表現の自由に関して。
いまさらだが、表現規制派は、大きくわけて2つあることに気がついた。
この立場はクジラックスが描くエロ漫画に対し、その作成・配布・所持の権利を尊重する。
それと同時に、「あまり目立つ場所には出てくるな」「ゾーニングをもっと強化しろ」という条件をつける。
他には、「模倣犯を出さないように注意書きを載せてくれ」という要求もこれに含まれる。
これはどれだけ厳格な規制を求めているとしても、漫画の存在そのものを抹殺するものではない。愛好者たちはこの世界の片隅に追いやられるだろうが、そこでエロ漫画をひっそりと楽しむ分は権利が保障される。
二つ目は完全な規制派だ。たとえるならば欧米っぽい方式であろうか。
これは、クジラックスが描くエロ漫画を「児童ポルノ」と見なす立場である。
この場合、どれだけゾーニングを厳しくおこなっても、フィクション作品だという断り書きを付記しても、ああいう漫画は児童ポルノに当たる。だから作成・配布をしてはいけない。さらに単純所持もダメということになる。
上記2つとは少し違うが、これ以外には「漫画の内容を変えろ」という主張もあった。
これは、「漫画の内容をマイルドに変えろ。さもないとゾーニングを強化してやる」という意味ならば前者になる。
一方、「けしからん表現があるから修正しろ。さもなくば世界から抹消してやる」という意味ならば後者になる。
はてサ、リベラル、フェミニズムの人たちは、どっちの味方につくの?
追記(2017/6/19)
id:cloq ゾーニング強化ってあれ以上何ができるの? 違法アップロードサイトを攻撃して石器時代にもどすとか? 警告文はイベントの主催とか販売サイトがクライテリアにするのがいいかもね。知らんけど
ゾーニングの強化をやろうと思えば、厳しくする方法がいくらでもあります。一般公開されたTwitterやブログでの宣伝行為を禁止して、それに違反したら罰金を科すとか……。
模倣犯を出さないようにする注意書きにしてみても、現状でそれを義務付ける法律はないのです。だから、そういう意味でまだ不徹底と言えるかもしれませんね。
私は必ずしもゾーニング強化に賛成するわけじゃないですが、ただ逆に、ゾーニングを完全撤廃して自由にさせろ、成人指定も外してしまえと言っている人はほぼ皆無だと思います。ゾーニングのあり方については、たびたび再検討が求められるでしょう。
id:hanyan0401 ゾーニングの強化を主張をされる方は、例外なく現在のゾーニング施策に関する情報を有していない印象があります。コンビニのグレーゾーン誌は通常の成人向け雑誌よりも表紙等配慮されているということすら知らない。
それ以前の問題として、規制が必要だと言っている人たちが、いったい何のことを指して「規制」と言っているのか不明なのです。ゾーニングを強化した上で漫画の存続を認めるのか、それとも存続をまったく認めずに漫画を抹殺しようとしているのか?
前者ならば、あなたのおっしゃるとおり、既存のゾーニングについて正しい知識を共有してもらって適当な落とし所を見つけることが可能です。規制は結局のところ程度の問題だし、たとえどれだけ厳格なものになったとしても、漫画を楽しむ権利はぎりぎりのところで残ります。
後者については、そういう落とし所がないのです。フィクションである漫画(ひいては文芸)の表現に、絶対に描いてはいけないものを定めることになります。
id:santo ゾーニングがベストと思うけど、公式でゾーニングしても違法サイトがダダ漏れなのは、どうすんだろうね。かといって監視社会も嫌だしなあ。
海賊版は、興味を持ってインターネットを検索しないと、普通はアクセスができません。自分がわざわざ探してきたものに対し、「ゾーニングが不徹底だ」という不満を漏らすのは、さすがにちょっと筋違いかなと思います。
もっとも、上述したTwitterでの宣伝行為とか、2ch掲示板での拡散行為、まとめサイトに画像が多数転載されているのも事実です。その点については、ゾーニング強化で対策する余地があるかもしれません。
id:quick_past そもそもが自由というものは各自がその責任を負い、そのうえで注意深くハンドリングして成り立つものだよ。何かを消費するとき、どうじにそうした自分が何かを傷つけてないかに想いを置くものでは。
今回の件では、このような意見をたくさん見かけたんですが、良識ぶってこういうことを言う奴が一番ダメだと思います。
「自由には責任が伴う」「他人の迷惑を考えろ」と頭ごなしに叱りつけて、ものすごく理不尽な校則を押しつけてくる体罰教師みたいなもんです。そういえば一部の政治家も、「権利には義務が伴う」(権利ばかりを求めるのはワガママだ)という言い回しで、国民の諸権利を弾圧しようとしています。
言うまでもなく、一人の市民としては、自由とその責任について考え続けることが大切です。しかし、威圧的にふるまう国家権力(とそれに味方する人々)が、今まさに規制されようとしている側に向かって「責任を果たせ!」と恫喝するのは、何ともイヤな感じがします。
それならばせめて、具体的に何をどうしたら責任を果たしたことになるのか、規制推進派が最初に述べるべきだと思うんです。改善点とその合格ラインをあげず、やみくもに責任だの規制だのと言ったら、それは「性表現を全廃しろ」という意味にも取れるんです。こんな言い方をされると、表現活動はいちじるしく萎縮してしまいます。
近年、道路沿いの土地が整備され始めると出来るのは決まって太陽光発電だ。
何か新しい建物が出来るのかな?とワクワクしていた気持ちが吹っ飛んでしまう。
何故かと言うと太陽光発電には地域の未来への発展を全く感じないからだ
ああいう事をする人は一体、何を考えているのか
ちょっと考えれば肉や魚を常温の売り場に放置したら売り物にならなくなるってことくらい分かるだろう
戻すの面倒なら店員捕まえて渡せばいいだろうに、なんで米の売り場の奥の方に隠す様に肉を放置するんだよ
米を取ったら賞味期限が三日前の豚バラ肉薄切り150gを発見した俺もキッツイし、それを渡された店員さんもそりゃ「うわぁ……」って顔になるわ
去年の今頃、精神科にかかっていた時に処方して頂いたサインバルタという精神薬を服用した際に起きた副作用が原因だ。
具体的にどのような症状があるかというと
・恒常的に性欲が減退していて、性欲を刺激されることがない
・男性器に刺激を与えてもまるで反応がない
といった症状がある。
因みに夢精についてなのだが、EDになった最初の月に1回、その翌月に更に1回の夢精を経験したのだが、どういうわけかそれ以降現在に至るまで一度も夢精を経験していない。
シコってもいないし、夢精もしていないとなると、俺の身体の中で製造されている精子は何処へ向かっているのか、その行方が非常に気になるところだが、それは別に本題とは関係がないのでここでは置いておく。
さて、本題の「男女間の友情は成立するか否か」であるが、俺はする......と思う...... うん......
まあ俺も正直EDになる前は20代前半の成人男性相応の逞しい性欲を所持していたので、ぶっちゃけ男女間の友情なんて成立するわけないと思っていた。
因みにそうした否定的な意見に対してしばしばこういった反論があったりする。
「凡そ異性として見るに値しない外見の女性or男性なら友情は成立するだろう」という反論だ。
「異性として見ることが可能なレベルの男女」である為に、このような指摘は全く当たらないのだ。
故にEDに罹る以前の俺にとって、男女間の友情とはファンタジーでしかなかった。
だがEDに罹った以後の俺にとって、それは逆説的にリアルな存在になっていた。
なんたって女といい雰囲気になっても欲情しないのだ。勃つものも勃たないのだ。
エロビデオやエロ漫画を見たって欲情しないのだ。勃つものも勃たないのだ。
そして実際に裸の女と触れ合ってみてもなお欲情しないのだ。勃つものも勃たないのだ。
つーか実際的には”なかった”のだ。
こうなってくると話はだいぶ変わってくる。
別に俺が欲情しなかったのは相手の女性が「凡そ異性として見るに値しない外見の女性」だったからではない。
完全に俺は相手を「女」として見れていた。が、俺は性欲を抱けなかったし、行為も行えなかった。
これは最早男女間の友情成立の一歩手前の状態まで来ているのではないだろうか?
要するに「男女間の友情を成立させる為の下準備」が整った状態なのではないだろうか。
それは肉体的な疾患が原因なのだから、仮に今後完全に友達でしかない女友達が出来たとしても、それは男女間の友情が成立したとは言えない!と言う人もいるだろう。
しかし友情って元々様々なプロセスによる成立があり得るものではないか?
最初はいけ好かない奴だとお互いに思っていたけど、言葉を交わしていく内にそうした悪感情が払拭され逆に好き合うようになり成立した友情
あくまで互いに便宜上仮初の友人関係を構築していたのだが、次第に私的な交流を重ねる機会も増え、そうこうする内に本心からお互いを好き合うようになり成立した友情etc.
このように友情とは本質的に多様なプロセスを内包する概念である。
よってこの先俺が実現させ得るかもしれない男女間の友情もまた、1つの男女間の友情の形に他ならないのである。
だが、俺は信じている。
必ずや近い将来、俺は男女間の友情を成立させるのだろう、と。
その時が来たら、俺は堂々とこう答えるだろう。
「男女間の友情は成立する!!」と
クジラックスの問題があーだこーだ言われているがそれより理解できないのは被害者に配慮しての規制。
首切り事件が起こったあとは首切りシーンがある映画を放送中止にしたりするアレね。
確かに被害者の感情をあえて刺激する必要はないけど、ただのテレビ番組の1つだからね。
自分が見たくない、聞きたくないものなんておかまいなしに世間は動いてるって当たり前のことだと思うけど。
ちなみにサザンは3.11以降「TSUNAMI」を歌えなくなってしまったらしい。ネットソースなので真偽はしらんがちょっとこの状況異常じゃないか?
そりゃあ、あなたもアイドルの前に人間です。いくらルールがあるとはいえ、恋愛するでしょう。恋人がいるでしょう。
総選挙っていうのは、あなたの頑張りが結果として現れる場であり、我々の応援が数字として現れる場でもあるんだ。
「ああ、もっと応援してあげればよかった。」「やった、応援していたあの子がついに報われた。」我々はその結果に涙するのだ。
それが、全く思っても見なかった角度からぶん殴れれる。まさか、こんなことで涙するとは、夢にも思わなかった。
推しよ。おめでとう。私はあなたのこれからを祝福する。まだ整理はつかないけど、この気持ちに嘘はない。
でも、どんな理屈があろうと、美辞麗句並べようと、あなたのその「報告」はファンを絶望させる一言である、ということはどうしようもない事実なんだ。
我々は気持ちわるいでしょう。ファンなら応援すべきなんでしょう。わかってる。わかってるから。
頼む。その日だけは、やめてくれ。
・何を食べたいのか、自分が欲している味覚
それまで、「お腹が満たされればそれでいい」という考えて生きていて
コンビニに行くこともなければ、食事にこだわることもなかったんだけど
「甘い物が食べたい」「しょっぱいものが食べたい」という感覚が掴めるようになった
・美味しいということ
上記と似ているけど、「食べることが出来ればいい」だったので
何が美味しくて何が不味いとか判断している人の気持ちが分からなかったんだけど
最近ようやく分かるようになってきた
・一緒に食べるご飯は美味しいということ
たかだか1食のご飯でも、店やレシピを調べたりわくわくすることも世の中にあった
・作ったご飯を褒められることは嬉しいということ
殆ど料理もしなくて、得意でもなかったんだけど、作る機会があって、とても褒めてもらった
普段少食なのに、気を使ってくれているのかもしれないけど、おかわりをしてくれた
料理を作って喜んでもらえることはとても大切だった
「頑張らない」がモットーの人なので、「頑張る」と言えば「頑張らなくていいけどね」と言ってくれる
元々「頑張る」が口癖だったので衝撃的だった
「頑張る」を口にしないようにすると肩の荷がスルッと下りた
・嫌なことから逃げること
やりたいことよりやらなきゃいけないことをずっと見ていたので、雁字搦めになることが多かったんだけど
「何とかなるよ」をよく言う人だったので、割と救われた
真面目に全うに生きようとしすぎていた
・世の中の人はそんなに頑張って生きていないということ
世の人々全員ではないだろうけど、今まで誰もが目的意識を持って生きていると思ってた
「死んでないだけ」というフレーズを言われてびっくりした
何のために生きていて、とか何かがあるわけでもなくて
ただ日々を生きて過ごしている人もいた
・行動出来ると楽しいということ
「○○に行きたい」というと、「じゃあ行こう」とすぐに計画が立ったりする
今まで欲はあるけど、体は動かないということがよくあったから、口だけが多かった
割と人生を生きるモチベが低くて、あわよくば積極的に死にたいと思ったいたのだけれど
この人に出会ってから、「もしかしたら幸せってこういうことなのかも」と知り始めた
「食べたいものを食べるまで死にたくはない」と言ってる恋人を見て
行きたいところ、やりたいことリストを作った
当方9才童貞男子だが、最近ちんちんが固くなることがあってかなりきつい。
ションベンの出る所がとくにきつい。
ちんちんが固くなるとさきっぽがでてきちゃってかなり痛い。
かといって固くなるとなんだかうれしい。
なんで?
加齢が気にならなくなった
未婚の頃はアラサーとか気になるとこだったけど、今は年相応に生きてる安心感があって、育児に疲れたアラフォー婆ですが何か?と堂々と歳を取れる。
コミュ障か気にならなくなった
外で友達を作れなくても家族と会話できる、家族が自分を特別に好きでいてくれる。
生まれ持った親兄弟がいる十代二十代辺りは当たり前の事だけど、歳を取って来たら親と一緒にいたらしんどくなってきて揉める、自分で作った家族が居ないと兄弟は家族を持ち親は弱り幼なじみも結婚しコミュ障は孤独になっていくので家族が居るのはとても気持ちが楽だ。
アカシア根皮茶(ACRB)を試す機会があったので、様子を書いてみる。
例えば飲酒したとき、吐く寸前くらいの酩酊時は、気分が大きくなり、説教を垂れたり思考が飛び飛びになったりする経験がある人も多いと思うが、この草の場合は酩酊と同時に視覚と聴覚の幻覚も一緒に楽しめる。
(効果は人によって異なり、効かない人はアルコールの悪酔い程度にしかならない。自分は多いにキマった)
試してみたい場合や調べてみたくなった場合はこのURLから辿っていけば一通りを知ることが出来る。 http://storys.jp/story/24344
13:20 アルコールの酩酊に近い状態になる。寝転がっているのが楽で、座っているのが面倒に感じる。目を閉じていた時にも視界に液晶モニタを間近で見たようなツブツブが見えてくる。
13:30 目を開けていても、気を抜いていると何も無い白壁や、陶器の皿にプリズムのような幾何学模様のパターンが見えてくる(ルイス・ウェインのフラクタルな猫のような見え方)白い皿の輪郭部分から色収差のように赤と緑の線が見える。
13:32 気分が悪くなり、嘔吐。体温が低く感じる。
13:40 目を開けて意識をしっかり持っている時はアルコールの酩酊と同じ感じ。目を開けてぼーっとしていると視界が何重にも見え、幻覚の幾何学模様のパターンが更に激しくなる。この視界が何重にも見えるのをぼーっと楽しんでいるだけで多幸感がある。目を閉じていても、フラクタルパターンやモノクロの部屋など、各種幻覚が強制的に見られる。
14:00 感覚の鋭敏感のピーク。瞬きしたときの視界の変化が知覚できるようになる。蛇口から水がポタポタ落ちる環境音などにタイミングを合わせて視界が歪む。毛布や服の感触に安心感を覚える。同居人に現在の様子を説明するときに、自分の心情や見えている物が伝わらないのがもどかしく感じる。
14:10 音楽や映像を摂取すると精神が持って行かれそうな状態になる。音楽や映像を全部止めて、ぼーっと天井を見ている。その時に天井のシーリングライトの丸い形状が愛おしく感じる。角張ったものに対する忌避感がある。
14:30 思考が断片化しているのを自覚する。喋ったり文字を打っている途中にもう別の事を考えてしまい、発話がおいつかなくなる。おそらく、ボイスレコーダーをセットしておいて独り言を言い放題にしておくと、後で聞き返して悶絶しそう。
15:00 視覚と聴覚の幻覚や幻聴が無くなる。以降は酩酊した状態に近い精神状態。連続した思考が出来なくて、自分の意思と無関係に考える対象がポンポンと飛ぶのが、まるで自分の頭が良くなった、悟りを開いた、と誤解してしまう。
16:00 酩酊も一通り収まり、外に出る。太陽の光がまぶしい。
まとめ
ここまでキマると思っていなかったので、音楽や映像の用意をしていなかったのが悔やまれる。人と話していたいのか、映像を流して視覚がめちゃくちゃに過敏になっているのを楽しみたいのか、ぼーっとしていたいのか、の様に方針を決めておくほうが良い。
NHKの受信料徴収を巡るトラブルで男性にけがを負わせたとして、広島県警呉署は17日、NHKの集金業務を請け負う同県熊野町神田の自営業の男(55)を傷害容疑で現行犯逮捕したと発表した。
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20170617-OYO1T50019.html
昔からNHK集金人の犯罪がある。トラブルを禁止するために集金を禁止にすればいい
見たい人だけカネを払うペーパービューにすれば良いのだ。
金を払いたいと思うような良い番組を作れば良いのだ。
全てのニュースのバックナンバーも、国会中継の動画も、大河ドラマもバラエティーも、視聴料さえ払っていればNHKアーカイブスで見放題にすれば、国民の知る権利を満たすことにもなる。