけどさ

いい仕事をしてもっともっとお金を稼ぐ方法を考えないと、小さなマンションすら買えないよっていう事実

私は20代のうちになんとか気付くことができてよかったと思っている。

時給1,500円でも人生はバラ色にはならない。

2008-08-17

トリ-ナチ-経営学論争への個人的疑問総まとめ

増田では概ね有意義な反応が尽きたようなので、戦闘的でも粘っこくもなさそうな方に試しにトラバ

http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080814/1218670547

さて不謹慎な表現など多々あるかと思うけど、以下に私的な疑問・論点をまとめます。

時間掛けて経営学医学倫理学歴史学を学んでたら、軽くクリアーできる論点・誤解もあるかも知れないけど、その他も含めてご容赦を。

●論点1 トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。

●論点2 「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスホロコーストを行わなかったのだろうか?

●論点3 「資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。

●論点4 経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?

●論点5 トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?

●論点6 トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。

●論点7 むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。

●論点1

トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。

たとえば、短い時間で選択を迫られるという意味でなら、(汚い例で恐縮だけど)映画館で上映開始数分前に便意を催し、

そこで素早くトイレを済ませるか、そのまま2時間前後我慢するかなど分単位決断を迫られたりとか、

あるいは語源となる(らしい)コーヒーの選別作業など秒単位決断を迫られる行為が、実は日常でもよくある。

もちろん時間以外の資源をモノサシにする場合も同様に議論を進められるはず。

つまり、時間等の量的な制約をその条件とするのであれば、いわゆるトリアージ以上に「極限状態」とみなせる

選択はいくらでも存在することになり、なぜトリアージだけを取り上げて「極限状態」と呼ぶのかがわからない。

そして呼ぶだけならいいとして、そこに殊更特別な意味を見いだそうとする行為には恣意性が入って来ないか?

明確な基準がなくはっきりしないせいで、そうした疑問が浮かんでしまう。

もし資源制約等々を最初から全部取っ払って、人の命を「切り捨て」るプロセスを指し「極限」と呼ぶのであれば、

蘇生行為の中断や、人工呼吸器の取り外し、あるいは脳死判定?など、(当事者にとっては非日常ではあるものの)

平時の医療行為の中にもそれらは存在する。これらはいずれも倫理学検討に値する問題ではあるんだろうけど、

今回の問題意識とはずれているのではないかという気がする。なぜなら、経営学講義中の「資源制約下の選択」

というトピックで取り上げる事は難しいと思えるから。よってこれも不適。

ここからはさらに妄想。そこで「資源」の意味をもう少し拡張し、技術水準まで含めるとしたら?

現代医療で人工呼吸や蘇生脳死判定が要請される重態の患者でも、実は簡単に救えるほどの医療技術

遠い将来いずれ誕生する事を想定すれば、それらの現場を「極限状態」と呼ぶ事も可能かも知れない。

けれど何事も有限なこの世界で、資源の有無は所詮相対的な問題でしかないから、逆に心臓マッサージも知らない

ような時代まで遡れば、現代医療は「極限」でも何でもなく、相対的にかなり恵まれた状態だとさえ言えるかも知れない。

だからこの妄想理論も、当然すぎるほど当然ながら、使えないよね多分。

●論点2

「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスホロコーストを行わなかったのだろうか?

トリアージ現場では、住所氏名年齢性別人種思想信条宗教経済状態等ではなく、たとえばSTART法に

代表されるように、あくまで症例とその喫緊性を判断材料にして、医療資源の配分が決定されて行く。

そこでの個人は、生存者の最大化という観点から、同じ人間同士限りなく対等に扱われると見ていいはず。

他方、ナチスアーリア人種なんかにとって、異民族共産主義知的身体障害者等の存在有害だと

訴えてたわけで、その排除は平時であると有事であると問わず、進行していたんじゃなかろーか。

不謹慎な言い方をすれば、対等ならざる「異分子」の排除は、保健所動物駆除のように、

生存権私有財産権その他の人権を持たざる者と扱った上で、粛々と進められたんじゃないかなと。

また日本北欧等でも障害者社会的弱者の断種手術が進められたけれど、これらも特に有事であるからと

行われていたわけではないはず。社会ダーウィニズムや通俗的な理解によって「市場原理主義」など(あるいは

原理主義資本主義」?)と呼ばれる淘汰のプロセスは、ある緊急時の必要に応じて進む(進められる)

と言うよりは、むしろ長期的に徐々に着実に進行していくモデルだと考えるのが妥当だと思う。

そして比喩としての「極限」的危機のアピール自体は、かつてのワイマール共和国を含む(民主主義・非民主主義問わず)

あらゆる国家で行われる、支持者獲得の為の常套戦略で、たとえば、核戦争原発メルトダウンの恐怖を時に過剰に煽るのも、

類似の行為と言えるのでは?ナチスに特徴的な行動として取り上げるのは些か困難じゃないかと感じる。

以上の点から、トリアージ差別的な(どころか相手を人間扱いしていない)ホロコーストとなぞらえるのは

間違いであるし、また仮にトリアージが「極限状態」の選択であると仮定しても、ナチズムやホロコーストとの

同質性を認定するのは恣意的だと考える。トリアージの普及推進や例示がホロコーストと地続きである、または

そうした考えを広げるというのは、不謹慎である事を除いても有益な議論とは言い難いはず。

そもそもホロコーストの最たる物である絶滅収容所等におけるユダヤ人殺害は、ナチスドイツ

敗色が濃厚になった戦争後半期にかえって加速していたようで、一般的な意味で言う有事への対応や

資源の最適な配分という意図からは、どうも外れた感が強い。元々戦場の論理とは別物なのでは。

●論点3

資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。

トリアージ現場においては人員物資設備等の制約がボトルネックとなっているけど、そもそも人員物資設備等が

無限であれば、トリアージはもちろん企業経営の探求や経済学考察など、資源の効率的な配分を研究する

学問・営為は生まれなかったはず。経営学経済学をはじめ、多くの人間知的営為はその濫觴において、

現実世界資源の有限性を前提としており、その有効活用目的としているわけだから。

たとえば、市場メカニズム根本を支える価格シグナルは、財やサービスの需要と供給によって決定されるけれど、

供給無限商品の物量だけでなく運搬供給設備やそれらの生産性等も)であればその価格ゼロとなり、

人は欲望の尽きるまでそれらを蕩尽するはずだが、もちろん現実はそうじゃない。一見価格ゼロに見えても

広告販促込みだったりして誰かが費用を負担しており(そのままでは持続可能ではない)、いずれにしても

価格」の存在は、資源の有限性がこの世界に付き物だという事実を、端的に示していると言えるわけ。

またたとえば、かつて環境問題が今ほど注目されなかった時期には、社会的制限が存在しない中で

工場は排煙を垂れ流し放題だったけど、現在では空気ですら無限ではないというのが、環境問題認識する

あらゆる人間の知る所で、その為に各種の環境規制や課税が行われ、少なくとも先進国では、工場経営者も排煙その他の

公害原因の扱いに注意を払うようになっている。逆に各種エネルギー補助金(それは低い技術水準とワンセットだが)を

与えている中国インドなどは、その凄まじい蕩尽によって資源の国際価格高騰や各種公害の原因としても台頭している。

以上のように、資源無限か有限か(≒価格ゼロか否か)は、その資源を効率的に扱うインセンティブを決定している。

そして、およそあらゆる物に価格税金規制が付きものなのは、それらが現に有限だからに他ならず、

経営学経済学トリアージはもちろんとして、多くの人間知的活動はその資源制約によって発展・流転を促されてきた。

よって「資源の有限性を前提にするな」という主張は、現実を無視し多くの知的活動を否定する行為に等しく、場違いな指摘だと考えます。

有限性の前提や資源の効率的利用・効用最大化と言った考えがナチズムへとつながるのであれば、必然的にこの世の

学問・営為・制度・生活習慣は、その多くがナチズムの眷属となり、今回の件を特別批判する意味は限りなく薄まるはず。

●論点4

上と関連して。経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?

経営学経済学は、もちろん共に資源制約の下での効率的利用を目的とするんだけど、後者が主に

社会全体の効用最大化を目指すのに対して、前者は時に社会全体の効用をかえって損なう決定を推奨しかねなかったりする。

既に上で述べた環境問題における企業行動が典型例だし、あるいは独占や寡占の追求、他企業とのカルテル

最近も相次ぐ情報の非対称性を悪用した偽装問題など、企業は時に利益追求という存在意義に忠実なまま、

社会全体の最適化からは逸脱しちゃう場合がよくある。そうした行為には違法な物からグレーゾーンまで何でもあり。

他に経済学概念上でだけで考えれば、ブランド構築・製品差別化特許等の独占的使用販売権の取得等も、

完全競争を避ける狙いから行われる、社会全体の最適化に反した行動とみなせる。もちろんこれらの場合は

消費者社会利益となる場合もあるんだけど。ともかく経営が目指すのは本質的部分最適・部分均衡なわけ。

このように企業はいろいろな経営的実践を通して、市場における競争を避け、超過利潤・独占利潤を得ようとする。

それに対して、各種公害規制や独占禁止政策・不正競争防止、情報の非対称性の排除などを通じて、市場メカニズム

健全な作用を維持し、また時に所得再分配考慮し、社会全体の効用最大化を目指すのが、一般的な意味で言う経済学の使命。

つまり、別々の学問として定立している以上当然なんだけど、経営学的実践における「全体」と、

経済学的・政治的・社会的実践における「全体」とは、多くの場合かけ離れているんだね。

よって、(仮に)経営学的営為の例としてトリアージを取り上げる場合でも、それらが一般的な意味で言う「全体」、

社会国家全体に敷衍されて適用される恐れがあると考えるのは、学問目標を見誤った、飛躍を含んだ主張じゃなかろーか。

●論点5

トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?

既出のようにこの世界のあらゆる物は有限であり、ある選択は必然的に他者の選択を制限してしまうのが世の常。

だからたとえば、日常の買い物で財布の中身と照らし合わせながら商品を決める(予算制約下の最適化行動)裏には、

売り上げ好調で繁栄する勝ち組企業と同時に、売れない商品を作って経営不振に陥り、場合によっては

倒産する「かわいそうな」負け組企業存在があったりする。ひょっとしたら「切り捨て」られたその経営者

自ら命を絶ってしまうかも知れない。その他日常ありふれた選択が、当然のように多くの他者の運命を決定している。

政治上の決定で見ればもっとわかりやすい、再分配は必ず財源を必要とする。

たとえば公共事業を削ればどうしても倒産は増えてしまう。増税だって薄く広いだけで景気を落ち込ませずには居られない。

以上のように考えれば、無視出来ない他者の範囲は空間的・時間的に際限なく広げる事が可能であり、

トリアージだけを取り上げ、その「他者性がない」側面を強調する行為には、恣意性が含まれているのではないかと。

●論点6

トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。

仮に「災害時に被災・負傷し、物的人的制約のある災害医療の拠点に搬送された場合にどのような治療戦略を望むか」

という契約をあらかじめ(被災時に意識を失えば意思の確認が出来ず不公平なので)交わすとすれば、

そして公序良俗に反するという立場から、金銭などの代償を対価とした優遇や、自己犠牲を禁じ手とすれば、

自由かつ平等な個人は、期待生存率を最大にする為=自分自身の為にトリアージを選択する権利を行使するはず。

これが全体主義国家ならマイノリティ放置され、地位や能力のある者の治療を優先させられるかも知れない。

よってトリアージは「みんながひとりのために」でも「ひとりがみんなのために」でもなく、

「ひとりがひとりのために」という個人主義ベースとした選択と考える事も十分可能だと思う。

また自分の命が常に他者の命と可換であるという強い認識が働くから、他者認識がないという批判も的外れとなるはず。

(ちなみに治療従事者自体はロボットだって構わないわけで、その他者性認識を問題にする意義は仮想の話の上では薄いと思われ)。

以上はリベラリズムの基本である無知ヴェールアイデアを多少拝借した物。

無知ヴェールとはリベラリズム上の社会正義のあり方を考える思考実験で、それを被された者は他人はもちろん

自分も含めたあらゆる属性・・・住所氏名年齢性別人種主義主張経済状態等々・・・がわからなくなってしまう。

その状態で、各個人は自身の利益も含めもっとも望ましく公正な社会の条件を考えてみよ、というのが実験の中身。

で、リベラリズム上の議論においては、その条件の下で「格差は最も弱い立場の人々の効用を最大化する目的でのみ正当化される」

という「格差原理」が導出される事になっている。では、トリアージ現場において、それがどのような人々に当たり、

かつその条件の下で選択要請される治療戦略とはどのような物になるだろうか、ちょっくらこれを考えてみる。

まず被災患者を症例・緊急度により以下のように分ける。

A.所与の医療資源技術では、どれだけ治療を施しても亡くなってしまうとされるグループ(START法では黒いタグを付けられる)

B.放置すれば亡くなってしまうが、治療を施せば助かる可能性のあるグループ(赤、または黄色のタグを付けられる)

C.治療の必要が無い軽傷か無傷のグループ(緑のタグを付けられる)

そして以下のように選択可能な治療戦略が提示されているとする。

1.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、医療資源を人数分で割って全員に割り当てる「平等戦略

2.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、各人へのくじ引きで割り当てを決める「機会均等戦略

3.最も重症で生存の見込みのないAは一番「かわいそう」だから、そこに医療資源限界まで注ぎ込む「蜘蛛の糸戦略

4.Bに医療資源を注ぎ込む、いわゆる「トリアージ戦略

5.まずCに医療資源を注いじゃおうという、文字通りの「贅沢戦略

これら5つの内であれば、各人は全体最適など考えずとも(それを考えるのが完全な悪というのもおかしいんだけど)、

個人の利害に触発されて、自由かつ平等な権利の下に、最も自らの期待生存率の高い4のトリアージ戦略を選ぶはず。

ではその場合の「最も弱い」人はどの患者グループなのか、その効用はどうなるのかを不謹慎な表現も交えるかもだが次に検討

もし医療資源を注ぎ込んでも「ほぼ」助からない黒いタグ、この場合グループAの患者だとすれば、どのような治療戦略においても

「ほぼ」死亡という結果に終わり、効用は「ほぼ」不変=「ほぼ」常に最大だからトリアージを選ぶ事は「ほぼ」許容される。

次に死亡状態とみなされる人ではなく、助かる可能性はあるが治療を必要とする赤や黄色のタググループBに含まれる患者

「最も弱い立場」とするならば、トリアージによって最も手厚く医療資源を配分される事になるから、やはり許容範囲となるはず。

グループCの緑のタグ患者検討するまでもないとします。

問題はもちろんグループAについての「ほぼ」の取り扱い。技術水準の問題として閑却する事も話の上では出来るんだけど、

(前にネタのした時は確実に生存率を判定出来ると仮定したので簡単だった)、現実トリアージではそうは行かない。

ただ、いずれにしても確率的な選択を強いられるのであれば、やっぱり4のトリアージ戦略しかないと思うんだけどね。

あと検討の順序が逆だったり、戦略や条件の設定の重複・恣意性等あるけど、まあ素人なんで大目に見てくださいな、と。

基本的には無知ヴェールまで降りて議論するまでもなく、最初の期待生存率+公序良俗の「治療戦略選択契約」の話で

大体OKと思うし、そこで「全体主義的」なる批判はシャットアウト可能だと考えてます。よってここらでこの論点終了。

字数制限でhttp://anond.hatelabo.jp/20080817193711へと続きます。目障りでごめんなさい。

2008-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20080809221243

あっはっはっ

そもそもの全体主義社会主義ととっちらかったよーな話自体が暴論なわけでー

それを『妄想に満ちた市場原理主義自由主義者』と比較したのはー

あんたの話は言ってみればそれくらい暴論だよーとゆー

皮肉なんですがー

ちなみにこういうシーンで「皮肉」を使う理由はー

「少し賢い人なら、ハッと気づいて自分の暴論ひっこめるよねー」

「少なくとも皮肉言われてることには気づくよねー」

「救いようのない人なら『何暴論言ってんの』って恥ずかしい反応が返ってくるよねー」

「つまり相手が賢くても賢くなくても、どっちにしろおいしいよねー」

というねらいなわけでー

えーと

結果どうだったかー

説明した方がー

いいー?

2008-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20080809215820

「と言って貧乏人の生存権を脅かしてる市場原理主義自由主義者」ってどこから出てきたの?

勝手脳内で仮想敵こしらえて演説ぶっても相手は説得出来ないよ。

そういうコミュニケーション流行っているのかも知れないけど。

それと社会権生存権は「近代国家の所産たる人権」じゃないから。

http://anond.hatelabo.jp/20080809213526

個人的には

シホンシュギは公平なゲームなんだから、負けたヤツからいくら搾り取っても不当ではないんだもんね

と言って貧乏人の生存権を脅かしてる市場原理主義自由主義者と、あなたの言う全体主義者は、近代国家の所産たる人権を侵してる度合いで言うとどっちもどっちだと思います。

2008-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20080803072217

なるほどなるほど、、たしかにほかの産業を人手不足にしてまで第一次産業を優遇するのは不公平感があるのは否めませんね

ただ、最近ニートであるとかワーキングプアが取りざたされてるもので、その対策になるのかなと思いましてね

人材派遣会社日雇い労働ちゅうのもありましたなあ

いくらかやり方に強制的であるとか個人の自由を無視するもんだってのは重々承知の上でのひとつの提案として、その労働力無駄にしとくのは国家の損失であるなあと思ったわけですよ

その中から多少でも一次産業に根付く若者が出てくればいいのではないかとね

海外からより少ない労力で食料エネルギーを手に入れるにはそういう非効率産業に労働力をまわすことは、これまた無駄であるのかもしれませんが、いわゆる市場原理主義と多少問題がかぶるような気もしてるんです

中央から大手の安いスーパー百貨店が地方へと進出し、結果駅前個人商店街は軒並みシャッター街へと変貌を遂げさびれていく

しかし、その大手企業が撤退した後に新たに町を再生させることは非常に難しいのが現状なんではないでしょうか

ああ、、話が少しそれてくそれてく(汗)

つまり一旦失われた田畑や山、川、海・・・そこでの暮らしは簡単には取り戻せないのではないかと危惧してる次第でして

2008-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20080718212638

そうなのだ。

完全に市場に任せてやると、労働者が飢え死にして減り、労働者価値が上がって、失業率が減って給料が上がる。

労働市場も長い時間をかけると価格弾力的になるという例であろう。

Yes!

最初に「止まらない高度資本主義暴力性」を書いた増田だけど、オレが言いたかったことの要点を良く書いてくれたと思う。

結局「シホンシュギ」が理想的に働くためには、増田が言うように労働者が飢え死にして減り』というステップが絶対必要なんだよね。それが実現されてこそパイの分配が適正に行われるわけで、市場原理主義というのは要はそういうことだと思う。だけど、それって明らかに「飢え死にする労働者」の同意は得られない政策なわけ。なのにその政策を推し進めようとすると、多数派原理をタテにして、『対話を旨とする本来の民主主義』の原則を踏みにじった『(民主主義とは似て非なる)多数の暴力』を道具として使用するしかないわけ。

現代社会が「多数の暴力」をあたかも民主主義であるかのごとくに振る舞って口をぬぐってるのは、結局その矛盾に直面することを避けてるんじゃないかな。これが、オレの書きたかった「シホンシュギが暴力装置になっている現状」ってことなんだよ。

(追記)

レジデント初期資料:みんなの意見社会が滅ぶ http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/86

2008-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20080525232528

小泉新自由主義だったのは事実だし、なんでそれが左翼的なのか意味不明

左翼というかもっと正確に言えば統制が好きな人が使いがちなレッテルでしょ。新自由主義とか市場原理主義というのは。

実際には小泉内閣も為替市場金融機関に介入しまくりなわけだし、規制緩和とかはそれより前の政権でどんどん進められてたわけで小泉が今までの政権より市場原理を重視してたとも思えないんだよな。増税してるから小さな政府になったというわけでもないし。

2008-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20080511144400

それは解雇規制があるからでしょ。

自由放任のいわゆる市場原理主義なら首になっちゃうはずで

資本主義のせいで不要なものを作ったり不要な人を雇ったりしてるというのとは違う。

2008-03-26

[]わたしは『戦うアルジャーノン』という者です。 その二

こんな感じで10通もきてるんだ。読みたい奴いたら続きをアップするよ。

これにグラフ画像(多分新聞の切り抜き)が添付ファイルとして5枚貼り付けてある。やりすぎだ。

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グローバル化競争社会構造改革に対する疑問。

最近自殺殺人の横行はグローバル競争社会アメリカ型の投資金融の自由競争市場原理主義において負け組奴隷化、野垂れ死の危機に達し、絶望した人達悲鳴だと思います。

投資金融に興味のない庶民にとっては理解不能のステルス的な社会の変革です。

問題は、それをテレビ等のマスコミがほとんど問題提起することなく、又、国民もほとんど気にしないで、投資にあけくれたり、日本国内における産業(仕事お金)の奪い合い競争を無為に続けていることです。

政府国民に、世界全部がアメリカ競争社会に変わって行くグローバル化の闇や負の部分を公言、広報して注意喚起しないでいるせいで、政府は年1万人、10年で10万人の自殺者大量生産し続けています。(1998年よりの自殺者増加分)

10年前の1997年より日本アジア通貨危機から始まった金融投資経済、産業のグローバル化競争(政治経済、産業の支配者層の、半分やらせの出来レース)に巻き込まれ、経済、産業、社会の混乱状態が続いています。

現在セレブ盛況の裏側での弱者の野垂れ死にの現状の『グローバル化競争社会』を問題提起するのが禁句にでもなっているのか、庶民に伝わってくる現状の異常とその原因を伝えるジャーナリズムが少ないです。

弱者、庶民は現状のグローバル化社会における政府経済社会問題に対する理解、認識が欠落しており、仕事お金の奪い合いの世界競争の中で、政府にたいして救済もされず絶望して自殺、野垂れ死に、犯罪、殺し合いの共食い状態を続けています。

グローバル化競争社会の原罪、構造(金融)改革の目的アメリカ型自由競争市場原理至上主義の投資金融支配社会における格差と世界恐慌危険性を正しく国民認識させるとともに、きっちりとしたセーフティネットを設けて国民弱者を守るともに、再起可能社会を構築すべきです。又は、高税率の福祉国家とすべきであると考えます。

(1998年以降の国の異常を単なる不景気と片付けて、国民を惑わし混乱を作り、株や投資で儲けているセレブ政府官僚、又、旧来の既得権益でのさばる公団、公共事業主や、政府とつるんで新たな既得権益を得た公共事業補助金成金インサイダー投資家を、10万人を殺した大量殺戮の罪で訴えてやりたい。)

地方、現場労働者不景気感が拭えない割に日本経済GDPは伸び続けています。が、政府が政策と税政を誤っているせいで、日本国内の庶民の実体経済を細らせ、金融投資経済お金が流れ込む様に優遇しているせいで地方、労働者経済が細り、ひいては国全体の景気回復も進まないのです。又、ワーキングプア貧困層も発生させ続けています。

政府投資家企業が本来庶民が生産、消費で行なう経済活動(実物、実体経済)を細らせておいて、金融投資経済お金を集めて海外投資に熱を入れているようですが、金融投資で儲けたお金を地方や労働者還元して庶民の実体経済を太らせるのを忘れているせいで国内経済の活気が本格的に戻らないのを彼らは気付いているのでしょうか?

日本の地方や労働者層が不景気なのは彼らのセコさ狡さが原因です。

金融投資主体の社会利己的、独善的であり、官僚公務員行政主体社会と同じくらいモラルに欠けたもので、信用に足りるものではないと思います。

彼らに任せておくといたずらに国民を苦しめて国を滅ぼしかねません。

株価、為替、金利相場、配当等の投資金融経済だけが経済ではなく、経済を回し、社会を発展させ維持、管理、保護し続ける原動力は、何も効率重視の投資ではなく潤滑、バランス機能も兼ね備えた課税とその交付によって成されても良いのではないでしょうか。

グローバル化競争によって膨らみ過ぎた金融投資経済に対する十分な課税と、厳重な利権監査と課税のシステムを整えたうえでの、国家による非営利目的の福祉事業や社会保障(富の再分配)の交付、公共事業(社会投資)や補助金の交付によって経済、産業の成長戦略社会経済の安定が行われる、課税と税の再分配による共産性や社会主義性を取り入れた国政でもよいのではないでしょうか?

特に少子高齢化の現状では、無理な利益追求をおし進める投資社会より、高税率の共産的福祉社会の方が日本にはあっていると思います。

本来庶民が生産、消費で使っていた分のお金税金で集めて共産的に公共サービスや福祉、社会保障で使っていたお金を、富裕層企業が減税、補助金で吸収し、海外投資等に使って儲けてバブル状態となり、庶民は生産、消費で使用できるお金の量が年々減って貧困に至ったり、必要な公共サービスや福祉、社会保障を受けれなくなっていると疑います。

又、企業の高業績や投資の配当が好調にも拘わらず国全体としての政府発表個人消費が思った程伸びないのは富裕層は飽食気味で、貧困層は欲しくても買うお金が無いという事ではないかと推理します。

課税対象、課税方法を変える事によって国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。

現在投資金融経済主導の社会で今の税政だと投資金融経済社会に及ぼす影響と支配力が強く、弱者仕事(産業)と財(不安定な低賃金非正規雇用生活によって疲弊)を奪われ失業、貧困に至るとともに投資家企業投資金融経済お金が溜め込まれるシステムになっています。

バブル状態の投資金融経済から税金を取って弱者貧困層還元したり最低賃金規定を設けて給与を上げてあげないと縮小している労働者層の経済は萎んだままで弱者貧困層の消費はいっこうに上がらず国内全体の経済社会の活気は戻りません。

株主利益追求、高配当の為の労働者非正規雇用化以外にもグローバル化競争の為、産業の衰盛が地域、業種で激しく、それにともない労働力の需要も地域、業種で変動が激しく労働者正社員よりパート派遣雇用する企業が多いです。

グローバル化競争の為に企業は産業の衰盛に素早く対応しなければならずこれからも流動的な労働力としてパート派遣社員を便利な使い捨て低賃金労働者として利用し続けるでしょう。

企業の都合で一生をパート派遣雇用で生きてゆかざるを得ない人達がかなり発生する訳ですが、彼らの未来、将来のことを何も考えていない企業任せで、このまま彼らを便利な使い捨て低賃金労働者として利用させ続けて良いのでしょうか。

将来的な国力の衰退( 人口減少、人材不足)を考えた時にパート派遣労働者低賃金奴隷アルバイトではなく非正規雇用準社員として捉え、パート派遣社員でも結婚して家庭が持てる様にパート派遣社員の権利を保護、育成してあげる必要があると考えます。

同一業界内での最低賃金の規定とその保護やアップを勝ちとる為の労働組合の設置、福利厚生システム(労災雇用保険厚生年金交通費の支給、作業着等の備品の支給、育児介護の為の有給休暇)の設置と補助義務の規定、正社員と同じ労働基準法の適用、派遣元会社の中間搾取の監視と禁止規定を等を設るべきです。

この過激な競争社会のなかで安価低賃金労働者として必要以上に買い叩かれ、バブル金融投資社会のなかで奴隷的立場になっしまっているワーキングプア人達人権を、同じ国の現代社会人の一員として守ってあげる必要があると考えます。

現在労働者層のワーキングプア問題は日本不景気だから労働者失業するのではなく、グローバル化競争社会における投資金融の高配当目あての高収益化を目指した労働者低賃金化とリストラによる失業問題なので、賃上げ要求することは恥ずかしいことではなく労働者の権利だと思うべきです。

現在、貧し過ぎてまともな現代人の生活が出来ていないワーキングプア労働賃金アップによる貧困層の消費拡大による日本全体の景気回復や、貧困層結婚子育てを賃金アップにより推奨することにより将来的な国力の維持(少子化問題、人材不足等の解決)を考えるべきです。

これ以上、投資家富裕層による投資が過熱することは国力低下につながります。

彼らバカは優秀な人間企業にただ、たかって投資すれば大儲けできると考えているだけです。

日本円が高いことをいいことに、安い途上国企業や人材や労働力投資でたかれば高効率の配当や売買益を得られると無責任に考えているだけで、日本国内の労働者や地方の実体経済や庶民生活の細り具合が目にはいらず、自国の将来的な国力低下に気付いていない。

さもなければ今だけ儲かっていれば本国である日本が将来的にどうなろうとも気にもせず、夕張市公共工事にたかっていた建設業者や市職員みたいに国が傾いたら海外移住でもするつもりの無責任な人々なのではないしょうか。

日本貧困層の生活を保障したり、奴隷ワーキングプアを学ばせたり教育させたりして、将来を担うべき層の厚い人材を確保する考えのない、想像力の足りない愛国心ゼロ寄生虫的バカ投資家のせいで、将来的に日本海外に比べて人材不足に陥ることが予想され、日本未来が危なくなっています。

人は育てなければ育ちません。企業労働者競馬の馬でも家畜でもありません。

投資家は一人で育って優秀になったつもりなのでしょうが、本当はかなりの思いやりある人と運に恵まれて投資に対する知識や人間性を形成してきた筈です。それと同じ様に、庶民も社員も周りの人間社会に支えられ、学びながら成長していきます。

グローバル競争社会において投資により、その庶民社会をぐちゃぐちゃにして庶民の生活を破壊し、放ったらかしにして成長を妨げておいて、能無しの奴隷家畜としてたかっているのが利己的なバカ投資家です。

もし、日本の支配者層としての自負があるのなら、人材育成や教育社会維持に対する考えを持ち、庶民を含めた日本の将来を担うべき人材を育てあげたり、社会維持のための納税や投資を惜しまずに、日本未来に対しての責任を持つ考えを持って欲しいものです。

1月7日NHKクローズアップ現代」ので、グローバル化による金融投資経済の1京6000兆円(実体経済の3.2倍)にのぼる膨張とアメリカサブプライム問題による先物投資過熱と原油価格高騰、アラブロシアによる投資支配戦略によって、アメリカ投資による世界支配が揺らいでいる現状をスクープしていました。

国内外の金融投資お金をかき集め、それを一斉にファンド等々にして世界にばらまき、発展途上国等や先物商品投資することで、他国、企業労働者の実体経済にたかるアメリカ金融投資による世界支配の実態と、投資の配当等による収益や、投資対象(住宅等)の値上がりをあてにしたローン等によるアメリカの大衆消費促進経済限界を問題提議し、世界におけるアメリカ投資金融支配社会の信用低下をスクープしていました。録画等があったら是非見て下さい。

日本にはアメリカみたいに、金融投資により他国(企業労働者)にたかり、その配当で豊かに生活を送る海外投資による大衆消費社会に変えることが出来る国力はありません。

日本アメリカと違います。日本円はドルと違い基軸通貨ではありませんし、低金利政策です。お金は発行されず国内外で流通する円の総量は一定です。それを証券、債券等により、見せかけのお金を増やしてファンド等々により海外投資して他国にたかろうとしているのでしょうが、バカ投資家連中はその元になる投資の資金を地方や労働者層に求めて彼らを苦しめつつ地方交付税の削減や、労働者低賃金化や、配当課税の減税によって得ているのです。

投資家企業は焦って利己的に利益追求や保身にはしらずに国民全員に還元すべきです。いずれ途上国通貨切り上げによって円の価値は下がります。その分の保険としての海外投資なのでしょうが、通貨切り上げ、切り下げは国家間での話し合いなので、投資をしていない庶民に還元することで通貨切り上げ幅を小さくする容赦を途上国に提案するべきと考えます。日本金融投資経済に課税する事で途上国の溜飲を下げるとともに国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。

途上国の輸出攻勢により現代先進国では失業者が必然で発生する為、関税を失業保険生活保護費に当てる考えも必要です。

2008-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20080316133027

論法の本質がなにも変わったとは思えない。「歩きタバコ」は「危険だから」規制されてるだけであって、タバコを吸うこと自体が規制されてるわけではない。

すさまじい屁理屈だな。殺人危険だから規制されてるだけで人を殺すこと自体は規制されてないとか思ってるのか?

歩きタバコ規制されたら外で堂々と人前ですえなくなるだろうに。

その方向は単なる増税路線の一環であって、「酒やタバコは悪だから際限なく規制する」方向ではない。

まだ勘違いしてるようだが、際限なく規制しろといってるわけじゃなく堂々とすいにくくなるようにしろということ。値段が高くなればすう人は減る。

市場原理主義がこの一件とどう関係するのか教えてくれ。これは経済の話ではなくて、法的なパターナリズムの話だろう。

一般的にはパターナリズムというのは規制強化で市場原理なら規制緩和でしょ。法的パターナリズムを否定するなら自由放任の市場原理にちかづくのはわかりきったこと。

どっかの馬鹿馬鹿しい実験コミューンと言った矮小な例を除けば、自由すぎて崩壊した社会というのは聞いたことがないが、さっき挙げた例はすべて「規制が厳しすぎて」人心掌握力を失ったことが大きな一因となって崩壊したものだ。タリバンだって軍閥に離反されたのはつまりはそういうことだぞ。

破綻国家のような無政府状態で生命の危険脅かされてるような状態は自由すぎて崩壊してる状態だろ。

しかもたりばんのような極端な例を出すのがせこいんだよ。現代日本より規制の強い国なんかいくらでもあるが全部人身掌握力なくて政権存続に失敗してるというわけでもない。ましてや酒やタバコ自販機がなくなったり児童ポルノ所持規制された程度で政権倒れると本気で思ってるんだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20080316132526

タバコカードが不適切なら歩きタバコ規制に置き換えてくれ。

論法の本質がなにも変わったとは思えない。「歩きタバコ」は「危険だから」規制されてるだけであって、タバコを吸うこと自体が規制されてるわけではない。

ただ世の中の流れはどう見ても酒やタバコを利用しやすくなる方向ではないよね。税金上げられてるんだし規制は緩和どころか強化気味。

その方向は単なる増税路線の一環であって、「酒やタバコは悪だから際限なく規制する」方向ではない。タバコについてはちょっと疑問もあって俺は猫猫先生に同意したいが(俺自身はタバコの煙は大嫌いだが)、酒自体が悪いなんていう馬鹿は君を除いてほとんど見たことがない。

市場原理主義とか無政府主義弱肉強食の暗黒状態になった国とかはスルー

市場原理主義がこの一件とどう関係するのか教えてくれ。これは経済の話ではなくて、法的なパターナリズムの話だろう。まず、ポルノ買春や薬物の規制日本より圧倒的に甘いオランダが「暗黒状態」になっているかどうか、あるいは規制の厳しい社会で現代日本より豊かで自由な社会存在したかどうか、その例をまず挙げてみてくれ。都合のいい例だけ拾ったというが、都合の悪い例がどこにあるというのか俺にはちっともわからん。

どんなにいい政治体制でも人間のやることは完璧じゃないんだから永遠に続くことはない。

それなのに規制強化すれば崩壊するかのような例ばかり出すのはあまりに恣意的。

どっかの馬鹿馬鹿しい実験コミューンと言った矮小な例を除けば、自由すぎて崩壊した社会というのは聞いたことがないが、さっき挙げた例はすべて「規制が厳しすぎて」人心掌握力を失ったことが大きな一因となって崩壊したものだ。タリバンだって軍閥に離反されたのはつまりはそういうことだぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20080316132003

タバコカードが不適切なら歩きタバコ規制に置き換えてくれ。もう一度いっとくが全面規制はやりすぎとは思ってるよ。

ただ世の中の流れはどう見ても酒やタバコを利用しやすくなる方向ではないよね。税金上げられてるんだし規制は緩和どころか強化気味。

歴史がどうとか言うけど、そっちこそずいぶん意図的に取捨選択した例ばかり出してるよな。

市場原理主義とか無政府主義弱肉強食の暗黒状態になった国とかはスルー

どんなにいい政治体制でも人間のやることは完璧じゃないんだから永遠に続くことはない。

それなのに規制強化すれば崩壊するかのような例ばかり出すのはあまりに恣意的。

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