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2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
463年吉備氏の乱雄略天皇吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。
479年星川皇子の乱雄略天皇吉備田狭の妻のあいだに生まれ星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。
527年磐井の乱朝鮮半島出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。
587年丁未の乱仏教布教を巡って、大臣蘇我馬子と、大連物部守屋対立し、戦に発展した。蘇我氏勝利した。
645年乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足らが、朝廷壟断していた蘇我入鹿暗殺、続いて蘇我氏粛清した。
672年壬申の乱天智天皇後継者争いが発生し、皇太子大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子挙兵した。大海人皇子勝利して天皇となった。
729年長屋王の変皇族長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。
740年藤原広嗣の乱藤原四兄弟の死により藤原氏勢力が退潮し、九州左遷されて不満を持った藤原広嗣太宰府挙兵したが、朝廷軍により討伐された。
757年橘奈良麻呂の乱橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。
764年藤原仲麻呂の乱孝謙上皇対立した太政大臣藤原仲麻呂恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。
780年宝亀の乱朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷族長伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純殺害して反乱を起こした。
782年氷上川継の乱天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。
807年伊予親王の変藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王自死したが、のちに冤罪と認められた。
810年薬子の変平城上皇嵯峨天皇対立が激化し、平城上皇挙兵決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇出家した。
842年承和の変嵯峨上皇崩御に伴い、皇太子恒貞親王擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王皇太子となった。
866年応天門の変応天門放火があり、大納言伴善男が「左大臣源信仕業だ」と告発したが、逆に伴善男真犯人だとされて流罪になった事件
878年元慶の乱長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。
889年寛平・延喜東国の乱関東治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。
901年昌泰の変右大臣菅原道真が失脚し、大宰府左遷された事件左大臣藤原時平陰謀だとされる。
938年天慶の出羽俘囚の乱朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明
939年承平天慶の乱東では坂東平氏平将門が、西では藤原一族藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。
947年藤原是助の乱伯耆豪族藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。
969年安和の変謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣源高明太宰府左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。
986年寛和の変皇太子の外祖父であった右大臣藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件
995年長徳の変「花山法皇自分恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したこと藤原道長が台頭していく。
1028年平忠常の乱坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。
1107年源義親の乱源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏繁栄きっかけとなった。
1113年永久の変千手丸という童子鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。
1156年保元の乱後白河天皇藤原忠通派と、崇徳上皇藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇流罪となった。
1160年平治の乱信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝クーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。
1180年治承・寿永の乱いわゆる源平合戦平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府樹立された。
1184年三日平氏の乱平氏都落ちのあと、伊賀平田家継、伊勢平信兼藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。
1189年大河兼任の乱奥州藤原氏の家臣だった大河兼任出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。
1199年梶原景時の変源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。
1201年建仁の乱梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府鎮圧された。
1203年比企能員の変将軍源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍地位を追われた。
1203年三日平氏の乱二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅鎮圧された。
1205年畠山重忠の乱平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。
1213年泉親衡の乱北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方くらませた。続く和田合戦きっかけとなった。
1221年承久の乱後鳥羽上皇北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇隠岐に配流された。
1293年平禅門の乱平頼綱北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。
1305年嘉元の乱得宗北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。
1325年安藤氏の乱津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。
1324年正中の変後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝佐渡流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。
1331年元弘の乱後醍醐天皇鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。
1335年中先代の乱最後得宗北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。
1336年建武の乱後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇吉野に逃れて南北朝時代が始まった。
1366年貞治の変室町幕府で権勢を振るった斯波高経斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。
1375年水島の変九州派遣された今川了俊が、同じ北朝少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏大友氏などが離反した。
1380年小山氏の乱鎌倉公方・足利氏満下野守護小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。
1387年小田氏の乱常陸小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。
1389年土岐康行の乱有力守護の弱体化を図る将軍足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。
1392年明徳の乱一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍足利義満挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。
1395年田村庄司の乱白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。
1399年応永の乱六カ国の守護である大内義弘が将軍足利義満対立鎌倉公方と手を結び、土岐氏山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。
1411年飛騨の乱飛騨国司姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。
1413年伊集院頼久の乱島津家後継者争いをきっかけに、当主島津久豊対立した重臣伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。
1416年上杉禅秀の乱関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。
1422年小栗満重の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。
1423年越後応永の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。
1429年大和永享の乱幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。
1438年永享の乱鎌倉公方・足利持氏関東管領・上杉憲実の対立から室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。
1441年嘉吉の乱三カ国守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍足利義教暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。
1443年禁闕の変南朝復興を唱える勢力御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。
1455年享徳の乱足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。
1457年蠣崎蔵人の乱陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。
1457年長禄の変赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。
1467年応仁の乱畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから東軍細川勝元西軍山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。
1476年長尾景春の乱関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。
1479年毛利次郎の乱赤松氏らの支援を得た因幡国人毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。
1486年江戸城の乱谷上杉氏の当主上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。
1487年長享の乱享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。
1487年長享・延徳の乱将軍足利義尚が自ら軍を率いて近江守護六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。
1489年山名新九郎・小太郎の乱伯耆守護山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。
1490年佐竹の乱佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。
1502年伊庭氏の乱長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔挙兵するが、最終的に鎮圧された。
1507年永正の乱越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いか関東を二分する戦いに発展した。

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

2023-01-24

東京の市って影薄すぎ

狛江市なんか事件がなかったら一生知らずに終わったと思う。名前見れば「あーそんなのも有ったな」ぐらいでパッと思いつかない。下手したら東京都って23区八王子だけで構成されてると思われてる。その他市町村は、戦国武将でいうと姉小路ぐらい影薄いよ。

2022-06-14

織田信長曹操が好きだがノブヤボや三国志だと後半のシナリオで選びにくい

後半のシナリオだと織田信長曹操天下統一に半分以上迫ってるから彼らでプレイをするとあまり面白くなさそう。

じゃあ弱小勢力で始めたら?っていっても好きな武将はだいたい能力が高いので完全なる弱小勢力選択することが少ない。

初期の劉備本能寺の変シナリオでの真田など、少なくとも人材の質は高い。

姉小路公孫淵特に思い入れはないので選んで遊ぼうとは思わない。

2021-08-01

ドイツの托卵の話その1

自由研究


ネット上でよく見る話。ネットロアっていうのかしらん。違うかー!

ドイツの托卵率が10%。

DNA鑑定により家庭崩壊が多発することを懸念し国がDNA鑑定禁止した。


って話。

で、ついでに托卵検知ができなくなったか婚姻率が激減したってオマケつき。

感想なまとめ


ネット日本語情報しかあたってないので温度感はあるかもだけど、今現在伝聞で書かれてるのを見たら「(ネットの)井戸端会議特有の盛ってる感だな」って思っておくよ。


いざやってみるとうまい調べ方がわからないのでid:ibenzoさんの記事ひとつぐらいまともに読んでいればよかったわ。

ドイツは何を禁止したのか

日本語でぱっとでる以下のサイトによると2005年2016年に関連法が改正されたようだ?


【託卵大国ドイツ・日本DNA鑑定無効法律裁判」訴えたらどうなる?

ttps://iirou.com/tom/

2005年 DNA鑑定禁止


嫁に黙ってDNA鑑定をするのは禁止

托卵が発覚したとしても

托卵女に養育費の返金を求めるのも禁止

なぜこんなムチャクチャ法案

通ってしまったのか?


托卵調査の結果


ドイツDNA鑑定をした結果、

10%が托卵と判明したとも言われる。


てか托卵率10%なら

不倫率はそれを遥かに上回るだろ。


男たちがDNA鑑定殺到すれば?


あちこちで托卵が発覚してしまう。

ドイツ国内は大パニックになり、

無数の家庭が崩壊するだろう。


シングルマザーが溢れ、

路頭に迷う子供も多数でてくる。

政府保護しなくてはならなくなる。


そのため、

DNA鑑定で托卵を暴くことが禁止された。

ほんまかいな。

すくなくとも「男たちがDNA鑑定殺到すれば?」以降は筆者の妄想が入ってそうなんだけど。

2016年 法改正


素晴らしい法案がまとまった。


托卵であった場合

托卵女は夫に実の父親(托卵男)の名を

明かさねばならない。


さらに夫は托卵男に2年分の養育費

請求できるというもの

妻の同意によるDNA鑑定後に知る権利費用の一部を得られるかんじだろうか。

真偽や盛りぐあいはともかくそのあたりを調べてみる。


私のググり力(ちから)が足りないために当時の日本語資料をサクッと見つけられなかったので、こちらの資料をお借りする。


ドイツ民法典における家族法 - digidepo_11538862_po_02850002.pdf

ttps://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11538862_po_02850002.pdf?contentNo=1

(7)遺伝学的親子鑑定(DNA 鑑定)

第1598a 条は、遺伝学的親子鑑定(genetische Abstammungsuntersuchung. 以下「DNA 鑑定」という。)の実施のための要件規定する。DNA 鑑定の実施を望む者(父、母又は子のいずれか)は、残り2者に承諾及び遺伝情報試料採取受忍を求めることができ、承諾が得られない場合は、家庭裁判所が承諾を代行し、遺伝情報試料採取受忍を命じる。ただし、子が未成年者で、その子福祉に反する場合には、裁判所は手続を停止する(58) ことができる。この条文は、民間DNA 鑑定の普及により、母や子の同意を得ずに行われた遺伝検査結果(秘密の父子鑑定)の証拠採用が争われ、連邦憲法裁判所判決を受けて制定された「否認手続から独立した父子関係明確化のための法律」(59) により新たに追加された。



(59) 否認手続から独立した父子関係明確化のための法律 Gesetz zur Klärung der Vaterschaft unabhängig vom Anfechtungsverfahren (VaterKlG k.a.Abk.) vom 26. März 2008 (BGBl. I S. 441). 同法制定に関する連邦憲法裁判所の決定(1 BvR 421/05)は、秘密の父子鑑定による鑑定結果の証拠不採用を認め、一方で、父子関係否認手続とは関係なく、独立したDNA鑑定請求権を法律上の父に認めるべきであるとした。玉蟲由樹「子の出自を知る父親権利(BVerfGE 117,202)〔2007〕」ドイツ憲法判例研究会編『ドイツ憲法判例IV信山社出版, 2018, pp.55-58.


そもそも本人の同意のない検査ダメだよ

托卵うんぬんではなく勝手DNA検査ダメで、でも検査が簡易になり、特に子供への同意無いDNA検査が増えてきたので家族法でも法整備し、同意ありでやろうねと明確に示したという考えはどうだろうか。


ドイツにおける遺伝情報法制度 | 学術機関リポジトリデータベース

ttps://irdb.nii.ac.jp/00835/0002057570

第3に、自発性原理(Prinzip der Freiwilligkeit)である。『連邦議会審議会答申』は、「遺伝検査実施は、被検者(getestete Person)の不可侵性を侵害する」がゆえに、「包括的説明をしたうえで個人同意を得てから行われる必要がある」との立場から、「この原理例外は、法的にかなりかなり限定された範囲でのみ、しかもそれによって被検者の尊厳侵害されない場合にのみ許されるにすぎない。特に遺伝検査は、直接的にも間接的にも強制的実施されてはならない」、と説き、ここから、当然のこととして、インフォームド・コンセント要求されることに(33)なる。ここで興味深いのは、本人の了解同意のない DNA解析に関する具体例として、2000年11月28日に下された、DNA分析の導入に関する初のバーデンヴュルテンベルク行政裁判所判決2001年2月20日報道)が示されている点である。本件は、銀行幹部侮辱する匿名文書を書いたのではないかと疑われた銀行員が、採取された DNAサンプルが本人の知らない間に DNA鑑定をされたことに基づき雇用から無期限解雇の通告を受けたため、その解雇違法性について争った事案である。本件について、同裁判所は、本人の知らないところで同意なく行われた DNA分析の結果に基づく解雇通告は違法である、と判示 (34)した。これは、注目すべき判決である。本判決を受けて、ドイツ連邦および各州情報保護委員会(Datenschutzbeauftragten)は、第62回会合での決定において、「法律上の権限なしに行われる遺伝検査、または治療もしくは研究目的のためにの原則として有効とされる本人の同意なしに行われる遺伝検査を阻止するために、刑法典の中に基本的処罰規定[を盛り込むこと]」を要求して (35)いる。これは、刑法典では実現していないが、遺伝検査法で実現した

4 つぎに、医療目的以外の検査について特徴を簡潔に挙げておこう。

第1に、出自の解明のための遺伝検査については、本人への事前の説明同意により実施することができるが、検査を行うことができるのは、医師のほか、出自鑑定の専門家自然科学高等教育を受けた者に限定されている(17条)

最後に、制裁について述べておこう。本法でも、規定違反して遺伝検査実施した場合、1年以下の自由刑または罰金刑が予定されており、対価を得てこれを実施した場合には、2年以下の自由刑または罰金刑が予定されている(25条)ほか、一定行為について秩序違反として過料が予定されている(26条)。


2016年は?

2016年 法改正

素晴らしい法案がまとまった。

法改正法案がまとまったではいささか指すものが違うような気がするが、普段立法に無関心なので怪しい。


ttps://twitter.com/akihiro_koyama/status/1338064643328131073

から

A new German law wants to force mothers to reveal their child’s biological father

ttps://www.newstatesman.com/politics/feminism/2016/08/new-german-law-wants-force-mothers-reveal-their-child-s-biological-father


翻訳で見ると記事時点では提案段階。ただしakihiro_koyama氏のいうDNA鑑定義務化は読み取れなかったのでどういった文脈でこの記事コメントを出したのかは不明


いろいろ検索ワードをがんばってみたが、日本語のそれらしい話題がひっかからず。


コラム 75 「誰の子か白状しなさい」-自分の子が実の子ではなかったら ドイツ場合- 2016/9/2 | 京都弁護士による離婚相談姉小路法律事務所

ttps://www.aneyalaw.com/column/_75.html

ドイツで,カップルの子どもが,実は別の男性との間にできた子だった場合母親カップル男性に子の生物学上の父親の身元を明らかにしなければならないという法案がまとまり議会に提出される予定だそうです。

どうなんでしょうね?

2021-07-09

政治家歴史シミュレーションゲームサイコパスか、裸の王様か?

みんなさ、信長の野望とか三国志とか戦略系のシミュレーションゲームやったことある

Hearts of Iron でも Europa Universalis とかでも何でもいいんだけど。

やったことある人ならわかると思うけど、この手のゲームってリソース管理が命なわけよ。

有限の資源である資金や兵糧や配下武将とかを他勢力よりも効率よく利用しないと成りあがるのは難しい。

で、今の日本の政治家を主人公にしたゲームでさ、『菅義偉の野望』みたいなゲームがあったとするじゃん。

ゲームなわけだから勝利条件があって、こんな感じだとするじゃん。

コロナ他国よりも早く収束させて、海外へのワクチン供与経済支援を行い、国際社会尊敬を集める

オリンピック成功させて国民に夢と希望を与えて支持率アップ、国威発揚

都議選衆院選勝利して長期政権への基盤を作る

だけど実際の政治家は、勝利条件から遠ざかるような判断を下しまくっている。

国民に会食自粛要請しながら政治資金パーティーとか、(ゲームなら民衆の忠誠度が下がる)

飲食店保証金出すから休業してくれと言って、お金の振り込みが遅れるとか、(ゲームなら民衆の忠誠度が下がる)

ワクチンを早く打てと言って、在庫いか供給しないとか、(ゲームなら出撃した部隊の兵糧取り上げるようなもんだよね?もちろん忠誠度が下がる)

不徹底な水際対策変異株が入るのを許しまくりとか、(ゲームなら治安低下。やっぱり忠誠度が下がる)

どう考えても勝利条件から遠ざかるようなふるまいをしていてさ、はたから見るとやられ役としてAIを弱めに設定されている今川氏真か、劉禅かって感じでわざと自滅するようにプレーしているサイコパスなんじゃねーのって思ってたんだけど。

しかしたらプレーヤーのゲーム難易度ナイトメアモードなのかなという気もしている。

シミュレーションゲームなら敵国の国力や部下の能力が数値化されてて全部見えるけど、ナイトメアモードの『菅義偉の野望』では側近からの口頭の助言しか判断材料がない的な。

もともと戦国時代に詳しい人ならば、データがわからない状態でもそこそこプレーできるかもしれない。

だけど知識ゼロの人が『信長の野望』をプレーしたとするじゃん。で、はたから見ている第三者が早くプレーヤーをゲームオーバーにさせれば自分プレイ順が回ってくると思って偽情報を吹き込んだとする。

姉小路家は強いか初心者お勧め」とか、「島左近は野心が高くて裏切るから追放した方がいい」とか。

戦国時代知識が無くてゲームをしているプレーヤーは、悪意のある第三者に偽の情報与えられたときに真偽を判断できるだろうか?

姉小路島左近も、高校までの日本史勉強で出てこない話だし、たいていの人は騙されちゃうんじゃないだろうか?

現実世界ゲームにたとえてみると、今の政治家現実世界勝利条件から遠ざかる判断を下しまくってるのは単純に適正のない人がゲームプレイしてる結果なのかなとも思えてくる。

だとしたら今の日本政治システムの欠陥 (例えば小選挙区制とか) とかの可能性ってないんだろうか。

トップの器でない人が上に行っちゃう構造になってるのだから

オリンピックの無観客のニュースを聞いて、みんな当然のように予想できたことなのにどうして政治家たちは今まで判断できなかったのだろうと不思議に思ったので、こんな仮説を書いてみた。

まんざら外れてもいなんじゃないだろうか?

2016-01-22

明治政府退職しました

去る明治6年10月24日、私江藤新平明治政府を辞職し下野することになりました。

皆さんご存知の通り、私は征韓派でありまして、志を同じくする西郷氏、板垣氏、副島氏、後藤氏とともに陛下にその重要性を述べてまいりました。

しかし、こうした動きに対して、あえて隠す必要もないかと思いますが、大久保利通氏が強硬に反対しておりました。

無論大久保氏の言い分は充分に解っているつもりです。朝鮮を征伐することが国際的不安をもたらす、と。

その通りかもしれません。しかし我々は西郷氏を挑戦へ派遣することを閣議で決定していたのです。

どうして岩倉氏は両論を陛下に奏上したのでしょうか。三条さんはぶっ倒れてるし。


ええ。負け惜しみです。大久保さんの方が一枚も二枚も上手でした。

今年明治7年、私たち民撰議院設立建白書という文書政府左院に提出しました。

ええ、負け惜しみ反動です。これから政府官僚だけでなく、人民が広く政治に参加して、同じ意見の人々が政党を作り、その意見政権に反映されるべきなのです。

負け惜しみです。だからこそ、この立場政治を考えたいのです。この動きは絶対に広まっていくでしょう。何百年もかけてね。その礎にしたい。板垣君が頑張っています

最近故郷佐賀がなんだか騒がしい。士族鬱憤が溜まっていると伝え聞いています

なんだかそういうの聞いていると、故郷に帰りたくなってきます

みんな何故かめちゃくちゃ私が故郷に帰ることを止めようとしてきました。

故郷が同じ大木君なんかめっちゃやめろ! って言ってきます、笑。 退職したんだから別に良いじゃんw

板垣君も副島君も慰留します。みんなそんなに東京が好きなの? まだ東京で消耗しているの?

私は佐賀で育ちました。幕末には桂君と会ったり(今は木戸君ですね)、姉小路さんに会ったり。大隈君や大木君、副島君、島君あたりとサークル作って活動したり。

維新後は学校を整備したり、四民平等なんて訴えたり、あと民法について仕事したり。警察制度作ったり。いろんなこと中央でをやらせいただきました。

自信あるのは警察制度の中に、新しい技術である写真」を使った捜査を盛り込んだこと。写真ってすごいですよね。これを人相の手がかりにすると効果てきめんだと思います。我ながら先進的な施策だと思います。多分100年以上これ使える手段になるんじゃないかな? とにかく、いろんなことをやらせいただきました。

負け惜しみ反動で書いてます。今佐賀でこれを書いています板垣君、副島君。留めてくれてありがとう大久保氏が私の帰郷するよう権謀術数をめぐらせているということ、聞きました。

でもいいんです! 東京で消耗するより、今は佐賀です。生まれ育った佐賀はいろんなことが今起こっています。あの島君も佐賀に帰ってきているようです。昔は島君といろいろケンカしましたが、今また会ったら。この佐賀で会えたら。また違ったケミストリーを生むことができるんじゃないかと思ってます

板垣君や大木君、副島君等とは遠く離れてしまいましたが、また皆で議論したり、政治をしたりしたいなーと思ってます! まだまだ日本はこれからなんだから!! 今は・・・故郷ゆっくり考えることにしようと思いますそんじゃーね。また連絡するからね。

 
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