名前を隠して楽しく日記。
女のアドバイスに従っても彼女ができるという実績がたいして無いからだろ。
実績が無ければ何を言っても響かんよ。
例えば実際にモテてる奴らで、女のアドバイス通りの行動をしてる奴はどれだけいる?それを考えるだけでも女のアドバイスは現実を反映してないことが分かるだろ。
小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。
漫画家の芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。
(日テレ版は報告書本体のリンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)
日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!
そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員と上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。
特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE が普通ではないかと指摘したり
「今時のJKは短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情に精通していないなんて…。
また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の 100M 以内との吹き出しの記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された
(略)
ヒンズー教徒が多いインドでベリーダンスをするという点に疑問を呈した
(略)
またダンスの動画についても、初心者に過ぎない田中さんのダンスが動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。
日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。
「めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?
社員 A は、上記の 10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。
「確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名)から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」
以後のメールで日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)
都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)
10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通のドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。
芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンスを田中さんがステージで踊る際、演出では「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリージ衣装でドラムソロを踊ることは、ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。
これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちに、ダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK の確認が取れたと連絡してきた。
しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。
(略)
ところが、後日、芦原氏は、「ハリージ衣装でドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影は 10 月 10日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A からの 10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HP や DVD への釈明文掲載等を日本テレビに要求するように社員 A に依頼した。
3話リテイクの経緯詳細。
日テレ版では、
2023 年 10 月上旬、ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者の意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。
その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度をさらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!!
まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?
そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)
この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビに送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。
その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示の原案では小学館と原作者双方の同意が必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手を小学館に限定する修正依頼があった。
原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、10 月 23 日に日本テレビに送った。
うーんこの。日テレが原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。
社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。
本委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。
しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
そんなこと言ってたら著作権法に基づいて、GPL というコピーの再配布を強制する仕組みを作ったことも否定することになるな。
報告書(https://www.shogakukan.co.jp/news/476401)を読んだので感想を書く。
・なるほど。顧問弁護士と社内の人だけで報告書を書くと、こういう小学館側の主張を一方的に発信するような文書になるのか。自分たちはやることやっていたという思いがにじみ出ている内容(なお、日テレは社内特別調査チームは「社内」とはいえ、利害関係のない社外の弁護士と、社内のメンバーの半々の構成)。
・過去、漫画家の先生方が小学館の不誠実な対応を批判していたことを考えると、この内容をそのまま鵜呑みにするのもよくないのだろうなぁ。
・とはいえ、芦原先生が大変な苦労をされて何とかドラマを成立させようと頑張った様子は、文書に残っていたものであり、日テレの報告書よりも更にしっかり伝わってきた。
・契約書の着手も遅いし、その後のやり取り物凄い遅いうえに最終的に「放送終了までに日本テレビから戻しはなかった」というのは凄い話しだ。
・日テレも小学館も電話とか会議をしたら、そのときのメモや議事録を残しておかないものなのかな(提言の中でも指摘されている)。
・日テレは脚本家を含むコアメンバー皆でプロットを考えていて、そのことは小学館側に何度も伝えていたというけれど、小学館側の報告書は、脚本家が全部考えているような前提で書かれているように見える。伝わっていなかったのかな。不思議。
・日テレの報告書は、提言の中で両社のコミュニケーションを丁寧にすべきだったと言っているけれど(それが肝だろうと個人的には思っている)、小学館の報告書の提言ではそこにはあまり触れていない印象。小学館側の人たちは伝えるべきことはきちんと伝えていたという事実認定のもとでこの報告書は書かれているから、あとは日テレ側の問題であって双方のコミュニケーションの話しではないよね、という整理なのかな。
都知事選、共産のいつもの神宮の森がとか、葛西臨海公園の森がとか、豊洲市場の時と同じ難癖を共産がするのはクソなんだけど、それに乗っかる蓮舫立憲ってなんなの?
結局、共産のいつものは豊洲市場で無意味どころか害悪だったとバレてるし、今回もプロジェクションマッピングがとか神宮がとか言ってるけど、共闘()なのかわからんけど、国会議員からの落下傘候補でまともに都知事としての政策無いまま立候補するとかクソなんだけど。
なんかないの?
今日はエスカットショップで散髪をして、けんぷくに相談に行ったが、言動がどんどん、ざちゃんになるので、お前はざちゃんだろうというような話になった。5時から大雨になったが
けんぷく前を移動している人を見る限り、変な人がいるような感じはないように思う。
部屋に帰って、濱田浩輔の、パジャマな彼女とかを検討していたら、2巻にかなり残酷な表現がみられるように思う。
ざちゃんに何を言ったかと言うと、とにかく、1年前から、人工知能の光線が寝ている間に入ってくるから、 それを遮断する、 鋼鉄か何かを窓に貼るしかないだろうという趣旨の話。
昔はアベノマスクを使っていたが、 5月10日に、小茂根4丁目で買ったダイヤモンドマスクがそれよりもよくて最近はよく使用している。
所沢と書いたトラックを最近よく見かけるのと、そこに、なんか、 いま東京で流行りの、クソ動画で動いているのではないかと思われる、アンドレヴェイユみたいな顔のトラック運転手とか
いやそいつらに言えよ
お父さん、お母さんが楽器を弾けるなら、以下の文は、釈迦に説法、孔子に論語、ラフマニノフにソナチネ、パガニーニにクロイツェル。(後ろの2つは聞けるものなら聞いてみたい。)
ガチで音大目指すとかそういうのじゃなく。子供に楽器を習わせている一人の親として。自分は趣味で楽器が弾けるだけ。業界の人でもプロでもない。
子供がピアノとか弾けたらいいなとか、バイオリンっひけたらかっこいいなとか。そんな感じで子供(4歳くらいから小学生低学年まで)に楽器を習わせたいなと思っている親御さんへ。
習わせる覚悟は犬を飼うのと同じと思ってね。親が思う、「趣味程度で楽器が弾けるといいな」になるには、最低10年、だいたい15年くらいは習わないと、そうならないと思う。
犬と違って、途中で辞めることはできるけど。
子供が「ピアノやだー」っていってても、レッスンには毎週連れて行って、うちで弾き始めたら「うまくなったね」って言って、だらだら続けていれば、いずれ楽しく弾けるようにはなると思う。
自分の子供にはピアノを習わせてる。5年生(女)と2年生(男)だけど、一緒に習っているお友達がだんだん辞めるようになってきた。
特に小学校低学年でかなりの割合の子が辞めちゃう。3~5年くらい習ってたことになるんだけど、それだとたぶん、この先は趣味でもピアノは弾けないと思う。楽譜も読めないと思う。
すごく勿体ない。その時間、別の習い事をしていればとさえ思う。辞める理由は、練習しなくなったとか、お金がかかるからとか。
発表会でもうちの子より上手に弾いてたのに、と思うと、本当に勿体ない。
楽しく自分のペースで弾けるようになるには、中学終わるくらいや高校生までかかると思う。そこまで続けば、しばらく休んでも再開できるし(手は動かなくなってるが)、楽譜もそこそこ読める。
いわゆる才能があって、小学生の間に、上手に弾けて楽譜も読める子は、たぶん辞めたくないっていうし、先生も引き留めるから、大丈夫。この話の対象ではない。
子供に楽器を練習させるには親の協力も必要だ。鈍感力(できなくてあたりまえ。家ではほぼ騒音)と、共感力(できたときに褒めるだけ)、忍耐力(練習していないままでもレッスンには連れて行く。)が必要だ。
それに加えて、やっぱりお金。毎月最低1万円くらい×12ヶ月×12年。だいたい150万円くらい。楽器代や楽譜などの教材費は除いてそれくらいはかかる。
よく、ピアノは中古でも高いとか、バイオリンは買い換えが・・・、とかいうけど、長期にかかる月謝も高い。
塾や習い事が増えてきて、お金もかかるし取捨選択を迫られたときに、どうしても楽器は辞める方向になりがちだ。お金を出しているのが、楽器を弾かないお父さんだった場合は特に。
でもちょっとまってやって。ここで辞めたら無になる。ここは、投資で言う「コンコルド効果」をいい意味で考えよう。「ここまで払った投資が無駄になる。きっと上向くはずだ。」
自分は4歳から高2までバイオリンを習ってた。親は楽器は弾けない。
中学生、高校生の時はほとんど練習せずに週Ⅰレッスンだけ行ってた。だから、同じ先生に習ってた同じくらいの年の子より数段下手。ソロで人に聞かせるレベルではない。
でもね、楽譜みながら、一応音は拾えるし(拾えたからといって弾けるとは限らないが)、楽器は楽しい。
妻は中学か高校までピアノを習ってた。大学の軽音楽部で知り合って結婚した。そのとき僕はバイオリンではなくウッドベース弾いてたけど。
子供に楽器を習わせてるのは、ただ1つ、大人になって楽しみが増えるから。一人でも楽しいし、数人集まっても楽しい。
スポーツと違って、対戦相手もいらない上に、仲間がいればもっと楽しい。ケガもしないし、遭難もしない。超平和。
非公開モードで+1
ここ数日、増田界隈ではぬいぐるみペニス現象(ただの友人だと思っていた友達が突然恋愛感情(もっというと性欲)を見せてくると、女はドン引きする)について分かる・分からんの話が盛り上がっているが、今日Xで流れてきたある男性の「オペラ座の怪人」の解釈が、扱うものや主張の方向性は違えど、同じような議論の呼水になっていた。
事前情報としてお伝えすると、オペラ座の怪人といえば劇団四季でもお馴染みの、フランスの伝奇小説を叩き台にした、メロドラマミュージカルだ。オペラ座のコーラスガールのクリスティーヌが、謎の存在「オペラ座の怪人」に見出されてプリマドンナになるとともに、突然現れた幼馴染のイケメン貴族とあっという間に恋に落ちたため、怪人が嫉妬に狂って人を殺したりシャンデリアを落としてオペラ座を破壊したりする話である。
物語のラストで、怪人はクリスティーヌに「俺と結婚しないとお前の恋人を殺すぞ!」と脅迫するのだが、そこでクリスティーヌは怪人にキスをする。怪人は泣き崩れて、クリスティーヌを恋人ごと逃してやる。この切なすぎるラストは、いろんな解釈を産み、きちんと出版された二次創作や、さらには二次創作ベースの別のミュージカルなどもある。
今日Xに流れていたのは、デジタルデザイン分野でご活躍されている男性のツイートで「劇団四季のオペラ座の怪人を見に行ったが、ラストのキスシーンを2人が愛し合っている証だと理解できないほどに日本人の読解力は弱くなっている(要約)」というものだった。重ねて、「原語(英語)のままで鑑賞できない、日本人の英語力の問題だよなあ」という発言もあった。ただ、私もオペラ座の怪人は日本語版でも英語版でも複数回鑑賞し、英文のスクリプトも精読したこともあるので言いたいが、英語で読むと余計にそんな単純な話じゃないと思う。
ある一つの解釈としていえば、オペラ座の怪人は典型的なぬいペニショックの話でもある。うっかり幼馴染のイケメンといちゃついているのを見られて、怪人の怒りを買ったクリスティーヌは殺されかける上、その後拉致監禁され、無理矢理に怪人と結婚させられそうになる。クリスティーヌは強いショックを受け、そのうちに怪人を憎み出す。クリスティーヌにとって怪人は、死んだ父の代わりであり、腕のいい教師であり、何かと融通を聞かせてくれる守護天使なのだ。そんな相手が自分と結婚しろ、彼氏とは別れろなど、彼女からすれば青天の霹靂、ぬいぐるみ(無害な存在、なんなら都合のいい存在)が性欲モロ出しで迫ってきたも同然である。そのため、作中ではクリスティーヌが「ずっと私を騙してたのか!」と怪人にブチギレるシーンがある。観客からすれば、怪人がはじめからクリスティーヌを性的に見ていることは見て取れるが、怪人は「私は君の父親、守護天使」とあくまで下心がないとクリスティーヌには振る舞うため、クリスティーヌからすれば怪人は性的なことから遠いぬいぐるみである。
オペラ座の怪人はぬいペニ現場の分かりやすい例だと思っていたのだが、人によってはこの2人に男女の愛があると解釈し、あまつさえ「この解釈ができないのは日本人の読解力が下がっているから」と決めつけているので、こりゃあぬいペニ現象も分かる人・分からない人に別れるよなあと思った。
怪人とクリスティーヌは、怪人の思いが隠れているうちは信頼関係があった。なんなら2人に肉体的な接触はなかった。しかし、クリスティーヌの彼氏の登場により、怪人は粗暴な手段でクリスティーヌに言い寄り、結果ドン引きされている。ぬいぐるみにペニスがあるわけない、という思い込みが外れたショックに加えて、怪人がペニスを押し付けてくる(比喩)速さ・手段の荒々しさに、クリスティーヌは引いている。これで「ぬいぐるみだと思う方が悪い」「ペニスがないと思い込む方が悪い」というのは、さすがにクリスティーヌが可哀想ではないか。
それでも、これが怪人とクリスティーヌの激しい恋の物語で、ラストは愛し合いながらも引き裂かれる2人だ、それが正しい解釈だという風に言われるならば、ぬいペニ現象について理解が進むのって難しそう〜とげっそりしてしまった