はてなキーワード: 市場原理主義とは
まず思うのは、市場原理主義はあまり好きじゃない。なぜなら、貨幣価値に置き換えるときに、本当に必要なことではなく
誰かに必要とされるか否か。つまり、必要とされることが”多いもの”=価値があるという図式になってしまうから。
妥当性はあるにせよ、市場で値段がつけられないものは軽視されがち。まぁ二酸化炭素なんれいい例ですね。
排出権を設定し、市場化してコスト計上しなければ無視されていたものということ。
あとは、国の支出についての経済学的な見方も本当にそうかな・・・と思うところはある。
ケインズ経済学や、古典派、近代経済学などあるように、国の支出がもたらすものについての見解は本当にあなたが
考えている通りなのかってところ。
あとは、公共財の性質に関する見解やね。上と関わるけれど、どういう性質を持つ財やサービスは公共的に提供するべきか。
と言う話。非競争性、非排他性とか有名なのはあるけれど……保育サービスは?というその辺をもうすこし煮詰めた結論を伺いたい。
http://anond.hatelabo.jp/20100110142109のブックマークコメントについて。
RRD バカはてめーだ。禁止されてる場所で酒を飲む、これだけでアルコール依存症のスクリーニングテストを必要十分に満たす。書かれないと分からないバカはモノ書くな。雇えなんて誰が書いた?妄想ヒドすぎ。病院行け。 2010/01/11
はあ。まあ、とりあえず後回しにしておこうか。「書かれても分からない」んだろうけど。
masudami ↓KASTにもCAGEにもそんな項目ないし、一項目チェックついただけじゃスクリーニング通りません。さらにスクリーニング通っても擬陽性なだけでそ。プリントアウトして病院へ(怒られに)GO。 2010/01/11
情報ありがとうございます。なるほど、見てみましたが確かに「禁止されてる場所で酒を飲む」という項目はないようですね。ない項目でどのように「スクリーニングテストを必要十分に満たす」のか。全く常人には理解しがたいことです。
triggerhappysundaymorning 派遣村収容者はアル中多数って説?事実だったら就職以前の問題だわな. 2010/01/11
steam_heart となると、派遣村で暮らしているのを隠さないといけないわけだwってそれってループするんでもう面倒臭いんで、就職の面談の時に判断してくれません?各種法制を守ってね。 2010/01/11
anomy 健常者の世間, 雇用, 福祉, 社会保障 池田信夫の取り巻きの市場原理主義者は「雇用を社会保障や福祉と勘違いするのはやめませんか?」と言っていたが、これはこれで正しい。つまり、私企業としては雇用の義務はないが政治は面倒見る義務があるってだけ。 2010/01/11
言っておきますが、「酒を飲む派遣村民を雇わなくてなにが悪い」というのが「一理合」って、「派遣村収容者はアル中多数」となり、「となると、派遣村で暮らしているのを隠さないといけない」となるとしたら、それは、
「禁止されてる場所で酒を飲む、これだけでアルコール依存症のスクリーニングテストを必要十分に満た」し、
酒を飲む派遣村民が(元記事に書かれてもいないのに)もれなく確かにアルコール依存症であり、
闇市場もクソも、どうやってでも酒を呑むのがアルコール依存症だよ。酒を呑むことしか考えない、酒を呑むことが人生のすべて、それがアルコール依存症。
も本当に正しく、
そんなもの売り飛ばして酒飲むに決まって
る場合の話なんですよ。それって本当にアルコール依存症の正しい理解なのかな? 「ヒドすぎ」の「妄想」ではないかな? どこにも書いてないものを分かっちゃってるだけなんじゃないのかな?というのをみんな考えてみようね、というのがこちらの意図なわけです。
「健常者の世間」については色々考え方もあるでしょう。個人的には酒びたりで仕事をやっても(職種上問題が発生しにくいなら)本当は構わないとさえ思います。仕事に必要なのは突き詰めて言えば「仕事に必要な能力」のみなのでね。ところが、アルコール依存になったが最後、あらゆるルールを守れなくなるのだあ、というようなことを言う奴がいるのですよ(笑)。健常者と依存者・病人じゃなく、言ってみれば一般人・通常と悪人・損害の話になってしまうわけです。いやまあ、ルールを守れない奴を職場から排除するな、皆の者、納期も出社時間も職務規定も破れ破れえい、というような仕事場があるのならぜひ「酒を飲む派遣村民」の雇用をしてほしいと思いますが。
さて、大半は上記の中で対応していると思うから、莫迦の相手は残りの部分だけにしよう。
雇えなんて誰が書いた?
アルコール依存者も、経済的に十分自立できればそのほうがいいだろう。そもそもの「派遣村民」というところから考えても、村に行かなくてはならないのは仕事が安定しなかったりして低収入だからだ。安定した職で相応の収入があるのならウチで炬燵にでも入って好きに呑んだりすればいいのであって、わざわざ派遣村になぞいくわきゃあない(笑)。安定するどこかの職場、収入の多くなるどこかの職場が彼らを雇うなら、それがどれほどいいことか。
福祉は福祉であるべきだが、「福祉がないといけないという状況」より、「もし仮に福祉がなくても問題なくやっていける状況」のほうがいいに決まっている。それを達成するのは普通、経済的な自立が必要になるはずだ。そしてそれは、派遣村に来るような人間にとって言えば「誰かに雇われる」ことだろう。ところが、派遣村で酒を飲んだら即アルコール依存症認定、アルコール依存症となったらもうルール無用だぞお、と訳の分からないことをほざいて、派遣村民の雇用を妨害しかねない奴がいるのだ。
本当に重度の依存症、どんな些細な飲酒禁止も守れず、酒のためなら何でも売り飛ばすような人間は確かにしかるべき対応が必要だろう。問題はそうである人間もそうでない人間も一まとめに論ずることであり、そういう莫迦の妄言が派遣村民の不利益になりかねないものだ、ということなのだよ。書かれたら分かったかな? なんだったら「病院行」ったらどうかね。
しかし、これにスターつけてるbogus-simotukare、Nephren-Ka、chintaro3、activecuteは何を考えてるのかな(笑)。何かの依存症ですか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091030/1256911673
コメントに爆笑w
確かにキチガイサヨクでもない普通の人間がこの文章読んだら笑うしかないわなw
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・ これはひどい。
・ なんだ?バカなのか?
・ 既に日本は「失敗した大きな政府」と言ってもよいのでは?赤字国債を積み上げて、尚大きくするつもりなのかな?
・ とりあえず経済哲学を部分部分かじった知識で駄文を書いてるようにしか見えない。自由主義と個人主義の違いについてはまずはハイエクあたりをおすすめします。
・ 気にくわない人間に「新自由主義者」のレッテルを貼って叩くという ベーシックな手法だけでここまで盛り上がれるのが正直うらやましい。
・ 新古典派経済学も「新自由主義者」も、その意味(規制ルール無用)での「市場原理主義」を主張したことは一度もない。「市場原理主義」批判者の批判はまったくの見当違い
・ 「小泉・竹中コンビのやらかしたこと」とは具体的にはどの政策がどのような悪影響があったということなのだろうか?
・ 小さな政府を志向する人は、不適切な関与を減らせと主張しているだけで、適切な関与を否定する人なんていないよ。
・ 小さな政府=無政府って馬鹿な発想はどこから来たんだろうな。究極は夜警国家ってのは否定しないが。
・ 久しぶりに藁人形を見た。
・ このブログ主は公務員を信頼している。そこが僕と意見が異なる理由のようだ。僕は民間人であり公務員の仕事ぶりに批判がある。効率が悪いということだ。だからブログ主の公務員の生産性についての意見を聞きたく思う
・ で、政府による再分配がうまくいった実例は?ちなみに健康保険は再分配じゃない。政府が適切・不適切を判断できるなんて過大評価もいいところ(w小さな政府は審判。大きな政府はプレイヤーと審判の両方を行う。
・ 竹中平蔵氏ですら「経済学者は市場原理主義者ではありえません。なぜなら市場の失敗を認めるからです」とか言ってたよ。市場の失敗のあるところに政府が介入することまで否定する小さな政府主義者って何処にいる?
・ 日本の公的セクターの労働生産性の数値をどこかで見たと思うけど、民間に比べてかなり低かったような。そういう議論は抜け落ちてるね
・ 新自由主義による負の所得税とかベーシックインカムなどの再分配政策についての見解も併せて聞きたいね/小さな政府と再分配政策は矛盾しないと思う
・ 特許のような競争原理を働かせるための政府規制を事例としてあげるセンスに驚く。←kojitaken100回読んでごらん?政府規制が競争を促進させることを否定しているかい?更に独禁法=小さな政府は無意味は論理破綻してる。
まだ、資本主義と共産主義が対立概念としてあった頃、構造主義っていうのは相当愉快な発明だったんだろうな。
アタマの宜しい人々が、その新発明を使って「あんなことも考えられる、こんなことも考える材料になる!」
とかやってたんだろうと推察され、樹様と同じく、うらやましいと感じる。
別に共産主義的なるものが良いとか悪いとか、資本主義は悪魔だ、とか、そういうことではなく、
私達は今「お金」にまつわる世界の動き方(≒資本主義)に対して、
持ち重りのするような、面白そうな対立軸を立てることが出来ていないのかなと。
別に、対立させなくても良いといえばいいんだけど、資本主義の方も、一人ぼっちじゃ詰まらないだろうし。
エコとかとか言っても、”対立”している風はあんまり無さそうだ。
”資本主義的なるもの”が高度に発達して、というかその本領を発揮して、
『全てが経済価値に換算できる』=すなわち、全ての事象は資本主義(市場原理主義というか)の名の下に抽象化される。
ということは、お金以外の抽象物を発明しなくちゃいけないってことかしら。
神様とかは出来れば勘弁してもらいたいところだしなぁ。
久しぶりにちょっと考えたら、もともと足りない脳みそが追いつかないのでそろそろ止めるけど。
なんとなく、経済価値に換算すると納得できてしまう、ということが多すぎるので、ちょっと不満なのだ。
だれか、面白いこと発明してくれないかな。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091030/1256911673
ネオリベのインセンティブって、個人の欲望の全面的肯定だと思っていたんで、「遠慮することは無いですよ。合理的に考えれば日本に留まる意味は無いでしょ?」と教えてあげたんですけど、なぜか反発を喰らっております。恩を仇で返された!
それにしても、皆様日本を愛されているようで、愛国者だらけの日本。未来は明るいですね。これで一安心。所得税の累進化を進めても大丈夫。バンバン金持ちから税金を頂きましょう。なにせ、日本国を愛される皆様ですもの、まさか税金を上げたくらいで「日本脱出!」などとは仰いますまい。
あおりにマジレスするのも野暮だが、多くの日本の金持ちは外国に行くより日本でいるほうが稼ぎやすいだろうから、外国に行くのは合理的とはいえないわけで、現行の税制で脱出しないから、もっとあげても大丈夫ってのは詭弁だろう。多少あげても日本にとどまるほうが得だろうけど、その場合でも再配分強化に反対するほうが合理的なはず。酷使様とネオリベ支持の金持ちも支持層は別だろうし、そもそも竹中ですら無政府を目指してたわけでもなく市場原理主義を名乗ってたわけでもなく、政権中枢でやったメインテーマの不良債権処理では思いっきり民間に介入しまくってたわけでネオリベ市場原理主義批判って藁人形論法の場合がほとんど。自分の故郷や日本の文化を愛する事と日本国政府という組織(およびそれに寄生する連中)を愛することも別なんだが、こういう論調を支持する人たちはそのあたりの区別をしない事も反対派に一方的にレッテル貼って追い出したがる事もネトウヨそっくりなんだよなあ。それでいてなぜかネトウヨにも批判的だったりするわけで共産党と社民党が仲悪いみたいな左翼の内ゲバのネトウヨ版なんだろうかねえ。そろそろ左右の対立軸を設定するのはやめてローカル派とグローバル派で分けたほうがいいように思う。
そういう趣旨のことじゃなくて、純粋に市場原理主義という言葉を論じるときに、市場原理の主義みたいなていで
議論が進むのが違和感があるという話。経済学者が価値判断をしがちだなどとはあんまりおもってないよ。
だから、価値判断しないというのはまあそうで、市場原理は自然法則なんだから、批判するのって意味なくね、建設的じゃないよね、という論法になる。
で、そこでその違和感と絡めると、市場原理主義を批判するひとは、ドグマという意味での原理を批判してるので、法則という意味での原理を
批判してるのではないのだから、言ってることはもっともだけど、反論としてはずれてないか、ということ。つまり言葉の意味のすれちがい。
念のため言っておくと、もちろん、市場原理・主義みたいな区切り方で議論を展開する人が、原理主義(ファンダメンタリズム)という本来の語構成を
捉え損なっているとまでは思ってないよ。あくまで、議論の筋の作り方の問題だとは思うんだけどさ。
ある論者は「働く人の暮らしよりも、お金を生み出す効率を優先するという新自由主義の考え方が行き着くところまで行っての大破局だ」と指摘しています。
しかし筆者は、「働く人の暮らしよりも効率が優先だ」という議論を聞いたことがありませんし、そのように主張する人に会ったこともありません。
そもそも、働く人の暮らしを豊かにするためには、働く人1人当たりの平均付加価値生産性を高めなければなりません。そのためには効率化が必要で、最も有効な効率化の手段は、市場原理に基づくインセンティブを働かせることです。
つまり市場原理をできるだけ生かすことによって経済活動を効率的にしようとするのは、人々の暮らしを豊かにするためなのです。どちらがどちらかに優先するという話ではありません。
要するに、今回の危機を契機として市場原理的な考え方を批判する人たちは、もともと存在しなかった主張を対象に批判を展開しているように思われます。
こうした批判が行き過ぎて、市場原理が本来持っている利点を発揮できないような社会になっていくと、それによって国民の福祉水準は低下してしまうだろうと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090903-00000973-yom-pol
鳩山論文、米通信社が省略して無許可転載か
民主党の鳩山代表の論文が、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に掲載され、米欧に「反米的」との評を広げた問題で、鳩山事務所と論文を配信した米通信社の間に、掲載の経緯を巡る見解の相違があることが3日、明らかになった。
日本の月刊誌「Voice」9月号に掲載された論文は、「私の政治哲学 祖父・一郎に学んだ『友愛』という戦いの旗印」の題で、事務所が業者に発注し英語と韓国語に翻訳、鳩山代表のホームページに掲載した。
世界の要人インタビューなどを配信する米国の通信社「グローバル・ビューポイント」は、これを大幅に省略し、「新しい日本は米主導の市場原理主義を拒絶、東アジアの統合を模索」との見出しで配信。タイムズ紙はこれをさらに削って掲載した。
「グローバル」のネイサン・ガーデルス編集長は「Voiceを通じて鳩山事務所の許可を取った。短縮したが、文章はそのままだ」と話している。
これに対し「Voice」編集部は、英訳版の掲載依頼は米紙ロサンゼルス・タイムズ社からあっただけで、他メディアに転載されるとの認識はなかったという。鳩山事務所も「論文が海外に配信されたことさえ知らなかった」としている。
鳩山代表は8月31日、タイムズ紙掲載の論文について「一部だけとらえられた」と不快感を示したが、既に多数のメディアが同紙の引用を「新政権の外交政策」として紹介、「反米」イメージが独り歩きする懸念もある。(国際部 細川紀子)
うちの息子はチャンネル○?や在日特権を許さないなんとかという団体の右翼動画?が大好きで一日中、その番組を見ています。
仕事もしていません。
息子が一たび言葉を発すれば、偉そうにアゴを触りながら、歴史がどうの、政治がどうのという話ばかりです。
国家に誇りをもて!共同体として団結するんだ!と説教をたれるわりには、近所づきあいも一切しないし、一番身近な地域の振興にも協力しません。
日本の伝統や文化を破壊する左翼が嫌いとか日本の資産を食い潰す在○がどうのこうのと能書きはたれますが、家の掃除も手伝いもしないし
一日中、冷蔵庫を探って我が家の資産を汚し、破壊し何の有り難味もなく食い潰しています。
市場原理主義、競争、自己責任という様な言葉が好きなようですが、彼がいう競争というのは、家族が買ってきたお買い物袋から家族の誰よりも
素早くスナック菓子や惣菜を奪取し、それを自分の部屋の冷蔵庫に格納することのようです。
インターネット上は、右傾化がすすんでいるというニュースを見たことがあります。
その右傾化は本当に愛国心からきているのでしょうか?ただ、単になんのとりえもない若者が歴史と文化が豊かな日本人というブランドを
人間がいる限りずっと続くだけの話で人類がいつか絶滅する以上終わりはある。
人間の存在自体永遠じゃないし、何を持って破綻とみなすかの問題。
そういう主張を学者がしてるかどうかは別として、GDPとか利益とか売り上げとかどの経済指標も常に有限値を取ることはまともな学者なら誰も否定してない。
有限な資源だからこそ市場原理なり競争原理なり何らかの方法で配分する必要がある。にもかかわらず市場原理は無限を前提にしてるという人が出てくるのが謎。どちらかといえば福祉をどんどんふやせばいいという人のほうが無限のリソースを前提にしてると思う。あと無人島じゃなくても市場の失敗とかはあるわけで常に市場経済が最適だ何てこと言う学者だってまずいない。にもかかわらず経済学者は市場原理主義者ばかりと思い込んで藁人形たたきする人があとを絶たない。
本筋に関係ない揚げ足取りスマンから気に触ったらスルーして欲しいんだけど
市場原理主義(近世)って江戸時代? なんか失敗したっけ? 確かに幕府や藩の財政火の車だったし徳政令とかムチャはあったけど、、。汚職も田沼時代とかはひどかったともきくけど、、。
単純化し過ぎ。
何でもかんでも相対化する事を許すとひどいことになる、というのが
歴史上、経験的に知られているわけ。ナチスとか市場原理主義(近世の)
とかはそのわかりやすい失敗例だね。
だから、人権とかそういう部分は前提として認めよう、というのが
そういう態度を取るのと取らないのとでどっちがうまく行くかは、
もはや経験的に明らかなんだから、「こわい」とか思う必要はなかろう。
逆に、「ヘイトスピーチ禁止」みたいなのは利益と弊害のどちらが
多いかなんてわかっちゃいないし、国際法でもないんだから、
普遍的に正しいという合意が得られてないというだけのことで。
いや、「大企業批判=善という価値観の人の間では嫌儲も善」って君の発言のほぼそのまま引用なんだが、自分を否定してない?
で、その下に、それは成り立たない、大企業批判者であることは嫌儲であることの必要条件でも十分条件でもない、という指摘をしてるよねえ。引用するけど、
ネット上で嫌儲と呼ばれている典型的な例では、自分の目に映るネット上での小銭儲けを叩いているのであって、ネット以外のところでの資本家や大企業の動向にはあまり関心がない。(嫌儲な人→大企業批判な人、であることの否定)
大企業批判とかをはてなでやってる連中の多くは、ネットでの自分の活動をたとえば本にしたりして儲けにつなげたいとか野心を抱いてるだろうから、嫌儲という立場にはつかないだろと。(大企業批判な人→嫌儲な人、であることの否定)
で、嫌儲思想の代表格であるサイバースペース宣言なんてのはリバタリアニズム・市場原理主義的で反著作権的であり、左派リベラルを謳うはてサとは正反対だ、との指摘も既になされているね。
小泉がやったことのうち、特に市場原理主義的政策のツケがいまあちこちできてるわけだけれども。
竹中は必死に言いつくろってるけど、ブレーン自体が間違いだったと言い始めてるわけだけれども。
でもって郵政も民営化する必要なかったじゃんと麻生さえ言うわけだけれども。
結局それって外資の為であってしかもその圧力は不況で消えたわけだけれども。
小泉が切った郵政反対派は基本全て復党してるわけだけれども。
チルドレン共は使い捨て同然に切り捨てられたわけだけれども。
地盤はさっさと息子に譲った只の親父なわけだけれども。
参議院に出りゃそれは当選するかもしれない。けど2年間隠居生活のあと、ホントに彼に影響力が残ってるかな。仮に前面に出てきたときに、彼は自分の政策の結果をどう説明するのかな。
人気があるから担がれていた御輿が人気を集められなくなったらどうなるか、ここしばらくの首相経験者を見てたら分かると思うけど、誰よりも「風向きを読む」のだけはうまかったあの人が、今さらのこのこ矢面に立つなんて、誰が頼んでもまずそこからありえないと思うわけです。
定額給付金に反対してる人って、基本的な考え方としては市場原理主義者で政府が何やっても合理的な市場はそれを持ってぶれたりしないってのがまずあるわけ
なんでそうなるかって言うと、定額給付金って一種の減税政策だから、期間限定の減税をしたところで無意味ってのが理由
この考え方っておかしいのかって言うと、今回の金融危機以前の経済学者にはそう考えてる人が多かったのは事実
基本国のやることは全て税金でやられてるわけだし、税金でやってる以上、将来この金は税金として取られるはずだから、って事
要は銀行に預けるにしても、銀行は預かった金で、この国債を買うはずだし、この国債を買ってしまうと、完全な無意味
そう言う理屈ではあるんだけど、そういう風に言ってしまうと、政府は何が起きようが対策なんてする必要なし、無駄、無意味
最低限の事だけやって無駄な公共事業も要らんし、景気対策も不要、今回の危機でも何もすんな市場が勝手に調整する