はてなキーワード: 母集団とは
その結果、幸せになれるはずのほかの女たちも、どんどん結婚率が下がって 『働かされる』 という状況にってるわけだがな。
こういう言い方は、非常に申し訳ないが
自分たちにも問題があったのでは(男の選び方含め)と考える母集団と 社会が悪いと考える母集団。
端的に 結婚年齢が上がってしまった(就労機会の増加では無く)というのは 失策でしょ。
女性の社会参画はあってしかるべきだと思うが、 いまの無計画な権力増加運動は めぐりめぐって女性を不幸にしてるだけだと思う。
無計画な権力増加運動なんて、そいつらが一番嫌う 暴力的な男のやり方じゃ無いか。
男性との棲み分けを考えず、 女性に権利を権利を権利を権利を って集団がまともに機能するわけが無い。
社会は結婚なしにまわらないし 結婚する以上 男性との住み分けだし 男のように女が働けないしその必要も無し 女性は女性が幸せになるように働けば良い。
理系は大抵の場合大学院に進む。その理由に進学率も5割から8割と高い。
まぁ、たいていのガチ理系の大学卒のやつは、大学院に進んで当たり前と思ってるだろう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1286737912
卒業者
総数 -------------- 99,813,000
大学院 ------------- 1,382,200
およそ、大学そのものへの進学率が5割ぐらいだから。この大学院卒の過半が理系だとしても
純粋な理系的な理系の卒業者って、200人に1人ぐらいの 滅多にいない奴。って事だと思ってるけど 違うのかな?
電機メーカーなら 石をなげれば理系に当たるだが・・・普通に母集団を取ると いわゆる典型的な理系なんて探さなければ見つからないレベルだと思うんだが。
大局的に見ればそういうふうに収束していく
ということが起こらないと言ってるです。
全国引っ括めて全く同じ試験を受けて測れる小中学生に限定してなら
ありえるけれども、日本人を全員、あるいは18歳人口を全員となると
横からだけど、それだと「母集団が複数あるから偏差値50以下は50%とは限らない」という話はできるかもしれないけど
「日本の半分は偏差値50以下 それは増田の頭の中にだけある日本」とまで明確に否定できるとは限らなくない?
ひょっとしたら偏差値50以下が50%と一致している可能性だってあるんだし、大局的に見ればそういうふうに収束していくようにも思える。
明確に主張が異なるっていうデータがあるんだったら納得するわー
学力偏差値の話なら、受験の傾向によって母集団が同じじゃないから
地方国立工学部受験組の偏差値55と早慶法学部受験組の偏差値55を
同じ偏差値55と見なせないじゃん
受験の傾向がバラバラな以上、一つの母集団に統一することはできないのだから
日本人を一つの母集団として上位から下位まで順に大学に振り分けていくと
学力偏差値50のところにいる人はFランクでした、とはならない
なので、大学進学率約50%を以て「大学行ってない奴が50%ぐらい」としても
学力偏差値50以下と「大学行ってない奴が50%ぐらい」に因果関係があるとは言えない
学力偏差値以外の財力と価値観の要素が大きくなってくるのもあるしね
ちなみに日本の大学の内訳は 国立86校 公立81校 私立596校 (H23.5.1現在) だそうで
私立の圧倒的殆どがFランクなのを考えれば、学力偏差値で合格が決まる人はそんなに多くない
面倒臭いところすまんね
あのなー。そもそも東大生の平均IQが120って説の正しさを疑えよ。
平均IQが120ってことは、知能偏差値にして、東大生の平均知能偏差値は60ってことだよ?
ところで東大の入学標準偏差値を知ってるかな? だいたい、代ゼミとか河合あたりで70。
もちろん、知能偏差値は、だいたい全人類を母集団としているし、代ゼミの偏差値の母集団は、おおむね日本で大学受験をしようとしている人。
とすると、平均は明らかに「日本で大学受験をしようとしている人」>>>「全人類」 なのだが、なおその平均の乖離があっても、東大生の平均知能偏差値が60で代ゼミや河合の入学標準偏差値が70であることの説明はなかなかつかないと思うよ。
ウィキペディアによると、軽度の知能障害は、知能指数は50~70程度。
中度の知的障害は35~50程度。
知能偏差値でいえば、25~35が軽度の知能障害、17~25が中度の知的障害、
ということになる。
ところで、50が平均なので、25~35や17~25に対応する高いほうの知能偏差は、
それぞれ65~75と75~83。
つまり、偏差値50の人たちにとって偏差値30が知的障害ということになると、
偏差値70の人たちも逆の意味である種の障害とみなして良いということになる。
仮にそうだとすれば、東大や京大、東工大や一橋大の偏差値は概ね70だが、
母集団に補正をかければ、さらに偏差値は高くなる。りっぱな障害者だ。
逆に、この人たちの集団の中に偏差値50の標準的な知能の人がごく少数入り込んだら、
その集団の中では、標準的な知能の人は立派な知的障害だ。
何を言いたいかというと、自分は普通だ、と思っている人たちは、単に自分が含まれている集団に
庇護されているだけだということだ。
個体と母集団との関係は一意的ではないからもちろん理屈としてはなり得る。
ただし個体と母集団との相互作用の度合いは一定ではないから、どんなフェーズにおいても一定の再評価対象となるわけではない。
したがって「ひとえまぶた」「現在、茶髪」などの母集団が「女性」や「日本人」という母集団と同等の評価を得ることは難しいだろう。
これってとても不思議なことで
別のことなんだよね。
別のことのように見えて、実は別のことではないよ。
個体というのは母集団があって機能する。つまり澤選手個人を全くどんな母集団とも切り離した状態で思考することは現実的ではないし、あまり有意義な議論にはなり得ない。
ただ個体と母集団との関係は一意的ではなく、様々なフェーズで母集団を設定することが可能である。
例えば、増田の例のようの「女性」という母集団だったり、「日本人」とか「女子サッカー」という母集団だったり。
あるいはもっと限定的に出身地である「東京都府中市」だったり、もっと小さい単位、「澤家」だったり。
そして個体の活躍によって当然母集団の能力は再評価される。なぜならその母集団がこれからも同様の、あるいはそれ以上の個体を生み出す潜在能力を有していることが明であるからだ。
何故放射性物質ばかり気にするかって、そりゃ、長年の教育の成果でしょう。
(a)「放射能は恐い」「ナガサキ・ヒロシマの悪夢を忘れるな」
一方で
3.11に(b)が引っくり返ったわけで、そりゃ一般人の考えとしては(a)に転ぶでしょう。やっと俺達の時代が来た! とか言ってる尻Pみたいな人間は例外中の例外。
そもそも「数値で判断する」あるいは「科学リテラシ」という能力が一般人に備えられているかっていうと、甚だ疑問。それを育てるべき社会の公器()マスメディアからして、永久機関を何度も記事にしては無能を晒しているわけで。細かく見ていくと、自分で取ったアンケートのデータもまともに読めない記事 (例えば母集団の偏りを無視して「東大に入る子供の母親の○○割は専業主婦!」とか言っちゃう) は山ほどあるよ。
見てみた
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-20389020110401
このデータでは
アジア地域では、マレーシアが最も高い9位で、続いて香港(12位)、韓国(13位)、日本、台湾(25位)、中国(29位)などが入った。
別に低くないなー
EF English Firstという会社がどんな母集団相手に調査したかわからんのでアテにならんけど。
(同社の英語塾の生徒相手ということなら、国ごとに客層が違ってもおかしくない)
http://www14.plala.or.jp/EISIND/sekaieigojijyou.html
toeflの平均点はずいぶんなことになってるけど
本気で留学する人だけがtoeflを受ける国と、英検3級の次に受けてみるひとがいる国を比べても意味ないから、
これだってアテにならん
横だし、文脈関係ないけど
ウィキペディアによると、軽度の知能障害は、知能指数は50~70程度。
中度の知的障害は35~50程度。
知能偏差値でいえば、25~35が軽度の知能障害、17~25が中度の知的障害、
ということになる。
ところで、50が平均なので、25~35や17~25に対応する高いほうの知能偏差は、
それぞれ65~75と75~83。
つまり、偏差値50の人たちにとって偏差値30が知的障害ということになると、
偏差値70の人たちも逆の意味である種の障害とみなして良いということになる。
仮にそうだとすれば、東大や京大、東工大や一橋大の偏差値は概ね70だが、
母集団に補正をかければ、さらに偏差値は高くなる。りっぱな障害者だ。
逆に、この人たちの集団の中に偏差値50の標準的な知能の人がごく少数入り込んだら、
その集団の中では、標準的な知能の人は立派な知的障害だ。
何を言いたいかというと、自分は普通だ、と思っている人たちは、単に自分が含まれている集団に
庇護されているだけだということだ。
実際かなり胡散臭いだろうね。
(詳しくないけど)生体反応回路的に効果があるはずだとか、そういう力学的な裏付けがあるならまだしも
純粋に統計的に効果がありそうという結果になっただけだとしたらかなり怪しいと言っていいと思う。
経済と医学は、複雑系におけるレアイベントの問題だという点では同じだけど、人間の体は物理法則に従っているのは
確実なので、その点において信頼性が全然違うと言えるんだと思う。統計的に有意かどうかはあくまでオマケというか。
経済は法則自体が時々刻々変わってるし、そもそも法則性なんてもんがあるのかすらはっきりしない。
母集団を沢山集めればどうにかなるとかいう問題じゃないと思う。着目しない部分については完全に一致させたサンプル
(統計力学的に言うとアンサンブル)を沢山集めて何か言えたとしても、1日経ったらあんま意味無いということになる。極端に言えば。
ぶっちゃけ、統計学は社会的に需要がある(=金になる)から勉強するけど、科学としては面白くもなんともねーなーというのが個人的な感想。
いや、統計的なモデルを用いた説明 じゃなくて、 統計的なモデルを用いた再現性だから。
経済学って、十分な母数で十分な試行回数って出来ないだろ。 経済そのもののスパンが数年 それを10回統計やったら30年近く過ぎることになるが、
30年過ぎたら、もう、経済の母体が変わってるだろ。だから、統計的なデーターが取れないだろ。
そうは言っても、地震の観測などと同じで、もともと、天気予報も地震予報も当たらないものだったが、いまは、昔よりは正確になっている。というのを非科学的と言えないように。
経済学のモデルが、酷いかどうかは別として、今の予報確率が低かったとしても、それは、統計の母集団が荒いからであって、別段非科学的ではないだろ。
いちおう、オカルトというよりは、マシな母集団と、論理的な導出にはなっているはず。
あと、どっちかというと、分野的には、ナッシュ均衡のような論理的導出(論理的な再現性)の分野で、統計的じゃないしな。分野が。
というか、もっとぶっちゃけて言えば、決まったフォーマットで論文を提出できて、権威ある機関の査読が通れば科学的。というのが、いわゆる科学的で。
その時の要件が、おおよそ。論理的な導出が出来るか、その分野の決まった条件を満たせる統計データを出せるか?だから。だいたい、これでいいと思うけど。
明確にコレというより、合議で決まってる面もあるしね。