「いじめっ子」を含む日記 RSS

はてなキーワード: いじめっ子とは

2023-10-28

通販生活が言ってることって

クソ教師いじめっ子いじめられっ子をムリヤリ握手させて

「これで仲直りな!」っていうのと同じなんだよな

2023-10-26

anond:20231026075203

まぁ……いじめられてる側と比べてどうか、と言えばね

と言ってもいじめっ子側も結局貧困家庭で親から受けてるストレスを発散する、または家庭で受けた暴力性を背景にしてるケースも多いし、いじめられっ子側=ナード脳みその出来さえ良ければ後々名門大学行って大成する例はあるから基本スペック大前提ではあるが

面接でどうこうなんて結局学歴には勝てんから

いじめっ子 人への興味・関与A 人を巻き込む力A 目標達成力A

企業が欲しがるわけだ

社交性というか社会性が抜群という評判となっている

いじめっ子は昔やんちゃだったなあと振返り人を笑顔にしている

社会が味方だと知っている

学校はいじめっ子サイドの居場所なんだから

2023-10-25

いいだろう? いつも生き生き いじめっ子

あふれているね 世界にたくさん

livelyでlovelyそれが生き=粋

これが文化であるんだなあ

2023-10-24

いじめっ子の周りは善意にあふれている

本当はいいやつ

心の底ではやさしい

見直し

かっこいい、おもしろ

将来がある

これらはいじめっ子のためにある

2023-10-20

anond:20231020004828

それが本人からできれば苦労はせん

避けるに避けられないヘビに睨まれカエルの図式状態からそれでは救ってやれないやで

いじめっ子狡猾陰湿だぞ、変えた日程のほうに追いかけてまたヤルぞ

2023-10-19

anond:20231019234322

いや、分離をどうやってするのか

いじめっ子いじめられっ子特定教員から簡単にできればイジメはとっくに解決してるが

2023-10-17

いじめっ子Don't rest in peace

生きてても死んでても安らかになるのは許さな

これが教室である

死なないでという意味だったととぼけるだけ

悩まずに睡眠出来るように頭を空っぽにしなさい

anond:20231017153349

アメリカパワハラいじめレイプが減ってないか関係ない

当たり前だけどパワハラ魔もいじめっ子もレイプ犯も同様に銃を手に入れられるんだから

2023-10-15

結局我が子がいじめられたときの親としての最適解って何

やっぱ引っ越し

いじめっ子ぶん殴るのと親も出張ってきたら親もぶん殴るくらいならやってもいいけどどうすっかね。

先生にいってもしょうがないやん?いじめ解決できる教師なんて求めてたら教員になるやついなくなるしな。

2023-10-13

anond:20231013012122

頭の中をがっかりで満たさないじめっ子のような人が頭のメモリ不足であるいじめられっ子より成功やすいということだろう

まれっ子世に憚るとも言うしな

2023-10-12

いじめられっ子にとって30人クラスの29人は敵である

いじめっ子にとって30人クラスの29人は味方である

いじめっ子って先輩から見たらかわいい後輩なんだよな

人の評価は一人の権力を持たない人でなく多くの人が決める

2023-10-11

男であればいじめっ子いじめられっ子との雇用機会は均等である

きちんと学校に行って会社の先輩達が一緒に仕事をしたいと思う、明るく元気な生徒を企業は求めているよ

いじめっ子君頑張ったね!かっこいい!

いじめっ子君はモチベーションが高い理由の一つ

空っぽでノーストレスで生き生きと、多くのことに関心を持ち毎日発見をするいじめっ子は伸びる

頭の中を嫌なことで満たして時間思考力を浪費しているいじめられっ子は伸びない

2023-10-10

anond:20231010174304

帰り道で奇声あげながら追いかけ回せば

いじめっ子ウザイパンチボコ

僕「ウェーン!!ママー」

いじめっ子いじめられっ子君におかれましては学校以外にこそ活躍の場があると思いますのでミスマッチを防ぐ意味でも通学や進学にこだわらない選択をしてほしい」

いじめっ子「私どもの決めたことでございますのでご賢察のほどをよろしくお願いいたします、仲間を傷つけるのは絶対に許さんぞ」

2023-10-09

引きこもりに対してダンブルドア校長は0点しかくれないよ

いじめっ子は足を洗ったふりをして何百点も稼いでいるよ

会社の人も点数を見ているよ

世の中のほとんどの人は学校ちゃんと行けている、いじめ派閥出身なんだよ

仲間に入れてくれる企業がみつかるといいね

復讐は何も生まない

決め台詞を心地よい大音量で叫んだいじめっ子君が拍手喝采を受けているね

子どもの頃スポーツが得意」「明るくて優しい」男性尋問にかける

※この記事趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめ蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。

しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。

私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。

小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校ありがちな強者弱者の構図にぴたりとはまっていた。

それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。

普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的ボールを当てられてしまうのは、単にその子運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。

このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギー暴力として喰らってしまたことはある。掃除時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。

上記男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だからはいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。

私は男性好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子ボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子からどれだけ遠いか必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。

(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)

大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強ストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベル中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしま子どもはきっと少なくないのだろう。

過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまたことは何度もある。だから小学校時代の」「男子女子に対する」「身体暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。

私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せ結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。

私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分無意識暴力可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。

私は今、小学校同窓会を欠席してこの文章を書いている。

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