はてなキーワード: 自称中立とは
それ
「ネット右翼という言葉は捏造だ!! なぜなら俺たちは中立だからだ。俺たちを右翼呼ばわりする奴らは左翼なのだ」
単にネットという言葉と、右翼という立ち居地をつなげただけで、蔑称じゃないのに。隅っこにいるのを指摘する右翼という言葉が蔑称だという発想が特に。
それこそ世界の右端から見たら、世の中全部左に見える的な発想というか。
で左翼の方なんだが「俺たちは中立なのだから、左翼という呼び方そのものが間違っている。はてさという言葉が捏造だ!!」といわない印象があるんだよ。
なんか、隅っこにいるのがかっこいい俺と思ってそうというか。むしろ隅っここそ特権なり、と世の中見下だす感じというか。
日本には「右」という言葉に「正しい」「権利」という意味合いがないからなのかな? とふと思った。
いやつまり、アメリカの右翼は自称中立とか言うのかな? 言わないんじゃないかなと。
左はそもそも、この世に正義をふりかざす奴ほどろくなもんはいないと斜に構えてそうだから、自称中立を名乗る奴が少ないんだろうけど
右は自分の勢力が正義の側にいると考える傾向があるように思う。
ただ、日本だと「偏る=少数派=村八分にするべき悪!!」みたいな感覚があるから、右翼は自称中立とか言い出すのかなと。
これが右という言葉に「正しい」の意味があったら、右翼は正々堂々右翼と名乗るのかな?
どうなんだろう。海外のことに詳しい人に教えて欲しい。
http://twitter.com/#!/flurry/status/141322110126669825
ただの釣り人が、なんか親原発の政治的なメッセンジャーに仕立て上げられて反原発派に叩かれた上、デマを打ち消すためにただの一釣り人であり趣味人であり政治性はないと弁明したら、当の反原発派が「えー」。デマにものすごい勢いで食いついて死人に縄を打ったてめえらの身内の不始末にケジメもつけないで、何が「えー」だ。
「自称中立」批判のつもりなんだろうけど、無理矢理どっちかの陣営に巻き込まれたことに抗弁しても「自称中立」扱いなのかよ。なにこの回避不能の罠。
こういう反論を待っていました。
なお俺は自称中立を気取るつもりはありません。書き手のバイアスは当然あるわけで、主観が強い場所については意図的に「俺」という一人称を書き足して明示をしたつもりです。
そもそもPIXIVが注目されたのは
同時に同内容の通報してみたところ
この2つのアカウントについて語るのであれば、「誰か」のアカウントが本当にカオスラウンジのものと同等なのか、運営に悪質だと即座に消されるような問題を抱えたものだったのではないか?という点まで触れなければ話にならない。
発端となった2つのアカウントの通報を行ったのは誰なのかを調べると、多くのまとめではみかん理事の通報ということになっている。
だがそのみかん理事は「僕が通報したのはどっちもスルーされましたよ。 見てないタイミングで一時停止→復活があったかどうかはわからないですけど。」と発言しており、またtwitterではもう一つのアカウントがどこなのかは触れていない。
さてどういうことだろうか?
単純に考えただけで上の三つの可能性が考えられる。そしてどれが正解なのかは、複数のまとめを参照しても知りえることはできない情報だった。
みかん理事の言動を見ていると、彼がカオスラウンジメンバーとは無関係なアカウントを意味もなく晒しあげるとは思えなかった。
ゆえにこの件については何らかの誤りを含む可能性も十分考えられるため、デマの再拡散には慎重な立場からあえて触れていない。
カオスラウンジと同じこと、同手法の作品をPIXIVに投稿してみた人達がいたんだけど
手法が問題視されたわけではなく、運営に対する害意があったから消されたのではないだろうか。
害意があったことを意図的に隠蔽して、手法のみの問題に擦り変えるのは、俺はそれこそが「嘘」だと思う。
カオスラウンジと同じやり方をすることで、削除されるはずのない、運営やコミュニティが望まない画像を大量投稿する、そういう反撃方法を面白がるメンタルは理解できるが、賛同はしない。
さて、やがて運営の削除基準はひどく曖昧になり、規約上削除されるはずのない手描きの絵までもが、運営への害意の一点で削除されるようになった。
その恣意性は問題視されて然るべきだが、「俺が描いた絵をpixiv運営は残さなければならない」というお客様幻想もまた問題視されるべきではないのだろうか?
pixivはお客様の為に運営しているわけではなく、表現の自由を守るために活動しているわけでもなく、「絵描きのコミュニティを構築する」という一点についてpixivの営利目的とユーザーの思惑が合致しているに過ぎない、ということは留意する必要がある。
これはpixivに限った話ではなく、webサービスを利用する際の当然の心構えであると思う。
梅ラボの著作権侵害作品が問題ならば、最初から無断使用された著作権者に働きかけてルールに則った削除申請を行うべきだったし、自分の作品が残されるべきだというならそう運営を説き伏せて残される権利を勝ち取るべきだと思う。
pixiv運営がコミュニティを守るため、大多数のために少数を切り捨てたのは、実は今に始まったわけではない。
例えば現代アート用のコラージュ素材を用意した高橋けんじは、かつて初音ミクのデザインで有名なKEIがランキング1位を取るのを妨害する意図から、ラピュタパンの絵を投稿し圧倒的支持を得たにも関わらず、健全な絵ながら理由もなくグロテスク表現のレーティングに強制移動させられた、という過去がある。
例えばpixiv批判の絵を複数投稿しているK田は、かつて東方のファンアートがランキングを賑わせた際に、それを快く思わずアンチ東方のイラストを投稿し、運営から強制削除処分を受けた一人だ。
彼らの行為はコミュニティの大多数を不愉快にさせたのかもしれない。だが問題ある一部のユーザーを切り捨てることは、多数派を優遇するということだ。その優遇された多数派にとっては、運営の行為は居心地の良いコミュニティを保護した正義だったのかもしれないが、切り捨てられたユーザーにとっては到底容認できたものではなかったはずだ。
本来中立平等が望まれる運営が独善的に削除基準を振りかざすことには議論の余地はあるだろう。まして、そこに「(pixivにとって都合の良い)絵描きのコミュニティを構築する」というpixivの営利企業としてのエゴがあったことは疑いないのだから。
もっとも俺には万人を納得させる解決手段があったとは思えないが…。。
ともあれこの騒動はpixivがカオスラウンジの著作権侵害作品の後ろ盾とみなされたことだけではなく、運営の優遇政策により、「抑圧されてきたマイノリティ」たちの不満が爆発したという側面もあるのだろう。
現代アートの投稿による運営やコミュニティへの攻撃が、解決の道しるべだとは思わないが、運営はその裏にある「意図」を単純な「荒らし」だと切り捨てるべきではないという指摘も正しい。
既に書いたことの繰り返しになるが。
カオスラウンジが活動すること自体は罪ではなく、カオスラウンジがその活動の中で著作権者の心証を無視したコラージュ作品を展開したことが罪なのではないだろうか。
pixivを立脚地とするカオスラウンジのメンバーが、pixiv社長とプライベートな付き合いを持ち、人脈のきっかけとなったり、交流を深めることまで責めるべきだとは思わない。
pixivがカオスラウンジに対して受賞作品を素材として提供するなど、企業としての立場・権限を悪用して著作権侵害を幇助した事実があれば批判されるべきだろう。現時点でpixivはそうした事実はないと否定している。
ただ近づきすぎたpixivとカオスラウンジが襟を正さなかったから、癒着関係と見なされて批判されるのだ、という指摘は正しく、近しい距離感のユーザーならばこそ厳しい対処に当るべきだったと思う。
pixivにおける場とユーザーはの関係は、商業イラストレーターのそれよりも、90年代の投稿雑誌文化のメンタリティに近いように思う。
雑誌という場に対してハガキ職人が無償で投稿し、採用されれば金一封で応じる。編集は雑誌のカラーに合わない投稿に対しては冷徹に切り落とす。
雑誌文化はハガキ職人を食い物にしていたのか?そうではなくハガキ職人がその雑誌に対する愛を、場に対する愛着を持っていたからこそ成立した文化だろう。
だが運営の優遇政策は、愛され続ける場を作るために、切り捨てられた場を憎む人をも作り上げ、それがコミュニティに歪みをもたらし、今の混沌とした状況を作り上げた。
pixivにおける場は今や崩壊の分岐路にあり、運営の手腕が試されている。命綱である場への信頼を取り戻すことができるのか、或いは憎まれる場として生きながらえるのか、滅びるのか。
言葉を発し、行動を起こし、正しい選択へと導くことは、ユーザーにとっても運営にとっても利益があるだろう。
ならばこそ、事実に基づく批判は歓迎されるべきだが、解釈による非難の扇動に対しては慎重になるべきだと思う。
ネット上で伺える事実は、「pixivがカオスラウンジと癒着し支援していた」ともそうではなく「pixivの平常運転が招いた事態だ」とも解釈することができる。
それは所詮ネットを通じて得られる情報でしかなく、いずれも解釈であって真実ではないし、なおも癒着を批判するならば相応の証拠を示すべきだろう。
俺はカオスラウンジ憎さに活動の内面(問題の本質である著作権侵害)に直接関与したわけではない人々まで焙り出して魔女狩りする風潮が正しいとは思わない。
ただpixivがカオスラウンジの活動を間接的に支援したことで、彼らの行為を助長したのは事実であり、身内であったことも踏まえて癒着と見なされないためにも、通常よりも厳しい処罰に臨むべきだったと思う。
そういう「見せ方」の拙さ、信頼を失うやり方を続けていけば、何者かが擁護を書いたとしても、いずれ自滅するだろう。
人は広大なネットに自分が望む結論を探し、そこに落ち着くだけで、何者かも分からない俺が、何か書き残したからといってそれで誰かの結論を変えられるなどとは考えていない。
pixivに対してこれだけ非難が集中するということは、それが多くの人にとって「望む結論」だったというだけだろう。そしてその種を蒔いたのは他ならぬpixiv自身である。
Togetter - 「PIXIVから送付されたというメールについてまとめ」
感想としては大体同じだと思う。やはりpixivはユーザーとの距離の測り方に完全に失敗しているという印象。
「退会」という運営否定の最強のカードを切るユーザーまで出てきている、その意味を甘く見積もり、この非難の高まりに対して、コミュニティへの影響は僅かだという言葉が沈静化になると考えるのは、コミュニティ志向なあまりユーザーに対する敬意が疎かとなっている証左と見える。
運営サイドの論理とユーザーの論理とでは別物なのだということが、恐らくは分かっていないのだろう。その危うさはいくらでも悪意でデコレーションできるし、単なる身内意識なのだと好意的に解釈することもできる。
もっとも私信を流出させる方法には賛同したくないので、あの内容に対して第三者である俺には文句を付ける権利はないと考える。
願わくならば、受け取った人間が、一言ガツンと文句を言って欲しい。「運営がそんな考え方でいて、俺たちが気持ちよくpixivを使えるとでも思ってるのか」と。
>地下猫は公権力が嫌い
ここが笑えるというか、中々頭の痛いところでもあるのだけれども、地下猫やはてサは
公権力が嫌いというのはその限りにおいてはそうではあるんだろうが、権力的なもの
それ自体を嫌ってるわけじゃあ無いんだよね。むしろ逆で、権力志向自体は強い人種
なのだと思うね。
たとえば、「自分が」(ここ重要)権力的に振舞うこと自体はなにより大好物でしょ。
他者に対して悪い意味で権力的に、つまりオイコラ式の警察官のように、気に食わない
相手に対して自分の特権性を背景に、強圧的、威圧的に、居丈高に、嘲弄的に、攻撃的に
行動することを非常に好む、という意味で。この場合彼らの「特権性」というのは言説
の絶対的な正当性(勿論彼らの脳内において、だけども)によって担保される。
はてサの皆さんが自己の善性、正当性とその「無謬的な絶対性」に異常に固執する、
これがその理由だね。単に自分が正しい、ということへの自己満足からだけでなく、自分を
特権的な立場に祭り上げておくために非常に重要な道具だからだ。
おまけに、その「気に食わない」という基準も要するに彼らの幼稚なプライドに抵触するか
どうかというものでしかないとくるわけで。
で、うわべだけの綺麗事で公権力を糾弾してみせつつ、「ボクのかんがえた、りそうのしゃかい!」
を実現するためなら、ファッショの極みみたいな抑圧的な社会ですら全肯定しそうな、どうしよう
もなく権力オリエンテッドな主張を平気でするからねぇ。
要は「他人が」権力を行使することがその是非に関係なく嫌いなだけであって、「自分が」権力を
行使する(または行使する様を妄想する)場合にはね、彼らに権力一般への批判性なんてもの
を期待するのは実にお門違いだろうと思うよ。
単なる無定見や日和見主義を揶揄するための言葉ならまだ理解は出来るけれども、はてサが
使いたがる「自称中立」とか「妖怪どっちもどっち」ってのは大抵はそうじゃないね。
はてサが憎悪してやまないのは、是々非々のスタンスというか、物事を非党派的に捉えるような
スタンスそのものなのだと思う。
そういうのに色々呼び名をつけてはあしざまに攻撃しまくるのは、結局はある種のポジショントークってやつでしょ。
いにしえのサヨクが好んだ罵倒用語の「プチブルなんたら」ってのと似たようなものかと。
その場合、対象となる言説の内容の是非が問題なのではなく、物事を二元論的に、党派的に捉えない
スタンスそれ自体が彼らにとって都合が悪いからだろう。それはつまり、単に二元論的、党派的な視点から一方
を攻撃するのとは違って、党派的な世界像そのものを解消してしまいかねないから、つまり、彼らが
大好きな特権的な立ち位置、「常に自分は無条件に善の立場、真理の側」というポジションを相対化して
なんの保証も無いものにしてしまいかねないからね。
その「自分は無条件に全面的に正しい側である」という前提が脅かされることを何より忌み嫌うのは、
要するに他者や愚民、社会や世界を無条件に嘲笑し、罵倒し、攻撃するための(そして同時に自分がいかに
優れたあたまがいい特別な人間かを再確認するための)特権的な立場が(まあこれも彼らが自分で自分に
対して自作自演的に付与したまがいものの特権でしかないわけだが)少しでも傷つけられることが
我慢ならないからだろね。
簡単に言えば、お子ちゃまな勧善懲悪脳で自分はいつも正義の味方役じゃないと嫌な(そういうわがままな
子供っているよね)のはてサの皆さんにとっては、自分から「正義の味方の役どころ」をとりあげかねない
全てのものが憎悪の対象になりますよってことかな。
「自称中立」的な言説もそうだし、彼らの「脳内正義」と違ってより現実的な「正しさ」に近い人たち、
信条や思想に基づいて現実の社会の中で(たとえば外国人のために活動する弁護士とか)それなりの実績
と立場を築いてきた人たちが、彼らの言論オナニーの場に入り込んできたときとかもね。
http://d.hatena.ne.jp/toroop/20100321/p1
なんでこう、高見から人を見下ろす姿勢を取れるんだろう。
この人に限らず自称中立派の人は、「いままで私たちの意見を無視してきたオタクは自業自得だ」「今更『表現の自由』なんて白々しい」とおっしゃる。
なんつーか、うまく言葉に出来ないけど、こういう人たちが俺は嫌いだ。心底嫌いだ。規制派より「気持ち悪い」。
俺はもちろん表現の自由なんて西洋由来の思想はどうでもいい。ただエロ漫画を守りたいだけだ。
でもあんたたちは表現の自由とやらを神聖なものとして守る戦いをしていらしたのでしょう。だからそれだけ他者を見下せる自信があるんでしょうね。
でもその思想はオタクに対してはどうでもいいらしい。簡単に言えば、彼らにとってオタクとは共感できない、むしろ蔑むべき烏合の衆、って訳だ。
「改心した人もおる」?すごいね。自分たちはエリート様で、無知蒙昧な大衆を啓蒙するけど、オタクは「キモい」からやっぱやだ、ってことかしらね。
あんたたちが守ってきた「弱者」のひとたちは、今回の件で「反対」って声を上げてるかい?
ああ、うまく書けないし、理論的なことも言えない。
ただはっきり言えるのは、あんたらみたいな人間たちから擁護してもらう気はさらさらないってことだ。
あなたたちエリート様の力を借りずに結果として規制に追い込まれたとしても、それでいいよ。
だって、そうなったらあんたらの思想を正しい、自分は愚かだった、改心します、ってことになるらしいから。
反吐が出る。
http://d.hatena.ne.jp/toroop/20100321/p1
なんでこう、高見から人を見下ろす姿勢を取れるんだろう。
この人に限らず自称中立派の人は、「いままで私たちの意見を無視してきたオタクは自業自得だ」「今更『表現の自由』なんて白々しい」とおっしゃる。
なんつーか、うまく言葉に出来ないけど、こういう人たちが俺は嫌いだ。心底嫌いだ。規制派より「気持ち悪い」。
俺はもちろん表現の自由なんて西洋由来の思想はどうでもいい。ただエロ漫画を守りたいだけだ。
でもあんたたちは表現の自由とやらを神聖なものとして守る戦いをしていらしたのでしょう。だからそれだけ他者を見下せる自信があるんでしょうね。
でもその思想はオタクに対してはどうでもいいらしい。簡単に言えば、彼らにとってオタクとは共感できない、むしろ蔑むべき烏合の衆、って訳だ。
「改心した人もおる」?すごいね。自分たちはエリート様で、無知蒙昧な大衆を啓蒙するけど、オタクは「キモい」からやっぱやだ、ってことかしらね。
あんたたちが守ってきた「弱者」のひとたちは、今回の件で「反対」って声を上げてるかい?
ああ、うまく書けないし、理論的なことも言えない。
ただはっきり言えるのは、あんたらみたいな人間たちから擁護してもらう気はさらさらないってことだ。
あなたたちエリート様の力を借りずに結果として規制に追い込まれたとしても、それでいいよ。
だって、そうなったらあんたらの思想を正しい、自分は愚かだった、改心します、ってことになるらしいから。
反吐が出る。
じゃあはてさの言うことを真に受けて「予防拘禁」とか言い出すポルノ屋はどうなっちゃうんだよ。
えろ作家の言うことだからあほらしくて相手にする必要なくてはてさやポルノ屋の相手するのはあほらしくないと言えるのがなぜかわからん。あほらしいならそれに首突っ込んでいろいろ書いてた人もあほらしいよな。
それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。
誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。
性犯罪を自然現象であるかのようにみなして被害者への責任転嫁になるんだから事実上の犯罪者弁護だろうが。
自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。
このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。
阿久根市長って障害者福祉の充実を訴えるためにああいう発言してたの?いったいどういう根拠があるのか教えてほしい。
いや本人がどういうつもりかは知らない。ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。
後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい。
意味がないことはない。逆のものを出すことで何を批判すべきと思ってたのかが明らかになる。
中庸から外れたアピールが痛いと言うことは「私は普通の人です」とアピールするのは痛くないんだね?そんなことアピールしたがる人ははてさに絡んでる自称中立くらいのもんだが。商品にしろ人間にしろ長所とかの普通でないことをアピールするのが当たり前で、そうでないことをアピールするのはただの馬鹿じゃないかと思うが。
他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。
お猿さんははてさだろ。別に中立だから査問してよくて中庸じゃなかったら査問していいとかそういう話でもないはず。まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?
自称中立wwwwいつ「自称」したのか出してみてくれ。
で、「昔」っていつだ。俺はiteauのブログを読み出したのは自衛厨騒動の時からなのでそれ以前のことは知らん。
法華狼と言う人が、奇妙なことを言っている。明々白々赤裸々に保守を自称する人のことを、ブログのタイトルなどで使ったネタフレーズを根拠に「自称中立」と揶揄して批判を行なっているのだ(http://anond.hatelabo.jp/20091006175940)。
ふつう、人の思想的な立ち位置というのはその人がする自己説明の総体や実際の主張を分析して判断するものであろうから、ブログのタイトルの数単語で判断を行なう必要はないのだが、なぜか法華狼は(数々の批判を浴びているのに、今も)それを修正していない。
そして今度も、実に不思議なことを言い始めた。
(~引用部分略~)
とりあえず引用された文章に限っても、「まず」と表現しているように、受け手の責任が問われていない状況へ異議をとなえただけなのだが。受け手の責任が優先的に問われるという主張は、送り手にいっさいの責任がないという意味を持たない。
しかし、法華狼は前日にこう書いている。
そもそも私が違和感を表明したのは【俺が自分を「中立」などと言ったことはなくても、それを『勝手に読み取る』超能力の持ち主らしいので、そっとしといてあげましょう。シッ、チカヨッチャイケマセン。】*4という主張に対してであり、実際に「中の方」「中心」と自称していることも指摘した。他方面で別の自認をしているだけでは不十分だ。
plummet氏が反論するには、「中の方」「中心」という自称が「中立」を意味しないことと同時に、誤読の責任が自分にないことを説明しなければならない。
「受け手の責任が問われていない状況へ異議をとなえた」「受け手の責任が優先的に問われるという主張」の人が、それをせずにまず「反論するには説明責任を果たせ」といっているわけだ。
しかも「中立」に関しては説明もなにもない。法華狼は「『中心』と自称していることも指摘した」というが、これは実はブログタイトル「世界の中心で左右をヲチするノケモノ 【勃興編】」の話であって、とても思想的中立と直接関係するとはいえない。なぜなら、それは既存作品を基にしたネタに過ぎないのだから(いや、元ネタがあることは思想的意味を持たぬ根拠にならない、という主張も可能ではある。が、それとてあくまで思想的意味づけを補強する明確な傍証―たとえば、実際行なわれた主張との組み合わせとか―があってのことで、それもなしに「世界の中心で=思想的中立」とできるわけはない。それでは片山恭一の小説さえ思想的中立の本ということになってしまう)。
法華狼はこの辺をごまかすために「世界の中心で」を「中心」にトリミングして、誤読の可能性を増やしながら「誤読の責任が自分にないことを説明せよ」というのだ。
これで「JSF氏のつまらないトリミング」「引用時に意図して排除したとは思いたくないが」だの書ける感覚が全くわからない。第一、自分を「中心」とする思想といえば、ふつう「中華思想」のことである。なぜ法華狼は「中心」=「中華思想」でなく「中心」=「思想的中立」と誤読しているのだろう。誤読しているのは法華狼ただ一人なのではないか?
さて、「中心」が用を成さないとすれば「自称中立」の根拠は「中の方」という1フレーズしかない。法華狼には、この3文字が他人の思想的立ち位置判定に重要であるらしい。他人のプロフィールや自己分析、またはその主張本体よりも、である。これもいわゆる「中の人」のもじりでしかないのだが、法華狼はすでにそう説明されてなお「反論するには説明責任を果たせ」と言っている。やはり、まことに奇妙というほかない。
------
ついでに言えば、上記の「そもそも私が違和感を表明したのは【俺が自分を「中立」などと言ったことはなくても、それを『勝手に読み取る』超能力の持ち主らしいので、そっとしといてあげましょう。シッ、チカヨッチャイケマセン。】*4という主張に対してであり」というのは嘘である。
>俺が自分を「中立」などと言ったことはなくても、
プロフィールやブログタイトルで「中の方から」「世界の中心で」左右をヲチと称しながら、そう自認されているのは以前から違和感がありました。
本来の文章を読めば分かるとおり、「違和感があ」るのは「プロフィールやブログタイトルで『中の方から』『世界の中心で』左右をヲチと称しながら、そう(=『中立を自称したことはない』と)自認」することに対してであり、「以前から」そうだというのである。決して書き込み2日前の「自称もしていないことを『自称した』と勝手に読み取りするらしい者はほっとけ、という主張」に対してではない。どうやら思想的位置だけではなく、ご自分の感覚もうまく把握できないようである。
ノイズにしかならないので雑魚の人は黙ってて下さい。
ノイズ(笑) いや、「なぜノイズにしかならないのか」みたいなことをいわずに「黙れ」としか言えないほうがノイズだと思うんだけど。
というかこの件で「ノイズ」はあんまり多く鳴っていないわけだから、普通なら「ノイズ」なんて気にもされないんじゃないですかね。
まーこういう「ノイズ」が鳴ると自分の不利になることがある、なんて人は必死に止めたがるかもしれないですが。
しかし法華狼ちゃんは
実際に「中の方」「中心」と自称していることも指摘した。他方面で別の自認をしているだけでは不十分だ。
plummet氏が反論するには、「中の方」「中心」という自称が「中立」を意味しないことと同時に、誤読の責任が自分にないことを説明しなければならない。
なんて言い出しているね。「世界の中心」では(アニメ好きの法華狼ちゃんが詳しいように)パロディーであること=割と良くあるネタで
そこまで重要視する意味がない単語であることが分かり易すぎるものなあ。「ぼくも誤解したよ!」という賛同をちょっとでも得ようとしてか、
「世界の中心」をただの「中心」と言い換え始めたみたいだ。うん、ネタという文脈を無視して言葉をバラバラにすれば少しはバレにくいかもね!
それでも、
たとえ「中立」と自称していることが誤解なのだとしても、上記のように主張するからには、説明責任はplummet氏にあるのではないだろうか。実際にも「ただまぁ、もじっている時点で伝わりにくいのは承知しています」と認めている以上、plummet氏が自称中立と評価されるのはしかたがないように思えるし、「誤読」した者を単純に批判できる立場ではないと思う。
てのはどこまで通るかな?
というのも、そもそも「中の方」「世界の中心」という記述でplummetを中立と「誤解していた」人ってどれくらいいたんだろうね。もしちっともいないんなら、
「ひょっとして『誤解』をしてるのは法華狼ちゃんだけでほかの人はしてないんじゃないの?」
「法華狼ちゃんがしているのは、みんながしてしまうような『誤解』じゃなく特殊な『曲解』なんじゃないの?」
という話になってしまうんだから。もちろん、「いや、『誤解』はよくされているよ」いう説明責任は「その記述は『誤解』されるから説明を果たすべき」という
主張を開始した法華狼側にあると思うんだけれども。
【法華狼くん、plummet氏へ】
プロフィールやブログタイトルで「中の方から」「世界の中心で」左右をヲチと称しながら、そう自認されているのは以前から違和感がありました。もし「自称中の方」や「自称左右の中心位置(※1)」と呼ばれたなら、受け入れるのでしょうか。
なお、「自称中立」は「ググレカス」と同様の定型的な語句であり、「中立」といった語句で自称していることが絶対の条件ではありません。誰の発言も党派性を帯びることを避けられないのに、他者を「デムパ」等と評しつつ、自身が「自称中立」と評されることは拒絶するような態度を指します(※2)。
日記のタイトルが『世界の中心で左右をヲチするノケモノ【勃興編】』で、プロフィールにも「中の方から左右をヲチしている。ねら。おおむね無職。だいたい無気力。やや植物気味(椰子)。」と書きながら、「中立」を自称していないと思える感覚が全くわからない。
(以上、全てhttp://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20091001/1254352833)
↓
【plummet氏の反論】
『俺は「保守」ないし「保守リベラル」と自称していますし、プロフィールページにも政治的立ち位置は書いてありますし、そこに「世界の中心」の意味も書いてありますし、「中の方」は「中の人」のもじりです( ゚Д゚)』(http://d.hatena.ne.jp/plummet/20091002/p1)
↓
【JSF氏の批判】
『plummte師は普段から「保守リベラル」を自称しており、朝日新聞に保守としてインタビューを受けた際にも自称「保守」だが「ネット右翼」と他称されても仕方無いと言っています。』
貴方は毎日新聞のWaiWai変態記事報道について「毎日新聞はあくまで紹介しているだけだ」と毎日新聞を擁護し、問題は読者にあるとしています。しかし「自称中立」の件になると途端に180度主張を反転させ、「紹介しているだけ」で逃げようとする態度を批判しています。このようなダブルスタンダードは、通らないでしょう。
(http://obiekt.seesaa.net/article/129458715.html)
↓
【CaptainTerk氏、コメント欄にて批判】
『1、「中の方」はそれこそ「中」であって立ち位置云々ではないよ。2、「世界の中心で」はハーラン・エリスンネタ。3、中立以外を表明する人を、そんな事を指して勝手に「自称中立」だと表明している事にして、更にそれを元に人を評価するのはおかしくね?』(以下、http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20091001/1254352833#c)
↓
【法華狼くん、CaptainTerkへ】
『1、中の方から「左右を」とまで書いているので、何らかの位置関係を示していると解釈できるでしょう。2、だから何? 3、「自称中立」だと表明している事になんかしてません。』
↓
【CaptainTerk氏】
『1、「中の方」ってのは「中の人」みたいな意味。2、え? 3、”「中の方」から左右を・・・世界の中心から"と言いながら、中立という評価を拒絶するというのはおかしい(※4)、おまえみたいなのを「自称中立」と言うんだ、という風にしか読めませんが・・・?』
↓
【法華狼くん】
ああ、それは読解力がないだけですね。
まずplummet氏が中立を自称しているように「誤解」(※3)される文面を指摘しました(plummet氏も「ただまぁ、もじっている時点で伝わりにくいのは承知しています」と認めています)。
※1:「世界の中心で」が「(思想的)左右の中心位置」に読み替えられているが、なぜそんなことができるのかは不明。
※2:たとえば自称極右が左翼をデムパと評し、他者の評に「俺はあんたのいうみたいに中立じゃねえよ」と抗弁すると「自称中立」になる…という論理だが、なぜそうなるのかは不明。
※3:「誤解」される、と人ごとのように言うが、「(plummet氏が自分を「中立」などと言ったことはない、と)自認されているのは以前から違和感がありました。」、つまり「自称中立の否定」に「違和感」を感じているのは法華狼くんである。また、「『中立』を自称していないと思える感覚が全くわからない」と言っているのも法華狼くんである。はやりの「アウトソーシング」だろうか。
※4:追記。このあたりはコピペなのだが文意がよく分からないので改変した。元は「中立というのはおかしい」。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%BE%CE%C3%E6%CE%A9
はてなブックマーク - 「自称中立」というレッテルを貼る愚かさ : 週刊オブイェクト
http://b.hatena.ne.jp/entry/obiekt.seesaa.net/article/129458715.html
>kanose 政治 戦線が広がってまいりました 2009/10/04
相変わらず外野からヤジを飛ばすのは気楽でいいよな、id:kanoseよ。
どうせいつものように火種の内は煽ってるけど、直接撃ち合ったりせず火が大きくなると
いつの間にか安全地帯に退却してんだろねw
なんかねえ。自称現場とか自称中立とか、要するに自分たちの主張や思想が常に絶対に
アプリオリに正しいというところが出発点なんだよね。
それが「自称」であると断定してるあなたはどこに立っているんですかというね。
出発点がそこだから、自分たちの主張に対する「現場の意見」や「党派性に偏らない立場」が
憎くてしょうがない。同じレイヤーでの言説ではなかなか反論しづらいからね。
特にネット弁慶で口先だけ、しかも自分が世界の中心で周囲を全て党派性で色分けしないと
世界を認識できない、という末期症状のgokiburiには、「現場」とか「是々非々」はガチで鬼門だよね。
でまあ、そういうカウンターに対してまともに反論できないので、お手軽にメタな(つまり「上」の)
立ち位置を確保しようとして「自称」なるタームが引っ張りだされるわけですよ。
「中立なんていってるけど、それは自称にすぎない。俺の方が正しい。それがあたまのいい
俺にはわかっている」という主張が込められてるわけ。お前中立/現場気取りで俺らよりも正しい
つもりらしいが、言っとくけど俺らの方が上なんだからな、みたいなね。
「自称~」に限らず、gokiburiがレッテル貼り(これは言うところの悪魔化と同じ手続きだね。気に
入らないものを無前提かつ無根拠に全否定するためのマジックワードとしてレッテルがある)が
大好きなのは、そういう「お手軽にメタな立ち位置をキープできる」という点にあるんだと思う。
つーか彼らにとって言論や議論というものがなんなのか、このことからだけでもよく分かるよ。