はてなキーワード: 自重とは
大きく分けて理由は二つ
②話の信憑性を第一に疑うようになったこと
①について。
何年も前に流行ったネタが再度新たなものとして発表されるのを目にする機会が増えた。
スルーすればいいのだろうが、目について煩わしい。
②について。
「完全にネタです」「フィクションです」という話以外に対して、まずそれは本当に起こりうるだろうか?
そして「ここがおかしい」「納得できない」と思うと、こいつはアクセス数か注目を浴びたいがために嘘をついているな、と勝手に心の中で敵対心を持つようになってしまった。
また、ネタやフィクションに対しても、「整合性が取れてない」「矛盾している」というような粗を探すようになってしまった。
①、②に両方当てはまる例がこれ
電車のホームで萌えー!萌えー!と叫ぶ中年男性。 やばい奴だなぁ、だからオタク気持ち悪いって思われるんだよ。と、思っていたら階段からパパー!と言って駆け寄る小さな影。 全く自分の娘に向って萌だなんて、なんたる幼女好き!!自重してほしいものです
これは2chのコピペで、「店内で『萌え』と叫ぶおっさんはこの世から消えればいいのにとか思ってたら、その人は娘の名前を呼んでただけでした」というコピペがある。
何度も見たコピペの改変版。←①
で、Twitterでつぶやいたってことは、そう言うシチュエーションに実際にあったということなんだろうけど、それは普通ありえない。
発音が人名の「萌え」は尻下がりで、オタクの「萌え」は尻上がりとあきらかに違うだろうに。←②
自分にとって止めどきなのかもね。
あくまで与太話と予防線を張っておいて、自重しない日記を書いてみる。
結婚出来ない男にアスペ傾向の男が多いことは、今や殆どの人が多かれ少なかれ気づいていると思う。
すなわち結婚出来ない男の特徴のうち、相手やその場の空気に応じて自分の世界を動的に変えられない融通の利かなさとか、言語を用いる以外のコミュニケーションが困難ないし不可能というのは、アスペの傾向にバッチリ合致するし。
一方、結婚出来ない女の「自分のスペックを省みず、相手にやたら細かい条件や無理な条件を求める」という部分もまた、相手との共感能力に難があり、異常にこだわりが強いアスペであれば十分ありうる話。
独断と偏見を承知で言えば、アスペ傾向の女の女子会()での立ち位置は恐らく相当微妙だろう(しかも知らぬは本人ばかりなりとか)。もしかしたら彼氏が出来ただけで「あの子でも彼氏出来るんだ・・・」と影で言われてたりして。
そして気がついたらメンバーの殆どが結婚し、翻って自分はと言えば、過去に男経験があってもうまく相手と心が通じ合わず、それが自分のコミュ力や社会性に原因があるとは考えず、逆に男が悪いということでどんどん意固地になっていくと思われる。
その成れの果てが、現実を完全に無視した、恐ろしく無意味な条件闘争と考えると、すごく納得出来てしまうのだ。
しかもそんな女が1人や2人じゃなく、わんさといるらしいという現状、潜在的アスペが多いことの証左になりやしないだろうか。
ここまで読んで他人事じゃないと思った人は、AQ(自閉症スペクトラム指数)チェッカーでもやって自己採点してみるといいだろう。
もちろんその結果だけを片手に「あたしアスペだから・・・」などと言うのは、この日記を真に受けるくらい噴飯物なのでやめるべきだが。
じゃあもうアスペ同士で結婚しちゃえよみたいな暴論を言い出す人が出てきそうだが、双方が何らかの工夫や努力をしないことには、多分お互いに「あいつのせいで不幸になった」と罵り合って別れるのがオチだろう。
以上、妄想日記でした。
気が利かないと責めるけど安心がないと他人に気を遣う余裕が無いので難しい。
自分が相手に対して余計なプレッシャーをかけてないか、安心を保証できてないのではないか、と確認するようにしたい。
というか、ある意味ではとても気を遣っている。
基本的に、過干渉が最初にあって、それに対する過剰防衛という問題であって
「だれそれが気が利くきかない」の問題ではなく、「気を通わすことが難しい関係性である」として問題を捉えるべき。
自分が上の立場だとこのことをすぐに忘れて、目下の者だけを責めるようになってしまうので注意するに越したことはない。
あと相手の志向のようなものが怒ることメイン(減点方式というかなんというか)だと、
喜ばせるための行動も自ずと自重される。
自然と気を遣って貰える人は、その気遣いによく気づき感謝する人だったりするので、見習いたい。
というか、気遣いというのを「こちらの要求が、言わなくても叶えられて然るべし」というような発想は
単なるコミュニケーションの怠惰であり、傲慢である。礼儀知らずであり、相手の意思を無視している。
目上になると、すぐにこうやって目下に対して礼儀知らずになってしまって、相手を不安に陥れ、
本当は気遣いのよく出来る良い人であっても、できなくしてしまうキケンが大きい。気を付けたい。
基本的に、人が人を嫌うのは、相手が自分というものを侵害したり、抑圧したりするからであって、防衛意識によると思う。
生理的に嫌いってのも、相手が自分の許可したラインを越えて侵入してくるということだろう。
嫌悪を乗り越えるために、自分はどれだけ頭を使って工夫できるかが大事。
こういう、完全な他人の間では誰もが理解していることなのに、
「親子」とか「恋人」とか「上司部下」といった関係になるととたんに甘えてしまうことが多い。
私はこういう関係が全く理解出来ない。
私にとってはどれも他人であり、他人である以上一定の線以上はどうしても相手を立ち入らせることが出来なかった。
で、相手はそこのラインを平気で侵害するので、しょっちゅう喧嘩になってうまく行った試しがない。
相手からしたら、私が自分のラインを押し付けたように見えただろうな。私のほうが加害者だったんだろうと思う。
親子関係にも恋人関係にも恵まれなかったと言い訳したいけれど多分、自分がそれらのメリットを全く受け取れないほど、人格的にどこか欠陥があるのかもしれない。
鬼灯さんちのアネキというマンガに出てくるワカメ髪の女の子を読んでそんなことを思った。
私はこの子にやたらと共感してしまう。私の友達はこの子のような人が多い。
お互いが合意のもとで許可したライン以上は絶対に越えないという関係。そういうのがとても落ち着く。
友達というか、関係のある他人。 必要なときだけ、壁越しにお互いの持ち物を投げ合う関係。
でも、ああいう子がどうやって、どういう時にラインを越えていくのか、そういうのを描いて欲しい。
文学少女シリーズの竹田さんしかりであるが、トラウマとかなんだとかわかりやすい傷を抱えている人よりも、
生まれて最初から、絶対的に変わらないラインがある人って、そもそも他人と深い関係を結ぶべきじゃないと思う。
そういう人が、落ち着いて存在できる。物語にはならないけれど、隅っこでただそこにある。そういう存在として生きたい。
ごちゃごちゃ理屈をこねたけど、結局、自分はこういう人間だから、こうしたいって言ってるだけだな。格好悪いな
他の人は自衛のために仲間づくりとか頑張ってるのに、それをサボってぼおっとしていたいって言ってるようなもんだ。
これだと相手に踏みにじらても文句は言えないと思う。
だから、自分なりに自衛の努力はしつつ、いざ踏まれても文句は言わないようにするしかない。
でもこれって、なんか政治とか軍事面から見た日本って感じだな。
誰かに頼って運良く生きているけど自覚しないで俺は一人でいたいんだーほうっておいてくれー、てな。
格好悪いうえにわがままカー救いようがないなー。
私は怠けたい。
なまけてなまけてなまけ倒したい。
必要のない物を作るために働きたくはないし、他人の財布のために働きたくもない。
人類が中世を抜けだして以来、技術は進歩し生産性は向上し続けてきた。過去に比べて「生きるために必要な労働」は減っているはずだ。なのに労働が一向に減る気配がないのは何故か。
それは世の中に蔓延する無駄な労働が、われわれの足を引っ張っているからだ。それら無駄労働の蔓延を招いたのは、「経済成長」を至上のものとする価値観と、それを信奉する人々である。
彼らは「労働は増え続けなければならない」という謎の理屈を振りかざし、我々怠け者たちを虐げ続けてきた。
タイダニアとは、怠け者の、怠け者による、怠け者のための国家であり、怠惰な社会についての提言である。
「全ての国民は、ただ何もせずにだらだらとしていても良い」というのがタイダニアの崇高な理想であり、最終目的である。あらゆる社会制度は、その目的を果たすために設計される。
怠惰な社会を実現し、それを持続可能なものにするためには、いかに労働を最小限に抑えるかが鍵になる。「最小労働社会」を目指す、と言い換えても良い。
そのために必要なのは、経済をサイズダウンさせ、効率的な社会を作ることだ。
自由経済は本来、その経済規模を縮小して労働を削減する仕組みを備えている。
過去に起きてきた様々な”経済不況”がその証拠である。自由競争によって需要の無い事業は潰れ、労働の効率化は進み、経済は縮小してゆく。この働きがなければ、我々は文字通り寝る間もない労働を強いられることになるだろう。
だが、政治家や経済学者たちは、その働きを阻害する政策を次から次へと考え出し、実行し続けてきた。経済の縮小を否定して成長と言う名の肥大化を続けた結果、今や経済は巨大な雪だるまと化し、その自重で潰れる日を待つばかりになっている。
彼らを狂っているのだと断ずるのはたやすい。実際、「持続可能な成長を目指す」(実現不可能なことは明白だ)だの、「雇用の創出のために財政出動をするべき」(金を出してまで労働を増やす???)という彼らの意味不明な言動の数々を見れば、狂っていると考えるしかないように思える。しかし、彼らがなぜ狂ってしまったのか、彼らを狂わせたものは何なのかという事も考えなければならない。
経済成長論者たちがのさばり、経済の縮小が許されないものとされてきたのは、それが失業を発生させるからだ。
失業者の増加は不満の増大を生み、社会の不安定化をもたらす。様々な革命や動乱の背景に失業問題があったことは良く指摘されている。
失業はタイダニアにおいても深刻な問題だ。善良なタイダニア国民にとって失業者とは羨望と嫉妬の対象であり、理由もなくそれを手に入れる人間が増えることは、社会に著しい不公平感を蔓延させることになりかねない。
ではどうすれば良いか。
失業問題を解決させるために消費を増やすなどという狂った解決策は、タイダニアではもちろん採用しない。
結論を言うと、失業問題は一人あたりの労働時間を減らすことによって解決されるべきだ。これによって労働者の余暇は増え、労働力を失った企業は新たな求人を行うことになるだろう。
労働時間をどれだけ減らすべきかについては、その分野の失業率や有効求人倍率によって決定すれば良い。労働時間を減らす方策については、単純に長時間労働を禁止するのも悪くないが、ペナルティとして税金を課すなどした方が、弾力性のある運用が可能になる。
また、労働時間を減らせば当然収入は低下する。それによって生活が不可能になる人たちが出ないように、経済弱者を保護するための施策も同時に行なってゆくべきだ。
タイダニアにおいては、貧富の差はできるだけ抑えられるべきである。過大な富の行使は無駄な労働を生んでしまうからだ。
富を持つということは、労働を強いる権利を持っているということだ。
貧富の差について、「3割の人間が7割の富を持ち、7割の人間が残り3割の富を分け合っている」という言葉がある。
貧富の差が縮小し、3割の金持ちが残りの大多数と同じ水準の生活を送るようになったと仮定する。大雑把に計算すると『0.7−0.3×(0.3/0.7)≒0.57』となり、5割以上の労働が削減できることになる。あなたが今、週5日にも及ぶ長時間労働を強いられているとすれば、それは週2日半の労働で済むようになるということだ。
もちろん、これは乱暴すぎる計算だ。経済格差をそこまで縮小させることも容易ではない。ただ、貧富の差を縮小することが怠惰な社会にとって非常に重要だということは理解してもらえるだろう。
行政に付きものだったムダな公共事業と非効率な役所仕事、これらを削減できる事はタイダニアの大きなメリットの一つだ。
まず、タイダニアでは経済の拡大を目指さないのだから、景気浮揚のために行われていた公共事業は全て削減できる。国の大型事業はもちろん、「地域の活性化を目指し」だの「経済効果を期待して」などの理由で行われていた自治体の事業も同様だ。
その他の公共事業や行政サービスについては、「余暇を増やすこと」という基準を設ける。つまり、「その事業を行うことで削減できる労働時間」と「その事業にかかる労働時間」を比較して、削減できる時間の方が長い事業だけを存続させる。
この基準の導入によって削減できる事業と、経済の活性化のために行われてきた事業。これらを廃止することで、相当な規模の行政コストを削減できるはずだ。税金は減り、我々はその分労働を行わなくても良いようになる。
また、成長論者たちが言っている「乗数効果」が本当に正しいのであれば、削減したコストの何倍もの労働を社会から追放できるはずだ。
成長を前提とした社会は、決して人を幸福にはしない。持続可能なものでさえ無い。
すべての資源を取り尽くし、消費し尽くした後で、自分たちの築いてきたものがガラクタの山に過ぎなかったことに気づくのでは遅すぎる。
消費は適正な程度に抑えられなければならない。過剰な消費と労働を礼賛し、怠惰の価値を認めない社会は、早晩行き詰まる事になるだろう。今すぐに完全なタイダニアを作るとまで言わずとも、その一部を取り入れることはできるはずだ。
過労死や自殺、平均寿命の低下、精神疾患、家庭崩壊。過剰な労働は我々の人生を奪い続けている。それらを取り戻すために、そして何よりも子供たちの生きる未来が喰らい尽くされないために、我々は勇気を持って主張するべきなのだ。
「怠けたい」と。
自然カテゴリランキングを席巻した「自重できないシリーズ」だが、この動画の完成度が素晴らしいので紹介する。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14958077
カクレンジャーOPで自重できてないニンジャブラック、ケイン・コスギ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13774303
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15120346
今回の動画流行のきっかけは、私は「世界陸上室伏優勝→照英とケインも出場するスポーツマンNo.1室伏獲得動画がランキング一位」の延長線上にあると考えており、工作ではないだろうと判断している(まあ、私は工作だったとしても気にしないが)
これらのMADはクラシック音楽として見ると理解が早いと思う。
まず主題を呈示し、その主題をもとに変奏を重ねていく。素材はほぼすべてが歌の中にある。その素材をもとにしてMADを構成していくのだ。
そして肝心の変奏内容だが、しつこすぎず、変奏を繰り返すにしても微細な変化を大事にし(ホルストの水星で、同じ主題を異なる楽器で10回以上繰り返すように)見るものに飽きさせない。
また、歌の流れを損なわないように、素材を途中で挿入するにしても変拍子にはしていないことも挙げられよう。つまり、違和感を感じさせず、飲み込みやすいのだ。
また、同じ音素材を繰り返すことで、笑いどころが耳でも、そして目でもわかりやすくなっていることは特筆すべきところだ。
お笑いではこういうのを「天丼」というが、「ここで笑って!」を視聴覚から自然に取り入れていることに成功しており、これが再生数の向上につながったのではないかと見ている。
それ以前からも照英はネタキャラとしての地位を(本人の意志はともかく)確立しており、流行る下地が整っていたことは間違いない。そこで室伏優勝が起爆剤となり、今回の流行となったのだろう。
ふつう、MADはまったく異なるジャンルの掛け算か、同じ声優を介した程度の共通項を持った同士の掛け算で行われる。MADの意外性を外部に求めるのではなく、今回のようにまったく同一作品上の素材のみで秀逸なMADを作れるのは並大抵のセンスではなく、そういう点では「黒まどか」に通ずるものがあり、今後のMAD流行を注視していきたい。
http://twitter.com/kaztsuda/status/109063390542053376 http://twitter.com/kaztsuda/status/109068251962675200 http://twitter.com/kaztsuda/status/109067616458518528
⇔
http://twitter.com/HayakawaYukio/status/109064125769973760 http://twitter.com/HayakawaYukio/status/109065143933075457
いやこれどっちもあれだ。定性的な判断ができればいいところで定量化を待つのもヘン。一方では適材適所を知らない。体重計で封書の切手代は測れません。
橋の点検に来て自重で橋を潰して回ってるような事態。つぶれかけた橋も倒れかけたくるまも根性では回復できません。とっさのテクニックならあるいは、といったところだけど、期待できる環境ですか?
いい加減自重して欲しい(怒)
553 名無しさん名無しさん 2011/02/08(火) 14:40:19
そもそも何で今水池がネットの作画オタクの代表みたいに崇められてるのか理解できない
史観的に振り返るとインターネットではじめてまともに作画を語ったのはもう10年以上前
漫画家の悠里愛が自身のHPで現行のアニメや過去の作品において熱心に語り始めたのが最初だった
俺が知る中でまともな作画語り(というか素人然としていない作画語りみたいなもの、まぁ悠里は畑違いのプロではあるが)
をやったのはあれが最初
それとは別の文脈で沓名健一が出てくる
当時のくーさんの語りは今の作画スレの遥か下のにわかレベルであったが、小黒はじめ業界人がそのgifアニメの凄さに目をつけ掲示板は業界人の巣窟となる
そこでくーさんはヘッドハンティングされ今のweb系のスカウトの流れが出来上がるわけだが(最近はそれを狙ってHPで志望者がgif等を掲載するのが当たり前になっている)
その沓名HPの盛り上がりが、沓名がオサムの作品に呼ばれてセミプロになったあたりで多くの素人にも目をつけられ業界人が自重し始め一段落するわけだ
作画スレが出来上がったのはその直後だった(それまでは簡易的に巧いアニメータースレで情報交換はなされていたものの、メインは完全に沓名の掲示板だったんだ)
そしてここまでの流れを水面下でROMって知識を吸収した第一世代ネット作豚が水池屋であり、まっつねであり、たけしとであり、電源を切ってくださいになるんだよ
554 名無しさん名無しさん 2011/02/08(火) 14:48:01
そして作画スレの2桁代まではまさにその作豚第一世代、業界人、アニメーター志望者、にわかROMが仲良く同居した幸せな作画語りを築いた黄金期!
ちょうどぬるぽの初期話数がすごいすごい、松本憲生はすごいみたいな流れがネットの作画的な常識になる礎を築いたのもこの頃だ
当時の作画スレに関してはおそらく相当数の業界人のお墨付きが出ており、橋本敬史も烏のコメンタリーで
「このパートは、今2ちゃんねるの作画を語るスレで大人気の松田宗一郎君のパートで・・・」みたいな今じゃ有り得ない友好的なことも言っている
そしてそのネットでの作画語りの盛り上がりに後押しされる形で、前々からミュウミュウ等でお騒がせだった石野はじめとするへらすたの掲示板が出来上がる!
555 名無しさん名無しさん 2011/02/08(火) 14:53:38
そしてここが作画語りの分岐点になる
へらすた掲示板の嵐による閉鎖だ
にわかROM達がついに芽吹いて書き込むようになったということだ!
ここで初めて「作画オタクの=他のネットユーザーとは違う礼節を持った常識人」
という認識が崩れる
それから今に至るまで連綿と続くなが~い暗黒期に入るんだよ
ハルヒグレンコイルなど確かに作画アニメの放映による盛り上がりはあることはあった
でも具体的に作画が語られることはなくなってしまったんだ
アニメーターおたくみたいなテロップ厨という連中がいるということをテンプレに起こしてしまったのもこの頃で、今になって思えばそれもまずかったのだね
自虐的な作画を語れない作画オタク(前述したROM第一世代)が書き込むようになってしまって、もうぐちゃぐちゃになっちゃった
いい加減自重して欲しい(怒)
いい加減自重して欲しい(怒)
あれは仮想の海を作る事でその上をあたかも海上を航行するように空中を移動できる技術だ
おそらく、重力航行で重力源を発生させるよりはローコストなんだろう
その証拠として、重力航行後の慣性航行ではその完成を消さないために仮想海を発生させている
ここで疑問
仮想海の発生には制限があるだろうか
例えば、目標地点を正面に捉えた時
水平に仮想海を展開するのでなく、斜めに展開することで艦の自重によって進むようになるのではないだろうか
また、仮想海で艦全体を包めば浮上するだろうか
もしくは、部分的に発生させる事でブレーキとなり、逆噴射などを使わずに停止する事ができるのではないだろうか
まぁ、知らん
オタの本質は卑しいんだからちゃんと時と場所を考えて制御する、自重もできないと駄目だぞ
普段の行いでそれが出来ないイメージが固まれば例え百歩譲って事実が違おうとも叩く事や規制することは"正しい"事になるからね
昔は自分もネット上や日記などの公の場で酷い言葉を使って書き殴りピリピリしてた時期があったけど、
徐々に丸くなっていった。
正しくは、友人くらいに愚痴こぼす事はあっても公のネット上では自重できるようになった。
自己卑下する事は書いても他人を攻撃するような書き方はしなくなった。
そうなると逆にネット上での暴言や酷い言い回しとかが目立って分かるようになり胸が痛むこともある。
個が公人や企業を叩くのは構わないだろうけど、匿名同士の個vs個で罵り合ったり
中傷し合うことも多い。
以前ここで、誰かを攻撃するような内容でもなく軽く自己卑下というか反省みたいなのを書いただけで
平気でボロクソ言われて、え、なんで?って思ったこともあった。
このサイトはそういうのが少ないと思っていたのもあったので、余計ショックだった。
「他者のヘイトは背景を斟酌して許容し、自己のヘイトは不合理なものとして自重する」っていう態度自体は、理性を重視するタイプの人々の間では割と一般的かと…
ヘイトに対してより大きなヘイトを!という国もそりゃあるにはあるけど、ヘイトに対して寛容に受け流すのが理性ある態度みたいな考えは別に「日本限定」じゃないでしょ。
アメリカなんか世界中からヘイト買ってるけど、だから反米主義者は物理的に絶滅させましょうみたいなことは大っぴらには言わない。いや共和党の一部には言う奴もいるけどさ。基本的な態度は、偉大なるアメリカ様ともあるものがあんなゴミがピーピー言ったからっていちいちキレてどうする、ってなもんだ。
イギリスなんかも時々旧植民地から恨み言言われたところで別段相手にしていない。あのような未開の人々の言葉に対しても寛容な態度で接するのがノブレス・オブリージュであり、つまり勝手に言ってろ土民、と。
これが格上の国の態度だよ。対等に扱ってるどころか、俺らは理性的な文明人だけどあいつら感情をコントロールできない土民だから仕方ない、というのが態度にあって、自分の方が遥かに格上であることが当然という認識が根底にある。
それで済まないケースというと、基本的に「同レベルで争っている」か「格上だった方がものすごく落ち目」かのどちらか。落ち目の国の貧乏人ほど反イスラム主義が台頭してたりするわけな。
いわゆるネトウヨの人たちはこの辺一歩引いて見てみるといい。あなたがサヨクとか言ってる連中の多くがあなたより遥かに韓国を見下してるから。
「韓国人がファビョるのは許せるけど、ネトウヨがファビョるのは嫌」ってのは「韓国人は理性で感情をコントロールできない土民だが、我々日本人は遥かに理性的な文明人であって韓国人並の土民が混ざっているのが不愉快」だからだし、韓国文化も「なかなかいいね」なんて言えるのは「日本の方が文化的な総合力で遥かに格上」であることが前提であって「ああ土民が一矢報いてきたか。がんばったね」という扱いなんだ。これが日本よりも総合力として格上の文化、例えばアメリカの大衆文化とか中国の料理文化とか、と直面したらこんな態度は取れない。あくまで「かわいそうな」韓国相手だから取れる態度。
逆に言うと、これで済まない人が増えてきたということは、それだけ日本が落ち目だということでもある。いや俺個人としては韓国なんてまだまだ文化的にはゴミであって「かわいそうな国が頑張ってる」扱いでいいとは思ってるんだが、少なくともテンパりまくっているいわゆるネトウヨはそうは思っていないわけだ。
「他者のヘイトは背景を斟酌して許容し、自己のヘイトは不合理なものとして自重する」っていう態度自体は、理性を重視するタイプの人々の間では割と一般的かと…
それ日本限定の話な。自分(自国)に対するヘイトや差別には徹底的に抵抗するのが正義と信じられてる国だってある。
そもそもそのロジック自体が、韓国人が未熟で幼稚で未開な存在って前提なんだよね。
「あいつらガキなんだからいちいち目くじら立てるなよ~」みたいなものでさ。
自重しても何も変わらんどころかどんどん酷くなる事がじわじわ浸透しつつあるからね。
韓国人の日本人に対するレイシズムを放置し続けてかれこれ10~20年は軽く経過してると思うけど、何か好転したものってあったっけ?
「他者のヘイトは背景を斟酌して許容し、自己のヘイトは不合理なものとして自重する」っていう態度自体は、理性を重視するタイプの人々の間では割と一般的かと…
(まあそれも裏を返せば、ヘイトに沸いてる連中を「しょうがない連中」として見下す姿勢ではあるんだが)
というか、この10年ほどの間に、自己のヘイト感情を肯定する態度ってのがずいぶんと勢力を増した気がするよ
俺はむしろそのことのほうが不思議
ちょっとすんません。
私の話はあくまでモラル自体がどうこうっていうより元増田の例はモラルの話なのかどうかっていう話なので、もうちょっと元増田の例に基づくようにしてくれませんか。
なんか微妙に話がずれて行ってる。
>ネットがない状態だから自主的に自重とか「行えない人達」という事ですよね。
ネットがあったらあったで出しますけどね。ネットかぶせて出せばいいだけなので。
というのはさておき、ネットがない状態で自主的に自重とかは行えない人達のお話ですね。
これは自室にゴミがあるのが「我慢ならない」人たちだと思っておられるかもしれないですがそうじゃないです。
自室にゴミがあるという事自体が、彼らの生活サイクルを崩すものであるのが問題なのです。
>「貼り紙やカラス避けネット」もしくは「管理人さんの一言」。
基本的に、あってもゴミは出します。というかゴミは既に発生していてどう始末するかの問題なので、始末を先送りする(=持ちかえる)事の出来ないサイクルで生きている人間は持ちかえりはしないというだけです。
ネットの場合は別ですが(先述したように)、貼り紙と管理人さんの場合は代替策が手に入るので、そこに出すだけです。
私が示した例では貼り紙に地図まで付けて集積場に持ってけと書いてます。管理人さんがいれば「今日は受け付けられないんです」「じゃあどこに持ってけばいいでしょうかね。近くのゴミ捨て場どこですか」で済む話です。
まあ、元増田の例だと「燃えるゴミ・生ゴミ専用のボックス」らしいので、ではそれ以外のゴミはどうしてるのかというと集積場に直に持ちこんでる可能性があるわけで、そうなると話は少し変わってきますね。
>集合住宅じゃない集積場で、町内会とかの方たちが持ち回りで見張りを立てて、「一言」注意したりする必要が、なぜあるかと言えば、「モラルが低い」からですよね。
これはその通りですね。
そしてその一言が誰に向けられているかといえば、「指定日じゃないのにゴミを出している人」「指定された形式(半透明の袋に入れるとかダンボールは縛るとか)に従っていない人」が主な対象なわけで、今回の例には当てはまらないです。
(今のところ「指定日じゃないのにゴミが出てた」とは書いてないので、指定の回収日の朝の光景と理解してます。回収車が来る前にカラスが来ちゃったんでしょう…とはいえ、曜日問わずいつでもOKだった箱となると指定日じゃなかった可能性もそれなりに高そうですが)
指定日ではないのにゴミを出す、ゴミ出しの形式を守っていない、ヨソの地区の集積場に出す、こういった人々はモラルが低いです。ゴミを出すべきポイントではないところに出しているわけですから。
「それらがなければ実行してしまう」ことをモラルの欠如と認識していますが、定義とか認識の相違ですね。
ネットがない状態だから自主的に自重とか「行えない人達」という事ですよね。
集合住宅じゃない集積場で、町内会とかの方たちが持ち回りで見張りを立てて、「一言」注意したりする必要が、なぜあるかと言えば、「モラルが低い」からですよね。
例えば、町内会に「カラスが散らかすからネットをきちんとかけましょう」と張り紙まで出させるのは、「モラルが低い状態」が引き起こした「結果」ですが、
注意(張り紙)されて初めてモラルの問題になるのではなく、モラルの問題は常にあり、それを逸脱してるから注意されてるのでしょうに。
オタク文化の主張は「俺たちの文化に土足で入って荒らすのは許されない」に集約される。
人格否定やら肖像権侵害に走ってるオタク文化の人間が、同人のグレーゾーンは仁義や倫理で成り立つ賜物だと主張してもへそで茶が沸くだけだよな。文化を奪ってんのはお互い様だぜ。
アート文化の主張は「両者に決定的な違いはない、アートを理解しないオタクの自意識過剰な被害妄想だ」という感じ。正直こっちの主張はよく分からん。
ウォーホールやデュシャンなんて時代遅れを引き摺り何度も同じこと繰り返すお前らより、自ら新しい価値を生み出している同人文化の方がよっぽどアートしてるだろ。もっと本気出せよ。
特に結論はない。ネットってなんでこうも余裕ないやつらばっかりなんだろうな。あるいはネットにはこういう娯楽しかないだけか。