はてなキーワード: 左派とは
ナショナリズムの定義がよくわからんからナショナリズムと、個人の権利との対応がわけわからんことになってるぞ。
ホッブスの「万人の万人に対する戦い」と消極的自由と、積極的自由の話ぐらい踏まえてるよな。
個人の自由をフルで認めると権利同士の衝突となるから、共同体に一部権利を預けて衝突を回避する。共同体のことをナショナル= 国 全体 または 国家 に属するとするならそれもよかろう。
君の言う左派ののナショナルな団結と、右派のナショナリズムを前提としてその権利を認めるという話の違いはないように見えるがな。
その上で、「「縛りや邪魔がない」という自由」を指向する消極的自由主義と「「自分の意志で好き勝手にできる」という自由」を指向する積極的自由主義のどちらを取るかだ。
消極的自由主義は金持ちが好き勝手できるということで強者寄りで右翼とも言えるが、もはや右翼左翼なんて対立校は邪魔なだけだ。
いわゆる左派の主張する大きな政府とか福祉国家というビジョンはフランス革命以後の国民国家を前提にしていて、その限りでナショナリズム自体は左派にも内在している。順序としてはリベラルな価値観である個人の権利を擁護するためにナショナルな団結を要請したわけだ。
ここから個人の権利をラディカルに主張して国民や国家を含めたナショナルなものの解体にまで行くと左翼の極北、アナーキズムに至る(共産主義の最終目的地でもある)。
他方で右翼の場合、一般的にはナショナリズムを前提としてその限界内で個人の権利を認めるという形になる。
つまり左翼にせよ右翼にせよ市民革命以後、国民国家以後の概念なので、前提としているところはそう変わらず、個人の権利とナショナリズムをどう位置づけるかに相違がある。
だからナショナリスティックな左翼もありうるし、リベラルな右翼もありうる。
これが極右や極左になると、どちらも国民国家以後の「近代」という枠組みからの脱却を志向するものになる。大ざっぱに言えば、極右は近代以前に近代の超克を求め、極左は近代以後を想像する。
日本の左派ってあんまりリベラル(自由主義)的じゃあないんだよね。どちらかと言うと自称リベラル。以前はリベラルと言わずに革新勢力とか言ってた。保守対革新とかね。
彼らがリベラルと自称しだしたのは割と最近のことで、アメリカの「リベラル」勢の真似なんだと思う。紛らわしいったらありゃしない。
今でもイギリスだと古典的な意味でLiberalという言葉が使われる事が多いし、ホントはやめて欲しいんだよね。ああいう「リベラル」の使い方は。
ちなみに日本で Liberal を党名にうたった政党は、有名なところだと、自由民主党(Liberal Democratic Party)や、吉田茂の自由党(Liberal Party)や、板垣退助の自由党や、小沢一郎の自由党などがある。
でも日本の左派(特にブクマカ)は基本的にはその定義におけるソーシャルじゃね? 福祉重視で、アメリカ型の自己責任論は嫌うでしょ。なのに保険証を保有しない自由(現在はユニバーサルヘルスケアの観点から誤った姿、皆が保険証を持ち保険診療を受診できる世界が目指すべきもの、とされている)を擁護した高木浩光に同調しているの矛盾してね?
ヨーロッパにおける左派(社会民主主義系)はユニバーサルヘルスケアは推進・維持派ではないの? アメリカだと確かに民主党系(リベラル)がオバマケア筆頭に進めているが。
健康保険証がないです!と言える自由が大事、に同調するブクマカはオバマケアとかにも反対したのかね。あれは民間保険の強制加入だと思うので、少し違うが。
健康保険制度自体の持続性を疑いアメリカ型の社会保障を目指すのなら話は分かる。その理想を実現すると確かに保険証を持つ人が限られる。(高木浩光が想定する、保険証が万人に渡されていない(「保険証もないです」が通用する)世界。マイナンバーカード関係なく現制度では健康保険証か生活保護受給者証は皆が持つべきとされている)
子供でも分かるよ。