はてなキーワード: 海苔とは
おいしすぎてどうかなるかと思った。黒蜜はごく少量で大丈夫です。
上司がそのまた上司にいくらなんでも手が遅すぎると叱られていて、席の位置的に叱られていたほうの上司がよく見えるので、じっと見ていたら、1時間に4回くらいタバコ休憩に行っていました。手が遅いわけじゃないのでは? と思ってニッコリしました。
働きたくないよね〜。わかる〜。
でもすることがないより、忙しいほうがいいな〜。
増田のみんなたちはどうですか?
今日はお弁当を作る元気がなかったので、お昼ご飯はキンパを買って食べました。
キンパという存在に憧れすぎていたのか、美味しいおにぎりを海苔巻きにしたって感じで終了しました。やっぱ、最初はお店で食べないとダメですね。
狭い店内だけどガラガラだった。
ラーメンが来た。
1口食べたら小麦の味がした。
麺の味しかしない。
スープとは。
油が浮いてるだけ。
なんか追加しないとダメなのかな。
麺もこれでいいのかってくらい自己主張しない。
ただ「俺は麺ですよー」っていうだけ。
「ふっふっふ、この煮卵様を知らないと言わせませんよ」
みたいなオールスターの布陣で口を攻めてくるじゃん。
だけどこのラーメンにはない。
麺は「ちーっす、麺でーす」とサボっていて
ほうれん草に至っては指示待ちで泣きそうになっている。
海苔がなかったらやる気ない麺のワンオペ状態でパワーアップ休業中になってた。
何とか食べ終わって「日高屋に行ったほうがマシだった」と思った。
辛かった。
店内ではずっとAKBが流れている。
後ろの席から「恋するフォーチュンクッキー」に合わせて鼻歌が聞こえてきた。
余計日高屋に行けばよかったと思った。
悲しくなったので増田に書き込んでいる。
この世は悲しみしかない。
うまくもないが悲しみはない日高屋に行けばよかった。
動物は人間のご飯でした。過去数千年も人間は狩猟採集で生きていました。
狩で仕留めたマンモスを食べて氷河期を生き抜き、山でシカやイノシシを食べて生き抜きました。私たちの祖先はヤギや豚や牛や羊や鶏を、長い長い長い年月をかけて家畜化しました。家畜化なんて一朝一夕一世代で出来ることではありません。祖父から父へ、父から子へ、飼育のノウハウを受け継ぎながら、家畜を食べる肉食文化を発展させました。
色々な国で色々な食文化が発展してきました。それは日本のように仏教によって禁止されながらも、こっそりと楽しまれたり、文明開化とともに最先端の料理として食べられたり、ヨーロッパのようにソーセージやベーコンや干し肉なんかにして長期保存できるようにされたり、焼いたり蒸したり揚げたりして、美味しく食べれるように工夫されたりしてきました。イヌイットのように生食する民族も、沢山の香辛料でスパイシーに食べる民族もいます。食文化は、宗教やその土地の気候と密に絡み合いながら発展してきました。
文化は人間が長い歴史の中で作り上げた叡智の結晶です。衣、食、住の1つである、生き物にとって欠かせない「食」の文化は何にも劣らない人類史の大切な要素です。文化人類学的な価値を持つものです。
生物学的にも人間が動物を食べるのには意味があります。日本人だけが海苔を消化できるように進化したことは有名ですが、お肉も同じです。人間が肉を美味しく食べて、消化して、エネルギーとして利用できるのも、人間が長い間肉を食べ続けて、そのように進化したから美味しくお肉が食べられるのです。お肉を食べるのは人間が生態です。人間は雑食なのですから。
連綿と続くこの歴史の中で、動物が可哀想だという考えを持ち、肉食をやめることもまた文化です。人類がそのように方向転換し得る可能性を持つこともまた大切なことです。
しかし、それを望まぬ人に強要すること、人間全体から肉食文化を奪うことは文化の破壊です。畜産家や肉屋やコックさんから仕事を奪う権利は誰にもありません。
食文化は生活に根付いて始めて意味があります。レシピの本だけあっても仕方がありません。肉を食べないということは今まで育んできた肉食文化を永久に手放してしまうことになります。日本の和食が文化遺産であるように、世界の肉食文化は和食よりもうんと重要な文化です。ヴィーガンの肉を食べない「食」が尊重されるべきように、私たち雑食の食文化も尊重されるべきです。