はてなキーワード: 自由主義者とは
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11:ゆとり住宅 12:元気住宅 13:懐古住宅 14:健康住宅 15:古き良き住まい 16:感動住宅 22:個性派住宅 23:住機能 24:住構造 25:住環境 26:住空間 33:生かす住まい 34:住まい 35:住風景 36:【小要素表】と住まい 44:【小要素表】住宅 45:【温暖/寒冷】住宅 46:【プレイヤーの足下の素材】住宅 55:【好きな形容詞】住まい 56:迷宮住宅 66:【感覚表】住宅
1:視覚 2:聴覚 3:触覚 4:味覚 5:嗅覚 6:五覚
111:親子/層造者 112:ストーリーテラー/語部 113:アルピニスト/フリークライマー 114:主治医/救命士/セラピスト 115:栄養士/整備士/療養士 116:若き志士/風雲児/野心家 122:未来予報士 123:アーティスト/芸術家 124:パティシエ/ソムリエ 125:奇才/天才 126:開拓者/開拓師 133:継承者 134:伝導師/説法師 135:時代考証人 136:造形師 144:融合者 145:仕事人 146:リベラリスト/自由主義者 155:保証人 156:伝承者 166:細工師 222:ヘルストレーナー 223:スペシャリスト 224:操縦士 225:発明家 226:旅人 233:詩人/俳人 234:魔術師/錬金術師 235:探求者/探検家/探訪者 236:印象派 244:ライフプランナー 245:エンターティナー/演出家 246:アテンダント/アナリスト/ナビゲーター 255:調律師/ハーモニスト 256:請負人/代弁者 266:調光師/調合師 333:赤ひげ先生 334:エコガイド/エコロジスト 335:アスリート 336:マエストロ 344:改革者/革命家 345:交渉人 346:仕掛け人 355:智将/戦略家 356:【(何も付けない)/動線/生活】【仕立屋/仕立人】 366:奏者 444:熱血講談師 445:粋人 446:解放者 455:渡し人 456:迷宮【匠接尾語表】 466:【好きなカタカナ語】アーティスト 555:スタイリスト/療法士/ソムリエ 556:空間【匠接尾語表】 566:カリスマ【クラス名】【ジョブ名/ジョブ名の英語表記をカタカナ化】 666:ランドメイカー
どうも腐女子関連を相手にすると
根も葉もない単なる屁理屈が出てきて、ひっかきまわされるんだよなぁ…。
いやそれ以前に規制派が腐女子相手にBLを規制する合理的な説明が全くできていないんだが。
俺は男だからBLがどういうものなのは本質的には理解していないのだけど、それでも規制派は「BLによってどう不健全になるのか」ということが説明できていないというか「誰の性道徳がどうなるのか」自体を全く述べていない。この「誰」の部分は男なのか女なのか、それすら述べていないだろう。これで規制しろと叫ぶんだから卑怯を通り越してほんとキチガイ。
千歩譲って「同性愛者が育つことがけしからん」という価値観を認めたとしても、BLが現実の同性愛を助長するとは考え難いだろう。女性向けのBLモノはそもそも現実に存在し得ない完全なファンタジーなのだから。BLによって、男がホモになることも、女がレズになることも、有りえない。もちろん同性愛が不道徳という主張そのものが自由主義国家においてはキチガイ沙汰だということを横に置いた上ですらこれってことだぞ。
もちろん規制派はこのようなファンタジーを想像することすら許しがたいのだろうけどさ。ほんと理解に苦しむよ。そのようなキチガイも世の中にいるということを想像することは出来るけど、一応自由主義者の端くれである俺の中で噛み砕いて理解するにはあまりに乖離している。日本が突然イスラム教国家になってイスラム法の話が始まったような気分だ。
自由 リバタリアニズム 政治 多様性 社会主義 日本 考え パターナリズム
bradexさんが、ナチスの「25か条綱領」というのを紹介している。
ウィキペディア - 25か条綱領
http://ja.wikipedia.org/wiki/25%E3%82..
<25か条綱領(独: 25-Punkte-Programm)はナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党綱領。1920年2月24日、ミュンヘンのビアホールホフブロイハウスで採択された>。
その25か条綱領には、次のようなものが含まれている。
・我々は、老齢保障制度の大幅な強化を要求する。
・我々は、健全な中産階級の育成とその維持、および大規模小売店の即時公有化、小規模経営者に対するその安価な賃貸、全小規模経営者に対して最大限考慮した国家・州または市町村に対する納品を要求する。
・我々は、我が国民の要求に適した土地改革、公益目的のための土地の無償収用を定める法の制定、地代徴収の禁止と土地投機の制限を要求する。
・我々は、公共の利益を害する活動に対する容赦ない闘争を要求する。高利貸し、闇商人等の民族に対する犯罪者は、宗派や人種にかかわらず全て容赦なく処罰される。
・我々の要求をすべて実行するために:国家の強力な中央権力の確立。中央議会の国家全体および組織一般に対する絶対的な権威。公布された国家の大綱的法規を連邦各州において実施するための階級・職業別の団体の形成。
これを大雑把に言い直せば、「大企業は儲けすぎだからもっと税金を取れ」「老人への保障をもっと手厚くしろ」「大きな店は潰して、小さな店だけにしろ」「不動産を貸したり転売して儲けることは許さない」「高金利の金貸しは許さない」といった話だから、いまの日本でもよく言われているような話である。
これがナチスの綱領であることを隠して、「このような政党があったら支持するか?」というアンケートをもし日本でやったら、支持する人はかなりいるのではないか。「立派な考えだ」「なかなかいいことを言っている」といった反応がおそらく続出すると思う。
ナチスについて少し調べればわかることだが、ヒトラーは「ただの極悪人」ではない。ユダヤ人への弾圧や虐殺などがひどいのは言うまでもないが、上記のように、政策の方向性としては「左翼的な正義」が基調である。いわゆる「悪人」というよりもむしろ、「使命感に燃えた善人」に近いといってもいい部分がある。
実際、ヒトラーは自分が「善」だと強く確信していたからこそ、権力を握ることで「悪」を撲滅しようとしたのだろう。そして、それに一定の説得力があったからこそ、支持を集めて、権力を得ることができたわけだ。
もちろん、ナチスの政策だから全部間違っているということにはならないし、ナチスの政策にも正しいものはあるかもしれない。重要なのは、ナチスの政策が正しいか間違っているかというよりも、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ、ということなのだ。
正誤・善悪によらず、何かを他人に「強制」するという考え方にこそ、全体主義やファシズムへの萌芽がある。何かを他人に「強制」してもいいと考えている人は、自らの無謬性(誤りがないこと)をまったく疑っていない。自らの正しさを確信すること自体は問題ないのだが、それを「他者に強制する」ことから問題が生じる。
自由主義やリバタリアニズムがこの「強制」を嫌うのは、何が正しいのか、何が善なのかということに関して、唯一の絶対的な基準があるということを疑っているからだ。自由主義者やリバタリアンは、つねに異なる意見、異なる価値観を共存させ、多様性を認めることで、社会は発展するし、また社会は安定する、と考える。
自由主義者が政府より市場を好むのも、政府は「強制」するものであり、市場は「自由」な取引で成り立つものだからだ。
私の見たところ、日本というのは「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方がわりと強い国だと思う。そういう考え方の人は、たいてい「悪人」ではなく、むしろ「善人」だったりする。「いい人」なわけだ。しかし、他人に「強制」すべきでないということや、異なる考え方をあえて共存させる「多様性」の重要性については、あまり理解されていないように感じる。
菅首相なども、「善人」なんだけど、「強制」することが問題だとわかっていない人の典型である。左翼的な考えの持ち主はわりとこのパターンが多くて、弱者を思いやる「善人」なんだけど、「強制」することでどういう問題が生じるかがわかっていない、と感じられる場合が多い。こういう人は、弱者を思いやるのはいいのだが、その一方で、金持ちや経営者を「悪」だと決めつけてしまいがちだ。
「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方は、まさに「パターナリズム」である。それは、親が子供に対しておこなう場合であれば許されるだろうが、社会のなかで他者に対して「強制」をおこなうことは許されない。しかし、この「強制」が唯一、合法的に許されているのが政府である。
よって、政府は「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方の危険性や副作用をよく理解して、どうしても「強制」を行使しなければならない場合にのみ、きわめて慎重に行使すべきなのだが、日本政府はそれをあまり理解しているようには見えない。最近また大店法の話が出てきたりしているのを見ても、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」ということを、むしろ無邪気に信じているかのようだ(特に民主党は、以前からこの傾向が目につく)。その規制が経済をブチ壊すことを理解できないのだろう。それも経済産業相が、である。
民間人は「ゲームプレイヤー」であり、政府は「ゲームデザイナー」である。企業や民間人は、政府のような「強制」力を一切持っていないのだから、社会問題になるような「構造」問題に対しては、企業や民間人には責任が生じようがない。これは「システム」の問題なのであり、よって責任があるのはもっぱら、「強制」力によって制度設計をおこなった政府である。それなのに、民間の企業を「ワルモノ」扱いして、その行動をさらに規制すれば問題が解決すると考えているのだから、まるで逆だ。セーフティネットは必要だが、市場を規制してもセーフティネットにはならない。
http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program
関連エントリ:
http://mojix.org/2010/01/23/libertarianism_kimo
どんなに素晴らしい価値観であっても、価値観の「強制」には反対する
http://mojix.org/2009/08/01/kachikan_kyousei
地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)
僕は法の人ではなく、テクスト論の人でこの分野に関しては専門じゃないから
すごーくいい加減な理解でなんか書かせてもらいます、ごめんなさい。
ただ、戦略としては「ブン殴られる」とか「殺される」とか「奪われる」のような
「客観的危害」(だれがどー見ても危害加えてますよね?)というようなものに「危害」を留めず
「主観的危害」(見てるだけで不快だ、チンコ出すんじゃねえ!)に拡張する論調がメインじゃなかろーか。
これが行き過ぎた例が楳図かずお自宅騒動で、「不快原理」なんて言葉が使われたりもする。
「わいせつ」を規制する論理基盤はこの辺りだったおぼろげな記憶。
そして、「麻薬」だけれども。
ミルの流れを真っ直ぐに受け継いでいる一派、要するにリバタリアンと呼ばれる人々は
個人の使用に限って(麻薬の使用が「個人の使用」という限定された根拠で語れるか否かは別の論点)
麻薬を解禁すべき、という主張をしている。また同様に「売春」なんかもそうだよね。
この論点は「麻薬は社会にとって色々マズイ」とか「売春自由化するとエイズがマジヤベー」とか
その辺をぶっ飛ばしてはいるけれど、自由主義者の根底としては「麻薬はアリ」のはず。
ただし、社会の上で公共の福祉にどこをどーやっても引っかかってくるからやっぱり規制はしゃーねえか、
みたいなのが「自由主義者と麻薬」の間の関係で、麻薬に関しては例えば「アヘン戦争」を見てもわかるとおり
「公共の福祉」が規制の論理基盤に成り得ているんじゃないかと思う。
むしろ、この議論の場合中心的なイシューは「自殺」になるんじゃないかな。
すげえ自信ないんで誰かクリティックしてくれ。
そして、「他者の介在しない個人や、他者を越えた社会や集団・組織を対象にする倫理や法」
というものは、僕の知る限りカントが最後だった気がする。現在は構造主義以後の世界なので、
この手の「根本原理」とか「正義規則」みたいなものについては、「無い」と答えるのがわりと普通。
実在論としての法とか実存的法理論、みたいなものを研究してる人が全くいないわけじゃないと思うけれど。
とりあえず、現在の研究者は「人権」っつーものを横目にチロチロ見ながら、「文化は相対的ですよ、善悪なんかないですよ、ぼくにゃーなーんにもわかりゃしねーんですよ」とビール飲みながら学生に愚痴るのがデフォかなーと。
女性にとって夜道は危険なのは動かしようのない事実なのだから女性は自衛のために夜道を歩かないように啓蒙するのは正しいとかいってたKoshianXはニートじゃないみたいなんで、ニートとも限らないんじゃないかな。
周りに働いてる女性がまったくいない特殊な環境なのか。例えば男性ばかりの職場(KoshianXってエンジニアらしいし)で、母親は専業主婦だとかさ。
それにしたってコンビニとか飲食店でバイトしてる女の子ぐらい見かけると思うんだが。
夜道でのレイプ防止のために就業も就学も控えるべき、だって女はそういう性なんだから、と言える自分は知性派とか思ってる人はそれは単に差別を追認してるだけだということに気づいて欲しいね。
あるいは無邪気な古典的自由主義者なんだろうけど、そんなの弊害の大きさからとっくの昔に否定されてることを知らないor自分に都合が悪いから無視しているんだろう。
眠くて考えがまとまりそうにないからとりあえずここに投げる。
自由とは「多様性を許容する設計」である - Zopeジャンキー日記
本人の幸せは、本人にしかわからないのだから、本人に自由にさせればよい。
確かにそう思う。
確かにそう思うけどやっぱなんか違うよね。
今の世の中のgdgdってその殆どが、それぞれが自分の「幸せ」が何かっていうことをよくわかってないことからきてるものだと思うんだよね。
ハイ自由ですよって放り出されて「幸せ」でいられる人ってどれぐらいいるんだろか?もちろん「幸せ」を政府に決められるのはまっぴら御免だけど。
自由主義者の思い描く「個人」ってすごく強い。
同じ人の前のエントリー
http://mojix.org/2009/11/21/hitsuyou_sigoto]
わたしたちは店に行ったとき、欲しいものだけを買い、欲しくないものは買わない。それがあたりまえであり、自然な判断である。そのあたりまえで自然な判断が集まったものが「市場」である。よって、「必要とされていない仕事」というものは本来、市場に存在する余地がないのだ。
強いよね。パッキリ二分法。
欲しいもの→買う→買ってみたらやっぱりいらなかった→捨てられない→悩む
欲しくないもの→買わない→やっぱり必要だった→もう売ってない→悩む
欲しいか欲しくないかわからないもの→悩む→とりあえず買っとく→やっぱりいらなかった→悩む
→買わない→買っとけばよかったかな?→悩む
なんか個人ってもっと揺れていて弱いと思う。
弱さを掛け合わせていって、その答えがプラスになるならいいし、実際そういう場面はいっぱいあるけど、
マイナスの答えが出て来ることだってあるよね。それが怖い。オレは弱いから。
・・・だったらどうすればいいかって?
どうすればいいんだろ?いい案があったら増田になったりしないわな。
方向性と言う、鋭い言葉が出ているようなので一言書かせて貰いたい。
双方向に、尚且つ対等な立場で作用する物なんだね。
それは力関係だとか、立場の優劣に大きく依存せざるを得ない訳で、
万人にとって通じ合うかどうかに大きく問題を残すよね。
やはり、他者とコミュニケーションを取ってるとは言い難い。
これは宗教的なバックボーンを持ってない日本人だからこそよく見られる事で、
自由だって言葉を開放したとたんに何を何処まで自由にしたらいいかが
共有されずに、相手の自由を侵害するような事まで自由の範疇に
組み込もうとしたり、一方的に自由を明示する他者が
出てきてしまったりするからで、うまく感覚的な面で共有が出来ない。
でも、言葉の定義まで一方的で個人的なレベルにまで分断してしまったら、
コミュニケーションを通じても、普遍の再生は非常に難しいかも知れないね。
居丈高な書き方をしてしまってる人に考えてもらいたいのは、
どんな相手かまったくわからない人に対して、
コミュニケーションを取ってると言えるかどうか。
あっはっはっ
そもそもの全体主義と社会主義ととっちらかったよーな話自体が暴論なわけでー
それを『妄想に満ちた市場原理主義的自由主義者』と比較したのはー
あんたの話は言ってみればそれくらい暴論だよーとゆー
皮肉なんですがー
ちなみにこういうシーンで「皮肉」を使う理由はー
「少し賢い人なら、ハッと気づいて自分の暴論ひっこめるよねー」
「少なくとも皮肉言われてることには気づくよねー」
「救いようのない人なら『何暴論言ってんの』って恥ずかしい反応が返ってくるよねー」
「つまり相手が賢くても賢くなくても、どっちにしろおいしいよねー」
というねらいなわけでー
えーと
結果どうだったかー
説明した方がー
いいー?
そりゃ安倍は北朝鮮問題だけで名を馳せてトップに上がった人だから「いわゆる右翼政権」ではあったのだろうけど、根本的な問題は単純に内政ズタボロだったことでしょ?
今までの政権と比べて明らかに図多ぼろというほどでもなかったはず。失業率とか犯罪件数から見て。年金問題だって今までの積み重ねで問題になってるわけで阿部政権のみってわけでもないし。右翼が本当に必要とされてるなら今までの政権と同じ程度の落ち度で大敗するはずもない。右翼は必要とされてないからささいな落ち度で負けたと見るのが妥当。
彼はとにかく構造を一旦ひっくり返すことに徹し、壊しちゃいけないモノまで巻き込むことを恐れずに、まずそうなものはとにかく派手に壊す戦略をとった。だから後から問題が発生するのも小泉的には想定内。本当に壊しちゃいけなかったモノだけは後からみんなが騒いで修理してくれるという期待の上でのぶっ壊しなんだから。
いくらなんでも小泉を過大評価しすぎだろ。後先なんて考えてなくて政局に勝つことぐらいしか考えてなさそう。政策なんかほとんど理解してなかったんじゃないかという風にすら思う。肝心の改革だって構造をひっくり返すというほどのことはしてない。してたらもっとひどいことになってたかも。
悪く言えば無責任だけど、長い目で見ると悪い戦略じゃないよね。実際俺は小泉はかなり良くやったと思う。後任の安倍や福田が、そのケツを持つにはあまりに無能すぎただけで。
長い目で見てどういうメリットがあったのか謎。短期的に痛みを伴うことをすれば将来見返りがあるなんてのはほぼ幻想。
いろいろな方向から結構叩かれてたと思うけど。靖国参拝叩いてたし、改革が骨抜きとか逆に景気対策が足りないとか。
一言で言えば、違うよ。っつか清々しいほど潔い思いこみだなw
マルクス主義自体は、自由市場において金持ちは何故貧乏人を搾取出来るのかとかそういう分析がメイン。今となっては古臭いし学術的価値は低いけどね。
マルクス主義じゃなく、マルクスレーニン主義といえということ?
で、その解決方法については後世に諸派があっちこっちに発生して、過激な奴もいれば穏便な奴もいる。それだけの話。
その中でギロチン送りにするやつは暴力的だよねといってるだけ。すべての左翼がレーニン主義とは思ってない。社民主義とかもいるのはわかってる。
だからといって暴力をどんどん容認してたらだめでしょ。だれそれは暴力振るってるから自分もしていいんだといってたらずっと荒れたまま。
敵のない正義なんて無いと思うけどな。
自分は基本的に正義というのはきれいごとと思ってるから。汚くていいなら、もう正義じゃない。抵抗勢力のレッテル張って人気取りするようなやり方が正義という人もいるんだろうけど。
そもそも「安倍を潰したのはマスコミ」「安倍が潰れたのは右翼政権だから」ってのを流したのってどこからなんだろうなぁ。
そりゃ安倍は北朝鮮問題だけで名を馳せてトップに上がった人だから「いわゆる右翼政権」ではあったのだろうけど、根本的な問題は単純に内政ズタボロだったことでしょ?
彼はとにかく構造を一旦ひっくり返すことに徹し、壊しちゃいけないモノまで巻き込むことを恐れずに、まずそうなものはとにかく派手に壊す戦略をとった。
だから後から問題が発生するのも小泉的には想定内。本当に壊しちゃいけなかったモノだけは後からみんなが騒いで修理してくれるという期待の上でのぶっ壊しなんだから。
悪く言えば無責任だけど、長い目で見ると悪い戦略じゃないよね。実際俺は小泉はかなり良くやったと思う。後任の安倍や福田が、そのケツを持つにはあまりに無能すぎただけで。
で、小泉はバリバリの小さい政府論者だったわけだけど、当時マスコミはもの凄い勢いでマンセーしまくったよね。
この辺のことは「全てサヨクマスゴミの陰謀です」説に反するから無かったことになってるのかなぁ、って言いたくなる。
一言で言えば、違うよ。っつか清々しいほど潔い思いこみだなw
マルクス主義自体は、自由市場において金持ちは何故貧乏人を搾取出来るのかとかそういう分析がメイン。今となっては古臭いし学術的価値は低いけどね。
で、その解決方法については後世に諸派があっちこっちに発生して、過激な奴もいれば穏便な奴もいる。それだけの話。
それに、自由主義者がどれだけの暴力をもって自由を勝ち取ったと思ってんのよ。
ナチスと左翼思想は似てるんだよ。両方敵を必要とするイデオロギーだから必然的に攻撃的で対立をあおるものになる。別に右翼なら平和的だといいたいわけじゃない。正義を信じてても敵を必要としてない人は大丈夫と思うよ。
敵のない正義なんて無いと思うけどな。
『HELLSING』5巻における少佐の「さあ!! 諸君!! 殺したり殺されたり死んだり死なせたりしよう」という発言、ある意味では究極の自由主義だよなあと思う。もし吸血鬼化したりして不死者になり、死ぬことが絶対的な損失でなくなるのならば、殺したり殺されたりすることもまた自由の範疇に含まれるようになるのではないだろうか?
「好き勝手に振る舞う」人は、他者から「好き勝手に振る舞われ」ても文句が言えないという不自由を負うことになるので自由ではない。単なる弱肉強食の社会を「ある意味では究極の自由主義」というのはおかしいと思う。『動物たちは究極の自由主義者です』と言い換えてみれば、そのおかしさがよく分かると思う。
特に弱者において、『自由』がこの世界ではひどく簡単に踏みにじられたり失われたりするという指摘はとても正しい。だからこそ、弱者においてまず自由が実現していない社会を「自由な社会」だとは思わないし弱者の自由を踏みにじる形で強者の自由を実現させかねない考え方を「自由主義」と呼ぶのは間違っているのではないだろうか。「弱者の権利」を主張して殺された多喜二の死体写真は、僕も見たことがある。
ただし、大元の「もう好き勝手に記事が…」という記事に対して切れるのは、これとは別の意味で賛成だ。なぜなら、元記事は「はいはい、すいませんでしたー」とふて腐れてみせることで読者を脅迫している。つまり『強者』に他ならないからだ。強者がその立場でもって批判を封殺しようとしているだけに過ぎない。一度言論の場で主張をはじめたら、ふて腐れて相手を脅迫するのでなく、論理には論理で立ち向かうべきだ。だから、ああいうふて腐れを批判するには「スネてんじゃねーよ馬鹿」で充分であり、「批判もまた自由だ」という論を立てるべきではないと思う。