西内まりやが可愛過ぎて、隣で爆睡してる嫁を見てると愛しさと切なさと心強さを感じる。
西内まりやが可愛過ぎて、同僚女性からの不倫のお誘いも華麗にスルーできる。
西内まりやが可愛過ぎて、むかし高身長の彼女にプライドをズタズタにされた過去を忘れられた。
では、西内まりやとは何だ?
ご飯を食べようと思ったがコメがなかったのでやっぱりパンにしたという友人の話を聞いていたら自分もパンが食べたくなった。
というようなつぶやきをしたら「私もご飯食べました!」というreplyが飛んできた。
日本語を勉強しているアメリカ人が「句読点を確認するまでに私は何度も翻弄される。日本語はスリリングで魅力的」と語っていたのをふと思い出した。
話はズレるけど、俺も経験的に身長150cm前後の子はエロに関心強い子多い気がするんだけど、どういうわけか風俗は高身長の子が多いね。
家計はGoogle Driveで共有してるし、分かりやすいようにレポートをまとめて印刷して毎月渡してるよ。
ゴミ箱行きだけどねw
家計の話をして揉めた次の日とかは挨拶しても無視されるんだよね。
子供の習い事と自分の趣味代削れば、マイナス脱出できるのが丸わかりなレポートになってるけど生きがいが無くなるって逆ギレされるよ。
今の楽しみと、将来のリスクを天秤にかけられないのかもな。
個人営業をやっている。お客のニーズに合わせて商品を提供する、絵に描いたような営業職。
やる前とやったあと今現在の印象の違いとしては、営業はクリエイティブな仕事であるということ。
自由意思で商品買いに来たお客をそれじゃ時代遅れでダメですよといって他の商品をでかいロットで買わせる手腕は、
強引だろうがなんだろうが、それができる人とできない人がいるし、できる人は素直にすごいと感心する。
「才能がなくてもできる」なんて嘘だ。そう言ってくれたあの時の弊社社員、元気だろうか。
だからこそ、それができない私に、このまま営業を続けられるかどうかは今の時点で甚だ疑問だ。
アポがないときに職場にいて電話を取り次ぐだとか、資料を配るだとか、掃除をするだとか、
そういうことで上司や先輩にときおり感謝されることの方に遥かにやりがいを感じている。
表向きの仕事なんて、私にははなから合っていなかったのではないか。
職歴が3年に満たないので、転職は厳しいかもしれない。考えが甘いことも重々承知だ。
だけどこの仕事を続けることはとうてい無理に思えてならない。
さいわい、同業界内なら通じる資格もいくつか持ち合わせている。
会社には感謝しているが、弊社の中でというのが難しいのならば、他社へ行くほかない。
どうしたらいいのだろうか。人に相談しようにも、いい顔をされないのがわかっているので難しい。
さっきふと赤松健先生のラブコメの傑作『ラブひな』を思い出した。
あれを現役で読んでた10代後半の頃は、あの主人公がヒロインに関心をなくしたようなラストに納得いかなかったのだが、
20代になってそれなりに恋愛を経験してきた今思うと、まさに神がかり的なエンディングだったと思う。
言うなれば、良い意味でダンディズムというか、男のロマンの究極を見せつけられた気がする。
確かに現実ではあんな風にヒロインを置いて海外に出かけていってしまうのは、浮気を助長するような自殺行為だけど、
「好きな女を想う」ことから、「好きな女に想わせるような男になりたい」っていうのが究極の男のロマンだと思う。
旅先での電車やバスの待ち時間、移動中にスマホをチェック。はてブアプリを開けばいつもの画面、いつものように新着記事をチェック。続いてスマートニュース、ブログのチェック。通勤時間と変わらない、いつものチェック。画面の中の日常を楽しむ。
一通り記事に目を通し、自分が世のトレンドをフォローしていることに充足感を感じ、ふと我にかえる。すると、画面の外では貴重な非日常が流れている。その瞬間、何てもったいないことをしてしまったんだ、と後悔する。
それから僕は、家にいるときや通勤時間以外で、スマホをいじりそうになってる自分に気がつくと、ポケットにしまい、わざと歩き回ったり、風景のなかに存在する見えていなかった何かを見つけようと、意識的に画面の外のリアルに目を向けたりするように気を付けている。
世の中、ネットの2次情報が充実しすぎてるせいで、自分の体験として得られる情報ってますます貴重になってるし、それに気づきにくくなっているのではないか。
別れちゃえよと言うか、ただうなづいて聞くだけか。
恋人がいる人は後者が多い。他人とすごす時間は一人ですごすよりたくさんの辛さも幸せがある。
抱えきれない苦痛と幸福。そういう感情がこの世界における自分の存在を濃くする。
飢えて死んでしまうか、いくら不味くても食べるか。
私は死んでも生きたい。
だからただうなづいていよう。
俺もそう思うけど、一部の高クヲリティ農産品を生産してる人の中に
それはそうと、いつも通りネットニュース漁ってたわけ。
そしたら、オハヨーの製品名らしきニュースタイトルの記事見つけたわけ。
http://spotlight-media.jp/article/138623445211066115
この記事、
記事中に「オハヨー」の一文字も書いてないわけ。
ツイッターの転載だけで記事書くなよって言いたいけど、俺氏も手抜きニュースなんか見てんじゃねーよとか言うの、とりあえずなしな。な。
ツイッターの中で
「この製品美味しい」
って呟きにも、
「オハヨー」
「なんでオハヨーにそこまでしてやらなきゃならんのだ」
とか思っちゃってるんだと思うけど、
違うでしょ。
あんたそもそもその製品食べてないでしょ。
まず食べろって。