はてなキーワード: 天皇とは
安倍ちゃんも人間ですけども、1億2千万人の日本人の全生命について責任のある人間なので、お前ごときの「頑張り」と同等じゃ困るんですよ。
日本のトップである人間と自分を同一視して「この人こんなに叩かれたらかわいそう」なんて思うほうが首相に対してよほど僭越なのでは。
つーか、野党の仕事は政策批判ですよ?失敗したら日本が死ぬ政策なんだから、ありとあらゆる批判をもとに政策は練り直し吟味してもらわないと困ります。「失敗していいからやらせてみようよ」みたいな企画とは違います。国家の運営をなんだと思ってんですか?1億2千万人の運命がかかってんですが。
苦しいときほど一致団結して頑張ろう!みたいな青春ドラマ?またはシン・ゴジラ?みたいな美しいストーリーがみたいんですよね、国家運営においても。ハイハイわかります。
現実に狭い日本の1億人の生活をなんとかしなきゃいけない政治の場では、お互いの利益は衝突し、誰かの生活のために誰かを犠牲にし、一つのパイを取り合い、醜い利権の奪い合いが頻発し、その中でどうにかこうにかバランスを取って物事が進んでいくのが現実です。野党だって誰かの利益を代表してんです、安倍ちゃんを応援するために自分の後ろにいる有権者たちの利益を諦めてもらっちゃ困るんですよ。彼らの命と生活がかかってるんですから。
まぁでも安倍ちゃんに自己投影する人の思考回路がよくわかって面白い日記。つまり彼らの中では、安倍ちゃんは政治家ではなく、天皇みたいなものなんでしょう。
1.そもそもコロナで死ぬのは不幸なのでしょうか。人間はいつか必ず死ぬ存在です。コロナで死ぬのは不幸で、老衰で死ぬのは不幸ではないのでしょうか。コロナだけではありません。老衰で死ぬこととコロナで死ぬこととインフルエンザで死ぬこととガンで死ぬことと交通事故で死ぬこととお金が無くて餓死することと通り魔に殺されることと革命運動で逮捕されて死刑になることと戦争で死ぬこととにどれほどの違いがあるかを考えたのでしょうか?
2.コロナで日本人が死ぬことは良くないことで、死者を減らすことは良いことなのでしょうか。
日本は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が被征服者の被差別部落民、サンカ、隼人、蝦夷、アイヌ、琉球民族などを近代以前から搾取し、近代以降は朝鮮人や中国人などのアジア人も搾取してその上に成り立ってきた世界で一番罪深い民族であるから、民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人)以外の日本人は滅びるべきだという主張をする人もいます。そのような意見についても考えたのでしょうか?
CitrixってRDP作った会社って聞いたけどCitrix自体はRDPで通信し天皇?今の職場もコロナでクビになった前職もCitrixなんだが
VNCと違ってRDP自体にケルベロスかなんかかかってるからVPN通す必要ないと思ってた。。。
ポートを開けてくれないのは色々なポリシーでがんじがらめになってる状態臭いよね。そうなってたら何言っても何もやってくれないんじゃないか。
@nabeteru1Q78
昭和天皇は、自分の命と地位が惜しくて、沖縄戦、原爆投下、ソ連参戦を招いた戦争犯罪人だし、本当に国民に申し訳ないと思ってたら、最高の戦争指導者として責任を取る手もあった。マッカーサーに対して命をかけて国民を守ったなどというのは虚偽であり、とんでもない。
まず生まれついて自分の地位を選べなかった立場の人に「命と地位を投げ出して国民を守れ」と臆面なく言えるのは差別主義者以外の何物でもないし、
あそこで聖断が出来たのだからもっと早く出来たはずだとか、近衛上奏文一つで沖縄戦/ 原爆投下/ソ連参戦の責任を問うとか、そんな薄っぺらい歴史観に囚われてしまうのは、nabeteru氏もまた大貫俊夫氏の言う「一つの出来事によって歴史の大きな流れを一括りにとらえたいという欲求」の奴隷だからだ。(中世のペストに関する3つの誤解 https://bit.ly/3d77mff)
昭和天皇実録、および山田朗氏による実録批判、宮中祭祀から昭和天皇の実態に迫った原武史氏の著作など、多面的に昭和天皇の生涯を追えば、そんな言葉は出て来ようがない。
昭和天皇が単なるお飾りに過ぎないとか過度な平和主義者であるとのイメージが誤りであることと、昭和天皇が戦争犯罪人に値することがイコールであるかに述べることは欺瞞的だ。
実際は、nabeteru氏は山田朗氏の著作すら読んでいないのではないか。読めば分かるが、山田氏は天皇が戦争犯罪人だなどという主張は1ミリもしていない。
山田氏はむしろ、当時の日本においては複雑な戦争を遂行するだけのシステムが存在しなかった、権限も責任も縦割り分散型で、全てを統括しているかに見える天皇の存在も建前で、むしろシステムの阻害要因ですらあったと述べている。山田氏の実録批判とは、そのようなものだ(山本七平の「日本にはミリタリズムが存在しなかった」にも通ずるものがある)。
原武史氏の著作は、戦争への不安と皇太后への恐れから、それまで宮中改革に熱心ですらあった昭和天皇が宮中祭祀すなわちカルト的な神がかりに没頭してゆき、虚実の区別すら怪しくなりリアルポリティクスからの逃避をはかり、またそこから立ち直る様を描いている。天皇の存在や言行に大きく宮中祭祀が影響することを描いている点で、現在の天皇制をも批判の射程に含むユニークな観点だが、天皇が守ろうとしたのが「自分の命や地位」などではなかったことは明らかだ。
いずれにせよ、何がnabeteru氏のような人を誤らせていくかというと、歴史に対する問いが「昭和天皇は戦争犯罪人であるか否か」に終始するからで、歴史はそのような問いに答えを出すための道具ではない。