職場のやつ。
一応皆さんと仲良くしたいのだけど、
私と話すとみんな微妙な顔になったり困った顔になったり、今まで楽しく話してた人が黙ったりするので、すごく申し訳ないし、つらいし、消えたくなるな。
ごめんね、参加して。
人と仲良くできたなら楽しいのにな。
せっかくの金曜なのに悲しくて元気が出ない。
当初は仲良しグループでPS2やN64で遊んでいたのだが、金持ちのI君の家にVAIOフルタワーがやってきてから一変した。
I君は勉強ができ、部活動も熱心に取り組んでいる優等生だったのだが
俺がWinMX、Winnyでエロ動画の落とし方を教えたせいで、彼をオナニーモンスターにしてしまった。
MMORPGなどのネットゲームには興味を示さなかったのが不幸中の幸いだった。
I君の家を訪れるたびに、得体の知れないIEアドインが生えていて、得体の知れない.exeを踏んだ跡が沢山あった。
そんな頭の悪い中学時代も受験期に差し掛かり、交流が少なくなってしまった。
全寮制でエロ動画収集もオナニーも満足にできず、堅い校風が合わずに退学したという。
大検を取り、早稲田だか慶應だか覚えてないが、大学に行くと聞いたのが最後の会話だった。
I君が俺のようなろくでもない悪友を持たず、オナニーモンスターになっていなければ、どんな人生を歩んでいたのだろうか。
元気にしてるかなぁ。ごめんなさい。
今朝うちの母が町内会長(かなり年配の男性)と電話で話してて
「え?お祭りの準備で男手は十分だけど女手が足りない?お茶入れや料理作る人がいないって、、そんなの男がたくさんいるなら男がやればいいでしょ!女にしかできないことは子ども産むことくらいよ!」
と爆ギレしてて最高でした☺️— 離婚秒読みフリーランスさん (@mahari9maharita) September 27, 2019
ログインしてなくてもどうせ個人は識別されているから関係ないだろ?って話?
いやいや、「ログインしてないのに情報収集しやがって」って言えれる立場でありたいじゃん
それともGmailもGoogle DriveもGoogle Calendarも使ってないしYahoo検索でまかなっている立場の人なん?
俺の投稿した、
自宅PCでグーグルにログインしたままエロ動画を検索して閲覧してしまい、
どんどんGoogleに俺のエロ動画閲覧履歴が記録されていってしまう問題がスルーされている…
「いい意味で頭わるいですね」ならまだいい。頭悪「そう」っていうのは何の観察も考察もないまま見た感じの印象で言ってるから「そう」がつくんだ。
この場合「あんたのことはよく知らんけど頭わるそうに見えます。でも不快なタイプではないです。」って言ってるんだ。舐められてるわな。
この話は、自身の感じ方とそれに対する個人的考察を述べただけのものである、ということを前置きにさせていただく。
同じ現象によく陥る、という方がいらっしゃったら少し嬉しく感じるし「現象は同じだけど理由は違うなぁ」と感じる方がもしもいたら、その「違った理由」もまた、知ってみたい。
そんな好奇心から、この記事を書いてみようと思った次第である。
私は創作することが大好きだ。絵を描くのも文章を書くのも大好きで、常に何かしら描いたり書いたりしている。
今、とあるジャンルのとあるCPに大変萌えており、二次創作をガツガツとしている。ちなみにこのジャンルでは絵を描くことはほとんどなく、専ら小説を生成している。
このCPにハマったのはかれこれ二年前だ。ハマりたての頃はそれはもう他の方の二次創作をドッカンドッカン摂取させていただいていた。来る日も来る日も夜更かしして、タグ検索でヒットしたイラストや漫画や小説を漁り、いいねをつけてブクマをする日々を送っていた。
素晴らしい作品を摂取しまくりブクブクに肥えた私は、次第にこのCPでの好きなシチュエーションや萌える会話などを脳内で錬成し始め、自分の性癖によりフィットした作品を読みたいと思い始めるようになる。美味しいものを食べると舌が肥えるのとよく似ている。
かくして私は「フゥゥゥ…萌え…フゥゥ…自分で小説書いてみるか…フゥゥ…」と、脂汗をハンケチで拭き取りながら、息荒くこのCPの創作を始めた。
漫画ではなく小説という方法を選んだ理由は、そっちの方が完成が速いと思ったからだ。私は絵を描く時は紙と鉛筆を使うので、ベッドで寝ながら作業できないというのが大きい。
脳内に公式の二人のビジュアルを思い浮かべる。自分が妄想した萌える会話を公式CVで再生してみる。準備万端である。
数週間後、無事に書き終わりwebに公開した。正直自分で何度も読み返して萌え狂った。創作ってぇのはホントにやめられねぇなぁてやんでぇ!と、何故かべらんめぇ口調になるほどだった。いいねやブクマ、コメントもポツポツあって、もう嬉しい楽しい大好き状態だった。毎日心の中で小さな私が小躍りしていた。
そんな風にして、萌えるネタを思いつく度に小説を書くということを続けた。公式絵と公式CVを脳内再生しながら紡ぐ妄想の世界は本当に幸福で、脳汁がジュワジュワと滲み出てくる。
相変わらず自分の作品を読み返しては萌え転げるというルーティンも変わらず続いた。いつでも私は、自分の創作物が物凄く好きなのであった。(余談だが創作物は好きでも自身の人間性等への肯定感はほぼゼロである。この話は長くなるので今回は割愛)
そんな日々を続けていると、やはりCPへの解釈がズンズン深くなっていく。ここが二次創作の面白いところだなと思うのだが、みな同じもの(公式)を見ている筈なのに、抜き取るポイントや読み取る行間の位置が違うのである。だからこそその人だけの「解釈」が生まれる。なんて素敵で面白いのだろう。
しかしだ。私はこの時に気づいた。「あれ?そういえば私、他の方が書いたこのCPの小説、めっきり読まなくなったな…」と。理由は恐らく、CPへの解釈が深まったからであろう。深まれば深まるほど、そうじゃない解釈の作品を読もうとする気力が起きなくなる。最初の頃はあんなに息をするように読んでいたのに、なんだか悲しいことである。
解釈とは、色のようなものであると思う。だから相性の良し悪しがある。混ざり合ってなんとも綺麗なマーブル模様になる組み合わせもあるし、きっとそうじゃない組み合わせもある。そして解釈を深めれば深めるほど「相性が良い」ものと出会う確率は、減っていく気がするのだ。
一年半ほど経って、私はすっかり他の方が書いたこのCPの小説を読まなくなっていた。読むのは「著者」として既に知っている好きな方の新作だけ。
だがしかし!ここからが不可解なところなのだが、小説は読まないくせに漫画やイラストは相変わらず見ているのである。何故!?小説の方が時間がかかるから?いや、時間ではない。だって私が他の方の小説を読まなくなった理由は「解釈の相性の良し悪し」だった筈だ。それが本当の理由なら、漫画やイラストにだってそれは適用される筈である。何故私はイラストや漫画だけは今も見境いなく探して読んでフゴフゴ言っているのだろうか?小説に対してだけやたら審査が厳しくないか?何故????
しばらく考えてみて「はっ!」と気付いたことがあった。それは、私が自分で小説を書く時「公式絵、公式CV」を脳内再生していることに由来してるのでは、ということだ。
小説は文章以外の情報がない。読みながら景色を想像して、キャラクターの仕草を思い描いて、セリフの声を脳内再生する。
そう。他の方の小説を読む時も私の脳内で再生されるのは「公式絵、公式CV」なのである。そして自分の中で充分に育ってしまっている解釈。この二つが同時に発生するから、他の方の小説を読んだ時に矛盾が生じやすくなってしまうのだ。「〇〇はこういうこと言わないと思うなぁ」とか「××はこういう表情しないんだよなぁ」とか、ピーチクパーチクと、そんなしょーーーーーーもないことを感じてしまうのだ。
これが漫画やイラストだったら。そうなのである。当たり前だが「公式絵、公式CV」がわざわざ脳内で発動されない。その方の描くそのキャラクターの映像のままなのである。その方の描くキャラがその方の解釈で描かれているから、特に矛盾が生じないのだ。視覚でも同時に情報を得られるから、脳内と視覚のズレがないのである。
この答えに辿り着いた時、メチャクチャ「な、なるほど!」となった。ストンと納得できた。そして他の方が書いた小説をモリモリ読みたくなった時は、脳内で「公式絵、公式CV」を発動させなければ良いのだということも分かった。(これが多分物凄く難しい。私は拗らせすぎてこのCPに限り自分の絵すらあんまり萌えなくなってしまった)
これを読んで「わかる!」と感じた文字書き様もいらっしゃるだろうし「さっぱり分からん」と思った文字書き様もいらっしゃるだろう。いろんな感じ方、考え方を知ってみたいと純粋にそう思っているところである。
他の大学と同じように共学にしなきゃだよね