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2021-07-08

パ字書きのススメ

 二次創作小説をたしなむ皆様、特に書き手の皆様は、周囲の作品を読んでいてこんな風に思ったことはないだろうか。

『こいつ、文章ぱっとしねぇのに、毎回妙に数字伸びてんな』

 明らかに文章が厚くて、読みやすくて、最高な作品が他にあるというのに、そちらよりもそのぱっとしねぇ小説の方が伸びている……そんな場面に立ち会ったことはないだろうか?

 恥も外面もなく言うが、私はその『ぱっとしねぇ文章を書く字書き』である

 この『ぱっとしねぇ』の部分には、物議があるだろう。面白い尺度は、人それぞれだ。ただ、ここで言う『ぱっとしねぇ』というのは、主に次の要素が含まれる。

・全部ではないが、やや文章に読みづらさを覚えることがある。

・誤字や脱字が地味に多い。

表記ゆれを気にしていない。

伏線の張り方が甘い。

投稿する作品面白さにむらがある。

 “やや”とか“地味に”とか曖昧表現だ。ただ、そこがミソである。『ぱっとしねぇ字書き』(長いので以後『パ字書き』)は、完全に面白くない文章を書くわけではない。ある程度は面白い文章を書く。ただし、圧倒的に“こだわり”に欠ける。

 昨年2020年Twitter上でオタク女たちの感情について描き、人々の心を動かした作品があったが、あそこには“神字書き”という存在が登場する。その神字書きとパ字書きの間にどのような差があるかと言われたら、この“こだわり”であろうと感じる。

 神字書きの文章というのは、作品全体からその人の色とこだわりを感じるのだ。読むと「あっ、〇〇さんの文章だ」と感じることが出来るし、表記にも推敲の跡が見られる。読みやすさが意識されており、文章の端々からこだわりを感じる。

「この人は本物だ。こんなものがタダで読めていいのか……?!」

 そう感じることだろう。私は感じる。さてはあなた方はそれで飯を食おうとしたことがあるな?

 しかしながら、パ字書きこと私の文章からはそれが感じられないのである自己評価が低いのではない。私は私の文章が大好きである。何度も読み返しては「オホ、なんか知らんがおもろいなこれ」とニヤニヤする。しかしながら、同時に表記ゆれや誤字脱字は多いし、そこかしこ伏線は甘いし、急展開だし、作品ごとに文体やら調子バラバラ自分の“カラー”などあったもんじゃない。

 しかしながら、私の文章はそこそこの数字を稼ぐのである

 数字を稼ぐとはなんぼのもんじゃい、と感じるだろう。

 身バレをしない程度に、どのくらいで数字を稼ぐ、と言っているのか述べるならば、現行ジャンル所謂社会現象アニメではないにしろアニメやグッズ展開が活発に行われているジャンル)の二番目くらいに支部投稿数の多いCPで、常に100~1000程度のブックマーク稼ぐくらいである。投稿作品10本。

 ほほーんすごいじゃねぇか、と思ってもらえるだろうか。だがこの数字、もう少し続きがある。

推しCP小説投稿数は4000程度、このうちブックマーク100以上の作品数は2000程度(特定されないようにある程度数字は変えてあるが、だいたいこんなもんだ)。つまるところ、おおよそ50%はブクマ100以上なのである投稿された小説の半分以上はブクマ100以上。意外に感じた人もいるのでないだろうか。こうしてみると、ブクマ100以上とは、あまりすごくはない。2分の1に滑り込むだけだ。まぐれ当たりもあり得る。

しかし、私がそこそこの数字を稼いでいると自負する点は、10連続、という点だ。10連続で2分の1に滑り込んでいる。単純に考えるなら、2分の1の10乗なので、1024分の1。これならば偶然ではない数値だ。

そんなこんなで、そこそこの数字を稼いでいると思っている。

 さて、ここまでは長い前置きである。『パ字書き』こと私が、どういう存在であるかをざっくり知ってもらうための、長ったらしい説明であった。

 ここからが本題で、パ字書きがどうして数字を稼いでいるか、という自分なりの考えと、パ字書きなりの苦悩についてお話したいのだ。

 先程ざっくり神字書きとパ字書きの違いをお話したが、もう一つ気になるのは、神字書きとの違いではなく『パ字書き』と『そうでない字書き』の違いだろう。

『そうでない字書き』という新しい概念が出てきた。これは『パ字書きと同じくらいの文章を書いている筈なのに数字はいまいちで思い悩んでいる字書き』のことだ。長いので『ソ字書き』と言う。ネーミングセンスについては言及しないでいただきたい。

ソ字書きは思うことだろう。

「神字書きの文章がハネるのはわかる。あれは素晴らしい。でも自分とパ字書きの文章にそんなに差があるだろうか? なのに何故パ字書きの文章はハネて、自分のはハネない?」

 ごもっともだ。それは悩むだろう。だって、ソ字書きの文章も、パ字書き程度には面白いのだ。そうでない場合もあるが、ここで言うソ字書きは、パ字書きと同等くらいの文章を書く人々のことだ。

 統計をとったわけでもなし、根拠はないが、このソ字書き、結構多いのではないかと思う。そして思い悩むことだろう。ここで悩まない人間はそれでいい。その人たちはソ字書きではない。

 そんな『パ字書き』と『ソ字書き』の差だが、ここにあるのは単純明快自己プロデュース力』だ。

 ここで一つ、これを読んでいる人(二次創作作品投稿している人)にたずねたいのだが、皆々様は、支部やらTwitterやらへの投稿を何を楽しみに行っているのだろうか?

純粋二次創作が好きだから、その投稿先を求めて』これはあるだろう。みんなそこから入っている人が多いだろうと思う。

『せっかく書いたから、自分が書いた作品を多くの人に読んで欲しくて』これもあると思う。

『同じ趣味の人と交流したくて』なんと社交的なことだろう。素晴らしいと思う。

 私とて同じだ。だけど、私にはもう一つ大きな動機がある。

自己プロデュース』が楽しいのだ。

 そして、これが、おそらく私をパ字書きたらしめているのだと思う。

自己プロデュース』が楽しい、とはどういうことかと言うと、私は商売が好きなのだ

 世間ニーズ調査して、そのニーズを満たす商品仕入れ又は開発し、プロモーション計画して、結果を出す。次の商品展開につなげる。ブランドイメージを築く。

 こういう流れが大大大好物なのだ。大好きなのはヒマワリの種。へけけ

 正直、私が重きをおいて楽しんでいるのは『二次創作』ではなくこの『商売』だ。

 小説面白さは同じくらい。だけど、その小説商品をどのように売り出すかによって数字は変わる。このことが、最高に私を興奮させるのだ。

 支部に関して簡単な例をあげるとするならば、それは“サムネ”だ。

 絵描きの皆様の方が、サムネに対する意識は高いのかもしれないが、字書きとてこのサムネは軽視できない要素だ。

 支部には、絵を描けなくても利用できるテンプレの表紙というのが存在する。しか最近はおしゃれな新しいテンプレが出てきて、それを利用している人も多いのではないだろうか。

 しかしながら、このテンプレいかんせん使う人が多い。

 使う人が多いということは、それだけ“埋もれる”ということだ。

 自ジャンルでは、そこそこの頻度で小説投稿される。社会現象ジャンル程ではないが、平均したら1日に2作くらいだろうか。特に週末は投稿が集中する。その全てを見る人というのは、そんなに多くない。みんな、興味を引くもの面白そうなものを選んで読む。

 ここで、表紙を差別化して目を引く、というのは大切な要素である

 さらに、統一感があればなおいい。一作目がハネた場合二作目も似た表紙であるならば「あっ前面白いの書いてた人の作品だ」と言う形で、そちらも読んでもらえる確立が上がる。

 それからもう一つ。支部で言うなら、字数も大切な要素だと感じる。

 これは、ある程度ジャンルにもよると思うし、自身体感の話だが、支部で読む際に丁度いい字数と言うは『7000~15000字』くらいだと感じる。

 短すぎると物足りなくて、長すぎると敬遠する。特に『ぱっとしない文章』を書く人間には、この字数がよい。私は、文章力のない人間に困難なことは二つだと思っている。『短い文章で上手くまとめること』と『長い文章を飽きさせずに読ませること』だ。それが出来るのは、神字書きの領域だ。それができる貴方ならば、私は貴方を神字書きと呼ぼう。

 キャプションも大切だ。なるべく、話を端的に表現すべきだ。何せ、そんなにくどくど長い文章を並べ立てたら、それだけで飽きる。一文でそれがどういう話かアピールするべきだ。かつ、面白そうと思ってもらえる一文。その引きが重要だ。例えば『イエス・キリスト仏陀が、地上の安いアパートで二人暮らしをする話』。ほら、すごく面白そう。

 それからTwitter

 これは大切なオタク交流コンテンツだ。

 最近フリートかいうインスタ気取りの機能を搭載し、オタクおもちゃにされがちなTwitterだ。

 ここに広告を打つ。

 しかし、このTwitterというコンテンツ、どちらかと言えば相性がいいのは絵描きだ。どんぶらこっこどんぶらこっこと次々ツイートが流れゆくTL。断然目を引くのは絵である。パ字書きがフォロワーを稼ぐのは結構難しい。『字書きは基本支部でのフォローで十分。Twitterフォローしない』そういう人、多いだろう。正直、私のフォロワーも、支部の方が多い。最近ようやくTwitterフォロワー数が追いついてきた。

 ではどうしたらいいか。ここで味方につけるべきは、そう。絵描きの皆様方である

 やめてください。引かないで。別にそういう打算的な目で見てるわけではないんですって。ただ事実を語ってるのよ。

 というより、ちょっとしたお願いに近い。思い悩むソ字書きがいて、貴方絵描きで、その人の文章面白いと思ったならば、そのソ字書きを救うのは紛れもなく、貴方である貴方広告塔だ。

 Twitterにおいて絵描き拡散力というのは、程度は違えど絶大である絵描きはまた絵描きとつながっており、そこからまた拡散が生じる。私はこれを『絵師ブースト』と呼んでいる。字書きにはありがたいものだ。

 また、これは今まで私がいたジャンル特有のものかもしれないが、絵描きは絵を摂取しRTするより、小説摂取しRTする方が抵抗が少ないらしい。これも統計に基づくデータではない。周辺の絵描きへの聴き取り調査によるものだ。ある一人の絵描き発言を借りるのならば『オタクというのは、戦闘民族なので、同類絵描きは友でありながら同じリングに上がる宿敵である』という事らしい。オタクは戦う。その点、字書きはリングが違う。だから絵描き応援やすい。そういう事らしい。

 Twitterでそういう絵師の目に留まって、広告塔になってもらえれば数字は伸びやすくなる。あわよくばつながっていければベターだ。そんなに難しいことではない。一点、性癖を刺激する部分を意識しながら、小説を書き続ければいい。

 それから、もう一つ大切なのは検索”を意識することだ。

 例えば、『小×大(通称ショウダイ)』というCPの「はす向かいトロロ」と言うタイトル小説を書いて、支部にあげ、そのリンクTwitterに貼るとする。ただし、ここでタイトルが「はす向かいトロロ」だけでは、『ショウダイ』で検索したときに引っかからない。これでは、貴方フォローしている人間の目にしかまらず、新規の獲得は難しい。なのでタイトルに【ショウダイ】とでも入れておくか、ツイート自然な流れでショウダイというワードを入れ、ショウダイ検索する興味のあるユーザーの目に留まる確率を増やすことも必要だ。やっている人、多いだろう。

 こういうことを考えるのが、私は好きなのである

 そして、こうすることで目に見えて成果が出るのが楽しいR-18と全年齢のブクマ数の違いを分析したり、ジャンルで人気のある文体を調べてみたり、フォロワーの多い人のツイートに刺激を受けたり。そうやって、実際にフォロワーブクマ数の変動を見ているのが楽しいである

 勿論上手くいかない時もある。全てを自分コントロールできるわけではない。自身投稿が、神字書きの投稿に被さって、完全にそっちに持っていかれたり、公式から重大発表があってツイート爆速で流されていくこともある。

 それでもそういう時は、続編を書いて前のいまいちハネなかった小説リンクを乗せたり、後からRTしてみたり(自RTリスクも多いので極力控えるが)、後からフォローを行って、何とか一つ自身ボーダーとしているブクマ100を達成させる。

 こうして、自分アカウントプロデュースして運用していくのがとても楽しい

 おそらく、パ字書きとソ字書きの差は、ここにあるのだろう。

 たまに「こういう事じゃなくて、純粋文章力を磨くべき」とか「SNSのこういうところに疲れる」という声を聞く。

 それも一つ、正しいと思う。そういう人は、パ字書きではなく、まっすぐ神字書きを目指す方針を取ればよい。これも数字を取る方略としてアリだ。むしろ王道だろう。パ字書きはやや邪道だ。私は蛇の道から、神字書きを目指す貴方応援している。

 だけど、皆様、アイドルプロデュース系のゲーム、お好きではないか

 相手の好きなもの分析して、攻略していく系のゲーム、お好きではないか

 それと同じ感覚だ。それと同じで『二次創作アカウントプロデュースゲーム』も楽しい。なんらおかしくはないのではないか自分マネージャーになって1000ブクマ目指そう!目指せ最大手!……悪くないキャッチコピーだ。

 Twitter後者攻略ゲームに近い。周囲の絵描きや字書きの好みを分析しながら、そこに程よく合致する作品を書く。露骨に書きすぎないのがコツだ。ちょっとした“萌え”を刺激する。『ナースのイメプレ読みたいな……』と言っている人がいたら、他のイメプレにするか、ナースの方を拾って看病ものにしてみるのもいいかもしれない。そうしてターゲットを絞って狙っていく。引かないでください。別そういう打算的なことだk……何はともあれ、作戦が上手くいくとそこにはえもしれぬ達成感がある。成果もついてくる。二次創作攻略ゲーム楽しい

 それにそうやってパ字書きやっているうちに、作品数を重ねて神字書きになる道もあるだろう。神字書きになっても、自己プロデュース無駄にならない。

 神字書きになる前のちょっとした段階として、パ字書きを経由するのも良いのではないか? そういうススメだ。

 ただし、ここでパ字書きの闇にも触れておきたい。

 ここまでパ字書き悪くないぞ、という話をしてきたが、問題は、神字書きにはだいたいバレる、ということだ。

 バレるというか、ちょっと面白くないように思われているのを肌で感じる時がある。

『こいつ、文章ぱっとしねぇのに、毎回妙に数字伸びてんな』

 これは、神字書きにも思われることだ。

 たまにまかり間違って、神字書きと投稿時期が被った時、自分の方が数字が大きいとやや気まずい。実際あったが、これは本当に気まずかった。明らか、神字書きの方が文章が上手い。しかテーマも似通っていて、字数も同じくらい。言わば、神字書きの文章イタリアンシェフの高級パスタだったのに対し、私のはめちゃくちゃ即物的カップ焼きそばだった。だけど、その時、ジャンルでウケたのはカップ焼きそばだった。そういう時もある。たぶん、みんな疲れていて、そんなにゆっくり味わう時間がなかった。

 その直後、私はその神字書きにリムられてしまった。やられた。せっかく攻略したのに。

 上記のことだけじゃなく何か他にも性癖なりなんなり理由があったのかもしれないが、カップ焼きそば動線の一番いいところに大量陳列して売上を稼いでいることがバレてしまたからだろうと思う。『こいつそれなりの振りしてるが、実のところ文章ぱっとしねぇな』と、気づかれてしまったらしい。パ字書きバレしてしまった。不覚。

 こればかりは、自分でも自覚があるからどうしようもない。自分文章は神字書きと比べてぱっとしない。の割に数字を稼ぐ。これは、本当に文章力がある人からしたら、非常に滑稽だろうし、面白くないだろう。私が神字書きだったら面白くない。

 自己プロデュースを楽しんでいる私だが、それと同時に二次創作が好きだし、文章も好きなので、やはり「上手く書きたい」と感じる時もある。オタク戦闘民族だ。圧倒的火力で殴りたい。こういう時、パ字書きはどうしても『自分は本物ではない』という葛藤に苛まれることがある。足りない文章力を、自己プロデュースでかさまししていることを、自分が一番よく知っているからだ。

 その葛藤から逃れるためには、結局のところ、文章力を磨くしかない。それは変わりない。

 しかし、数字モチベーションになる。読者が多いことは励みになる。パ字書きであることは、私の筆の進みをサポートしてくれる。

 圧倒的火力を手に入れるその日まで、私は頭を使ってリングに上がる。

 こういう楽しみ方や、オタクもアリだろうと、そう思ってくれる人がいるならば、嬉しく思う。

 あと、この文章を読んで、周りにパ字書きがいても嫌いにならないでね。結構面白い文章書いてるはずだから。単純に頭使って頑張ってるだけの奴らだから

 以上、パ字書きのススメでした!

2014-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20140925214239

否定と同じくらい賞賛するのも楽だぞ

ファミ通レビュー見ればよくわかる

そこは感想言うだけなら楽って言わないと

感想言う人がいなくなったら作り甲斐が無くなるけどな

へけけ

2009-12-05

tumblrのどこがすごいかネット歴史から考えてみた。

ちょっと前にtumblrがすごい、すごい言われていたけど、

正直フィードリーダーとどう比べてすごいのかイマイチわからんかった。

転載問題がいろいろ言われているときにちょっと使ったことがあるんだけど、

自分マッチするユーザーの見つけ方がよくわかんないし、

イイ感じのユーザーいないかなー、って探している時間が浪費に思えた。

けど、すげーすげー言われてホットエントリにも入ってんのに

すごさがわかんないのが悔しかったから、全然使ってないけどどこがすごいのか考えてみたよ!

tumblrを「最も先進的な情報収集ツール」と位置付けて、

ユーザー情報収集がどう発展してきたのかを見てみる。

(1)ブックマーク時代:古代

ブラウザブックマーク機能(日本語だと「お気に入り」)を

使っていたもっともシンプルな時代。

ネットサーフィンしていて気にいったサイトポチっと登録。

後日、更新していないか逐一訪問して確認するというスタイル

今でも「お気に入りに登録する」ってボタンをつけてるサイト

たまに確認できたりする(あれで登録する人っているんだろうか?)。

タブブラウザと併用して、お気に入りに登録しているサイトを一気に開いて更新確認!

なんて方法で使っている人もいるかもしれない。

しかし、これだとあるとても大きな、生死に関わるほどの問題が発生する。

サイトがいつ更新するかなんて天使じゃなくて管理人の気まぐれなので

わざわざ訪問しても何も変わってないってことがしょっちゅう起こった。

一通りお気に入りサイトを巡回し終わり、

時間が経っているから更新されているかもしれないとまた最初から確認しだす……

そうやって不毛な時を過ごしてしまう危険性もあったし、

実際それで時間を浪費しまくって大学留年、はては中退してしまった、なんて話も聞いたことがある。

人の人生を狂わすのはよくない。

たとえそれがここ一年運動したといったらガンプラのやすりがけぐらい、なんて奴でもだ。

この問題を解決したツールとして「アンテナ」が登場する。

(2)アンテナ時代:中世

はてなユーザーにとってはもちろんはてなアンテナが馴染み深いだろう。

見た目では単なるリンク集だが、並びが常に順不同。

定期的に巡回したいサイトアンテナに登録してぶち込んでおけば

まめな性格ロボットくん(オプティマス・プライムみたいなカッコいいのを想像してくれよな)が

時間おきに確認してきてくれて「これ更新されてたっす!」って感じでアンテナのページのトップに持ってきてくれる。

サイト巡回における無駄時間が大幅に削減されることになり、日本人に大きなゆとりがもたらされ、

俗に言う「アンテナ革命」って奴が日本に巻き起こった。ここ、テストに出るから要チェック(あと「マドンナ旋風」も出るよ)。

アンテナで得た余暇芸術活動に打ち込めば新たなルネッサンスが起こるのも夢ではないとささやかれ、

そのテーマソングとして「ルネッサンス情熱」という文法的にも造語的にも「?」な歌が出されて、オリコンでなんと史上初の0位。

さらにアンテナは同じサイトを登録しているアンテナを見ることができたため、

そこから好みの似通ったアンテナを見つけてきて巡回サイトが増えていくなんてこともできた。

アンテナは些細な変化でもチェックしてくれるため、

記事とは関係ないちょっとした小さな変化でもトップにきちゃうのが魂に傷。

さらにはしばらく放置してるとどのサイトが何回更新したのかわからなくなったり、

短期間で連続更新されても一回更新しただけだと勘違いしたりと細かい難点があった。

そこで出てくるのがフィードリーダー

(3)フィードリーダー時代:近代

フィードリーダーはあらゆる意味画期的だった。まず「リーダー」って語感がカッコいい。

中身としてはコンテンツサイト単位で捉えるのはやめてしまった。

登録したサイトの「記事」を一つのユニットとして配信するようになったんだ。

「このサイト更新されました」から「こんな記事書きましたよ、こいつ」に。

例えるなら家制度の崩壊。もしくは携帯電話の普及。

愛しい雌魯音(メロン)ちゃんに連絡するのに声だけ似ているババァを通す必要はなくなった。

もう更新を見逃すなんてことは起きりゃしないし、どうでもいい更新は即読み捨て。

みんなが見るのはサイトではなく記事。サイト名ではなく記事タイトル

だから、今はみんな必死に記事タイトルを工夫する。休日タイトルだけ考えて過ごす。

「○月×日」なんてタイトルじゃだれも見向きもしない。逆に前衛的と捉えられるんじゃないかって風潮すらある。

そういえば管理人のどうでもいい近況を書いていたりした「一言メッセージ」なんてなかった? サイトトップとかに。

あれって絶滅しちゃったねぇ。インターネットレッドブックへ仲間入りだ。いや、twitterに生まれ変わったのかな。

さらにリーダーソーシャルブックマークなんかと併用するとすごいことになる。

好みの似通ったブックマークユーザーを探してきてポンと登録すると、あら、大変。

「こんな記事を見つけてきました、ご主人様っ♪ へけ、へけけけけけ♪」

なんと面白い記事を無償で勝手に取ってきてくれるメイドちゃんが誕生ひまわりの種をあげて育てよう)。

これでもうなーんにもしなくても面白ネタネット流行をチェックできるようになった。

口をあーんと開けていたら勝手にぼこぼこと食べ物が放り込まれていく。うーん、マーベラス。

これでもう完璧。発展しようがなくね?

記事の収集はロボット世界中引きこもりにまかせて、俺たちは女の子デートでもしようぜ!

……なーんて思ってたら世の中大間違い。

(4)タンブラー時代:未来

タンブラーは怠け者のためにさらに磨き上げられた最新の玩具だ。対象年齢は五歳以上。

フィードリーダーは記事を一単位として拾ってきたけど、タンブラーはもっと崩した。

記事の「面白い部分」、画像掲示板の中の「面白い画像」、

そこだけを取ってくるようにしてしまったのだ。

わざわざ全部食べるのめんどくさいよ。一番美味しいとこだけ頂戴!

ブラボー、なんて強欲なやつらだ。もはや前フリとかオチとかどうでもいい。

タンブラーユーザーネット界随一のグルメといえるだろう。

マグロの一番美味しいとこだけ切り取って食べて、あとはぜーんぶゴミ箱行き。一番賢いともいえる。

人間、みんな怠け者だし、美味しいものが好きだし、タンブラーが主流になるのも近いだろう。

しかし……すべてを機械と他人に任せていて、それが本当に人間だと言えるのだろうか?

今こそ機械文明のゆがみが、我々の生活に現れてきているのではないだろうか。

昨今のスピリチュアルブームも、行きすぎた科学信仰への反動ではないだろうか。

そういえば近頃、右翼的な思想を持つ若者が増えている。

「右」といったらお箸を持つ手である。きちんと自分の手で箸を持ち、食物を口に運ぶ。

そういった素朴ながらも確かな生への実感が求められている。そんな気がしてやまないのである。

 
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