はてなキーワード: 関東とは
関東の病床は既に埋まってるよ。
比較的感染者が少ない地方都市だが、職場の人間やSNSで繋がってるフォロワーがこの4連休に旅行や帰省で県外に出ている。
私はコロナ前は3ヶ月に一度は旅行するほどの旅行好きで、イベントやライブも大好きでよく参加していた。
今は全く旅行をしていないし、イベントやライブに参加もしていない。
持病があり、コロナに感染すると重症化する可能性が高いからだ。
GOTOトラベルの時も県外に出たかったが我慢して県内の観光地ですませた。
友達も全員関東と関西に在住しているため、会うことができない。
関東在住の彼氏と遠距離恋愛していたが、コロナが収束する気配がなく、会うことができないから別れた。
ずっと我慢している。
自分ほど徹底する必要もないとは思うが、緊急事態宣言が出ている時くらいは我慢できないか?
会社の隣の席の人はお盆に関東の実家に帰るらしい。友達が皆関東在住のようだから、大型連休のたびに帰省しているようだ。
彼がコロナに感染したらほぼ100%私も感染してしまう、と断言できるほど仕事で接触している。
東京の感染者数が増えていくのを見ながら、一体彼が何千人まで増えたら帰省を断念するのだろうかと日々考えている。
……どうせ、3000人以上増えたとしても理由をつけて帰省するのだろうが。
わざわざ感染者が多い地域に出向く人は、自分が感染した後のことを考えたことがあるのだろうか?
タイトルの通りだ。
正社員だが就活に失敗しブラックなので派遣になって定時に帰りたい。わたしのスペックは以下である。
年齢 20代後半
性別 女
結婚 予定なし
物欲 最低限生きられればよし
資格 某主要教科と副教科の高校教員免許とTOEIC700と簿記(2級がもう少しで取れそう)
ガチのコミュ障に組織で上のご機嫌を伺いながら生きるのは無理だ。
幸いローンの払い終わった今住んでいる首都圏の実家を相続するので今かなり貯金はできている。
正社員の間にあと何の資格を取っていくら貯めれば非正規でも逃げ切れるだろうか。とりあえず簿記2級は絶対に取るつもりだが、あと何が必要だろうか。
よければだれか教えてほしい。
Yahooニュースで国交省が「建設残土を排出から処分まで追跡記録‥」と掲載されていた。
でも、建設業に従事する自分からの視点では追跡記録は解決策ではない!
土石流として流れた残土が仮に「佐藤さんの残土」なのか「鈴木さんの残土」なのか記録してもしょうがない。
都心の工事でもそうだが発注者の「指定地処理」「自由処分」の指示のもと、埼玉県の谷を残土で埋めて、千葉県の山を削って工事に使う「谷を埋める」「山を削る」事が問題である。
近年では関東圏だけでなく、地方にも残土をリサイクルする施設があるのに活用しないのである。
それゆえに熱海市業者のように、リサイクルしないでお金だけもらって谷に捨てる方が儲かるのである。
そのような現状を把握せず「追跡記録」して谷を埋めてもしょうがないのである。
国県市町村の方々には「捨てる」より「リサイクル」を徹底して貰う方が脱炭素や持続可能な社会に繋がるのではないか?と思います。
https://togetter.com/li/1745759
・関西人が自称標準語話者の話やテレビ等での関西弁の違和感の話を不用意にしてしまったのを見計らって返信をつけずに全体向けに複数の人間が関西ヘイト発言
・ヘイト発言に対して指摘されると関西人の特権意識や差別意識が悪いという理屈を持ち出しコメント欄でレスバ
・まとめ内容について話していた人がコメント欄の酷さに苦言を呈しているコメントが集まってきたところで最初の不用意な発言を持ち出して最初にヘイトを撒き散らしたのは関西人と主張
・人が減ったコメント欄で関西人に対しての差別的表現を交えながらまとめ内容に関係ない関東の方言の話を続けている
流れ酷すぎだろ……
今の夫が彼氏だった頃に住んでいた街。突然の転勤で関東に来た夫は、家を決める猶予をほとんど与えられず、適当にネットで調べて決めたそう。関西の果てから、見知らぬ土地にやってきて、成り行きで決めた街。その後すぐに知り合い、付き合うようになってから、よく遊びに行った。
なんというわけではない街だった。駅前には大きめのスーパーとドラッグストア、少し歩けばドン・キホーテがあったので生活には事足りた。ドンキの98円の低脂肪乳は飲んではならない。無の味がするから。ファミレスはデニーズとサイゼリヤがあった。デニーズで良く寝起きのままクロックス履いてパンケーキ食べた。車は、屋根のない駐車場に止められていたが、おかげで少し遠いロイホやショッピングモールにも行けた。お洒落なカフェなんて全然なく、駅前のドトールでミルクレープか、ランチはコーヒー飲み放題の床の軋む喫茶店で野菜カレーを食べた。
適当に決めた家は広いとは言えなかったが、そう悪くはなかった。上の階が大学生らしくたまに大パーティーを繰り広げてたけど。あと、目の前がかなり古びたラブホだったけど。平成も終盤だったのに、テレビがコイン式という噂だった。よく昼間にセーラー服の女とスーツの男が入っているのを見かけていたがあれってイメクラ的なやつだったのかな。そういうことにしとこ。
結婚してその家は離れて、都心に来た。壁ドンもされないし、最低料金が毎日提示されててその看板も褪せてる風俗もないし、遮るものがなくて暑すぎるから遊びに行く時いつも駅前のコンビニで買ったアイスをかじりながら歩いた道もない。どう考えても今の方がいい環境なんだけど、たまに無性に懐かしくなるんだなあ。