元の意味は好きだ。しかし、今の多くの人の捉える協調性は真の協調性とは大きく違うと思う。
周囲の人たちは、イエスと言わない人を除け者にし、イエスという人たちで集い、楽しむ。
しかし、確実に本心ではノーと思いながらもイエスと言ってまで友好関係を続けよう。と考える人もいるのではないだろうか?
しかし、今の社会は強いものの意見に対しイエスと言わなければ除け者にされ、更にはいじめという最低最悪の行為を受け悩む人もいるらしい。
たとえ、いじめを受けても除け者にされても私は言い続けたい。
まぁ、それでボッチになったんだけどね。
紙用以外のシュレッダーはちゃんとしないと危ないぞ
「遅れつつあるプロジェクトに人を追加するとさらに遅れる」という法則。
仮に2名追加するとして、その人たちの教育のコスト、3名でやっていた作業を5名でやるので、作業のやり直し分割のコストなどがあらたに発生し、それらのコストはあらかじめ見積もられていなかったので、結局期日通りに完了はしないのである。6名追加する場合は、さらにそのコストは増加する。
鏡に向かって何言ってんの?
「2015年度」の始まりであわただしい中ですが、「2015年」は既に四分の一が終わってしまいましたよ、みなさん。
四分の一ですよ四分の一、25%ですよ。
私は1月末の時点で
と書きました。
自分で書いといてなんですけど、12倍って数字上は正しくても、感覚的にはイメージしにくいですよね。
マジックナンバーの7からもかけ離れてますし、あるものの12倍ってかなりぼんやりとしたイメージになると思います。
四分の一が終わりました。
4倍の成果をイメージしてみてください。
そのイメージした成果とともに除夜の鐘の音を聞く自分を想像してみてください。
どうです?しょぼいですか?満足ですか?
しょぼいと思った人は、これまでの3カ月を反省して、残り9カ月で挽回しましょう。
脱拝承した身として、いろいろ誤解を招かれそうな発言があるので、いくつか書かせてください。
まず、仕事での満足・不満ってのは会社自体の雰囲気と待遇の両者によるものだと思います。
仮にとてもいい会社だとしても、自分の待遇が悪ければそれは不満につながりますし、逆もあり得ます(あまりないだろうけど)
また転職して全部よかったと書くのは、裏を返せば前の会社に対し全部悪かったと言ってるのと同じ意味になります。
それとある会社に対して悪口を書くと、万が一あとで取引があった場合に影響が出るので、なかなか書きづらいです。
(悪いかもしれないから書くな、とは言いません。この記事みたく本人が確定できないような書き方の方が影響出にくいでしょう)
あとはまあ、選択しなかった未来について、理想で語っても仕方ないでしょう。仮に残っていたとしても同期と同じ昇給があったかどうかもわかりませんし、もしかしたら事業部に移らされてたかもしれません。
それよりかは今後何を希望したいか、そのために何をしたいか、何をするか考えたほうがいいと思います。既に一部希望書いてますね。
自分の場合は、そもそも自分の待遇に不満が多かったのと、その職場で出来ないことであったため、転職しました。
数年経ちますが転職してよかったです。が、どの辺どの位がよかったかは↑の理由により伏せておきます。
ただし拝承自体はすごい黒字叩きだしてますし、いきいきと働いている同期も沢山います。ここは人それぞれでしょう。
あとWeb系とか勉強会に幻想は持っているように見えます。一見最新技術取り入れられてて華々しく見えますが、裏を返すと新陳代謝が激しく、常に新技術を取り入れていかないと行けないプレッシャーに囲まれます。なのでこれも入ってみたらきつかった・・となるので注意してください。
先の4年は負け越し続け、悪い時は年-100万負けたこともあった。
ボーナスが全部溶けて、
なんのためにやってるんだ、
株なんてもうやめよう、と何度も思った。
だけど去年から俺なりの必勝法を見つけて、それ以来勝ち続けている。
あんまり広まっても困るし、バズったら消すかも。
まず自分の証券会社の口座から資金を2000円だけ残して引き出す。
この2000という数字に深い意味はないから、1999でも3000でも、好きな金額にするといい。
重要なのは、買付余力が足りなくて、普通の株は買えない額になるまで、引き出すことだ。
そうしておいて、普段通り、狙い目の株に買い注文を出す。
すると、買付余力が足りないから、エラーになって注文が止まる。
しかし見なかったふりをして、ノートに買った日付と株価を書き込んでおく。
そして数日待つ。
すると、上がると思っていた株価が下がっているので、慌てて損切りする。
とは言え、株は買えていないから売り注文の出せないわけだが、売った気分になる。
日付と株価をノートに書き込み、いくら損をしたのかを計算する。
取引手数料もきちんと書き込んでおく。
そこまでやって、ああ、こんなに損した、このお金があったら、あれもこれもできたのに、と残念がる。
その上で、実は株を買ってないことを思い出す。
買ってないのだから損もない!
だから、本来なら失ったはずの、このお金は失っていないわけだ。
このやり方で俺は去年に70万も利益を出した。
今年も上々な滑り出しだ。
え、損することが分かりきってるなら株なんてやめたら、だって?
それができれば、苦労ないんだわなー。
株で負けが込んでる人は、ぜひともお試しあれ!
趣味つながりの友人?で、元上級公務員の昭和ヒトケタ生まれの男性がいる。
先日趣味の集まりの後でちょっと飲んでたのだが、昨今の一部の公務員や自民の政治家の極右化はバランス感覚がなさすぎて恐いという話になった。
インターネットでささやかれているような極右のバックグラウンドになってる宗教法人の話なども。
オジサマ曰く、ぼくらのような戦前生まれは、たまに「紘」の字が付く名前の人がいるが、自分たちが学び仕事につく時期は戦後民主主義化であったこともあって、
某「紘一」さんなどは、「八紘一宇」から取られた紘一という自分の名を「いやお恥ずかしい名前で」と自己紹介するようなこともあったらしい。
それを昭和ヒトケタの友人は、「まだ客観性やバランス力が残っていた頃」と言っていた。
それが、なぜいつの間にこんなにガツガツと極右化しているのか。
保守層というのは、身も蓋もないいい方をすれば戦前から既に豊かだった人が大半だろうと思うが、
揺らがない豊かさを背景に、鷹揚に、時代の変化を気にせずにいられたのだろう、と。その前提が崩れつつあるのかも、という話が面白かった。
彼らの多くはもうずっと都会者のような顔をして東京で暮らしては居ても地盤は地方であることが多い。
彼らの現在の金と地位の源泉は地方にある。「地元の名士」「郷土の誇り」「名家の末裔」だったりするからだ。
地方が衰退することで、この源泉が揺らぐ。
例えば、彼らの子供や孫が、自分たちの家業(政治や行政、地元企業等)に興味を持ってくれない、という形で「時代の変化」が突然具現化したりする。
もう一つ、目に見えて彼らの危機感を煽るものは、祭りの寄付金らしい。
地元の神社の祭りの寄付金を集めるのが大変だ、大口の寄付を出してくれていた名士や名家が居なくなる、法人化してつながりが薄れる。
当たり前のように、神社(場所によっては寺)などを求心力の中心として行われてきた地元の祭りが、「町おこしのイベント」のようになる。
この流れには問題が隠れていて、要するに地元の神社の後継者や維持管理の問題があるらしい。
ここで出てくるのが神社本庁である。宗教法人神社本庁については、興味があるならググっていただければ何となく雰囲気がわかるかもしれないが、ちょっと怪しい宗教法人という側面がある。
インチキな壺を何百万で善良な呆け老人に売りつけて、という危うさでは全然ないのだが、例えば天理教は胡散臭いと思う人がいるなら、歴史の長さはその辺の明治新宗教と実質大して変わらない。
まぁそれはともかく、明治時代に神社庁という公の役割を持ったという経緯もあって、地方の後継者難の神社は、宗教法人神社本庁にお願いして後継者を探してもらったりすることもあるらしい。
その土地に根を張って仕事をしている人たちにとっては、「神社がすたれる」というのは、割と心に重くのしかかる事実らしく、
その辺りから、バランスを失って極の方に取り込まれていくのでは、というのが、私と趣味友のオジサマが、酒飲み話で適当に出した結論だった。
別の話っぽい、地方衰退と政治・行政組織の右傾化が繋がったのが、酔っ払いどものたわごととはいえちょっと面白かったので、メモ代わりに増田に。
がんばってp(^^)qwwwwwwwwwwwwwwwwwww
フェミニストには左よりの人が多いからそんなことはないと思うだろうから聞かれ方の問題。
ただ社会全体の流れで結果の平等がここのところずっと叩かれていて言いづらくなっている。
平等=機会の平等に社会がシフトしている気はする。だから結果の平等を求める声に「甘えるな!」と返すマッチョな男女への視線を生暖かくしたい。
これ書いてるのその議員の関連のやつなんだろうね。
タレの匂いに導かれ、何度も巡り会う