ブラック企業で死ぬまで働いてしまう人がいるらしいけどそうなってしまう気持ちも分かる気がする。
今の社会は人間が余りすぎてるから皆がお互いに比べられ「貴方は他の誰かより優れていますか?」とまるでゲームの駒か何かのように比べられてしまう。
そういった社会で生き残る方法は自分を安売りするか、自分には価値があると必死にアピールすることだけしかない。
それは仕事の上でだけの話じゃなくて個々人の付き合いでも相手が選び放題になってしまい無闇矢鱈に個性をアピールするはめになる。
それはSNSの発展により更に顕著となった。
だがそうまでしてそれぞれの人間が自分の存在意義を示さなければならないのだろうか。
高齢化社会により増えた老人に対して「彼らをわざわざ生かしていく意味があるのか。国の未来を食いつぶされる前に勝手にくたばって貰おう」と言う人間までいるのが今の世の中だ。
ただ生きているだけの人間に居場所を与え続けている余裕など今の世の中にはないのだ。
世の中は豊かになりその豊かさにより心が失われたと言う人間がいるが実際は違う、未だに人の世は貧しいのだ。
そういえば最近、ちきりん(伊賀泰代)のブログを読んでないなと、ふと気付いた。
https://www.google.co.jp/trends/explore#q=%22%E3%81%A1%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%82%93%22
こんな感じで、注目度が2011年11月をピークに下る一方だ。
はてぶのホッテントリでちきりんの日記を目にすることも減った気がする。
もう賞味期限切れなのかな。
自分はたしか2010年か2011年ぐらいにちきりんの日記を知って、その後著書も2冊ぐらい買って読んだ。
最初は発想が面白いと思ったり分析の切り口が鋭いと思ったりしたんだけど、ある時期から、ちきりん自身が主張する「自分のアタマで考える」が悪い方に出ているなという印象を持つようになった。
たまに自分(俺)がそこそこ知っている話題についてちきりんが論じているのをみると、あまりにも調べ物をサボりすぎというか、その道の専門家たちが何を言っているのかを考慮せずに、自分のアタマだけで考えた図とかが載ってて杜撰さを感じるんだよね。
そして年々、煽り口調が激しくなってきた気もする。炎上狙いというか。
ちきりんて結局、IQが高いだけで特に専門性はないコンサルタントって感じの人だったんだよね。
大手金融機関だの外資系コンサル会社だのといったところに勤めてたといっても、要は人事部のおばちゃんでしょ?
社会派ブロガーを名乗ってるけど、人事部のおばちゃんが通用する範囲はさほど広くないよなぁ。
ちきりんは要するに、どんな話題でも短時間でそれっぽい仮説を考えることができるってタイプで、会社とか飲み屋にこういう人がいるとアタマの体操にはなっていいと思う。しかし今のネットでは、ちょっとググれば専門家の見解をふつうに読むことができるから、単なるアタマの体操に過ぎないちきりんの日記に「情報」としての価値はないんだよね。そもそも間違いも多いし。
しかもあるとき気付いたんだけど、ちきりん風の「IQが高いけど専門性(知識)がない人」の言うことって、似てることが多かったりワンパターンだったりして、意外性がじつは少ない。
政治や文化に関する話題ならとにかくリベラルっぽいことを言っておき、経済についてはとにかく市場を礼賛するネオリベっぽいことを言っておき、ビジネスやキャリアの話題ならとにかくグローバル化を礼賛して日本の大企業を叩いときゃいいや的な。
もっとざっくりまとめてしまうと、なんか新しいものにとりあえず着目して、それと対比できる古いものを持ちだして比較し、古い方を叩いて「これまでの常識は通用しなくなる!」みたいなことを述べて終了というワンパターンな芸を繰り返してるだけなんだよね。しかもちきりん風の人たちって、新しいものを称えるのがアイデンティティになってる割に、発想のパターンはすごく古かったりして(たとえばネオリベ的なところ)、その意味でも「あぁ・・・またそれですか?」って感じがする。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140922
このエントリで紹介されてる東浩紀との対談を、俺は動画でみたんだけど、ちきりんの底の浅さが如実に現れていてとてもよい例だと思う。
ちきりんはしきりに、「私は一般人」「東さんが言うような難しいことは分からない」と逃げてたんだけど、難しいとか易しいとかの問題じゃなく、東のほうがはるかに発想が柔軟で意外性のある指摘をしているなと思ったんだよね。
ちきりんのような「IQが高いけど知識がない人」は、身軽に見えて実のところ発想の幅が狭い。東みたいな頭でっかちな人文系オタク知識人のほうがアイディアが豊富で、鋭くて、ちきりんはついてこれなかったんだ。
なんというか、多様性を強調してる割に「ちきりんの主張」はワンパターンだし、「ちきりん風の人たちが言うこと」も決まりきっていて、じつは全然多様じゃない。
「自分のアタマで考える」のは結構なことだけど、自分のアタマで考えただけで過剰な自信を持つタイプの人が言うことってだいたい予想できちゃうんだよなぁ。
そういう点に気づくと、賞味期限切れするのも仕方ないかなーって思う。
あ、そういえば思い出したけど、ちきりんの日記って、コメント欄だけじゃなくてブコメすら途中から非表示にしたんだよね。Twitterでも、ちょっとでもちきりんに批判的なコメントをしたユーザは即座にブロックしてるらしい。
グローバルとかオープンとかそういうのを煽ってる割に、ちきりん自身はとても閉鎖的に振舞っているように思える。
べつに閉鎖的でもなんでも勝手にすりゃいいと思うけど、情弱の信者を囲うだけになってしまったら、イケハヤさんみたいなのと差がなくなってくるよなぁ。
追記:
ていうかさ、この増田へのブコメみてて、ちきりん擁護派が皆無すぎて引いたわ!!!
俺は著書まで買ったんだぜ・・・
さらに追記:
この増田がホッテントリに上がっていたようで、けっこう多くの人に読まれたようだけど、反応としては、
http://www.kandareiji.com/entry/chikirin
という何が目的なのかよく分からない長ったらしい言い訳みたいなブログ記事と、
https://twitter.com/kirik/status/728432263852007424
という簡潔なコメントが、印象的でありました。
聞こえるか聞こえないぐらいの音で、ラジオをつけっぱなしにしとくといいよ
テレビでもいいけど、まぶしくならないようにしたほうがいい
一昔前だとクイズ王なるものがテレビに出る時代もあったが、この界隈も冷え込んでしまった。
最近ではクイズと言いながら、芸能人が(おそらく台本通りに)茶番を繰り広げる番組ばかりになっている。
それは一般人の個人情報云々というのももちろんあるが、情報のインフレ化というか、
手元のスマホでググれば大抵のものは出てくる、という今の状況とも無関係ではないと思われる。
情報を情報として知っているだけでは、今の時代別にすごくはないし、従って何の価値もない。
ガキの頃から言われていた話だが、本当にそうなったのはつい最近のことのように思える。
もちろん、それ自体は技術革新の成果だし、決して悪いものではない。
何かを聞くにあたって、相手の顔色を伺う必要も、余計なうんちくを押しつけられる危険もなく、
安全に情報を手に入れることができるなら、そっちの方がいいに決まっている。
そしてそうなれば、情報そのものの価値が低下するわけで、相手をいい気分にすることができる人間や、
リテラシーの低い人間にもわかりやすく説明できる人間がもてはやされるのは、当然といえば当然の流れだ。
ただ、そういう能力というのは、鍛えようにも鍛えられる部分ばかりではなく、
魔導物語を出した奴はわかってる。俺は「Fiend Empire」
いやでもレジェンディアの「鳥は鳴き、僕は歌う」もいいな。あれが序盤の森BGMだなんて贅沢
天照がウィルでジョーカー星団を離れた後、宇宙で戦う際には、タワーの演算力であってもカイゼリンを1人で動かすのは難しい事が分かり、
タワーとカイゼリンのためのファティマを桜子に依頼して作らせたところ、女の子ファティマ全般を愛する「百合百合ファテイィマ」が誕生してしまった場合、
皆さんのキャスティングお待ちしておりまーす!
割引じゃないと、足を運ばない層ってことだろ。