はてなキーワード: 成果主義とは
「機会平等」と「結果平等」という言葉があるが、日本人(特に教師)は「子供のうちなら結果平等が実現するはず」という幻想を持っている。
しかし子供こそ「むきだしにされた素養の塊」であり、大人同様に平等とはほど遠い。
子供の結果平等に夢を見ている教師や社会は、出来過ぎてクラスで浮いてしまう「浮きこぼれ」の存在を憎む。
浮きこぼれそうな子供たちは、その憎しみを受けないために、"普通の子"のふりをして埋没しながら義務教育期間を過ごす。
今の世の中で力を握っているのは元浮きこぼれや、普通の子に擬態していた子供が成長した大人たちだ。
能力主義、成果主義、見える化、リストラといった流れは、子供時代に不遇だった元浮きこぼれたちの「無能な多数派への復讐」なのではないか。
彼らはおのれの能力によって勝ち取ったものを絶対に他人にシェアしない。「天賦の才」を、自分のためにしか使わないのだ。
なぜ自分が選ばれ、才を与えられたのか、彼らは考えず、感謝も求めず、ただただ人生というゲームで無双プレイを楽しみ、憂さ晴らしをし続ける。
彼らが大衆を憎むのは、子供の頃に教師や社会によってされたことへの復讐だ。
・・・要するに衛生条件と動機づけ条件をわけろってことでおk?
「人間はネズミではない」という、当たり前の事実が忘れられるとするなら、よくありません。
「動機づけとは、教育の手段ではなく、目的である」ということです。
例えば、子供に勉強をしてもらいたければ「知りたい!」という動機づけをすることが必要なわけです。
ところが、勉強を「させる」ために、しばしば用いられるのは、誰かに勝ちたいとか、褒められたいとか、ご褒美をもらいたいといった手段としての動機づけです。
この背後にある問題を考えるため、以下、本書の記述をピックアップしてみます。
・アメによって反応を引き出せはするが、同じ行動をさせ続けるためにはアメを与え続けなければならないという事実そのものが、
アメの長期的効果(あるいはその欠如)についてのカギを提供しているのではないかということである。(p25)
・ごく幼い子供たちにはコントロールをもって対することも必要なときがあろうかと思う。
最低の基準として、例えば三歳児がよちよちと表の通りに出て行こうとするのを見過ごすわけにはいくまい。
しかしコントロールに頼る前に、それほど強圧的でなくもっと相手を尊重した世話の焼きかたはできないかどうか、しっかりと確認すべきではある。(p49)
・報酬と罰とは基本的に同じようなものである。現代の社会心理学の創始者であるカート・ルーインが言うように、
両方とも「そのときの自然の場面からは生まれないような行動」を引き出そうとするときに使われる。
さらに、長期間にわたって見るとどちらもまったく同じ様相を示すことが分かる。
つまり、こちらの望むような行動を続けさせるためにはやがて賭けるものを上げ、報酬なり罰なりをどんどん増やしていかなければならないのである。(p74)
・親が子供に、ずっとおとなしくしていれば日曜日にサーカスに連れて行ってやると言ったとする。
土曜日に子供が親の気に入らないことをした場合、親がよく使うせりふは、「そんなことをしているとあしたのサーカスはだめだぞ」であろう。
褒美をご破算にするということの脅しが、罰を与えるという脅しと同じ機能を持っているのは明白ではないか。(p77)
・報酬は、ひいき目に見ても、こういう協力や仲間意識を促進するのになんの役にも立たない。
アメを奪い合うときには必ず「争いと嫉妬」の底流が生じるのであって、それはすでに二世紀近くも前にニューヨーク市の教育者たちがある行動修正プログラムが実施されているのを見て出した結論でもあった。(p80)
・報酬主義の問題は、報酬を与える場合、そもそも問題がなぜ発生したかに注意をすることは全然必要でない、という理由である。
子供が泣きわめいている原因、生徒が宿題をやって来ない原因、従業員が気の乗らない仕事ぶりをする原因を考える必要はなく、ただ該当者を買収するか脅すかして活を入れればいいことになる。(p87)
・「こうすればあれをあげるよ」と言えば、関心は「これ」ではなくて「あれ」に行ってしまう。
従業員に給料袋の中身について考えさせたり、生徒に通知票のことを心配させたりするのは、創造性を重んじようという場合にはほぼ最悪の戦略である。(p99)
・先生は肩をすくめて、「試験に出るよと言わなければ、子供たちは覚えようとしないわ」と言う。
経営者は、キチンとした仕事をさせるためにはボーナスを出さなければダメだと主張する。
親は、子供が誘因なしでも「やるべきこと」をやるだろうと期待するのは現実的ではないと信じている。
しかしもう一度考えてみよう。そういった言い分は通俗行動主義を擁護するものではなく、教室や職場の設定のしかた(あるいは人々がなすべく要請されていること)に何か大きな間違いがあることを示すしるしなのだ。(p123)
褒めたり操ったりすれば、その自然な動機づけを押し殺し、そのかわりに盲目的従順や機械的学習態度や権威に対するあからさまな反抗を生み出すだけである。(p142)
・大抵のおとなが褒め言葉を連発しようとするのはなぜなのか。
褒めることは安上がりで簡単なのだ。
それとは対照的に、技術と工夫と配慮がなければ、人を励ましてしかも今やっていることへの興味を持続させ、その上コントロールされているとは感じさせないようにすることはできない。(p168)
・一般に報酬というものが業績を伸ばすのに役立たず、しばしば業績を妨げることは、いろいろな種類の仕事において見られるが、それは特に創造性を要する仕事において著しい。(p182)
・仕事にほかのもっと重要な面で欠けているところがあると、次善の策として給料の額が重視される傾向がある。
つまり、課題が本当におもしろく意味のあるものでなかったり、自分のやることを自分で選べなかったり、社会的な支持が得られなかったり、自分をみがき自分の能力を発揮する機会が与えられなかったりすれば、
給与がいくらかということに目が行きやすいということである。(p197)
・強調しておく必要があるのは、こうした事情があるからといって、経営者が給料を出ししぶるのが正しいということにはならないという点である。
だれも給料は十分かつ公正であってほしいし、いちばん単調できつい種類の仕事をする人たちは特に高い給料を望むように見えよう。
しかし金こそが人間を動かすと考えることは、人間の動機づけというものを貧しく解釈することになろう。(p200)
・家庭でのものごとを自分で決め、自己決定の感覚を持つ機会を親からあまり与えられていない子供は、学業成績もあまりふるわないということも明らかにされている。=私はそうでもなかったけどな。多分日本のテストはバカ向けなんだな
こうした事実は何を意味するのか。基準を厳しくしたり、点を辛くしたり、誘因を増やしたりすることは、益よりは害になるということについては強力な証拠がある。(p225)
・自分がどれぐらいよくやっているかを気にしている人は、自己概念をかけているということがある。
自分を利口だとか有能だとか思っている自己イメージは、一定の活動水準に達しないおそれがあれば危険にさらされることになる。
そういう自己イメージを守ろうとすると、普通は、自分の最善を尽くしたいという欲求を犠牲にすることになる。
そういう欲求は危険だと思われるのである。やらなければ失敗もしないわけだ。(p233)
望ましい行動を取らせるために報酬というニンジンを与えることは、その人が持っている「行動そのものへの興味」を殺し、ニンジン中毒を作り出してしまう可能性があるのです。
僕たちは、これを慎重に回避するための方法を学ばなければなりません。
「うれしいな、月曜日だ」と思える人生を、より多くの人に実現してもらうということが、教育に関わる人の責務であり、それは人生をかけるに値するものです。
サヨクがよくTPP反対の理由として医療の問題について触れてるけど
あれって、論理が無茶苦茶だよな。アタマおかしいとしか言いようがない
そもそも医療費は増加傾向にあるわけで、財政を圧迫してるんだから、
皆保険制度っていらなくね?って方向に議論をすすめるのがデフォ。
皆保険制度はただでさえ保険サービスに対して「民業圧迫」している。
皆保険制度を解体すれば、民間同士の中に競争原理が働いて、コストは削減され、正常な市場経済を医療にも取り入れることが出来る。
利用者も適切な価格で良質なサービスを受けられるようになるわけだ。
こういうと、低所得者が病院にいけなくなるって言うバカがいるけど、
日本のような近代国家がいつまでも共産主義的な制度を続けるべきではないわけですよ。
もちろん、特例として貧困層に対しては支援をすべきだけど
本人の努力が足りないのに、政治問題にするとか あさましいとしか言いようがない
別に 財源が無限にあればいいんですよ?でも、そうじゃないよね?
成果主義を取り入れ 経営の効率化、コストカット、民営化を推進している。
そして、それが大阪で支持をえているわけで、
これはつまり、この自己責任の社会というものが、日本社会での民意でもあるわけですよ。
「株式会社化」し、競争原理を取り入れた結果、世界最高峰の医療技術を誇っている。
私は周りから思われているほど、人ができているわけでもないし、技術力もないし、弱い人間です。
期待に応えるために必死にもがいて誇張していただけです。偽っていただけです。
周りから期待があるたびに心の中では怖かった。いつかメッキが剥がれてしまうのではないかと。
周りの期待を裏切った。周りの信頼を裏切った。
状況を良くしようとして自分を追い詰めた。
さらに悪くなる一方だった。
とうとう、壊れてしまった。体の調子も崩した。頭が変になった。
考えた、考えた、考えた…
何回、同じ失敗を繰り返したら良いのだろう。分からない。
立ち直ることができないと思った。
でも、死ねない。生きたい。将来が不安であってもまだ死ねない。
でも、死に損なって入院なんて嫌だ。
周りに迷惑をかけるのはもう嫌だ。
逃げては立ち直り。転職を繰り返す。
いまの生活が崩れてしまったらどうしよう。
実家に戻って最初からやり直し? 年齢的に限界。無理。あそこからのやり直しなんて。
結婚していたら少しは楽だったのかな。弱い自分だったから逃げてばかりだった。
だから、こんなことになっているのかな。
やり直したい。でも無理なのはわかっている。
期待されるのはうれしい。うれしかった。だから、頑張ろうとした。
自分の限界をこえて期待を応えるのはただ自分を摩耗させるだけだった。
嘘。そうでありたいと思っているだけ。
技術力、知識なんて役に立たない。
行動して結果が残せる人、人を上手く利用する人が評価される。
人を利用するなんて自分にはできない。自分の成果でも人にゆずった方が良いとおもったから譲った。
結局、自分の立場を悪くしただけだった。
自分でも頭が変になっていくのがなんとなく分かっていた。
変なことを口走っていた。暴走した。わざと自暴自虐的な行動していた。
こうなることをわかっていた?
ひょっとして、心の中でこうなることを望んでいた?
そう、わざとそうなるように行動していたよね?
夢なら覚めてほしい。
でも、現実。わかっている。
何にも変わらないし。世の中は変わらないし。助けてくれない。
少しずつでも。自分は弱い人間。だから、少しずつ一歩ずつ行動しよう。
もう同じ失敗は繰り返したくないから
人から聞いたある会社のことをまとめてみた。(はてなじゃありません。)
内容が変になって、一部の社員の意見で分裂。更新が難しくなったので無理矢統合。
企画者の思い込みだけで決まり、業務に追われている社員の意見を聞かずに無理矢理記事を書かせているので、一部の社員から反感を買っている。
コスト重視とか言っているけど、兼任で書かせているので実際コストパフォーマンスはもの凄く悪い。
専任じゃないから、パクリ、いまさら感、自己満などの記事ばかり。読者はどこやら。
デザイナーじゃない人がデザインのことをバカにして書いていたりして、仕事を発注するのが不安になる内容が目立つ。
マルチモニターを導入した結果、だらだら2chやネットばかり見るようになって効率の低下。
ハイスペックマシンを導入した結果、実環境を意識できなくなって品質低下。
スペックに己惚れて効率を疎かにした結果、コンパイル時間が無駄に長い。コンパイル中はだらだら(ry。
人材より良い環境を与えすぎてダメになった典型的なパターンに陥っている。
本当に必要なときほど、逆に旧スペックのマシンで仕事をさせて無駄に時間がかかっている。
担当部署があるのに、好き勝手にサーバーを立てようとしてトラブルを起こして迷惑をかけている。
納期を守らない。
自己保身のために平気で嘘をつく。同僚を陥れる。
周りの都合を考えないで、自分の都合の良いように仕様変更や解釈して仕事を行う。
古参は世間よりスペックが低くなってきているのにいまだに優秀な人材だと思い込んで口だけ動かして、手は動かさなくなっている。
目標設定も状況に合わせて修正して良いと勝手に解釈しているので、良い結果に書き換えて提出するのが横行。
評価する側も適当。
一回、成果をだすと給料が一気に上がり、よっぽどなことがないと下がらないので、好き勝手に迷惑かけ放題。
自分の考えや視野がすべて正しいと思い込んで、周りに拡散させる。
他社より一歩遅れているのに、最先端だと思い込んでいる。
成果主義とか言っているけど、経営陣にとって都合のいい人を優遇。(当たり前だけどえげつないほど)
結果だけでなれた能力不足の役職者にPMまがいなことをさせて現場を混乱させる。
一部の社員の意見でビジネスマナー研修を実施するようになったけど、平社員よりビジネスマナーがない役職者は受けず、
成果主義なので、結果を残した人だけが評価され。支援した周りは見返りなし。よって、協力するのがばかばかしくなってきている。
あとから入社した人が結果を出そうとすると、先に結果を出した人が優遇されているので、妨害される。
上からの押しつけばっかりで、下からの意見を求めない。決定してから意見を求める。よって、下からの意見は意味がない。
優遇されている人達も裏では経営者のことをバカにしている。密かに独立を企んでいる。
やる気が無い人を教育と行って無理矢理中間管理職にするので、下は大迷惑。
一部の素行が悪い社員のためにルールを作るけど、ほとんど守られていない。
素行が悪い社員ほど結果を残して出世するので、すぐにルールが変わったり形だけになる。
ばからしくなって無視するのが横行。
優秀な人もそれなりに増えたけど、それよりも偽物が増えて大混乱。
既存社員より優遇で入社させたけど、化けの皮がはげて後の祭り。
昔は好きな人同士が各自で集まってやっていたけど、人が増えてから強制的になった。
悪口や陰口が毎回でてくる、参加するたびに嫌な思いをする。
高給取りは毎日参加して、色々な事情で参加できない社員をダメな奴と罵っている。
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/cf127785b28b80153293262b4203c430/
現状認識は極めて正しいと思う。ただ、テレビの強みについてはミスリードだ。わざとなんだろうけど。
・免許をもらった出発点はともかくとして、その後の競争たるや、非常に激しいものであり、その競争の中でコンテンツの制作力が磨かれた。
・地上波がコンテンツの流通を独占しているという考え方は、その点から見てもおかしい。魅力的なコンテンツをどのように作っていくか、各社が激しい競争を繰り広げている。
テレビがネットより強いのは事実だし、実際強い点はあるが、それがコンテンツとか言われると笑う。
むしろコンテンツ以外で勝負しまくっとるくせに、何を言ってるんだこの人は
と思ったら、直後にすぐこれか。コンテンツの質で勝負してないって自覚はあるのに変な建前持ち出すからわけわからん。
・われわれは商業放送をしているのだから、需要のあるところに行く。お客様がそう望むのであれば、それに応えるしかない。公序良俗を犯すようなものはまずいが、そうでなければいいのではないか、ということだ。お客様が望んでいるものを流すのが、民放の役割だ。問題があるとすれば、NHKでさえもコア層を狙った番組作りを強化していること。NHKは受信料を国民から徴収することで経営をしている。にもかかわらず、民放並みにコア層の視聴率拡大ばかり狙って番組を作るのが正しいのかどうか。これは議論をする必要がある。
「だってーそんな事言うならNHKはどうなのさー」ってガキにもほどがあるだろ・・・。
こんな状態で成果主義っていっても
成果主義を入れて、優秀な人材には今までの倍ぐらいのカネを出してもいい。でも残念ながらダメな人は、初任給プラスアルファぐらいで、定年までやっていただくことになる。
要するにコア層受けの良い番組をつくるのが優秀ってことなんだろ。。。
正直これはインタビュワーが悪い
先月27歳になった。
本題に入る前に簡単にプロフィールを紹介しておこうと思う。
性別=男性、年齢=27歳、独身、地方在住、地方国立の修士でそこそこ大きなメーカーで研究職をしている。
年収は450万弱で、住宅が会社持ちなのでそこそこ余裕のある暮らしだ。しかし奨学金が数百万。
うちの会社は古い体質の会社でほぼ年功序列、賃金抑制のために導入された形ばかりの成果主義を採用する典型的な均衡縮小状態の日本企業だ。ここ数年は成長してなく、じりじりと追い込まれて言ってる状態だ。はっきりいって先は暗い。ただ現状の待遇は悪くない。土日、祝日はほぼ休みだし、有給は最低でも10日以上はとれる。上司もまともだ。仕事自体は自分に適正があるのかどうかはわからないが、評価だって悪くない。ただ驚異的なほどつまらない。つまらないというか興味がもてない。
実は院生時代から薄々と自分はこの分野に楽しみを見出すことは無理なんじゃないかと思っていた。たぶんこういうことを言うと積極的に楽しくしようとする努力が足りないと言った趣旨の忠告をいただくであろうが、しかし、うちから湧き上がってくるものがまったくなくそもそもそのラインにすら達しない場合はどうしたらいいのだろうか。散々悩んだ。結論から言えばどうしようもないと言うものだった。つまりこの仕事を続けている限り最低1日8時間以上の時間を費やす活動は自分に何の精神的な充足をあたえてくれないどころか、むしろマイナスにすらなるだろう。徐々に蝕まれて、よくいる窓際社員みたいになれるならばまだいい。この先、漫然と過ごしていく中で年齢だけを重ねて、仮に会社がいよいよと言うことになればかなり高い確率で路頭に迷ってしまうのではないだろうか。そういう思いにとらわれてとたんに怖くなった。またどうせならば楽しみたいと言う理想も捨てきれない。もう27歳だが、まだ27歳だ。今なら間に合う。
ここでとりうる選択肢は主に二つだ。今の会社に見切りをつけキャリアチェンジをする。もうひとつは仕事に関しては生活の糧を得るためだと割り切って続け、その上でもうひとつの道を加える。
まず一つ目についてだが、これは非常にリスクがでかい。改めて違う分野の大学(院)にいくのか、直接違う分野の会社への転職を目指すのか、どちらも不確定要素が大きい上に、奨学金の返済もある。蓄えはないことは無いが猶予はそう長くは無い。学校に行くのはかなりぎりぎりの状態にならざるを得ないだろうし、この経済状況だ、異分野からの27歳を受け入れてくれる会社などあるかないかというレベルだろう。
二つ目は例えば俗に言う週末起業のたぐいと、後は完全に趣味の創作活動あたりだ。こちらは仮にそれらがこけたとしても生活に困るような自体にはなりにくい。しかしだ。自分で言うのもなんだが、自分にはそんな大げさな才能などありそうにもなければ、これといった人脈があるわけでもない、その上、本業があるからなどと覚悟まで薄めてしまえば、望むような結果が得られる到底思えなかった。
一番怖いことはこうした悩みもいつか消えてしまい、惰性で生きるような状態になってしまうことだ。家族がいればまだいいかもしれないが、これまで何人かと付き合った結果恋愛にも向いていないようなので結婚して子供のためにというのもありえないだろう。こうしてうじうじと悩んでる間にも刻一刻と時間は過ぎ去っている。
尻すぼみになってしまって申し訳ないが、ここで唐突に何もかけなくなってしまった。できれば今年中には答えを出したいと思っているが、現状ではそれすらもおぼつかないような状態だ。他の人を気にしてもしょうがないのは分かっているが、みんなはどうなんだろうか?今の仕事を楽しめているのだろうか。それとも自分と同じような状態なんだろうか、こうした堂々巡りにはまって立ち止まっているのだろうか。それとも勇気を持って踏み出しているんだろうか。
最期にホント、わがまま言っていいのなら学校には以下のことをお願いしたいです。
http://anond.hatelabo.jp/20101023073241の続き。
3年生は本当に弱点だらけです、社会に出て行ってちゃんとできるという保証は私取れません。
だから、メンタルヘルスマネジメント(III種)と秘書検定ぐらいは必須にして良いのではないかと思います。
クラスメートと言う視点で見て残念ながら就職・進学どちらにも脆弱性が見えますから。
7・5・3現象と言うのが有ります。これは中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割の3年以内の離職率と言われています。
そもそも今大学も殆どが赤字で、学生の心の問題なんて見る余裕が無いと思います。
この国は急速なグローバル化、長期安定雇用型社会から成果主義への急速な社会変化で物凄く高卒者には苦しい時代の上に、1回ドロップアウトしたら這い上がりにくい状況が有ります。
だから、みんなには私のように心の病気での休職→解雇→長期の心の病気の治療による社会離脱を経験して欲しくないし
マナーなんて今の時代「持っていて当たり前」と言う状態で昔のように会社が教えてくれるわけでは有りません。
だからしっかり学校で学ばせる必要性が有ると私は痛切に感じております。
本当はクラスメート一人一人に言いたいことが有りますが、さくっと。
Nさん、よくノートを貸していただきました。貴方のノートはきれいにまとまっていて努力家であるのが良くわかりました。
貴方の誠実でまじめで努力家と言うのは本当にすばらしい才能です。
自分ではよく否定しておりましたよね。でもそれは物凄くいい点なので誇りを持っていってください。
努力家であるこれが生きていくうえでとてもとても大切なことです。
Tへ、リスカはやめなさい。歌・音楽の才能を折角持ってるのにもったいない。後ダイエットは20歳から。
20歳になったらプロテインダイエットとかをしながら運動をしていくと良いと思うよ。
あとZを殴るのは控えめに。Mに殴られたら「嫌だ」とちゃんといいましょう。
大切な友人とはいえ言わないと分かり合えないのが人間です。「人間はエスパーではないのですから」
Mへ、貴方には大変きついことを言います。
後ラケットなどで人を殴るのはやめなさい。せめて殴るなら手のひらにしなさい、自分にも痛みが返ってくるから。
でも殴られた方はそれ以上の体と心の痛みを感じてるってのは覚えておいて欲しいです。
そして、かかわりたくないといってもああするほか無かったのはTが「自殺方法を私に聞いてきたこと」を隠すためでした。
私正直、このことを貴方に1:1でつたえれなあったのが重たくて苦しかったです。
Tが死んでから遅いのです。
友が死んだ後、自責の念で苦しむのは自殺のSOSを聞いた人なのです。
TやZはもちろん他の人を殴るのはやめてください。
絵がうまいのは本当のことなのですが、私からあれこれ言う必要はないと思うので。
Sへ、自分が知的障害とか言うのはやめなさい。たとえ他の人がそう思っていても努力家であるのは私は見てますよ。
できないと思わないでやってみて欲しいです、若いから多少の失敗はまだリカバリーできるから。
Zへ、理数系滅茶苦茶強いしコンピューター関連は間違いない進路と思います。だけどはだしは寒いから冬はやめましょう(^^;
ゲーム業界に働くといっても流石に女子高の廊下をはだしで颯爽と走ると言う過去を持った人は居ないとおもいます。
(トカゲソを食べて野生化するという伝説をもってる人は実際にいますが、それも漫画上のネタですから)
Kへ、Zを支えてやってください。TはZをなぐるしMもなので…
KぐらいしかZを殴らないで守ってくれる人が見つかりません。重たいでしょうがよろしくお願いいたします。
慢研部長へ。
部活の計画を先ず立ててあげてください。
後輩が苦労します。
イベント等に参加するときはちゃんとスケジューリングをすること。
確か古い記憶だけれども、太陽・光栄辺りはそういうのがあったはず。
後神奈川の猫のしっぽなども対応できる筈なので相談してみてください。
文芸部へ
原稿出せなくてすいません、うまく副部長として立ち回れなくてすいません。
そして2年間大変な学年のまとめを担任として行っていただいたのは感謝致します。
そして3年担任へ。
決して貴方のクラス運営がうまくいかなかったわけでは有りません。
1~2年担任のクラス運営の問題でも有りません。
ひとえに私の力不足です。
大人としての責務を果たせなかった自分の問題です。
あと、これを読んでる(とくに)女性の皆さんへ。
性犯罪被害にあったらちゃんと話しましょう。
いのちの電話でも、公的機関でもいいのです。女性が相談に乗ってくれるところへ。
後、即時にアフターピルをもらいに産婦人科に行ってください。判らなければ119でも良いと思う。
犯人を許せなくて苦しむでしょう。
でも貴方は悪くない。
私のような苦しみは味わってはいけないのですから。
というか、なんでPS3で出せなかったんだろう。
素人の憶測だけど、そこまでボリュームを増やす予算がないような気がする。
PSP版もDS版も大ヒットしたとは決して言えない状況で、頼みの綱のDLCも終わってる。
CDも一時期ほどは売れないし、ライブイベントとかは基本赤だ。
ネットのごく一部で名前は売れていてコアなファンがついているけれどお金にはならないプロジェクトだから、プロジェクト成果主義が蔓延している今のバンナムではボリュームを増やすほどの予算をひねり出せないというのはありそう。
PS3で出すんだったら、描画ライブラリの作り直しとか基礎研究とかも必要だろうし。
あとは、単純にMSとの契約で箱○独占で出す替わりに広報やら宣伝費なんかを支援して貰っている、というのもあると思う。
そう考えると、特命課もばば引いたのかもねー
「時は金なり」という言葉を見ると、貧乏な性分な奴だな、と思う。
「じゃあその金で何をしたいの?」に明確に答えられるだろうか。答えられるならいい。がんばってね。
そうでない人、「お金がなければ何もできないじゃないか」とお金を稼ぐのにまい進する中で
「何をしたい」を見失っている人も多いだろう。お金を稼いでも使い方を知らない。
そんな人だと、年をとっても「金を稼ぐ=働く」から離れることができず、若者の職を奪い、
働けずニートや引きこもりになった子供の生活を支えるために惨めなお金の浪費をすることになる。
また、何かをするんだと稼いでる途中で大病してフイにしてしまう光景などを見ると、目も当てられない。
それなりに豊かに育った今の若い世代は「時は金なり」というより「金は時なり」であるように思う。
ああ、お金があればああいうことやりたいな、そのために働いてお金を稼がなくちゃな、
お金があれば働かなくていいじゃん、心おきなくやりたいことをやる時間が欲しい!という感じである。
働く意義として言われている、自己の成長や人のためになる充実感といったものは別の手段でも満たされるのである。
そこで、この世代の成果主義の見返りや出世の見返りを賃金の上昇ばかりではなく、「大型休暇の付与」にすればよい。
たくさん貢献したら1ヶ月の長期休暇あげるよ、もっとしたら3ヶ月もあるかもよ、なんて言ったら、目の色が変わるだろう。
奇想天外、反主流の研究大歓迎--。民主党の文部科学部会が、こんな科学研究拠点の創設を提言した。その名は「平賀源内記念研究所(仮称)」。
新たに発行する「科学宝くじ」の収益を、タイムマシンなど実現不可能とされる研究や常識にとらわれない研究に投じる。事業仕分けで「投資に見合う研究成果を」と強調してきた民主党が、
提言は19日、同部会の科学技術チームがまとめた。欧米では研究機関に偉人の名を付けることが多い。
(略)
原資は、受け取り手が現れないまま有効期限を迎えた宝くじの「時効当せん金」の一部を活用するほか、新たに「科学宝くじ」を創設して年間10億円程度を調達。国内外から50人程度の「異才、奇人」を集め、自由に研究してもらう。
首藤議員は「タイムマシン研究でもいい。欧米に追いつけ追い越せの理工学以外から、新たな分野が開かれる可能性がある」と夢を膨らませる。【山田大輔】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100820-00000052-mai-soci
Twitterの中で起きている「マーティングは戦争か否か論争」。
この発言をした某氏が広告業界周りの人達にフルボッコにされている。
このお方、Web2.0の時も独自の論理展開で一部の人たちには不評を
買っていた。なんかスカしてて鼻につくところと、対立しなくて良いところに
反応してしまうので話が噛み合わないのだ。
で、いじめている方も典型的なジャイアンで、取り巻きたちが某氏への人格攻撃にすら
「そうですよね~。」とおべっか使っているところが如何にも気持ち悪い。
広告は戦争かどうかなんてどうでもいいが、ここまで広告業界の人が叩くのは
某氏のマーケティングに関する発言が成果主義的なのが勘に触ったのだろうと思う。
ネット上ではクライアントから明確な成果を求められてしまうが、トラディショナルな
総合広告代理店はそれに馴染めない。Web専業がそれに特化していることが面白くない。
総合広告代理店はCPAで計れないブランディング?を提供しているとか言うが
ネットではそれは至難の業。ネットユーザーが求めているのは情報。
ネット広告の中でお姉ちゃんの映像やらゲームを見せられたって記憶に残らないから。
業界の人間を除いて、こうしたキャンペーンと企業名を合わせて記憶に残る事例って何がある?
そういうのは今までどおりTVでいいんじゃね?っていうのが広告主の本音。