はてなキーワード: 清水の舞台とは
あのさ、
奮発のタイ米を叩いて清水の舞台から飛び降りる勢いでついにワーシャーのドッヘつまりシャワーヘッドを取り替えてみたのよね。
髪がさらさら~肌がつやつや~身体がぽかぽか~保湿がみずみず~ってのを謳ってるんだけど、
はっきり言って今の段階ではよく分からないわ。
とりあえず取り替えたからイイかもしれないって感じで。
なんかそういった感じでもあるし
すっかり忘れた頃に効果が出てくるかも知れないし、
探し物を探すのをやめたときかも知れないし、
よく分からないけど、
プラシーボ的な効果で気持が盛り上がるならそれでいいかなと思う程度の効果かしらね。
実際そのシャワーヘッドの効果を体感したページを探そうと検索するにも、
もういわゆる「彼氏がいるの?バストのサイズは?いかがでしたか」系のサイトしか出てこないので、
ぜんぜん参考にならないのよね。
シャワーヘッドに彼氏彼女がいるいないのことって本当どうでもいいわ~!
なんだかなーって。
まあそれはさておきお風呂が楽しくなったから良いかと言うところで落ち着きたいものね。
実際、
点数を数えるやつの白い棒ってあるじゃない。
気持最後のそれ一本を賭けての一点張りで次の手大逆転を狙う感じで卓に挑む。
麻雀をしたことない作者による麻雀マンガみたいな展開の心意気で効果を狙い体感したいところよ。
また何か本当に効果があったら報告するわ。
うふふ。
コンビニでチキンラーメのおにぎりがあって珍しくて買ってみたら
チキンラーメンのスープで炊いたようなご飯のおにぎりで何も期待を一切裏切らない味ね。
麺まで入っててそのこだわりようを感じてしまったわ。
これだとぎりぎり面倒くさくないぐで垣さんも美味しく召し上がれるかもね!
朝だんだん肌寒くなってきたけど、
食洗機に入る小さなガラスのポットに替えようかなと最近思っちゃったりなんかもしてるなりよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
暑気厳しき折柄、参議院選挙まことにお疲れさまでした。これで亥年選挙も、年末解散とかいう法螺が実現しなければ概ね終了、何人の同志が再び議席を得、何人の同志が涙を呑んだことでしょうか。一部には議席の食い合いに終わっただけという評もありますが、ともかくその努力には敬意を払いたいと思います。
戦勝気分に水を差すようですが、共同通信試算によれば、この参院選、同日選だったらもう一回2/3の議席を自公側に与えるような大敗北です。いえ、もちろん同日選だったらもうちょっとうまくやっていたでしょうが、それはいつもの死児の年を数える行為です、生産性がない。
独裁安倍政権が樹立されてから、彼らの主張するには国政選6連勝と驕っているそうです。とりもなおさずそれは野党系にとっては6連敗。いや敗北はないとおっしゃるかもしれませんが、打撃を与えるほどではありませんでした。思い出してください、あなた方は嘗て政権を取っていた。にもかかわらず、今や議会の1/3を抑えたことに狂喜乱舞して勝利と喧伝する、この精神的退廃は一体なんでありましょう。
加えてこの選挙で明らかになったのは、国民の政治不信が飽和点に達しつつある、という点です。左右のポピュリスト政党が急激に伸長したのはひとえに「もはや既存政党、就中旧民主党系が占める野党勢力は過去の経緯から全く信が置けない」という国民的な意志の発露です。これは少なくとも近代民主政治の信奉者としては看過できません。これが飽和点に達した時どうなるか、まさか過去に欧米に学べないとは言いますまい。
思えば、私たちはあなた方の政権に3年間耐えました。さらにあなた方が何も考えずにアベガーアベガーと玉砕選挙を繰り返し、空費したこの年月も耐えてきました。もう沢山です。
今度は私たちが要求する番です。せめて3年ぐらい「アベガー」を言わないで、粛々と政策論争をする、そのぐらいのことはしていただけないでしょうか。
無論悪の権化極右安倍政権からは今にもまして罵詈雑言が飛んできましょう。内調のハッカー部隊がネトウヨを煽って卑劣な攻撃を仕掛けてくることでしょう。それによって次なる選挙もまた劣勢に陥るかもしれません。しかしそれに対して歯を食いしばって只々無言の抵抗をする、憲法9条を正に生かすが如くの気高い精神性は必ずや国民に受け入れられましょう。同時にきちんとした政策を練り上げることで、次期政権の受け皿たる力があるということを示してください。
競うべきは政策であって、トップ屋が持ち込む怪しい不祥事のケツを嗅ぎ回ることではありません。そんなことは共産党にでもさせておけばいい。アベの首さえ取れればいいのですか?で、取った後どうするんですか?取った後考える? またこの前の3年を、劣化させて繰り返すんですか? 地に足の着いた議論はできないのですか?
次の参院選は3年後、総選挙は間に挟みますが、そこで勝っても参院の構成が変わらななければ何一つできません。ならば石の上にも三年、真っ当な言動というモノを見せてください。
繰り返しますが、もう沢山です。無論今までの運動律から逃れるのは困難でしょう。無責任な社会党の地位は確かに楽しいでしょう。分派行動をしたあいつらは憎いでしょう。結局は取れもしない一人区の擁立国盗り合戦は面白いでしょう。ぬるま湯に浸り続けるのは楽です。現に国民も今の体制というぬるま湯から暑いとも冷たいとも知れぬ次の湯に入ろうという気概は湧きません。ましてその湯の色すら、湯船が現にあるのかすら判然としないのです。そんな霧の中にそこに清水の舞台から飛んで入れ、とは誰にも命じられる謂れはありません。せめて湯がちゃんと入ってるのだ、ということは見せてください。そのために土台を作り、まきを割り、水をくむ、そういう作業をちゃんと見せることが必要です。
あなた方はこの間政権を嘘と妄想で簒奪した時言いました。「一回試させてください」と。我々は試し、そして失敗しました。
ならばこんどはこちらが言います。「一回、政策議論をちゃんとする道を試してください」と。あなた方はそれを容れる度量すらもう失いましたか?人に要求するだけですか?妄執の繰り言をいつまで続けるつもりですか?
今こそが、国政はちゃんと議論ができるのだということを示す最後のチャンスです。極右安倍政権は変わりません。ならば変わる一歩は社会の前衛である勢力こそが踏み出すべきです。
出来ないなら?ならば、滅びるだけです。しかし、それが単にあなた方だけの自死だけで済むでしょうか。あなた方が無残に死んだあと、その生態ニッチを埋める者が果たして何者か、良くお考えください。それが果たして我が国のためになるのでしょうか。
御英慮を期待しております。
信じられないなら反証を示せばよい。外形的には「本土決戦の前に空爆を受けていただけで降伏した」ことに変わりはない(個人的にはソ連参戦こそ降伏を決心させたのだろうとは思うが)。
しかも現在では民主主義で、世論が折れればもはや継戦は不能だ。果たして100万人死んだとき、100万の復仇を訴える叫びと、次の100万人の喪失を恐れる声とどっちがでかくなるか。仮に韓国なら後者を弾圧する手法も前歴もある。そういうときの米の短期的な世論の沸騰はよく知られたとおりだ。だが、こと日本はどうか。
さて、北が核を撃つと決めた時、既に彼らの中では彼らのレッドラインは踏みにじられている(ひょっとすると彼かもしれないところが恐ろしいが)。その時点ですでに彼らにとっては「タダではすまない」んではなくて、もう十分代価を奪われた状態だ。そこで、座して死を待つか起死回生の博奕をするときに、前者の死亡確率100%で、後者が99.998%だったら、それでも後者に賭けるのは、相当に悪い手ではあるけれども合理的ではある。
そこに至る計算式が客観的に見れば誤っているかもしれないけれども、彼らにとってそうなのだから決心するには十分だ。我が国だって(あの計算だって、後知恵で言えば相当に悲惨なものだった)清水の舞台から飛び降りてえらい目に遭ったではないか。
その時に一番リーズナブルな標的はどこだろう、というのが前回の増田の趣旨だ。
逆に言えば、ある日なんの計算もなく脈絡のない先制攻撃をするような非合理性はない。ただし、彼らにとってのレッドラインがどこにあるかは分からないから値踏みを誰かが誤る可能性もあるし、偶発的な事態(緊張パンパンなところに、悪意なく大韓航空機的なものが飛んだら誤解するには十分だ)だって完全にあり得ないわけではない。
人生の主要な快楽である食事の楽しみを大幅に制限されているのだから
食べたい時に食べたいものを食べれない苦しさ
夜中に「あー腹減ったわカップ麺でも食うか」
とか
とか
夜食どころかまともな夕食をとることすら「今日は贅沢して夕食食べちゃうぞー」レベルの行為だ
幼少期に太っていたかどうかが原因らしいけど
そんな自我もまともにないような時期のことはもはや先天的なものと言ってもいいだろう
それを維持するにはその苦痛を一生続けないといけない。いや年とともにさらに太りやすくなるから苦痛は徐々に増していく
太りやすい体質はの最大の辛さは「何もしない」ことが状況の悪化を招くということだろう
毎日のカロリーや成分に気を使った食事に適度な運動という通常なら「健康に気を使った生活」という苦労をしてやっと「現状維持」できるかどうかだ
状況を好転はさせるにはその「苦労」を超えた「苦行」をしなければならない
僕の(食含めた)生活を知ると
「身体壊すぞ」とか言ってくる連中も多いが反吐が出る
こんなこと言ってると僕がいくらガリガリになっても気が済まない病的なダイエッターかと思われるかもしれないが
成人男性としてはド標準体型だ
気を失いそうな空腹の中、数々の美味そうな物の誘惑を、それを腹いっぱい食えるだけの財布を持ちながらも振り切り、筋トレして走って泳いで、それを一生続けてやっとまともな人間(標準体型)になれるのだ
・追記
予想はしてたけど出るわ出るわ
「太れなくてつらい」
そんなもん「カーーーッ!髪の毛多くてつれーわーーー!」って言うみたいなもんなんだよ
確かに髪の毛多くて面倒なことはあるだろうけどハゲよりはマシだろ
ハゲでつらいって人に「よし!俺は髪の毛多いことで悩んでるから交代しよう!」ってならないだろ?
ワキガでつらいって人に「よし!俺は無臭でフェロモン不足で悩んでるから交代しよう!」ってならないだろ?
ブサイクでつらいって人に「よし!俺はイケメンで苦労してるから交代しよう!」ってならないだろ?
それと一緒だよ
あと胃腸な
片思いして告白したら、気持ちは嬉しいけど考えさせてって言われて、でも、メールしてくれるの嬉しいとか、また一緒に出かけたりしよう、って言われて、会ったら会ったでおごってくれるし、楽しかったとかまた行こうとか、今度どっか行きたいところないの?とか、言われて。
片道一時間かかるけど美味しい蕎麦屋さんがあるらしいから食べに行ってみたいんだー、っていう会話でなんで平気で、来週行こうか、とかいうの?!なんなの?!誘ってない!!!一人で行くつもりだった!!!そんなことしてるから誤解すんだぞこら!!!
ディズニーとか好きじゃないって言っときながら、この前ディズニー行きたいって言ってたけどそのあとどうしたの?行ったの?とかどういうつもりなの!!!!行ったよ!!!誰と?じゃないっつーの!!一人で行きましたよ!!!!暇だったから言ってくれればよかったのに、じゃねーよ!!!!自分で興味ない楽しそうじゃないって言ってただろうがよーーーー!!!
もうなんなんだよおおおおおお!!!!
一体どうしたいんだよおおおおお!!!!
好意の欠片くらいはあるの?!ねぇ?!なんなの?!対象外すぎてなんとも思わないからそういうこと平気でしてくるの?!10歳も違ったら妹にしか見えないってことなの?!ねぇ?!世間では妹みたいな相手と、ランチしてショッピングモールぐるぐるまわってお茶して映画見て夕飯食べて夜景の綺麗な公園散歩してとかすんの?!そもそも血縁でもないのに妹みたいな相手とかなんなの?!お前はナブコフか?!?!ないわ!!どっからどう見ても私はアラサーのデブスだよ!!!おごってもらったこともないし、デートみたいな遠出に誘われたこともないし、付き合ったこともないしキスどころか男の人と手つないだこともないわい!!!そもそも男の人と二人で会ったりもしたことないんじゃぼけえええええええ!!!おかげでこの半年で何回清水の舞台から飛び降りてると思ってるんですか!!!
わぁぁぁぁぁこんなこと考えても馬鹿馬鹿しいだけだって思うのに眠れない!!!!週末に二人で遠出して蕎麦食べに行くだけ!!!なのに今からなんかすごいプレッシャーで死にそう!!!おかしなことしないかとかね!!!蕎麦食べる作法もわかんなくて必死にググってる!!!蕎麦湯なんか飲んだことないーーーー!!!そもそも待ち合わせて遠出なんかしたことないーーーーーー!!!一体いつ待ち合わせの時間とか連絡するの!!!!
横だが。
許容範囲ってのは、当然コアな部分があって、外れれば外れるほど不満になる。
・味にうるさい
・金にうるさい
・味にも金にもうるさい
いろいろ居て、目的によって面子を変えるのは当たり前に思っている。
調整が面倒だもの。
清水の舞台から飛び降りるつもりで1万払う奴がいて、食事が不味かったら絶対に文句言うだろ。
だからまず目的ありきで、それに普通に賛同してくれそうな人間しか呼ばないよ。
「宿」「食」「移動手段」「アミューズメント」でそれぞれ価値観が出る。
それのすり合わせなんて考えたら、無邪気に「みんな」なんて言えない。
「行きたいけど、こんな宿よりは飯に金かけよう」とかさ、そんなん知らんがな。
俺は逆に、価値観を明示してくれる奴は歓迎だね。
だって飛び降りたら死ぬんだもの。
飛び降りたつもりになる人は多いけど、実際飛び降りる人は少ないですよ
(実はゼロではない)
そんな実際に清水の舞台から飛び降りたあなたの足腰はとってもすごいと
思うので、スポーツマンになればいいと思います。
まだまだアナログ映るのにもったいないのと金がないのとでテレビ買い換えを延ばし延ばししていたのだが、予約録画機能が使えなくなり、仕事柄家を空けがちなのに好きな番組を見れないのはひじょうに悔しいと思い、ついに定期預金を崩し、清水の舞台から飛び降りて(死語)薄型を購入した!
現在使用のテレビデオは社会人1年目&初の一人暮らしで買ったものだけに、それなりに愛着もある。「ひきとってもらうのに説明書はいるのかしら」と、テレビデオの説明書をごそごそ読み返してリモコンをいじくっているうちに・・・壊れてしまったと思っていた録画機能が復活したことに気付いた。がーん。
薄型は前からほしかったからうれしいけれど・・・ああ、もったいないことしたかも・・・。アナログ停波までつきあってあげたくなってきた・・・けど、2台も置けないし、せっかく買った薄型キャンセルっつーのもなあ・・・うわああああん。
若干事情は異なるけど、俺の場合は嫌な人というか性的に受け付けない相手(異性)と結婚しなければならないような状態で、正直うざい。
老後が不安とか子どもが欲しいとかいった可愛らしい動機はなく、単に社会的体裁のため。
とにかく独身者には住みにくい世の中なんだよね。
同様に偽装結婚をしている人がチラホラいる業界なので(40代以上で同性愛の人は基本そう)、
そんなのが当たり前なのかなと、なかば諦めている。
でも、一般的に職場の人やら両親からには喜ばれることなので、
偽装をしている人はそれなりの覚悟はするけど、後悔(?)はしてなさそう。
していたら、離婚してるだろうし(している人も多いとは思うけど)。
ただ、その覚悟が「俺」にあるのか、正直悩む。
結婚相手のことを幸せにしてあげる自信なんて、自分が幸せでなかったらないからね。
はてなは任天堂と同じ、「娯楽産業」というカテゴリで括ることができるかもしれません。
しかし、はてなが任天堂のやり方をなぞれば成功するのか?答えは「No」です。
まず既存のコントローラーを捨てたことについて「自殺行為」と表現していますが、これは大きな間違いです。
任天堂がWiiとDSで取った作戦は「負けても絶対に死なない」でした。
WiiもDSも発表当時の常識からしてみれば、「新ハード」としては誰もが驚くほど低性能でした。
これは可能な限りコストを下げることで、失敗したときのリスクを最小限に抑えたからです。
Wii・DSはたとえ他社に負けて最下位になってもハードが売れれば収益とんとんかやや黒字、
あとは任天堂の自社開発のソフトを売れば自給自足で生存できる、そういうハード設計でした。
加えて任天堂には数年間は一切何もしなくても社員を養えるだけの資産があるといわれています。
しかし、それは飛び降りても死なないだけの圧倒的な体力があったからです。
しかしこれらはあくまで「ゲーム」です。任天堂は自社の強みはゲーム・娯楽であると考え、
一貫して「ゲーム」以上の物は作らないようにしています。(この辺りの発言はWebに有ったはずですが、失念しました)
自分の過去である「ゲーム」を捨てたのではなく、逆に「ゲーム」の定義を拡大することで、新しい事を行う。
似ているようですが意味は全く違います。
この点ははてなも真似ることができるでしょう。
はてなを丸っきり捨てるより、はてなが確実に勝てる範囲を利用して「はてな」の定義を広げることで、
『普段インターネットで遊ばない人や、インターネットに関心のない人に
インターネットが自分に関係のある物として触ってもらう』方が得策でしょう。
任天堂関連を追っている人なら気付いたかと思いますが、「自分に関係のある物」とは
Wiiがレボリューションというコードネームで呼ばれていたときからゲーム離れに対する戦略として何度も取り上げられているキーワードです。
私たちは、「"携帯型か据置型か"という区別ではなくて、ゲーム機は生活の中にいかに自然に入っていけるか否かということで考えてはどうか」というふうに、今思っています。
もちろん、ゲームの中で、日常生活とはまったく違う別の世界に没入して遊ぶゲーム…、まあ任天堂で言えば、例えば『ゼルダの伝説』なんかが典型的なゲームでしょうけれども、そういうものはそういうもので、存在価値がありますし、そういうものを待ってくださっている世界中のファンの皆様に向かって、今後も、任天堂はそういうソフトを作っていくべきだと思うんですね。
しかし、これからゲーム人口をこれから拡大していこうということを考えたときに、全く別な世界…日常とは無関係な世界で遊ぶゲームだけではなくて、日常生活の様々なテーマと繋がっていて、日常生活の中に浸透していくようなゲーム、そういうものがあることで、生活の中にゲーム機が自然に入っていくかどうかと。
まあ、言い換えれば、結果、そのテーマに多くの人が興味を持てるのかどうかということが重要ではないかと思っております。
たとえば先ほどの、えー、DSの例で言えば、なぜ脳トレは売れたのか、なぜえいご漬けは売れたのか、なぜ常識力のソフトはタイトル(『日本常識力検定協会監修 今さら人には聞けない大人の常識力トレーニングDS』)を聞いただけで欲しいと言ってくださる方が沢山いるのか、それは、日常生活と関わりがあるから…日常生活の中に自然に入っていけるテーマだからというふうに私たちは考えています。
http://n-styles.com/mt/mt-trckbk.cgi/1501
はてなやはてなのサービスに読み替えると見える物があるかも知れません。
ただし任天堂の場合、問題が「ゲーム離れ」であり、アプローチする相手にゲーム経験がある、
あるいはゲームについて多少は知られている、という前提なのに対し、
はてなの場合はサービス内容がそもそもアプローチ相手が全く何も知らない可能性がある点は注意点です。
まとめるつもりは無いので、この辺りで。
結局はてなは「はてな」にしかなれないでしょうが、未来の「はてな」の定義が
「なんかよく分からないけど便利らしいよ。」とかになってると良いな、と思う次第です。
急に自分の言動も態度もイヤんなった
そしたら好きだったはずなのに、つけてる香水が
臭いように思えてきて、ついでに自分には全然似合ってないような気がしてきた。
初めてのお給料で、清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったワンピース、
一番のお気に入りだったのにふと今日窓に映った自分を見たら
全然可愛くねーなって一番嫌いになってしまった。
気分が落ちてきたら、元気出してねって気持ちをこめて友達に送ったメール全部が
絵文字つけただけの言葉じゃんくだんないって思えてきた。
鏡を見たら、大学入学した時に母が送ってくれてからずっとつけてるペンダントが
なんだかダイヤに見えない、もういっそ外しちゃおうかななんて思ってしまった。
足元のブーツは去年一目ぼれしたけどあまりに高くて、
もう色あせて見えてきてしまった。
何したって私が綺麗に見えるわけがないってごしごし擦ったら
マスカラごと睫毛が抜けました。
突然、好きだったものが全部全部嫌いになってしまった
気分転換に何をすれば、また自分を大事に思えるようになるだろう?
ちゃんと自分を好きって普段から思える生活に早く戻りたい
オタク仲間の友人から突然告白されたことがある。正確には突然というわけではなかったのだけど、まさか告白してくるとは思っていなかったので、予想外という意味では突然と言ってもいい。人から告白されたのは当時30過ぎになる人生の中で初めてであった。
まず前提として、彼も私もかなり重度のオタクで、恋愛よりも恋愛シミュレーションにうつつを抜かしている人種である。彼は恋愛経験皆無、私も毛の生えた程度といったところだろう。だいたいその年で独身彼氏無しというあたりで察して頂きたい。ただし私には他に好きな人がいて、フラグを立てようと必死になっている真っ最中であった。
不遜に聞こえるかもしれないけれど、彼に好かれているな、というのは分かっていた。清水の舞台から今にも飛び降りそうな文面で食事に誘われたり、熱心にメールを頂いていたりしたからだ。周囲の人々がニヤニヤと世話を焼きたそうにしているのにも気づいていた。ただ、まさか告白されるとは思えない程に、彼の態度はこれから私という30過ぎの女を落とそうとしている人間の態度ではなかったのである。確かに食事に誘ったり、メールをするという意味では積極的だと言えるのだろうが、それは形だけのことで、もっと大切な、自分を好きになって貰おうという姿勢に欠けているように思えた。
そもそも彼とはゲームやアニメの話ばかりしていて、彼がどのような生活をしているのか、何を考えているのかは知らなかった。私自身、好きな人はいるものの見込みは少なく、彼を好きになれるものならいっそその方が幸せかもしれないと思い始めていた。繰り返すが30過ぎているのだ、それぐらい打算的になっても許して貰いたい。だから食事の際に少し水を向けてみた。
すると彼は食事の間中、俺はこれまでの人生でこんなダメなことがあって、人と上手く付き合えなくって、オタクで収入も少ない的なことを延々と私に話し出したのである。何なのだこれは。私は彼から「こんな俺どうですか?」とプレゼンテーションを受けている立場ではなかったのだろうか。何故、営業マンから欠陥点ばかりを聞かされなければならないのだろうか。別に取り繕えと言っているわけではない。せめて彼といることで何か楽しいことが起きそうな、安らげそうなプラス面を見せて欲しかった。恋人がマイナス面を見せても受け止められるのは、まず先に「好きだ」という感情があってのことだ。ヘタレが好きなのは2次元限定である。以降の彼との食事は、全くもって楽しくなくなってしまった。
これが噂の「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」なのか。言っておくがそんな男性が好きな女性は母親と一部のドM女性しかいない。数度の食事を重ねて、彼は私の「一生懸命なところが好き」(主に乙女ゲー方面に)と言ってくれたのだが、きっとそれが総てではないのだろう。交友範囲の中で唯一の女で、オタク趣味を認めてくれて、母親の代わりでもしてくれそうなのが私だったからじゃないのか。そんな捻くれた見方をしなければならない程に悲しかった。私自身、きっと無理だろうと思いつつも、好きな人に営業をかけている時期だったので余計に悲しかった。
好きな人から好きになって貰うために、努力や気遣いが必要だということを私は知っている。「彼とは素の自分で付き合える」「彼といると楽」と言っている友人が、その関係を維持するために「下手くそ」だと言えなかったり、自分が疲れていても彼の愚痴を聞いたりしていることを知っている。それは彼を想えばこそだろう。思い返してみれば、結婚40年目になる両親ですらそうだ。「努力と気遣いが必要な恋愛関係は本当の恋人同士ではない」と言える人は幸せだ、そんな対人関係を築けているということなのだから。
おそらく彼と私が付き合ったところで、心が豊かになるような生活はおくれなかっただろう。努力する気がない人に対して努力をし続けられるような母性は、私にはなかった。ゲームの話が出来るのは楽しいかもしれないが、恋人から得るものがそんなものだけというのは寂しすぎる。結局、好きな人がいると言ってお断りしたのだが、純情な○○青年の想いをすげなく断った身の程知らず、という評判だけが回り回って好きな人にまで届いたようで、その後、好きな人を口説き落とすまでさらに1年に及ぶ努力をしなければならなかったことを追記しておく。
ガキの頃のキャラ設定上、同級生飲みとか、同窓会とか、その他プライベート飲みでもだいたい俺が飲み会を開催するんだけど、30歳に片足突っ込みかけてきた中で、どうやら可処分所得に大きな違いが生まれてきた。
たまたまベンチャーの設立に携わってそのまま居座った結果、俺の年収は普通に企業勤めしてた時の倍になってた。
それはそれでありがたいんだけど、一方で飲み会の場所選びに非常に困る。
同級生の中には俺の年収半分ぐらいのヤツだっているし、まぁ半分とは言わないけど結婚してお小遣い制になったやつもいる。
そういう使えるお金に違いが生まれると、一次会の予算は一人5,000円なのか?8,000円なのか?10,000円なのか?
いやいや、3,000円なのか?
この辺のサジ加減が恐ろしく難しい…
同窓会で幹事やった時、これでも努力したのだが、ホテルの宴会場で一人6,000円でやった。
それでも「高いから行けない」って言われてこないヤツもいた…
学生時代は、みんな和民や白木屋で満足してた仲だったんだけど、満足度の違いが浮き彫りになってきたんだなぁなんて考えたり。
金の大小で人間は測れないけども、金の大小で経験の有無は大きく変わると思う。
さすがに俺も清水の舞台から飛び降りる覚悟で一泊だけリッツカールトン泊まったけど、俺の同級生でそんなヤツはいない。
でもその経験から俺はもう絶対、東横インやそれこそカプセルホテルには泊まれないなって事だけは分かった。
そういう事って誰にも理解されないからさすがに言いはしないけど。
金があることで様々な経験をし、「あ??俺、もうそこまで基準値を落とせないわ」みたいな事の差異が大きくなってきて、そして疎遠になるのかなぁ?
そう思うと悲しいけど、一つだけこの件に関しては、以後一切呼ばないって決めた事があって。
合コンの値段設定で会計の時に「高い!女から取ればよくね?」って言われた時に「あ??コイツとは一生女を介在した飲み会には連れて行くまい」と思った次第。
ガキの頃の気分のままじゃ付き合ってられないし、付き合い方は見なおしていこうと思った。