はてなキーワード: 一周忌とは
1年か。おかあさんが死んで。正直、まだ1年しか経ってないんだ。もう数年経ってる気がする。
それだけ、いろいろ考えたからだろうか。
おかあさんが死んで、1年。
おかあさんへ、
おかあさん、いま、どこにいる?
おかあさんと話したい。
どうとう前に、俺にボツっと、あんた飲みすぎなさんな。人に迷惑かけなさんな、と言ったよね。
俺は、おかあさんに言われたこと守ってるよ。
おかあさんは、たぶん俺に、もっと言いたいこと、たくさんあったよね。
おかあさん、ありがとう。
控えめなおかあさんとそのまま受け継いでるでど、その気質を武器に、まあうまくやってるよ。
俺は、おかあさんの子だから、おかあさんの考えてることは分かってる。だって、遺伝子は俺の中に半分受け継いでる。
俺はおかあさんが半分入ってる。
だから、おかあさんは何も心配するこはない。俺がおかあさんだから。俺はおかあさんのDNAだからね。
夏、帰るよ。おとうさん、楽しみにしてるよ。
3年前の夏、私は実家に帰った。お仏壇のある部屋には、認知症の祖母が寝たきりの状態でいた。
その以前から遅々として認知症の症状が進んでいたが、その頃には私と弟の区別がまるで付かない状態でいた。
「誰かね。(弟)かね」「(私)だよ」
あれほど大好きな祖母が、私の事が分からないのが不思議だった。
「そうかね。(私)はオートバイで死んだよ」「ふふふ、おばあちゃん、違うよ。(私)はまだ死んでないよ」
その時、ふと目が覚めたように、祖母は私に気付いたようだった。
「ああ、(私)かね。(私)はいつからそこにいたのかね」「さっきからずっとここにいたよ」「元気かね。今、何をしてるのかね」「東京で仕事をしているよ」「ああ、東京でなんてね。大変だ、大変だあ」
私は、一瞬だけ元に戻った祖母の声を聞いて、涙を流した。声色を正すのに、精一杯だった。その後、意識が混濁した祖母は、弟の名前を叫んでいた。認知症の人は、いくつかのパターンにかなり明確に分けられるという。祖母は、火やガスの心配をしきりにするパターンであった。
祖母が死んだのを知ったのは、ある日の金曜の22時前であった。数人で残業していた時に、突然、母親から電話がかかってきた。母は涙声で、祖母が死んだと言った。私は部長に、祖母が死んだので今日は帰らせてください、と言うと、全員が弾けたように帰り支度を始めた。駅までの帰り道、先輩と上司が、自分たちの身内が死んだときの話をしてくれた。私はふわふわとした気持で、それを聞いていた。アパートに付くと、軽い食事だけして、すぐに寝た。化けた祖母は、夢の中にも出てこなかった。
実家近くの斎場に着くと、親戚が集っていた。祖母の死に顔を拝むと、瞼は空き、顎は開いた状態であった。濁った眼球は乾き、辛く天井を向いていた。まるで恐怖で引き攣ったようだった。肝臓が止まった状態で、2週間も祖母は生きた。凄い執念であったか、薬の力であったかは分からない。苦しかったかも、案外楽であったかも分からない。生きるのも死ぬのも勝手に選べなかったのは事実だと思う。
私は祖母の横で、父と一晩を過ごした。守りの番である。
会社のパソコンを持ってきたので、祖母がいる横の部屋で仕事をしていた。それが終わると、祖母の横たわる姿を眺めていた。夜の2時を過ぎたころ、ようやく眠れた。怖いとか、悲しいとか、そういう気分ではなかった。夜が長いことが辛かった。
親戚一同は、ふすまで区切られた横の部屋で待機していた。2、30分もしたころ納棺師の方に呼ばれると、祖母は見違える状態で眠っていた。見開かれた瞼はすっかり閉じられ、顎はしっかりと閉じていた。口に綿を詰めて頂いたらしく、化粧もあって、何歳も若返ったように、生き返ったようだった。
「お母さん、お化粧されたのね」
鬼の様の怖かった叔母が泣いていた。みんな喜んでいた。あの顔で焼かれちゃっじゃ困るな、と叔父が笑っていた。
私は祖母が、本当は生きているのではないかと思い始めた。
「あら、いつからそこにいたの。すっかり寝ちゃってたよ」
そう言いながら、起きるんじゃないかなあと思っていた。そうしたら、目が乾いてるから痛そうだし、すぐにお医者さんを呼ばなければと考えていた。
葬式が終わり、焼却所に行くことになった。たくさん人がいた。毎日、たくさん人が死んでいるのだなと思った。
祖母が、大きなオーブンに入ることになった。お坊さんがお経をあげながら、それに従い我々も手を合わせていた。葬儀場のコーディネータの人曰く、焼却所までお坊さんが来てくださるのは珍しいらしい。確かに、最後の最後までよくして頂けた素晴しい方だった。
私は、祖母が焼かれるのを少し待って欲しかった。本当は死んでいないのではと思っていたからだ。
まるで病院の待ち合いのような LED ランプの番号が光ると、我々はぞろぞろとオーブンの前に並んだ。
これが(祖母)様の喉仏のお骨です、こうして見ると仏様の形をしているようですから、喉仏と言われます、と説明してくださる方がいた。祖母の骨は、お棺の中に入っていた何かとくっついたかして、青い色が移っていたのがあった。
斎場に戻ると初七日を行い、御飯を食べた。豪華でとても美味しかったが、焼却所で軽く食べたおいなりさんのせいで、あまり食べられなかった。その後、実家に帰り、支度をすると、すぐに東京のアパートに戻った。その次の日から、また残業の毎日であった。
先日、一周忌があった。祖母の住んでいた離れが綺麗に掃除され、そこで親戚が集まり御飯を食べた。
私は親戚が自分の家で揃って、一緒に御飯を食べるのが好きだった。子供の頃は、それがお祭りみたいで楽しかった。それがこういう形で集まるのが寂しかった。ただ、祖母もこういう集りが好きだったから、喜んでくれたのかなと思う。
父が嫌いだ。
どれくらい嫌いかというと、それはもうめちゃくちゃ嫌い。憎いし嫌いだし怖い。
この感情をエネルギー変換すれば街一個分くらいまかなえるんじゃなかろうか。とにかくもうめちゃくちゃ嫌い。
多分これは家族の総意。母も兄も姉も皆、父が嫌いだ。
どこが嫌いかというと、言い出したらめちゃくちゃあるけど、一番は中学生並みの沸点の低さだ。
家族の中で自分が一番偉いと思っているらしく、少しでも口答えしようものなら怒りの炎が巻き起こる。(趣味で演劇をやっているから怒るとめちゃくちゃうるさい。)
まともな会話が出来ない。いつも、いつ怒るのかとビビりながら過ごす。
2日前、めちゃくちゃ喧嘩した。今も引きずるくらい胸くその悪い喧嘩だった。
あまりにも理不尽な理由で喧嘩を売られたもんだから、言い返してはいけないのに、怒りの口調で言い返してしまった。
そしたらもう父も私も手がつけられないくらいに怒鳴り合って、最後は父が家を出て行った。
小さい頃はそれはもう、この世の終わりではないかというくらい不安でどうしようもなく、
「お父さんが居ないと寂しい」みたいな内容の手紙を書いて上着のポケットに入れていた。
今考えたら父の家出という行為は、母と私たちに対するただの脅しで、それに屈して手紙なんか書いてた自分が恥ずかしい。
恥ずかしいし悔しいしムカつく。
父という存在は、色んな描かれ方をするけど、私にとっての父は最早ガンのような存在だ。
母を怒鳴りつけ、全て自分の都合で人を振り回し、気に入らなければ物をなげつけ家を出て行く。
祖母(父の母)が末期の病に臥していた時も、介護を全て母に押し付けて自分は趣味の演劇ばかりをやっていた。そのくせ、人前では祖母を語るとき美談のように語る。(外面をめちゃくちゃ気にする。)
母は今でも祖母を思い出して泣くけど、父は一周忌にすらでてこない。
育ててもらった恩、みたいものがあるから、この感情をどうにかしようと思うが、もう無理だ。嫌いで仕方がない。
親孝行は母にだけしている。
その父の遺伝子を、自分も受け継いでいると感じる時があり、それはもう最悪の気分になりめちゃくちゃ落ち込む。
唯一救いは、母の遺伝子も私は受け継いでいることだ。
母はめちゃくちゃ優しい。少し抜けているが責任感があり、人の気持ちを一番に考え全てを包んでくれる。理想の母親と胸を張って言える。
なにせ、私たちを見捨てずに40年近くもあの父と夫婦関係を続けていてくれたことだ。本当に尊敬する。
まぁとにかく父がめちゃくちゃ嫌いだ。
父の葬式で泣けるかわからないと思うけど、今想像したらなんだかわからない涙が出てきた。
それがまたムカつく。
父とは一体なんなのか分からない。もう嫌だ。
父親からそれなりに受け継いだのか、まあまあ勉強ができる頭を持って生まれた。
べらぼうに裕福な家庭ではないが、十分な教育を受けさせる財力ががあり、環境も整えてくれた。
他になりたいものが全くなかったというわけではないが、やりがいのありそうな仕事だと思えたし、家族もすすめたこともあって自分も医者になった。
天職だと思うほどの高揚感はないものの、収入は安定しているし、打ち込むに値する仕事についたという充実感もある。
子供ができてから特によく実感するのだが、若いうちは自分の力だけで生きてきたような錯覚を覚えることもあったが、私はたまたま幸運なことに父親のもとに生まれてきただけだったのだと今は思う。
もちろん、これまでの人生が楽だったからと言ってこれからも楽だという保証はない。
先日、父親が亡くなって一周忌があり、良い機会だと思ったのでここに記す。
膵内分泌腫瘍の発覚したジョブズは、スピリチュアルに依存した結果、手術を9ヵ月遅らせた。
その愚かな、本当に愚かな選択が、あと30年はあったであろう彼の寿命を8年に縮めてしまった。
ジョブズらしい、とこの行為を評する向きもある。そんなバカなことがあるか。
癌治療の選択という一点においては、彼はスイーツ女にも劣る判断力のなさ、思慮の浅さを露呈し、醜く死んでいった。
死屍累々の試行錯誤を、統計学の力を借りてなんとか学問らしくしているだけにも思える。
それでも高度な教育を受け論理的思考を身につけた多くの学者が、
最も有効と思われる方法を探そうと暗闇の中に日々努力した結果が今の医学なのだ。
いち人間やいち集団の唱える民間療法とは情報の質において一線を画す。
今人類が手にしているちっぽけな医学上の証拠は、名もない数百万、数千万人の命の上にできている。
それを軽んじて良い結果が出ると思うほうが、誤りなのだ。
http://404nots.blog88.fc2.com/blog-entry-422.html
ってのが、ブックマークされてるのを見て思った事。
年齢的には自分の父親と同い年で、上司ではあるけれど不思議な親近感がある人だった。
いつの事だったか、何かの飲み会の時に趣味の話をした事があった。
僕の趣味は読書か音楽鑑賞ぐらいで、読書の好みは合わなかったので音楽の話になった。
Jazz好きな事を話をしたら、その上司も昔よく聞いていたらしく
コルトレーンやキャノンボール・アダレイの話をしてくれた。
他にも色々お勧めを教えてくれたのだけれど、酔いもあって忘れてしまった。
普段は仕事の話しかしていなかったから、とても楽しかった思い出になっている。
一周忌が近くなって、ふとその時の会話を思い出してみたが、他に何を勧めてくれたのか
全く思い出せない。
まぁ当たり前なんですが。
そんな事思って、少し悲しくなりました。
「一周忌のため島根の実家に帰りますのでおとうさんが心配」→お父さんに電話してあげて
わたしは義理の父が大嫌い。生理的に大嫌い。絶対に世話などしたくないと思ってる。
でも、これは私の義務だから、指定の時間に指定の電話を入れる。
すごく腹が立った。
怒りを静めるために普段飲まないビールを飲んでみる。そして自己嫌悪。自己嫌悪している自分に更に自己嫌悪。
誰かと関わりあうということは、誰かの世話をすること。
いつからそうなったのだろう?
絆って何?誰かの世話をすること?孤独じゃ駄目なんだろうか?
私は孤独が好き。誰にも甘えなくてすむならそうしたいし、誰にも甘えられたくない。
でも、そう思っていることが甘えだってわかってる。
でも、テレビの人たちが言う絆って結局お年寄りのための言葉でしょ?団地で孤独死を若者がなんとかしろっていうことでしょ?
地震で津波来て、仮設住宅で孤独に暮らしているお年寄りの世話をしましょう、ということでしょ?
わたしはそんな人間関係いらない。そんなものが絆なら私は絆なんていらない。絆は気持ちが悪い。
団地で、仮設住宅で孤独死して何が悪い?もともと死にそうなのに、ずっと監視しておくのが絆なの?
でも、私は明日死ぬかもしれないし、99まで生きるかなんてわかんない。生きているのは今。
生きるって戦争だ。何かを大事にしたければ何かをすてていけばいい。
何かを捨てることは、残酷にみえる。だからクズな国営放送は金切り声で「絆」「絆」と叫びたがる。
すごく優秀な人間で、実直な銀行員で、沢山のお金を稼ぎ、社会的な立場は申し分なく人望もあった。社会にとっても死んで欲しくない人間の範疇に入っていた。
多分親は自分が代わりに死ねばよかったと思うだろうし、私も私が死んだ方がはるかにマシなことだと思った。
でも、彼が死んだことで私の何かがめざめた。
死んだら終わり。今、やることをやる。生きることは戦争。運命は気にしない。今私がやりたいことを、誰に後ろ指さされてもやる。無縁仏上等。
たとえ誰かの世話をしても、見返りなんてほしくないし求めたくもない。立派な人間なんて認められるよりは自分は自分に正直でいたい。
高校時代の野球部の友だちの話なんだけどさ。
もうすぐ一年になるかな、友だちの奥さんが強盗に刺されて殺された。
当時友だちは出張で家を明けてて、一週間ぶりに家に帰ると奥さんが血まみれで倒れてた。
死後三日近くそのままの状態だったそうだ。
新婚でその家には引っ越してきたばかりで、まだ近所付き合いもなかったから発見が遅れたらしい。
犯人はしばらくして別の事件で逮捕されて、この事件についても自白した。
あれから一年経って、裁判も終わり友だちも職場にも復帰して、なんとか元の生活を取り戻そうとしてた。
でさ、先日奥さんの一周忌も兼ねて、その友だちと俺とその他数人で久しぶりに飲んだんだ。
飲み始めて大分経った頃、友だちが突然笑いながら妙なことを言い始めた。
ここのところ、家に帰ると嫁が死んだふりして玄関に倒れてるんだ。
最初はTシャツをケチャップまみれにして、胸におもちゃのナイフを刺してる程度だったんだけど
近頃はエスカレートして頭に弓矢を刺して倒れてたり、それは入念な準備をしてるんだって楽しそうに話すんだ。
俺たちも何を言っていいかわからなくなって、昔から楽しい子だったよなーとか言って適当に話を合わせるしかなかった。
そしたら、友だちがいきなり怒り始めちゃってさ、お前らバカかここは突っ込むところだぞ、俺が頭おかしくなったみたいじゃねーかって。
俺はあいつが死んだことはちゃんと受け入れてる。それに幽霊なんか信じてないしな。
でも、家に帰ると嫁がいるんだ。いつも死んだふりして倒れてる。
そこからなんか変な空気になっちゃって、その飲み会はそのままお開きになった。
友だちはべろべろに酔ってたから、家が近い俺が送っていくことになった。
帰り道でも「お前にも見せてやるからなー」なんて意味のわかんないことを口走ってて。
家に着いた。鍵も俺が開けて、ふらふらになってる友だちをベッドまで運んだ。
したらさ、確かにそこに「嫁」がいたんだ。
最後にベッドに倒れ込んだ友だちが言った。
「きれいな顔してるだろ。死んでるんだぜ、それで。」