はてなキーワード: 有事とは
いつも抽象度が高くて不満が残る作者だが不満があるけどこれはかなり実用的
フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論 ペトロスキーシリーズ面白すぎ
ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫) - マイケル ハワード おもしろすぎワロタ
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ためらいのリアル医療倫理 ~命の価値は等しいか? - 岩田 健太郎 -内田樹押しなのがやだけど魅力
かかわり方のまなび方 - 西村佳哲
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クルセイダーキングス デウス ウルト【完全日本語版】 むずい
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文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325) - 丸山 真男 立ち読み一覧
資本主義と自由 (日経BPクラシックス) - ミルトン・フリードマン
「新訳」乱気流時代の経営 (ドラッカー選書) - P・F. ドラッカー
新訳 見えざる革命―年金が経済を支配する (ドラッカー選書)
麻生氏が総理大臣の頃、世界恐慌を防ぐべく矢継ぎ早に補正や政策を立てて法案を作り国会に諮り成立させた。その真っ最中に解散解散とバカの一つ覚えで迫ったマスメディアと、解散しないことを「居座り」と批判したのが民主党だった。たった2年前のことだ。彼らは覚えているのだろうか?
最後の「彼ら」って民主党のこと? 自民党のこと? マスメディアのこと? それともネトウヨのこと?
誰にでも当てはまるってことは、みんな馬鹿ってことだな。
これは「ネトウヨが」じゃないかな。マスメディアは麻生時代であれ菅時代であれ有事の審議拒否を是としちゃってるよね。民主は当時の反対はよろしくなかったと既に反省の弁は述べている。
自民は当然覚えてるしとんでもないことをやっていることを百も承知でやってるよ。一次補正の時なんて2ヶ月も経ってから谷垣氏が自ら「このまま審議拒否すると瓦礫除去すらできないので」とか言っててひっくり返ったわ。分かっててやってんのかよと。野党時代の民主はほんとに好き放題やらかしまくってくれたわけだが、あの民主ですら国益優先で最後には一通り通した(から麻生功績コピペなるものが存在出来ている)のに、今の自民はいったい何倍返しにするつもりなんだろうな……。まあともかく覚えてないということはない。覚えているから当時民主にやられたことを10倍100倍にしてやり返してる。
原発を正規の(安全や有事の補償を含めた)金額にすればいいんじゃないかな。
それでも、人々が原発を選ぶなら、それは民主主義の世の中ならしょうがない。
ちなみにドイツでは、未だに野生のきのこやそれを食べる動物は、出荷時に放射能検査が義務付けられている。
チェルノブイリの影響だね。
リソースを使って収穫しても出荷できない状況が、25年たった今でも発生してる。
あなたが「あんなもん気にするだけ損という程度の代物でしかないわけだが」と呼ぶ地域でだ。
しっかし、自分で極論振っておいて、相手が極論で返すと、まぁ嬉しそうに尻尾振って話し出すなw
建設的な方向
建設的ねぇ。
推進にしろ反対にしろ、極論言ってるのは一部の馬鹿だけだろうにな。
それと、今回試されたのは、施設の安全性やら、放射性物質取り扱いの技術やらじゃないんだぜ。
今回試されたのは、「規定外の有事に際してどういうリスク管理が為されるか」だった。
その原因がどうあれ、コントロールを失った施設へどう対応するかの話だ。
結果はごらんの有様。
これを「建設的に」見直すとしたら、人事も含め危機管理体制の刷新だ。
技術なんて関係ない話なんだよ。
いまさら「技術による安全神話(笑)」なんて言い出さないだろ?
原発を再起動するなら、今後この様な形で有事が発生した際どうするか、国際社会も納得する指針を発表すべきだ。
それは「事故を起こさない対策」じゃない。
「事故が起こったとき、何を優先し、どう行動し収束させるのか」そういう話だ。
「技術向上による安全の確保」なんぞ、やって当たり前の話だが、今必要とされてるのは、そんな次元の話じゃない。
原発対策を提言=鳩山前首相
民主党の鳩山由紀夫前首相は20日午前、首相官邸で菅直人首相と会い、福島第1原発の放射能漏れ事故の収束に向けた方策を提言した。
鳩山氏は会談後、記者団に「水による冷却が海や大気を汚している。水冷却ではない形で、(原子炉を)放熱させ、放射能を閉じ込めていくべきではないか」と語った。
原発事故で首相の対応に批判が出ていることについては、「首相として努力をしてきていると思う。批判するために来たのではない」と述べた。(2011/04/20-12:31)
有事でも平時でもクソの役にも立たない人。
http://real-japan.org/2011/04/15/421/
読んだけど、「ごめんなさい」以外のあらゆる内容が出鱈目で吐き気を通り越して気持ちよくなった。
つまるところあのオバサン、状況何一つ理解しないまましゃべってて、しかもいまだに状況何一つ分かってないのね。
ところが、いま批判されているような東京電力による情報開示の遅れ、政府の指揮命令系統の混乱などは、有事であるにも関わらず、平時の「法令遵守」にこだわった結果として発生した人災です。このような、マネジメント上のリスクの顕在化が今回の事故の深刻化長期化を招いていることは否めません。
統合対策本部が設けられてからの情報公開はレベルが高い。東電から上がった生データはほぼリアルタイムに公開されているし、官邸が乗り込んでからは(従来の原発行政からは驚くべきことだが)隠していたデータが後からばれたケースは無い。公開情報の内容は妥当であるし計測そのものが困難であるケースはそのことをきちんと言っている。指揮系統だって原発に関しては官邸が指揮権を握ってしまっている。平時の法令なんてあってなきがごとしだ。良し悪しはともかく平時のお役所らしい対応はなりを潜め、良し悪しはともかくほとんど蛮勇に近い対応が行われている。
燃料溶融の危険性については3/11の時点で報告が上がっており首相官邸サイトにて3/12の時点で公表されている。勝間が勇猛果敢に朝生でポジトークしてた2週間前に公表されていた内容を勝間が知らなかっただけだ。
水素爆発のリスクはちょっと原発事故の話をペーパーバック1冊程度にも知っていれば誰でも知っている。首相も東電に乗り込んだ際に水素爆発は大丈夫なのかと怒鳴ったそうなので菅直人ですら知っているのだ。勝間が知らなかっただけ。
いまだにこれを言っている馬鹿がいることに驚く。3/12の時点で(略
産経ですら訂正済の情報がいまだにアップデートされない情弱評論家勝間和代
これは確かに遅れた。ドイツ気象庁のアレのように馬鹿に見せるとかえって混乱するという問題もあるが、もっと早く上手く(マスコミに面白おかしく加工されないよう)公表していれば避難区域は十分根拠のあるものだと分かり多少混乱も緩和出来たかもしれない。
もっともこれによって対応が早くなったり遅くなったりすることはないのだが。一体勝間はこの情報が対応をどう左右させたと思っているのだろう。
これも各医療機関や医学界などと協力して適切に開示されている。勝間がそれを知っているかどうかは別だが。
まあ健康問題に関して言えば勝間が朝生で怪気炎を上げていた内容が今でも(アホなマスコミが煽っているのに比べると)まあまあ正しい。
上記のことは、国会質問およびマスコミ等の追求により明らかになってきましたが、本来は政府が主導で情報開示をすべきことだったでしょう。
国会質問およびマスコミ等の追及により明らかになった事実なんぞこれっぽっちもないのだが。つーか具体的に何かあったか?
ばっさりカット。首を切るというのが(もちろん必要ではあるのだが)「解決案」として提案されるところが実に日本的で素晴らしい。本質的なところで馬鹿であることが良く分かる。
具体案の部分では電源供給を保ちつつ軽水炉から他の電源に移行するプランが一切示されていないどころか、現実問題として明らかにこのままずるずると老朽化した軽水炉を使い続ける羽目になる展開しか予想できない内容で、今後事故をなんとかするための提案としては0点。自動車事故が多いので自動車を全面禁止してみんな超能力を身に着けて空を飛ぶべきと提言する評論家(笑)
昭和43(1968)年生まれ。
選挙権を得て以来、他の公約なども鑑みて、とりあえず支持政党は共産党一択
投票したことはありません。昔「戦争反対、九条改正反対でも、いざ有事の際には
自分も徴兵されるんだろうな。…なんか納得いかねぇ」と思っていた。
ところが戦争よりも先に、日本が滅びるかもしれない事態がやってきた。
自分の年齢の半分以下、まだ選挙権すらないような子供たちのことを考えると。
人生で一度でも自民党に投票した人間が、東京電力の不手際をなじる資格などないように思うんだが。
「原発なしに今の電力供給はありえない」とかもさぁ。ニワトリ卵なんだよ。
必要とさせるためにオール電化を導入して「クリーンなエネルギーで生活するためにも
それでも、自国民の(自分は支持していない)指導層がやらかしたとして、その不利益を被ることは仕方ない。
こんなことになる前に、日本に見切りをつけて海外に生活拠点を移すことだってできたはずなのに、
そうはしなかったのだから(日本国籍所持者です。帰化したわけでもありません。念のため)。
ただ、日本の若い人や、諸外国の方々には詫びても足りない失策を犯してしまった。自分たちの世代は。
本当に、かつて戦争に突入した時の「民度」も、こんなんだったんだろうなーと思う。
要は募金くらいしかできないわけで(共産党を支持するような労働者なんで、所得はたかがしれてる)。
オトナのみなさんは、自分も責任の一端をになっているこの事態に、何をなさっていらっしゃいますか?
デモ行進して「原発建設」が取りやめになったという例を寡聞にして知らず。
原発予定地を買い占められるような金持ちだったら阻止できたとか?
ほんと、どうすりゃよかったんだろうねー。
「有事には役に立たない」だとか
「土壇場では度胸も知恵もない」だとか
そもそも平時から、いつだって、あいつらは役になんか立っていないのだ。
社会の平穏と余剰を食っているうちはいくらでも霞の奥に隠れられるが
一時的にでもそういうものがぶっ飛んだときには実体が丸出しになる。
別に大災害が起きずとも
実務能力を問われる場面に出て行ってしまったところを見たとき、
「あれ?なんかただの馬鹿じゃないの?」
「普通の人と変わらないし、不慣れなぶんただの無能じゃないの?」
と察知したことのある人も居るはずだ。
若い世代の思想家の親分は
だから子分がそれすら理解せずにモノポリーとか言ってりゃキレたくなるのは人情だ。
思想家達の立たされている今の状況は、遅かれ早かれ有り得た未来でしかない。
これは往時の日本のプロレスラーが、ガチ競技である総合格闘技に直面した時とよく似た状況だ。
だいたい、ファンとの距離が縮まったり、消費者の持つ情報が増えたりすれば、
虚像は見破られて熱は冷めてしまう。
ネットで四六時中所感や行動を報告して関心を引かなければならず、
また観衆にそれをまとめられちゃったりする時代に、
従来通りの思想ごっこ続けようって方が無理なのだ。
そこでまだなんとか活路を探して「我々はガチ」と言い張り続けるのが親分の道で
あっさりと「いやいや、ガチのリングで俺達に何か求めないでよw」と表明したのが子分Uの道。
後者も日常に戻ればもちろん「俺は最強だ!」「誰でもかかって来いぶっ殺してやるよ!」と吼えるけれども
それがどういう意味なのか、どう消費してほしいのか、を暗黙かつ雄弁に示したのがモノポリーではなかったか。
一直線の衰亡を脱する可能性があるのは子分Uの道だけだ。
今回メタ目配せとしてスマートな所作を見せることが出来たのは彼だけなのだが
「別の子分はチャリティーやると言えたのにおまえは!」なんてズレたこと言ってる。
弁舌の徒がチャリティーやりだしてどうすんねんと。
それは新日やノアのプロレスラーが総合のセコい大会のエキジビジョンに参戦するような迷走でしかない。
有事に臨んで日頃やってきたことと連続していない別の商売をやり始めちゃうのは
それまでやってきたことがお遊びだったと認めるに等しいうえ、
何人か知り合いの研究者がいってるだけなんで一部かもしれんけど、日本の状態が悪くなるから海外に逃げようかっていってるのが数名。
でも国費投じて科学者養ってるのって、こういう時のためじゃないの?
景気のいい国を渡り歩いた方が研究者的にはいいのかもしれんけど、それじゃハゲタカファンドと変わらんじゃんか。
科学者ってこんなんでいいの?
あーきめえ。
本当にこの、ここ最近の、カッペによる手を変え品を変えの東京コンプレックス・東京憎悪がきめえ。
都民が、根本的に被災地のことなんか考えていないというのは、震災直後のガソリンやトイレットペーパーの買占めで証明されているわけで、やっぱり被災地から動けなくて苦しんでいる人がたくさんいることよりも、自分の車にガソリンが入っていないことのほうがずっと耐えられないというのが、それが都民なのだ。
俺の住んでる県でも起こってたけどねえ?
お前の住んでる県と県民は東京と都民が出したより多く義捐金出してるんだろうな?
石原が都内の赤ん坊いる家庭にペットボトル1本配ったのがそんなに許せないのか?
それを非難するならお前のとこの県知事は県民の赤ん坊の一本の水も取り上げて福島に送ってるんだろうな?
ここが一番許せねえな。
お前のしょーもねえくだらねえ下品で浅ましい逆恨みの東京コンプレックスのご開帳のために
被災者をダシに使うんじゃねえよ。
そもそも福島の皆さん以前に、お前のその劣等感に満ちたくだらねえ主張は
得てねえだろう。
地方に住んでようが都会に住んでようが、まともに暮らしてる人間はそこに満足して誇りをもってるよ。
よその都市に偏執的な関心を寄せて、憎んだり誹謗したりはしない。
お前のような、地方在住者の中でも特別特異に心の貧しい都市嫉視者を「カッペ」という。
何が宣戦布告だ。
お前は東京が気になってたのに勇気や学力が足りなかったせいで上京出来ず
その後それを劣等感に育て上げて後悔し続けてるだけだろうが。
いやほんとに。
それを、都民は裏切ることになる。石原さんを選ぶということは、積極的に投票する人も消極的に白票を投じる人も含めて、
みんなで被災地に「NO」を突きつけるということだ。見切る、ということだ。少なくとも、彼らはそう受け取るはずだ。
最近かなり頭に血が昇ってる反石原クラスタの皆さんもさすがにお前の卑しい論法には賛同しないと信じたい。
だからさ、お前が気に入らない、お前がコンプレックス持ってることについては、
正々堂々「僕が東京を憎んでるんです、憎くて憎くてしょうがない!」って言えや。
それなら少しはお前みたいなショボい奴でも人間扱いしてやらなくもない。
自分の卑小なネガティブ感情を満足させる為に大義名分や他人の威を駆る奴はウジムシ以下だ。
それは、殺意と受けとられるかもしれない。いま政治家や東電に対して向けられている憎悪が、東京都民全体に向けられることになるんだ。
お前のような惨め過ぎる救い難いカッペが同じ列島にいることが怖い。
「ニッポンを一つに」というむず痒いスローガンに付き合うとしても
こんな心の醜い卑屈で惨めで卑怯なカッペだけは切り離してから一つにしていただきたい。
怖かったけど、直接的被害も受けずに済んだ。
「こんな有事だし、自分たちの出来ることをする!」といろいろ準備したけど、
ごめん、原発の電気が東京だけで使われてること、本当に知らなかった。
そして、停電に参加しないことへの罪悪感で一杯になった。
そして買占めのこともあった。
私の家の近くのスーパーでも、紙や水、オムツなどがいっせいに消えた。
あのスーパーにモノがまったく無くなる感じは異様で、
買占めというか、主婦たちが集団ヒステリーのような状態になる気持ちも正直わかった。
でも浅ましい姿だったよ。
都の代表は天罰発言だし、
もう自分の力の及ばないところで「東京」がどんどん酷いものになって、住んでいる自分が嫌になった。
でも、停電に参加したからって何が許されるわけじゃないのにね。
募金でも、停電でも、具体的何かをすることによって、罪悪感から逃げたいだけなのかもな。
地方から結婚するために出てきて、数年が経って、東京が好きになりかけてたのに。
自分も今地方に住んでいたら、東京酷いって思って嫌悪感持っただろうな。
子供もいるし、水のことも、食料のことも、放射性物質のことも、不安が多い。
でもそんなこといえる立場に無いよね、と飲み込んでいる。
自分に出来る、本当のことってなんだろうか。いつも考えている。
少し前まで、日々震災情報や原発情報を読んでは鬱々としていました。特に原発関連はつい気になってしまい必要以上に情報を追ってしまった感があります。東北地方では何万人も亡くなっているというのに、原発や電力の話ばかりに気を取られている己の卑小さに、ただ恥じ入るばかりです。そろそろ気持ちの整理をつけて自分の胸中に溜め込んだモヤモヤを成仏させるために駄文を書き連ねることにしました。
***
放射性物質について。
放射性物質が汚染したものは何だったのでしょうか。今後の影響も考えると、物理的な汚染もさることながら風評被害の問題のほうが大きいような印象さえ抱いています。
少し観念的な話なのですが・・・。人は主観的な世界に生きており、その外に出ることは出来ません。真に客観的な世界などというのは存在しないのです。「私」が住んでいる世界は「私」の脳によって理解されているのですから、「私」の外の世界は実は「私」の脳の中に入っているのです。「私」と「あなた」は別の世界に住んでいます。
放射性物質が汚染したのは空気や水や土壌だけではありません。むしろ、人の脳に形成された主観的な世界を汚染したと感じています。呪いや憑き物と同じです。放射性物質は「情報」を媒介して飛散し、人の脳に入り込んだのです。そういう意味で、「放射能」というよりも「放射脳」と呼ぶべきかもしれません。
卑近な例えで適切か分かりませんが、放射能はゴキブリみたいなものではないでしょうか。たいていの人はゴキブリに対して大なり小なり嫌悪感を抱いています。実害以上の嫌悪感を抱いているように思います。そういう嫌悪感に対して、「ゴキブリが発見された状況から推察して今夜の夕飯に使う食材を這い回った可能性は0.1%以下である」という専門家の意見が嫌悪感解消に役立つものでしょうか。ゴキブリが生理的に受け付けない人はこう言うでしょう。「そういう問題じゃない」と。
ゴキブリが出たレストランは評判が落ちるでしょう。例えゴキブリが食材の上を這いまわったわけではないと説明されても、もう二度と行きたくないと思う人は一定数いるでしょう。それを風評被害と呼ぶ人はいない気がします。
放射能がゴキブリのような嫌悪感を抱かせるものであるということは、事実として受け入れるしかありません。ゴキブリを必要以上に嫌悪するヤツは馬鹿だと罵ったところでレストランに客は戻ってこないと思うのです。こういった人々の嫌悪感というものを事実としてまず受け入れるところから、いわゆる「風評被害」対策の第一歩が始まるのかもしれません。・・・と思ったところで具体策など思いつくはずもなく、ただただ心を痛めるしかできない自分に無力感を感じます。
***
「安心」や「信頼」について。
原発に対して安心していることと信頼することは全く異なる心理状態だと私は思います。安心とは、そもそも危険性に対して無関心であるということです。安全なのか危険なのか考えてもいない状態です。対して信頼するということは、危険性に対する情報を咀嚼した上で大丈夫であると判断する積極的な行為です。つまり、人の抱く心理状態は次の3つに分類されるのではないでしょうか:1.安心している、2.不安だが信頼している、3.不安でかつ不信感も抱いている。
もう私たちは安心することは出来なくなりました。つまり原発の危険性に対して無関心でいることは出来なくなりました。国や電力会社は逆立ちしたって市民を安心させることはもう出来ません。どんなに頑張ったところで、不安は拭えないが信頼してもらう、という状態を目指すことしか出来ません。
しかし、しばしば「不安を煽る」情報を隠蔽することによって市民を「安心させ」ようとする動きが見受けられます。これは悪手であると私は思います。安心するどころか、信頼を失う一方だと考えます。情報隠蔽は不信を煽ります。
原発の近くに住まう全ての住民は不安であり、かつ不信感を抱いていることと思います。しかし、原発を巡る議論がどんな結論に行き着くにせよ、今日本中で稼動している原発を即時運転停止することは非現実的だと思います。せめて信頼を回復するような真摯な動きが出てくることを祈ります。
***
原発というのは、なんだか妖しい魅力を備えているような気がします。
原発は「科学技術」の結晶というイメージがあるように思います。私は科学と技術はまるで異なるものだと思っていますから、これを合成した科学技術という言葉も実に変だと思います。しかし何故だか、原発に対するイメージは「科学技術」という変な言葉の持つイメージとダブるのです。
原発が利用している核反応は、サイエンスとしてはとうの昔に終わった分野であろうと思います。私には物理学の知識はありませんから実際どうなのか知りませんが、実際に現象が発電所に応用される段階まで来ているわけですから既にエンジニアリングのフェーズに入っているわけで、サイエンスとしては既に終わっているのだろうと予想しています。しかしながら核反応というのは日常生活で触れる現象ではないだけに、サイエンスの側面から関心を抱く人が一定数いると見受けられます。
しかし原発は間違いなくエンジニアリングの観点で検証されるべきものです。例えば以前もんじゅが起こした事故では、冷却管に突き出した温度計が疲労破壊で破損しました。これを聞いて工学部を出た者なら誰もが思い当たるのがカルマン渦です。しかし、カルマン渦なら流れの方向に対して垂直な方向に振動するはずですが、疲労破壊の破断面の観察からは流れと同じ方向に振動していたことが指摘されています。そして、流体力学の観点からもレイノルズ数など特定の条件下では縦方向に振動する場合があることが分かっています。(←記憶があやふやで自信がありませんが、ググッたら同様の内容が見つかったので多分間違ってないと思います。)つまりこの事故は、材料力学と振動工学と流体力学の3つが関係した容易ならざる現象であったことになります。このようにエンジニアリングの問題とは複数の分野が高度に絡み合ったものとなります。
エンジニアリングでは、こういった問題をひとつひとつ潰していく地道な努力が求められます。科学的に見て原理的に可能だから出来るというものではありません。タコマ橋やコメットの連続墜落事故などの事例からも分かるように、数々の失敗を繰り返さないと設計というのは成熟しないのだと思います。非破壊検査なども必要でしょうし、地味で泥臭くて厄介なエンジニアリング上の問題というのは必ずあるものと予想しています。
にもかかわらず、経済や金融の人が原理となるサイエンスを少しかじっただけで専門家であるような言動を繰り返していることに、違和感を感じずにはいられません。原子力発電というのは、どうも科学的な原理を理解しただけで全体を理解したような錯覚に陥る、妖しい魅力があるのかもしれません。その妖しい魅力が国家予算も惹きつけてきたのではないかと邪推もしてしまいます。なんとも不思議に私には感じられます。
***
「人災」について。
東京電力や保安院には苛立ちを感じていました。ふと気づいたのですが、あれは「私」の姿だったのかもしれません。私は彼らの会見を通じて私自身を見せられ、苛立っていたのかもしれません。そんな思いが頭をよぎりました。
彼らは発電所やそこで起きている「事象」についてよく理解しているようには見えませんでした。突然の事故に慌てふためき、パニックになり、右往左往して要領を得ない報告を繰り返していました。危機対応の訓練や準備が出来ていたようには到底思えません。どうせ事故は起きないだろうとタカをくくっていたことが透けて見えます。
そして、それはそのまま私自身に跳ね返ってくるのです。私は原子力発電について何も知りませんでした。朧気ながら東京はリスクを地方に押し付けているらしいとは知っていましたが、結局のところ電気なんてスイッチを入れれば点くものという程度の認識しかありませんでした。事故が起こって初めて実態を知り、事の深刻さに絶句し、国や東電を罵ることで自身の罪を免れようと必死なのです。
彼らはごく普通の人間だと思います。平均的な人間と比べて著しく能力が劣る人たちではありません。著しく欲深い人間でも、著しく悪い人間でもないように思います。陰謀論のような話で総括しようとすると、問題の焦点を掴み損ねるような気がしています。むしろ、ごく普通の、ごく平均的に善良でごく平均的に俗悪な人達が引き起こした結果であるように思います。
今問われているのは、原発の「技術」ではないように思います。原発の「運用」であり、それを担う人間です。原発の設計が問題なのではないのです。原発を運用する人間組織の設計が問題だと思うのです。
原発は技術的に安全だから安全、という主張はあまりにも人間というものを知らなすぎると思います。私が生きてきたたかだか三十数年の間にも、技術的に安全なものが幾つも事故を起こしてきました。電車、エレベータ、回転扉、ジェットコースター、と枚挙に暇がありません。そのたびにマスコミが組織の腐敗を暴き立て、私たち市民はそれを糾弾して溜飲を下げ、そして忘れていきました。これと同じことが東京電力や原発問題でも繰り返されるのでしょうか。それとも今度こそ私たちは歴史に学ぶことが出来るのでしょうか。
地震や津波は天災だが原発事故は人災だ、という意見をあちこちで見ました。確かにそうかもしれません。しかし人災だからといって犯人探しをして糾弾して終わりでは、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。責任者個人の人格や属性に原因を求めると今後の対応を誤ります。地球を裁判にかけても地震は無くならないように、責任者個人を糾弾したところで今後の人災防止にはつながらないと思うのです。それよりも人間という生き物の行動パターンや組織の力学などを冷静に分析し、この再発を防ぐような運用体制を設計するべきではないでしょうか。
例えば、原子炉は仮に圧力容器が破損したとしても格納容器で放射性物質の漏洩を防ぐという設計になっていました。運営組織も同様に考えて、電力会社の運営が機能不全に陥った場合に備えて、有事の際には別の組織が指揮系統を引き継ぐような仕組みを予め用意しておく案はどうでしょうか。そもそも平常業務と危機対応では求められるスキルが全く異なるように思えますので、有事の際に別の指揮系統を用意しておくのが合理的に感じます。
また、電力会社は民間企業で営利団体ですから、安全対策にコストを掛けることにインセンティブが働きにくいという問題があります。ですので、電気代の一部(数%?)を「原発管理費」のような項目で積み立てるという案はどうでしょうか。マンションの管理費と似たような扱いです。地域住民もその管理費の用途の決定に参加できる仕組みとし、使途明細は公表を義務付ける必要があります。
情報開示の点では、モニタリングポストやそれに準ずる測定器をもっと設置するべきと思いました。情報の透明性を確保するためにモニタリングポストは電力会社とは別の団体(例えば地域住民が構成する団体)で管理されるものとし、常に現在の測定値をリアルタイムでウェブに掲載するような仕組みが必要なのではないでしょうか。
原子力安全・保安院が経産省の管轄にあることも疑問です。経済と産業の発展を目的とする経産省は、安全を監視する役割にはそぐわないように思います。そもそも原発を推進している経産省が安全管理も行うというのは、アクセルとブレーキを同じ組織がやっていることになるわけで、無理があるように思えます。例えば災害対策を専門に扱う省庁を一つ設けて、そこが原子力の安全性を監視するのはどうでしょうか。災害時は各省庁に横断的な指揮系統が求められますから、そういった役割を果たす省庁があるほうが危機管理もスムーズではないかと思います。
以上は所詮ド素人の浅知恵に過ぎません。プロが見れば馬鹿馬鹿しいと一笑に付すような考えかもしれません。あるいは、とうの昔に指摘されていることなのかもしれません。とにかく私が思うのは、今後の議論を技術的な設計に終始するのではなく、あるいは原発賛成と反対で二極に分かれて不毛な争いを繰り返すのではなく、こういった運営体制も大いに議論し改善していく必要があるのではないかということです。原発の推進派と反対派がいたずらに衝突し疲弊するのではなく、こういった建設的な議論が行われていくことを切に願っています。
左翼の人はいい加減さー、「愚民は何も分かっていない!我々が啓蒙してやる!」って態度をあらためないと誰も話を聞いてくれなくなると思うよ。
私は本当に脱原発したいなら原発反対よりもクリーンエネルギー推進よりも何よりも電力自由化を求めた方が良いと思う。
なぜなら現状では、福島原発のような事故が繰り返されようともなお、原子力発電こそが合理的で社会的に正義であってしまうからだ。
産業界は経済的に競争力を確保できる程度の安価でかつ安定供給される電力を望む。
国は有事の際でも、資源を自力調達可能なもの、もしくは備蓄してある程度の期間供給できるエネルギーを望む。
というのも、ABCD包囲網により資源を止められることが第二次世界大戦戦争の日本の開戦の発端の一つになったように、エネルギーを安定供給できなければ戦争か暴動が起きるからだ。
福島原発事故で何人の命が奪われようとも福島を死の大地にしようとも、戦争や暴動による被害よりも損失は少ないと考えられる。
それゆえ、産業界と国からの条件を満たす発電方法は現状では原子力発電の他にない。
電力会社としても、燃料であるウランが石油やLNGと比べ備蓄がきき安定した値段で手に入るため、原子力は計算しやすい。
また、廃炉のコストを考えると原子力は経済的ではないと言われるが、国が原子力発電を安定したエネルギー源の一つとみている限り、
廃炉のコストは私たちの電気代に上乗せされるか税金によってまかなわれるだろうと私は予想する。
電力会社が電気を安定供給するために原子力をベースに持ってくるのは非常に合理的な経営判断といえる。
代替エネルギーとして太陽光発電や風力発電が有望視されるが、太陽光発電はいくら効率が良くなっても天候によって左右され、
風力はメンテナンス性に欠け、またどちらとも大規模化したところで原子力発電の安定した発電量には遠く及ばない。
東京電力が発表するのを止めたという洋上風力発電は原子力発電の発電量をまかなえるのかもしれないが、
電力会社は公益法人であるが株式会社でもあり、そのような冒険せずとも良くも悪くも長年使ってきて技術の蓄積もノウハウもある原子力発電を選ぶのは明白である。
そのため、そこで風力だ地熱だ波力だ海流だなどの他の発電方法があるといっても何の意味もない。
だからこそ電力自由化が必要だと思う。
それは、上に太陽光発電や風力発電は大規模化したところでうまみはないと書いたが、家庭レベルの電力であれば話は変わり十分実用に値するため、
電力自由化と自家発電の規制を取り払うことで、電力を分け合うスマートグリットの普及が進むのではないか。
また、電力自由化により新規参入を可能することで、電力会社の独占状態を崩し、消費者が何から作られた電気かを選ぶことできるようになれば、
他の発電方法に目を向けなければならい状況ができるのではないかと思うためである。
と、居酒屋でくだを巻くように思いの丈を書いてみた。
追記:福島第一原発が収束してないそばから新しく原発作るよーとかMOX燃料でプルサーマル進めるよーとか某電力会社が息巻いているけど、
資源に恵まれていないとされる日本が脱原発するためには、自然エネルギーだろうがメタンハイドレードだろうが
石油っぽいものを作れる変な藻だろうが重水素発電だろうが核融合だろうが、資源が自力調達可能なものを得なければ
脱原発はできないのだろうと、私は思っている。
そういった意味で高速増殖炉はまさに夢の技術ではあるのだけど……リスクが大きすぎて、他の方法を探した方が有意義ではないかと私には思える。
原発でも火力でも水力でも何でもだけど、その恩恵はそのリスクに見合うのだろうか?
電力自由化による停電の問題に関しては、理想的には各々が太陽光発電や風力発電やコジェネレーションなどの小型の自家発電設備を持つことと
その余剰分をスマートグリットで分け合うことで停電が抑えられるという考え。
だから電力自由化したところで小型の自家発電設備やスマートグリットが普及しなければ絵に描いた餅なんだけど、
小型の自家発電設備やスマートグリットが普及するためには電力自由化ぐらいの改革がなければ構造変化は起きないのではないかと、私は思っている。
えー
俺ははてサじゃないけどさ(はてサとしょっちゅう口喧嘩してるから)、
あずまは普段そこでいう「踏みとどまれ」式のマッチョ説教ばっかしてる奴だから
有事に真っ先にションベン漏らしながら逃げ出した姿は忘れられんわ。
今後、奴のマッチョ説教は全部「腰抜けがなんか言ってるw」と冷笑で迎えるつもり。
いや勿論
これまでだって東のくだらねえ説教に真面目に取り合ってたわけじゃないけどね。
こういう事態が起きる前からこの程度の奴だとは思ってたよ。
中味もないのに説教好きで、最近は何やら年下のフォロワーが欲しくて欲しくてたまらないって顔だが
近くにいる若者を腐らせるだけだ。
■「不謹慎」を発しちゃうのは、無礼なマイノリティを認められない心の狭さ?
今回の震災のようなときだと、ブラックジョーク(あるいはbad joke)発言をすることに対して、「今は有事なんだから貴様の発言は不謹慎だ!」などと言いたくなる人はそれなりにいるのだろう。
■悪いジョークを言うような”無礼な個性”を、非日常でも認められるかどうか
多少礼を失したキツ目の物言いを目にしたとき、日常でなら我慢できていても、こういう時には沸点が低くなり、ついカッとなって表面に出てきてしまう。
「群れて同じ感覚を共有しなければ、そうじゃない奴はオカシイ→がんばるときは皆で猪突猛進、泣くときは皆で泣こう」
ってのは、日本人多かれ少なかれが持ち合わせている(良い)メンタリティなのだろうけど、有事になるとマイノリティを認めない (or スルーできない)ってのは、要は、多様性を心の底から認めていない証拠である。
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1195.html
『まどか☆マギカ』 新房監督「できるなら日常もので番外編や2期をやりたい」|やらおん!
おまえ、まさか・・・
そんな枝野官房長官や東京電力の会見を盲目的に信じる人、そもそも気にも止めない人の多さに唖然とした。
僕は「彼らが重要な情報を隠してプロバガンダをしている!」みたいな事を書きたいわけじゃない。
ただ日本人は平和ボケが過ぎるんじゃないか、と思わざるを得なかった。
原発に対して何の知識も持たない私たちにとっては恐ろしいワードが並ぶ。
初期の段階では、放射線の単位の使い分けやその影響もはっきりしない報道が多かった。情報の錯綜が続く中で正確な状況を把握出来ていた人はほとんどいなかっただろう。その証拠に不安を煽るような報道、デマが横行し、政府の発表はコロコロと変わった。
また「東電も認める」の表記からも分かるように、東電からの情報開示すら遅い、上手くいっていないという印象を受ける報道も多かった。
そんな状況で発表される「ここまで避難すれば影響はない」といった情報は考えなしに信用できるものだろうか?
繰り返すが、僕が言いたいのは「プロパガンダに警戒しろ、自分の命は自分で守れ」なんてことじゃない。
ただ自分の「生命」に関わりうる非常事態に対して、あまりに無頓着なのではないかと思うのだ。
どうしてこうなってしまったのだろうか?背景には日本社会が保証してきた「安全神話」の影が見える。日本国は外国であれば大災害になる震災や事故に対しても、優れた対応力を発揮し、国民の安全をほとんど完璧に守ってきた。しかし長い間保証されてきた安心感は、やがて神話となって僕らの中に刻み込まれてしまった。
もちろん「神話」という言葉のとおり、日本は絶対安全な国などではない。今回の原発事故はその不完全性を強烈に示唆している。しかし、明らかに異常事態が起こっているにもかかわらず、多くの日本人はまるで危機感を持っていない。「原発のことなど知ったところで自分に何が出来るか」と思う人も多いだろうが、そうではなく知ろうともしない態度が問題なのだ。
どうせなんとかなるでしょ?誰かがやってくれるでしょ?そんな無関心な人が増え続ければ、有事に対する適応力はどんどん落ちてゆく。災害は如何に対策しようが、いつか必ずやってくるものだ。僕らは神話を打ち破り、その時に生き残る力を取り戻さなければならないのではないだろうか。