はてなキーワード: 母性とは
子どもや赤ん坊に対する慈しみってやつ。時に成人男性に対しても。
母性本能をくすぐるなんて言ったら、男のわがままや甘えがなんでも許されちゃうんだよね。
対して、母性本能をもたない女性は男からも女からも非難される。
なのにさ、みんな男も女も母親に夢みすぎなんだよね。
まぁ、これはいいとして、女は本能に束縛され、男は本能に甘えすぎ。
浮気したいのは多数の種をまきちらしたい本能だから仕方がない?
理性で考えようよ。とにかく。
子どもを愛せなくてもいいじゃん。
産まなきゃいいし、養子って手もあるし。
処女じゃなくてもいいじゃん。※
避妊があるし。
多数の女とセックスしなくてもいいじゃん。
どうせしたところで生ませないじゃん。
人間はそろそろ本能の呪縛から離脱して性別を超え個として生きるべきじゃないの?
※処女うんぬんに関しては
そうかな?ミーハーな女にかっさらわれて余計悩んでそうだけどな
そんでその真摯さ悩ましさに母性本能をくすぐられた女やらゲイやらがまた寄ってきて、常に気が抜けないイメージ
いや、ウィトゲンシュタインよく知らんけど
だいぶ印象が悪いだろうけど、俺は色々な女性に愛されていたい。
そして、一度愛してくれた女性にはずっと愛していてもらいたい。
一度愛してくれた人が、自分を好きじゃなくなる状況を想像すると胸が締め付けられる。
たとえ、俺自身がその人をそこまで愛していなかったとしても。
しかし日本では一夫一妻制で、いずれ一人の女性を選んで一生を捧げなければいけない。
この倫理が俺をまた苦しめる。なぜならそれは、一人の女性にしか愛してもらってはいけないということだから。
こんな捻じ曲がった思考が生まれたのは、幼少の頃にさかのぼる。
一人っ子なため家に人が居ることが少なく、ご飯も作り置きのものを一人で食べることが多かった。
しかし幼く、なおかつ体の弱かった俺は母の手を煩わせがちで、時々「あんたがすぐ病気になるから」だとか
「ご飯作らないといけないから」など、俺の存在が邪魔して満足に仕事ができない様子だった。
もちろん母に悪気は無かっただろうし、ついポロッとこぼすような感じだった。疲れてたんだろうな。
当時小学校低学年の俺は、自分は邪魔者で、必要とされていないんじゃないか、と思っていた。
さらに、昔から仲がいいとは言えない両親は俺が中1のころに別居を初め、高2のときに離婚。
父は生活費をよこさず、中1から今(大学3年)まで母は女手一つで俺を食わしてきた。
口に出すことこそ無かったが、自営業を始めた母にとって、働く上で俺が足かせになっていたのは察していた。
深い意味ではないだろうけど、「あんたが居るから」とよく言っていたのを覚えている。
昔から親に対して異常に「遠慮」をする子どもだった。それは自分が重荷だと感じていたから。
息子のように護ってほしくて、世話をやいてほしくて、甘えさせてほしい。
そして、無条件に愛していてほしい。
しかも、複数人に愛していてほしい。
幸か不幸か俺はわりとモテるほうで、同時に何人かの女性にせまられることもある。
しかし、最終的には誰かを選んで、誰かを蹴らなければいけない。
俺は自分を愛してくれる人全員に愛していて欲しいのに、最後は誰かを悲しませなければいけない。
自分を愛してくれる人が悲しむ顔を見たくない。
そのくせ、彼女が居ても女性と話すときは「彼女はいない」とウソをつく。
その人が自分を愛してくれる可能性がなくなるからだ。矛盾しているのは分かっている。
自分が愛されるに値する人間では到底ないことも、分かっている。
「浮気がしたいだけだろう」と言われるかもしれないが、少し感覚が違うように思う。
俺の感情の根源は、「愛されていたい」「愛してくれる人の悲しむ顔を見たくない」「だから求められたら断りたくない」。
そして、彼女よりももっと好きな人が現れたとき、フりたくない。
愛されたい。必要とされたい。だけど複数人に愛されると辛い。
いっそ消えてなくなってしまいたい。
愛されたいのに、愛されたくない。
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これとレスつけてる増田さんは、釣り合い考えてるとか言うくせに「相手が自分より下」なのはごめんなさいして「相手が自分より上」なのは自分が苦しくてもOKなんだな。もっとはっきり言ったら?
告白を断ったことはあるけど、それは相手が下だからではなく、相手をほとんど知らなかったから。
だから、「なんで?知らない人とは付き合えない。ごめん。」と断った。それだけ。
誤差の範囲とか、相性がどうとか言っていられるレベルの差でなく、誰が見たって無理だろ…と思うような告白は、
私のような凡女でなく、目立っているイケメンや目立っている美人がされるものだ。
深夜に待ち伏せされた友人も、かなりの男前だし。
醜いなあと感じるのは、どこかマンガ上でモテ記号化されているような要素を持っている人ほど、そういう告白の被害に遭いやすいのだ。
「イケメン」「スポーツができる」「バンドマン」「ボーカル」などなど。
だからはたから見ると、勘違い告白って、キャラやアイドルのファンが暴徒化している様子に似ている。
ジャニオタの暴走は有名だけど、その種の暴走が素人に向けられたら、それって犯罪なんじゃないのと思う。
私が大騒ぎしている理由は、友人が被害に遭う様子を見ていて感じた義憤。
そして友人を苦しめる存在と共通項を持ちたくないという思い。
http://anond.hatelabo.jp/20110609180346
この村上春樹風の増田と今の彼女の関係が、「上」である彼女さんの告白によって始まっていたらそれは美談なんだけど、
「下」である春樹さんの方から口説いて口説いて口説き落としましたって話だったら、正直見苦しい。
私と彼氏の関係も、彼氏からの告白で付き合い始めた当初のように、
私→彼氏の気持ちの大きさより、彼氏→私の気持ちが大きい状態ならまだ「見られる」けど、
今すごく逆転をおそれている。
逆転してしまったら、すごく一方的な、見苦しい関係だと思う。
とりあえず就職に困らないようなスキルと、広い心・包容力・母性なんかを身につけたい、
あとは後天的になんとかできる、私の魅力を上げる方法って何だろう?
彼の水準に近づくにはどうすればいいんだろう?と悩んでいる。
便利だと思われるんではなくて、会ってドキドキしたいと思わせるのが大事かもね。
自分が得意な、相手に便利だと思われることをするだけではなくて、
自分が得意な、相手がドキドキしそうなことをして、相手の反応をうかがうのが良い。
料理をしてる姿にドキッとする女もいるし、
車をバックで車庫入れしてる姿にドキドキする女もいるらしいですぜ。
あ、もちろん、上手いことが前提ね。
相手にとって何が単に便利なことではなくドキッとさせることであるかは、
いろいろ試して見つけるしかない。
ドキドキさせる以外には、母性本能に訴えかけるというのも1つの手であって、
その場合は、かわいいと思わせること、保護したいと思わせることが大事。
ぽっちゃりした腹とか、甘えてみせるとか、一人で出来るはずのことができないとか、
幼児っぽいそういう特徴が逆に相手を惹きつけることがある。
何がただのガキ臭い特徴で、何が相手の母性本能に火をつける特徴なのかは(以下略)
あと、金や権力は問答無用で女性を惹きつける力があるから、頑張ってそれらを手に入れるのも手。
と、酔っ払った勢いで書いてみる。
少々前の記事だが、、
【ひろゆき氏「無職でリスクなく犯行予告する"無敵の人"が社会に影響力…3回で死刑とか、ルールない限り対処困難かも」】
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51323231.html
「犯行予告をする無敵の人」というより、犯行予告をして脅かすこと自体も犯罪だし、明らかに風評被害などの実害を出してる中傷犯達はいつまでも絶えることがない。
手が付けられない、関わりたくない、という意味では、南米の麻薬組織とか西部劇の盗賊団と近しいものがある。
日本のこの「無敵の人」達も麻薬組織やヤクザと同じく「文句があるなら、それ以上の制裁・報復をしてやる」という気分満々だろう。というか、少しでも刃向かえば際限なく卑劣な行動(匿名複アカ・自作自演や捏造)を繰り返す様はヤクザよりタチが悪い。
しかし、敢えてそうした、誰もが触れたくないモノに触れざるを得ない、改善をしようという声をあげざるを得ない、そういう気分になった。
この記事は長いし、同意ではない部分もあるかも知れない。しかし、なにかの議論の際に思い出されるようになればと願う。
20数万人が避難生活、数万人が死亡、数十兆円の被災額、全国民で数年、数十年背負わなければならないような事件が起き、連日、義援金や協力を呼びかけるテレビ報道やCMばかり流れ、町中の電灯が節電で消され、個人的にも義援金を送ったり、節電その他で生活の変化を余儀なくされているし、切実な話に立ちあう機会も多い。
直接の被災者の方々以外も、大なり小なり、震災の影響を誰もが被っているであろうし、そうした中、悪党が消えるわけではないだろうが、少なくともネットで中傷といった全く利にならないことも少しは減るのでは、というか、実際に目に見るまでは、そんなことをする人がいること自体、想像もしてなかった。
そうした実例を晒すべきかどうか悩んだが、話が進まないので晒す。
http://nosoftbankno.blog84.fc2.com/
いわゆるネガキャンサイトだが、知ったきっかけは興味深いtweetを聞かせてくれる、日本で最もフォロワーの多いmasason氏はどれほど多くの人から声をかけられてるか、、を見てみたところ、一際目立って話しかけてる(とどのつまり嫌がらせだが)no_softbankさんという方がいて、(真偽はわからぬが)発言も目があてられない程酷いが、プロフィールからリンクされてるこのサイトはもっと酷い。
このサイトを見ると、softbankがとても酷い会社に思えてきてならないのだが、元のmasason氏の発言や「できました」を見ると、書いてあることが本当かどうかより、せっかくの復興努力にただただ水を差すだけのモノということに、とにもかくも泣けてくる。
驚くべき事に、no_softbank氏にも3000を越えるフォロワーがいるので、こうした発言を実際に見てる人もいることになるし、その実害は俺が義援金として送った額を遙かに超えるのではと思うともっと泣けてくるし、一瞬、本当に心が暗闇に落ちてく思いすらした。
彼のネガキャンがなく、その被害額が抑えられれば、その分、被災者にまわり、窮地を脱する人が増える、とまで短絡的に言わないが、Softbankも被災をし、多額の復興予算を捻出し早期復旧に努めている中、こうした不安分子に脅やかされる関係者を思うと気が気じゃない。
こういうとno_softbank氏を攻撃することになるし、真偽は慎重に考えた上で発言すべきことだが、氏のような人は誰かが見かけ次第警察に通報され、即日逮捕に向かわれるべきだと思う。
この人も南米の麻薬組織同様、今は逮捕されることなど夢にも思ってないか、逮捕されてもまた出所して次の憂さ晴らしを始める、まさに無敵の人なのであろう。
とにかく「なぜ?」と思わざるを得ない。残念ながら、こうした人は一人ではないし、なぜ、彼らはこうした行動をするのか、理解ができない。
しかし、何事も理解する努力が大切だ。実際に彼らが起こす実害を減らせば、日本の復興も早まるのは間違いない。というかこの際、撲滅すべきだろう。
そして、これから書くことは、ネガキャンに明け暮れる無敵の人にも、あわよくば、救いになればと思う意見だ。
まず、個人的推察だが、こうしたネガキャンの温床はニートの童貞が主体なのだろう。
馬鹿にしてるわけではないのだが、誰にも知られぬ匿名で卑劣なことを繰り返せる人間が童貞じゃないわけがない。どんな女がそんな人間に好意を寄せ、受け入れてくれるのか。まずあり得ない。
もちろんSEXの処理はオナニーだろう、ネットにネタはいくらでもあるし、ネットができるiPhoneもタダ同然で手に入る。ニートには心強い味方だろう(これは日本だけの特権だ。他の国なら平均月収の半額近いこともままある)
そして、あきれかえる程の投稿回数や時間からも、どう考えても社会人や学生であることもない。
学校の教室や、会社の片隅でカタカタとネガキャン記事を日中から書ける剛胆さがあるなら、ここまで卑劣に徹することもないと思われる。
浮かび上がる実像としては、ニートで引きこもってエロゲーやエロサイトでオナニーばかりしてる童貞がエロゲーやAVのおかげで尊大な気持ちになって、なにかでかい存在を困らせてやろうと曲がった活動にはまってしまった、という風に思える。
当事者の人には貧弱な推察に思われるかも知れないし、こういうと馬鹿にしてるようにも聞こえるかもだが、本題はこれからだ。
次の「なぜ?」はどうして社会に出ずニートで、永遠の童貞のままでいられるか、だ。
ここで一ついっておくが、これは今、童貞の人の話ではない、「永遠の童貞」でネガキャンにあけくれる人、だ。
ネガキャンも出来るし、脱・童貞の人もいたとしたら、俺の想像の範疇を超えている。(繰り返すが、ここまで匿名・捏造に明け暮れる人間がリアルな人間を受け入れ、受け入れられるというのは考えられない)
そもそも、この記事の題名「無敵の人はいつ死ぬのか」は「永遠の童貞」という言葉がオチだったりする。
種の保存の法則でいえば、「永遠の童貞」は種を残せず、100年、200年の目線で見れば「受け入れられない」種は絶滅していく。
少なくとも、今彼らがしてるレベルの犯罪を考えると種を残すことは相当に難しいと思う。西部劇の野良盗賊団の子孫が今残ってるかと言えば、ほとんど残ってないであろう(どこかで撃ち殺されたか家族などもてずに終生を終えるのがほとんどだろう)。
そうした野良盗賊団と今の「永遠の童貞」の共通項が「受け入れらる」という種として大事な機能が欠落してる点だ。
もともとは親には「人に受け入れられる」才能があり、かつ、相手が見つかったから種が残ったのであり、その子供が童貞だったとしても「受け入れられる」才能がないわけではなく、相手が見つからないだけの期間から始まるのだが、、この「永遠の童貞」は、相手が見つからない期間、ではなく「受け入れられる」才能を真っ向から捨てている。
DNA的に欠損してたか、成長の過程で消えた可能性も考えられる。重要なのは、今後「受け入れられる」才能が再び芽生えるのかどうかだ。
DNAというと大げさかも知れないかだが、種を残すために異性を求心する活動作用を及ぼすホルモン等はDNAに依存するし、そのホルモンの分泌レベルが引きこもってオナニーするだけで済むレベルにとどまる上に、いわゆるリアルすら求心しなくなったのが先ほど上げた
「ニートで引きこもってエロゲーやエロサイトでオナニーばかりしてる童貞がエロゲーやAVのおかげで尊大な気持ちになって、なにかでかい存在を困らせてやろうと曲がった活動にはまった」というモデルの根拠だ。
彼らが突然変異的に「永遠の童貞」として種の保存に興味を無くし、そうした活動にはまってしまったのは、ネットから得る情報で仮想的に性を満たし、ネガキャンをすることで自尊心を満たし続けること、即ち、永遠の童貞になったのだと思う。
親の代までは作用した種の保存への意欲が、その代で終わってしまうことで、将来的には結局「受け入れられる」人だけで形成された社会が後生に残る。
これはアメリカの銃犯罪の発生率の低下と近しく思える。かつて、銃が一般的に入手しやすくなった時代、強盗やギャングの多発があったが、そうした武器を手にして傍若無人を振る舞う人はやはり「社会的に受け入れられない」の法則で種として減っていった。19世紀から20世紀、21世紀へと、圧倒的に銃による犯罪が減少している。
つまり21世紀でネットという武器が誕生し、使い方を間違って捏造などの中傷犯罪に明け暮れた人は種が残らず、22世紀には同様の犯罪は激減するとは思う。「無敵の人」は種として滅亡はしていく。
しかし、ココまで話といてなんだが、そんなのは他力本願過ぎるよな。
盗賊に家族を殺され家を焼かれて「犯人はいずれ死ぬから大丈夫」と言う人間はいないよな。
もっと言えば、自分の代でなにも出来ず、そのまま自然に死ぬまでを許したいか?
実際、誰もが疑問に思う事は徐々に社会的に効率よくフィルターされるようになってゆくとは思う。いずれは飲酒運転の取り締まり+刑罰くらいスムーズなシステム化が早く実現されるよう願ってやまない。違反が発覚、切符を切られて、半年免許停止、もしくは免許失効などしない限り、「仮想的に性を満たし、ネガキャンをすることで自尊心を満たし続ける」ループは終わらないんじゃないかな。
だけど、この震災後の処理にてんやわんやの中、こんなレベルの話で社会的に議論するのも、実害はともかく対象がくだらなすぎて不謹慎な気もするし、飲酒運転くらい犯罪件数が減るような行政レベルは当分ないだろう。
仮に十年後に行政改革されて、「仮想的に性を満たし、ネガキャンをすることで自尊心を満たし続ける」ループが突然終わったら、永遠の童貞達はどうなるんだろうか。
オナニーは続けられても、自尊心が満たされず、寂しくなって歳だけとって種の保存の意欲が突然起き出した頃には絶望して死んじゃったりするんじゃないのか。まぁ、正直知ったことではないし、いずれにせよ種も残さないだろうしむしろ早く死んだ方がいいという気持ちではある。
でも、そうした国の取り締まりは未来にあるだろうという願望で、今、効果的な対処方法が欲しいのだ。
この震災の最中、足を引っ張る分子を撲滅できないか、と言うのが、この記事を書いた根源なので、絵空事じゃなくて、なにかを提案したかったので、そろそろ提案の結論を言います。
有効・無効・賛成・異論いろいろあると思うが、いつの世も同じ事で、「手が付けられない、関わりたくない、」という考え方のままじゃいつまでたっても、こうした盗賊やらヤクザやら無敵童貞やらは消えないということで、追い払うには大勢で「受け入れない」意志を伝えなきゃいけないんだと思う。
遠回りに言ってきたけど、さっきのno_softbankというサイトもちょっとやそっとで意見したら、中の人がどんな報復感情を持つのか考えるだけでも恐ろしいが、それを越える大勢が疑問をぶつければ、この手の人は炎上状態を嫌って撤退すると思うのと。
彼らも「童貞故のアホ」と大勢に言われ続けたらリアルに悔しいと思ったり、その悔しさでリアルな女に意欲を持って、少しずつでもまっとうにならねばと興味を持ってくれないかな、と。
短絡的な話、no_softbankみたいなサイトを見つけたら、毛嫌いせずに「まず童貞捨てろ」と皆が助言をしてあげるような社会にとりあえずなれば、いつまでもくだらないことをしないで、種を残せるくらいの人間になろうとするんじゃないかな、と。
また、種の保存の法則でいえば、強い種ほど子が少なくなる、つまり「無敵の人」のままでは種は残せない。
等身大で弱い自分から始めたほうが、母性の刺激も手伝って、リアルに種を残す機会が増えるもんだと思いますぞ。
今こういうと不謹慎かもだが、虚構・捏造で下らないネガキャンにはまってリアル童貞を一生続けるってのはDNAが壊れた馬鹿だと思うし、そんなもんに執着しててもしょうがない。一刻も早く、誰かの被害になることを繰り返すのは辞めたほうがいい。
最後に無敵童貞の人を擁護すると、世間は世知辛いし、なかなか受け入れてもらえない中、エロゲの中の人とかは受け入れてくれてはまって尊大になって俺も世の中にもの申すぜ!と思っていろいろ間違った若者、か、そのまま歳とっちゃったおっきな若者なのかもだけど、なにをやってもすぐに「死ね」って言われすぎて、「死ね」というのがとてもフランクな挨拶に勘違いしてる状態の人を作ったのも社会構造の膿みと思えなくもない。
今の俺の結論では、no_softbankのような糞虚構童貞匿名アカウントはどんどん晒して「役に立たないネガキャンやめろ。生涯童貞でいいのか」と炎上するほど多くの人からの忠告が続けば腐った自尊心も意味をなくして撤退するんじゃないかと思うし、もし身近にno_softbankの本体がいたとしたら優しく向き合い、リアルで生きようと思わせるような世の中が今はいいと思う。
長かったがそれが言いたかった。
いいよね、女の子って。やわらかくてムチムチしてて単細胞でいいよね。女の子いいわぁ。
ちょっと話聞いて、同意してやるとすぐやらしてくれる(※)
友達で顔も悪くないけど全然モテないやつがいて、そいつはずっと女に「オレ論」を語って聞かせてる。
世の中はこうで、こうなってて、お前はこうだから、こうするべきだ!みたいのを熱く語ってる。
はたから見ててアホちゃうかと思う。頼られたい、男らしい、って思われたいんだとさ。
そういうのエゴだと思う。
楽しい時間を共有してあげて、マメにメールとかしてあげて、あとはクソつまんない話を真剣な顔して聞いてあげてるだけ。
で、その話を聞いてる最中に、ほんのちょっとだけ、普段オチャラケてる増田がこんなこと考えてんだーっていう意外性みたいのとか、
ちょっと悲しい過去みたいのはさみ込めばもうパンツに手がかかってる。
母性をくすぐってあげればいい。マッチョな感じとかいらないし女の子はそんなの求めてない。
羊の皮もかぶれない不器用なやつは、見ててどんくさいなぁと思う。
いいんだよ女の子抱きたいなら我を通すなよ、マゾっぽいねーとか、なんかワンちゃんみたい★とか言われてりゃいいんだよ。
でも、そこ女の子、君、いいわぁ。
むっちむちしやがって!!!
僕がちょっと話聞いてあげようか?
→子供は自分が可哀そうかどうかなんかわからない、親自身が子離れできずメソメソしてるだけ。
例)「そうかもね、でも結局悲しんでるのは自分ら親なんだよね~」
→仕事をして金を得て、子どもにしっかりとした教育を与える方が、貧乏でまともな学歴を与えられない親よりよっぽどまし。
例)「てゆうか、やっぱ先立つものがないと学校も選べないからね、だから、今のうちに頑張っておこうって気になる」
・費用対効果考えろよ!
→母親のキャリアをみて育った子は、将来それに近いキャリアを積む可能性が高く、社会貢献の度合いも高まる。
例)「確かにね、でもそればっかりは、将来に期待するしかないかな。」
→育児は質。46時中一緒にいてヒステリックに子育てするよりよっぽどまし
例)「そうかもね、でもずっと一緒にいたら私忍耐力ないからすぐ怒っちゃうかも。そのかわり一緒のときは集中して遊んであげられる」
私は卒研のテーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年間自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せでした。ですので、後輩にもぜひ好きなテーマで卒研をして欲しいと思っていました。
私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいました。しかし、後輩に「今の自分の研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました。
どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした。
そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOのwikipediaの考察がいかに素晴らしかったか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました。
また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです。
これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)
他にもネットを探すとユニークなテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手と結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります。
卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです。
たしかに、「好きだからテーマにしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です。研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。
もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。
論文とは「問い」です。一般的に論文のテーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。
「ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなぜラノベが好きか」ということになるのでしょうか?
これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。
「「好き」は理性ではなくエモーショナルな部分に依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」
つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです。
そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです。
さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義」ですが、混沌としているようですね。
程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性(20~30代)でしょうから。(成人男性が青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)
また、文学・物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念を引用することが結果を導く前から既に必要となります。
例えば、物語的に観れば大塚英志が提唱した「物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。
ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。
オタクたちのメンタリティには、教養主義や文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。
ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワード(カテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。
ところで、先ほどラノベの定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義の文学に「SF」がありますね。
サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました。
小谷真理の『女性状無意識』に対する松岡の批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。
最初にハーバード大学のフェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネーシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノガイネーシスはそれにもとづいて提案した新概念で、
父権的な社会が蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。
長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会の価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世の魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動やセクハラ問題が噴出してきた。
では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性的無意識を象徴するガイネーシスになるのではないかと見た。
それにしてもいつのまに、女性こそが文学の可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。
まずはエレイン・ショーターが父権的文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFとフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した。
(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。
しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFとフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。
ということで、ここでは「外部の他者」たる女性と文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとではないのではないでしょうか?
では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます。
そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は
「【デリダとは】仏哲学者。20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学の呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」
とツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))
デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪の彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要ではないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーのニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)
ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。
女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである。
女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性の本質は存在せず」、「女性の真理は存在しない」。
女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性の本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分が存在しないということを知っているということである)。
実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニストの女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性が男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)
ニーチェの『善悪の彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。
真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。
そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか。
デリダは女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした。
つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから、女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。
見事にややこしいこの解釈から、女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。
ニーチェは芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。
であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)
十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉を発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレートな表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる
という指摘もあります。
例えば、オタクにとっての現実における外部性にインターネットがあります。
○オタク男性であろうツイッターユーザーのアイコンが、イラストやアニメの美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性を無意識に象徴しているのではないでしょうか。
また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユングの提唱したアニマ(男性の女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。
このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性が
先程のツイッターのイラストやアニメの美少女アイコンを無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?
以上より「ラノベ読者はなぜラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ、家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです。
○ラノベの本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51683796.html
「日当貰って雪かきさせる」どころか
「こっちが参加費支払う、なんて非常識!!」と2ちゃんねらーの非難を受けている。
勿論、全ての雪かき労働ニーズを「都会人の観光気分の労働力」で
「体験させてやるから金払え」という倒錯ビジネスは成立する余地はある。
実際、ここの雪かきツアーも「今回が4回目」ということだから、
(というか、それなりにリピーターが付いているのでは?)
ということで、
「体験させてやるから金よこせ」と倒錯させるのは、ニッチ的には成立しうる。
例としてまず「介護」を考えてみた。
「特別擁護老人ホームの介護を1日体験できます、参加費1万円」
・・・しかし、シモの世話とか大変そうだし、気難しい老人相手だと、何だかなあ・・・
気を取り直して「保育」。
世の中には「赤ちゃん好き」という人はそれなりに存在するから、
ある程度のニーズは見込めそうだが、もう少し「お手軽感」を出したい。
「赤ちゃんの相手を10分~1時間できます、お手軽に母性欲(?)を満たせます」と
虫のいい企画があれば、
「子供が欲しいけど出来ない、母親ごっこしたい30代女性」とか
「嫁が孫に会わせてくれない、孫みたいな赤ん坊を世話したい60代男性」とか、
「猫カフェ」というのが世の中にはあり、「喫茶店に猫が徘徊していて、触れ合うことができる」
のがウリだそうだが、それをまねて「赤ちゃんカフェ」を作れば、
意外とヒットするかも。
「赤ちゃんを抱っこできるなら、1,000円払っても惜しくない」
話には聞いていたけど、我が家でもここまでひどくなるとは思わなかった。子供が生まれてからがひどい。
母親は嫁の気持ちがわかるらしく、嫁が姑に反発した気持ちを持つのはある程度は仕方がないと言ってはいるのだが、月に2回ぐらい、孫の声聞きたさにこらえきれず電話してしまうのだろう。
嫁にとってはそれが我慢ならないらしい。
昨日の朝、親から電話があって5分程度、姑が用もないのに電話してきたといって、せっかくゆっくり過ごそうと思っていた正月休み最終日が台無しになったといって一日中イラついていた。
こっちこそせっかくの休みを家族仲良く過ごしたかったのに一日中嫁のご機嫌取りで疲れ果ててしまったのだが、そんなことは今の彼女が気づくわけない。
子供が生まれる前は、むしろいいお母さんだねとかいっていたのに、妊娠したころからおかしくなって、今じゃうちの実家の話題がでただけで一気に気持ちがささくれだって周りに当たりちらすようになった。
これって、子を産む際に出てくる母性本能とかで自然に出てくるホルモン的な作用で一時的なものだったらいいけど、そうじゃないとしたら正直厳しい。