はてなキーワード: 双生児とは
タレントのローラ(23)の父親が詐欺容疑で国際手配された一件で、
ネット上では「ところで、ローラの家族構成ってどうなっているんだ?」と
素朴な疑問が持ち上がっている。
ざっと紹介すると、渦中の父親ジュリップ・エイエスエイ・アル容疑者(53)は
バングラデシュ人だが、ローラが幼いころに別れた生みの母親は、
日本人とロシア人のハーフだ。また、ローラには二卵性双生児の弟で
モデルのリョウがいて、2人は父親の離婚後は中国人の継母に育てられた。
この継母も父親との間に双子を生んでいて、ローラには腹違いの弟と妹もいる。
一時期、継母の両親も加えて8人で暮らしていたことがあるという。ちなみに、
また、週刊文春は以前、ローラの父親が1990年代後半に経営していたインドカレー屋で、
ローラの伯父といとこにあたる男性を不法就労させていたとする疑惑を報じている。
ネット上では、ローラは芸能活動の自粛か、引退するしかないのではという声が
親の罪が子供に及ぶようになってるだろ、この国は。
http://anond.hatelabo.jp/20100124025520
当時の技術水準でも現代の技術水準でもDNA鑑定というのは「同一人物だとしても矛盾しない」ということは言えても「事実上同一人物に間違いない」ということは言えないよ。指紋ならば「事実上同一人物に間違いない」と言えるけどね。一卵性双生児でもクローンでも指紋は違うから。
DNA型はABO血液型をさらに細かく分類したようなものとイメージすると良い。人類を100万類型に分類するようなもの。でも地域によって偏りがあるし、近縁血族グループの中ではせいぜい数百類型ぐらいにしか分類できないこともある。たまたま同じ類型に属する人間がいないとはいえないのだ。
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ゲゲゲのげ/逢魔が時に揺れるブランコ
あなたのいいたいことは、要するにたとえ一卵性双生児(受精した段階では全く同一の遺伝子)であっても、受精後の細胞分裂過程において、徐々に遺伝子が変化していて、その結果、一卵性双生児(受精段階では同一の遺伝子)でも別々の個体(ヒトとして形成された後)では別の遺伝子を持っているから、指紋も違うということでしょ?それだったら、あなたがレスしている増田の言ってることと矛盾しないよ。
すべての人の遺伝子は完全に同一であり、
この「完全に同一」という部分が、どこまでの同一を指しているのかにもよるわけか。
2つ前の「もし完全に同一だと言うならば~」の増田は、ある瞬間(その瞬間が、受精時なのか出産時なのか成人後なのかは問わない)において、塩基配列の端から端までのすべてが完全に同一である場合、解釈で言ってるのだろう。
1つ前の「遺伝子が同じでも指紋は同一にはなりません。」の増田は、受精時の遺伝子とか、ヒトとしての基本的な部分を指し示す遺伝子までが同一で、その先の枝葉の部分や成長過程で変化する遺伝子までは同一の視野に入れていないんだろう。おそらく。
国籍に依存しないと保てないアイデンティティは不幸なんだけど、実は多かれ少なかれアイデンティティってそんなもんじゃないかと思ってる。
ていうのは、例えば自分個人ていう概念も、一体どこまでが自分なのか、他人と切り離して自分足り得るのか? 何かの一部でしかないんじゃないのかという疑惑は常につきまとうと思うんだ。
それが国でも民族でも人種でも親族でも人類でもないとして、でも代わりの何かの一部としてしかあり得ないんじゃないか? っていう。
完全な個人の定義はとても難しいと思う。男とか女とかそいう枠組みからも離れて。
天然パーマは個人に付属するのか、集団になりうるのか? 天然パーマ同士の集まりみたいのがあったとして、「俺たち天然パーマはさあ」みたいな語りがあった場合、天然パーマという集団にアイデンティティを委ねてることになるのではないか?
さらに思考実験まで含めると、上半身と下半身が別れて別々の人格を持ったらどっちが自分かとか。腕一本切り離した時その腕は自分なのか、脳が含まれてないから自分じゃないのか、脳がまっ二つになったらどっちが自分なのかとか。
スポーツ選手にとっての道具は身体の延長線にあるとか、一卵性双生児はどうなんだとか、親からもらった体は親の創造物であって自分じゃないんじゃないのかとか、だから背が高いことでバスケとかが得意だったとしても、それは親が偉いのであって本人は偉くないんじゃないのか、それを誇るのは先祖自慢と同じくらい自分に誇れるものがないのを埋め合わせてるんじゃないのか、とかさ。
自分という概念があまりに曖昧すぎて、結局人類の誰1人としてアイデンティティなるものを確立できてはいないんじゃかと思う。だから人間は生まれついて不幸。
そこで必要になって来るのが「アイデンティティを確立した」という「フィクション」で、そのフィクションの1種類が国だ民族だに過ぎないんじゃないかと思う。で、これを相対化して、そんなのはフィクションだと言ったところで、それに代わる全ても同様にフィクションに過ぎないんじゃないかという。
しかし何かのフィクションをインストールしないと人間は多分意識そのものを確立できないんじゃないか、パソコンにとってのOSみたいなもので、別にXPじゃなくても動くんだけど、XPじゃなくても動くということを明らかにしたところで、けっきょく何かのOSを入れないと使いもんにならないという点は揺るぎないんじゃないかって言う。
そんな気がするんだ。
大学院生の人に聞いてみたい。大学院に入ると、周りに優秀な人が多くて、皆、自分がいかに凡人であるか自覚すると思う。科学の発展のために優秀な人材を集めることも重要だけど、「天才のクローンを作った方が手っ取り早い」と内心思う人は、どれぐらいいるのだろう?
だって、才能が開くかどうかわからない何千何万の原石(大学院生)の中から宝石(ScienceやNatureに論文を通せる人)を捜すより、既に見つかっている宝石を大量生産するほうが、コスト的に安上がりで効率がいいのは、誰の目にも明らかじゃないですか。ぶっちゃけ、後、数十年すれば、大学院の運営コストよりも、天才のクローンを作るコストの方が低くなると思う。そうなったら、どう対応するの?企業は、絶対、比較するよ?原石で花開くかどうかわかっていない大学院生と、既に天才であることが分かっているクローンと、どちらが適切な投資対象か。どっちを雇ったら、儲けが出そうか。
今の大学院生が生きている間に、きっと、そういう時代が来る気がする。日本やアメリカは倫理問題でもめてやらないだろうけど、シンガポールなら、天才のクローンを作りそうだ。
追記:
「後何十年も先の話をするなら、AIその他に賭けたほうがいい。」
という意見がありましたが・・・すみません、僕の専門はAIの一分野です。結論から言えば、数十年後には、下記の科学者ロボットのような方法で、セレンディピティ(偶然による発見)を効率的に行うようなロボットは可能だと思います。ただ、論文や設計など、何かを生み出す行為については、結局、人間の専門家の介在が必要になると思います。それは、機械が劣っているから、ということではなくて、論文や設計は、「人間の役に立つかどうか」が最終的な評価基準になるからです。「人間の役に立つもの」は人間にしか評価できないので、それを作り出すのも結局のところ人間だと思います。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-37315620090403
また、「クローンの天才が同じ能力を発揮するとは限らない」といった意見をもらいました。結論から言えば、この辺は、「実際に天才のクローンを作って実験してみないと分からない」ですよね?おそらく、クローンの専門家にとっても、そうだと思います。それに、生まれてきた後の教育方法の方が、クローン技術より、成功に大きく関わると思います。天才のクローンを作ることは、確かに倫理的に残酷ですが、凡人の世界では才能の不足によりそれより倫理的に残酷なことが日常的に行われているのですから、それに比べれば、特に問題はないのではないでしょうか。学業で失敗して自殺したり、学資が滞って学業をあきらめたりすることに比べれば、天才のクローンとして生まれる方が、よっぽど倫理的に残酷でないと思いますけどね。
「天才の定義が明らかでない」という問題は、多数決で決めればよいのですから、そんなに問題ではないと思います。「天才を一人推薦してください」では語弊があると思いますが、「クローンを作るのに値する人物を推薦してください」と素直に聞けばよいでしょう。既に世の中は、そうやって投票や推薦で決まる賞であふれているわけです。「自分のクローンを作る権利」が賞品としてもらえる賞を一個新設した、と思えばいいでしょう。自分がイメージしているのは、数学的な天才です。テレンス・タオとかたくさん増えたら、数学が発展しそうじゃないですか。
追記2:
やはり、数学優位の分野じゃないと、否定的な意見が多いのですね。一応言っておくと、僕は東大の院生です。自分の分野では、本人にいくらやる気があっても生まれ持った数学的な才能がないと、真に革新的で素晴らしいと言える業績は挙げられない、と思っています。「やる気はあるんだけど、数学がなぁ・・・」という人を、何人も見てきました。一応、自分程度の才能でもそこそこの業績は上げられそうな気がしているので、大学院にいますが。
自分も、科学全般について天才のクローンを作ることにそこまで意味があるとは思っていません。分野によって、天才のクローンを作ることに意味がある分野とない分野があると思います。極端な話、DNA発見者で、優生学的な発言をしているワトソン博士のクローンを作っても、意味はないでしょう。彼がいなくても、別の人がいずれDNAの構造を発見し、今に至っていると思います。その意味で、アインシュタインの業績も、彼がいなくても他の人が同様の発見をしたと思います。当時最先端だったテンソルなどを持ち込んだのは、アインシュタインの大学時代の同級生で数学教授だったマルセルでしたしね。
ただ、数学・数理科学に関しては別です。数学は才能に頼る部分がとても大きいので、天才のクローンを作ることに意味があると思います。最初にこの記事を書いたとき、数学に限定しなかった僕が悪いのですが。「天才のクローンを作ろう」といっておきながら、「後の教育に依存する部分が大きい」というのが矛盾だという意見がありましたが、別に矛盾していないと思います。
という、至極当然のことを言っているだけです。実際に、このように考えて、教育すべき(自分が時間を割いてあげるべき)学生を選んでいる(大学)教員の方は多いのではないでしょうか?
端的に言って、自分の意見は、「数学に関しては、天才のクローンを作れば、いい業績を上げてくれると思う」というものです。もちろん、倫理的な問題はありますし、心理的な抵抗もあります。ただ、心理的な抵抗があるからといって避けていては、本当のところは分かりません。倫理的な問題・心理的な問題は置いておいて、「数学に関しては、天才のクローンを作れば、いい業績を上げてくれると思う」ということが正しいかどうかのみを問うているわけです。
自分は、IQの高い人やノーベル賞学者の精子を集めた精子バンクには、あまり意味がないと思っています。それは、「子供にどれだけ親の知能が引き継がれるのか」というところに大きな疑問が残りますし、仮に、その点がデータで示せたとしても、子供の知能の分散が大きくなれば、結局、「クローンを作らずに普通に学生を集める」という選択肢と比較したときに採算が合わなくなります。「クローンというのは単なる年の離れた一卵性双生児だ」という意見がありますが、であるならば、一卵性双生児の間の知能の相関などの値から概算して採算があえば、この案を採用してもよいということになってしまいますよ。
追記3:
"取り敢えず、攻殻機動隊を見た方が良いんじゃないか。"という意見がありましたが、僕はアニメ版は攻殻機動隊は、ほぼ全て見ています。SAC、2ndGIG、SSSと、映画のGHOST IN THE SHELLとイノセンスを見ています。
近年にわかに、非常に注目を浴びている研究がある。それはクローンである。この研究が近年になって注目を浴びた原因が存在する。一九九七年二月二七日に「ネイチャー」誌が掲載した「核移植」という技術により作製されたクローン羊によって、多くの議題があがったのである。この研究によってさまざまな問題点が指摘され、そして多くの批判なども挙がり、現在では討論なども世界各国で行われている。本稿では、まずクローン、核移植とは何かを提唱し、その研究によりどのような利点、問題点が存在するのかという点について述べてみたい。
まずはクローンという言葉の意味について検証してみたい。今井(1997)によると、細胞を大概で培養し、それらがある特殊な性質を獲得した場合、たとえば遺伝子組換を行っている場合、それらはクローンと呼ばれる。さらに広辞苑によると「遺伝子組成が完全に等しい細胞または生物の集団。一個の細胞または生物を共通の祖先として、それから無姓生殖的に、かつ突然変異なしに増殖することによって生ずる。」いわゆる同じ物のコピーのようなものなのである。すなわち、今存在する人物のクローンも作ることの可能性はあると考えられているのである。一九九七年に発表されたクローン羊もこの無性生殖的に誕生した生物なのである。クローン羊は一九九六年夏に政府特殊法人のロスリン研究所のイアン・ウィルムット博士とキース・キャンベル博士によって無性生殖的に作り出された生物である。このクローン羊が誕生して7ヶ月たった後にウィルムット博士とキャンベル博士によって発表された。
このクローン羊は「ドリー」と呼ばれた。この研究に使われた方法が、核移植であった。熊谷(1997)によると核を提供する細胞は、六才の雌羊の乳腺細胞、羊の胎児から取った繊維芽細胞、受精9日後に当たる羊の胚からとったED細胞の三種類をクローン羊の作成に使われたと述べている。核移植とは精子の代わりに他の細胞の核を卵子に移植したのである。熊谷(1997)によると、ドリーの以前の方法では人間のクローンを作成できはしなかったが、ドリーの方法では細胞さえあれば、クローン人間が生まれる可能性はあると述べている。以前の方法だと一卵性双生児とにたようなもにしかならなかったが、新しい方法を使用すればほぼ同じようなコピーを作り出すことができると考えられている。
クローン人間が与える利益は多様にある。不妊症対策がそのひとつである。軽部(1997)は、男性に精子がない場合、クローン技術によって子供を作ることができると述べている。もちろんみずからのクローンを作ることですらできると考えられる。映画、「ジュラシックパーク」のなかで行われていた、恐竜を作り出すことも可能であると思われる。すなわち、すでに絶滅している生物を作成することもできるのではないのだろうか。今井(1997)は、クローン羊の報道があった後、一部の人々がヒトラーなどの危険な人物がよみがえるのではないかという不満があったと述べている。しかも非常に屈強な兵士を何人も同じような兵士を作り出すこともできるのではないだろうか。
クローンが作られる過程のなかで、問題が指摘されている。それは無性生殖的に増殖するということである。すなわち、性行為がこの過程の中で行われないのである。自然界の法則の中にも提唱されているように、雌雄間の性行為がない限り、子孫は残せないという理論がある。特に人間のクローンを作成すると、さまざまな理論を覆してしまう恐れがあり、多くの議論が出されることになる。
一つは宗教の理論を全面的に否定することである。宗教の考え方の中には、人間は神から生命を授かった生物であるという理論がある。そして同じ生物が二人存在しかねない時代もまじかに迫ってきている。その生物は人間の手で作り出されたものであり、宗教家から考えれば、それは禁断の科学ではないのかという議題があがるのは、明らかである。だが実際にこのような議題は時代とともに承認されている。たとえばダーウィンの進化論なども否定され続けられていたが、近日ローマの法王が進化論の一部を認めたことは記憶に新しい。一九九八年一月には人間へのクローン技術応用禁止令が欧州19カ国で調印された。この調印もクローン研究は神への冒涜とおもわれているゆえに発展した調印ではないかと考えられる。軽部氏(1998)によると、人間が神の変わりになってはいけないかという考えがある。
クローン人間が大部分の人口を占めたとき、非常な危険な状態になると考えられている。軽部(1998)によると、人間の遺伝的多様性が減少し、主としてヒトの長期的存在にかかわる問題となると述べている。すなわち、強力な伝染病などが流行すると、すべての人口がまとめて死滅しかねないのである。太古の時代から生物は少しずつ進化しており、このクローン人間の出現により進化が止まってしまうと考えられるのである。
前述でも述べたように、クローンは無性生殖的に行われるものである。結婚という概念すら必要なくなってしまうのである。さらに、筆者は性別という概念すらもなくなってしまうのではないかという問題が考えられた。女性は子供を産むために必要であるが、男性は不要になってしまうのではないだろうか。男性がいなくなるということではないが、彼らが不必要となったとき、少しずつ減少していく可能性も否定できない。
最相(1998)によると、「クローン人間が生まれてきた場合その子供は差別を受ける可能性が非常に高い、と述べている。子供とは親との家族関係、すなわち子供と親というものによって確立されるものである。これは特に女性のみで、クローンが作られた場合による。」養子などは子供の権利が象徴されるがクローンの場合親の権利によって生み出される可能性がある。子供の権利は完全に無視した状態になり兼ねないのである。
だが、実際に内面まで類似しているクローンを作り出せるとは考えにくい。その一つの原因は、人間の性格は生まれたときに決まっているのではなく、育つその過程によって性格が変わっていくものなのである。重要なことは、外見、そして根本的なものの類似しているものは作成できるだろう。筆者としては、実際に完全に一致したクローンを作り出すことは難しいと思われる。それゆえに前述でも述べた新しい第二のヒットラーが産まれかねない可能性はないと考えられる。元の人間とまったく同じような人生を歩まない限り、酷似するとは考えられない。
最後にクローン問題が世界各国に与えた影響を述べたい。軽部(1997)によるとアメリカではヒトクローン研究の一時的停止を議会に提出したと述べている。だが実際はいまだ審議中であり規制が実施されるのはまだ先と考えられている。他の国でも、いまだ完全な規制は敷かれてはいない。特にクローン技術を悪用する国家が現われることが無いよう監視をするべきではある。
クローン人間問題に対する議題は特に本稿でも述べた宗教関連によるものである。そして、クローンを研究している科学者はさまざまな批判によって研究が進められていない。実際にはクローン技術によって利益もあるが不利益も存在する。だがこの研究は今までの人間の理論を完全に覆すことのできる研究の一つである。人間はさまざまなものを今まで開発してきた。原子力なども以前は革命的と考えられてきたテクノロジーも第二次世界大戦では殺戮兵器としてつかわれてしまった。どのように新しい技術を使っていくのかという点を考慮しない限りクローンも原子力のような過ちを繰り返しかねないと思われる。
近年にわかに、非常に注目を浴びている研究がある。それはクローンである。この研究が近年になって注目を浴びた原因が存在する。一九九七年二月二七日に「ネイチャー」誌が掲載した「核移植」という技術により作製されたクローン羊によって、多くの議題があがったのである。この研究によってさまざまな問題点が指摘され、そして多くの批判なども挙がり、現在では討論なども世界各国で行われている。本稿では、まずクローン、核移植とは何かを提唱し、その研究によりどのような利点、問題点が存在するのかという点について述べてみたい。
まずはクローンという言葉の意味について検証してみたい。今井(1997)によると、細胞を大概で培養し、それらがある特殊な性質を獲得した場合、たとえば遺伝子組換を行っている場合、それらはクローンと呼ばれる。さらに広辞苑によると「遺伝子組成が完全に等しい細胞または生物の集団。一個の細胞または生物を共通の祖先として、それから無姓生殖的に、かつ突然変異なしに増殖することによって生ずる。」いわゆる同じ物のコピーのようなものなのである。すなわち、今存在する人物のクローンも作ることの可能性はあると考えられているのである。一九九七年に発表されたクローン羊もこの無性生殖的に誕生した生物なのである。クローン羊は一九九六年夏に政府特殊法人のロスリン研究所のイアン・ウィルムット博士とキース・キャンベル博士によって無性生殖的に作り出された生物である。このクローン羊が誕生して7ヶ月たった後にウィルムット博士とキャンベル博士によって発表された。
このクローン羊は「ドリー」と呼ばれた。この研究に使われた方法が、核移植であった。熊谷(1997)によると核を提供する細胞は、六才の雌羊の乳腺細胞、羊の胎児から取った繊維芽細胞、受精9日後に当たる羊の胚からとったED細胞の三種類をクローン羊の作成に使われたと述べている。核移植とは精子の代わりに他の細胞の核を卵子に移植したのである。熊谷(1997)によると、ドリーの以前の方法では人間のクローンを作成できはしなかったが、ドリーの方法では細胞さえあれば、クローン人間が生まれる可能性はあると述べている。以前の方法だと一卵性双生児とにたようなもにしかならなかったが、新しい方法を使用すればほぼ同じようなコピーを作り出すことができると考えられている。
クローン人間が与える利益は多様にある。不妊症対策がそのひとつである。軽部(1997)は、男性に精子がない場合、クローン技術によって子供を作ることができると述べている。もちろんみずからのクローンを作ることですらできると考えられる。映画、「ジュラシックパーク」のなかで行われていた、恐竜を作り出すことも可能であると思われる。すなわち、すでに絶滅している生物を作成することもできるのではないのだろうか。今井(1997)は、クローン羊の報道があった後、一部の人々がヒトラーなどの危険な人物がよみがえるのではないかという不満があったと述べている。しかも非常に屈強な兵士を何人も同じような兵士を作り出すこともできるのではないだろうか。
クローンが作られる過程のなかで、問題が指摘されている。それは無性生殖的に増殖するということである。すなわち、性行為がこの過程の中で行われないのである。自然界の法則の中にも提唱されているように、雌雄間の性行為がない限り、子孫は残せないという理論がある。特に人間のクローンを作成すると、さまざまな理論を覆してしまう恐れがあり、多くの議論が出されることになる。
一つは宗教の理論を全面的に否定することである。宗教の考え方の中には、人間は神から生命を授かった生物であるという理論がある。そして同じ生物が二人存在しかねない時代もまじかに迫ってきている。その生物は人間の手で作り出されたものであり、宗教家から考えれば、それは禁断の科学ではないのかという議題があがるのは、明らかである。だが実際にこのような議題は時代とともに承認されている。たとえばダーウィンの進化論なども否定され続けられていたが、近日ローマの法王が進化論の一部を認めたことは記憶に新しい。一九九八年一月には人間へのクローン技術応用禁止令が欧州19カ国で調印された。この調印もクローン研究は神への冒涜とおもわれているゆえに発展した調印ではないかと考えられる。軽部氏(1998)によると、人間が神の変わりになってはいけないかという考えがある。
クローン人間が大部分の人口を占めたとき、非常な危険な状態になると考えられている。軽部(1998)によると、人間の遺伝的多様性が減少し、主としてヒトの長期的存在にかかわる問題となると述べている。すなわち、強力な伝染病などが流行すると、すべての人口がまとめて死滅しかねないのである。太古の時代から生物は少しずつ進化しており、このクローン人間の出現により進化が止まってしまうと考えられるのである。
前述でも述べたように、クローンは無性生殖的に行われるものである。結婚という概念すら必要なくなってしまうのである。さらに、筆者は性別という概念すらもなくなってしまうのではないかという問題が考えられた。女性は子供を産むために必要であるが、男性は不要になってしまうのではないだろうか。男性がいなくなるということではないが、彼らが不必要となったとき、少しずつ減少していく可能性も否定できない。
最相(1998)によると、「クローン人間が生まれてきた場合その子供は差別を受ける可能性が非常に高い、と述べている。子供とは親との家族関係、すなわち子供と親というものによって確立されるものである。これは特に女性のみで、クローンが作られた場合による。」養子などは子供の権利が象徴されるがクローンの場合親の権利によって生み出される可能性がある。子供の権利は完全に無視した状態になり兼ねないのである。
だが、実際に内面まで類似しているクローンを作り出せるとは考えにくい。その一つの原因は、人間の性格は生まれたときに決まっているのではなく、育つその過程によって性格が変わっていくものなのである。重要なことは、外見、そして根本的なものの類似しているものは作成できるだろう。筆者としては、実際に完全に一致したクローンを作り出すことは難しいと思われる。それゆえに前述でも述べた新しい第二のヒットラーが産まれかねない可能性はないと考えられる。元の人間とまったく同じような人生を歩まない限り、酷似するとは考えられない。
最後にクローン問題が世界各国に与えた影響を述べたい。軽部(1997)によるとアメリカではヒトクローン研究の一時的停止を議会に提出したと述べている。だが実際はいまだ審議中であり規制が実施されるのはまだ先と考えられている。他の国でも、いまだ完全な規制は敷かれてはいない。特にクローン技術を悪用する国家が現われることが無いよう監視をするべきではある。
クローン人間問題に対する議題は特に本稿でも述べた宗教関連によるものである。そして、クローンを研究している科学者はさまざまな批判によって研究が進められていない。実際にはクローン技術によって利益もあるが不利益も存在する。だがこの研究は今までの人間の理論を完全に覆すことのできる研究の一つである。人間はさまざまなものを今まで開発してきた。原子力なども以前は革命的と考えられてきたテクノロジーも第二次世界大戦では殺戮兵器としてつかわれてしまった。どのように新しい技術を使っていくのかという点を考慮しない限りクローンも原子力のような過ちを繰り返しかねないと思われる。
それは『意識』の定義づけ次第で、確認できるか否かが決まることでしょ。
まず、自分とまったくおなじ『意識』を持ってる人間は厳密には存在不可能だよ。(限りなくゼロに近い時間なら存在可能かもしれないけどね。)二人目の自分を作った時点で、その二人目は、コピー元の自分とは、文字通り、違った立ち位置で生活するようになってしまう。見る景色も感じる経験も違ったものになるから、当然、意識もコピー元の自分とは違ったものを持つようになる。一卵性双生児をイメージすると分かりやすいかも。
そういう前提があった上で、じゃあ、たとえば、あなたの考える、『意識』って何?ということ。計算ができること?しゃべれること?あるいは、なんらかの感情があること?五感で感じた感覚を楽しんだりすること?これらであれば、コピーした二人目の自分の行動を見ても確かめられるし、脳が発する電気を測定しても確かめられる。なにを『意識』と呼ぶにせよ、意識とはなんであるのかが定義できれば、意識は測定できる可能性が生まれる。あとは、測定する技術の開発を待つだけだ。
[死刑][飯塚事件][無期懲役][足利事件][DNA][MCT118型DNA鑑定][目撃]
科学的に物を言うには、「ブラインド(二重盲検査法)」という手法を使わなければいけません。その検体が誰のものか分からないという設定でなければいけません。
写真から指紋を複製、認証システムをスピード突破可能に… : ギズモード・ジャパン
脊椎動物:祖先はナメクジウオ ヒトと遺伝子6割共通 国際チーム、ゲノム解読 - 毎日jp(毎日新聞)
ナショナル ジオグラフィックチャンネル:番組探検 - 人間とチンパンジー:DNA2%の相違
DNAがまったく同じである。
相変わらず証拠は“DNA鑑定” (つづき) - JUNSKY blog 2015
チンパンジーなら9割以上(99%以上?)DNAは一致するという。
人間に誰でも共通する部分を比較して見せて、『DNAは完全に一致した』と言えば、
はてなブックマーク - 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
PCR増幅法の特徴は、僅かな資料からでもDNA鑑定ができるという点である。
血痕で2ミリメートル四方、精液斑で1ミリメートル四方、毛根鞘のついた毛髪なら1本から2本とのことである(清水1992、p.20)。
また、プロープを使わないため、それほど設備がなくても鑑定が可能であるという利点もある。
そのかわり、PCR法で増幅できるのはある程度短い部位だけなので、YNH24やCMM101などの部位はこの方法では鑑定できない。
また、少しでも別のDNAが混入すると混入したDNAまで増幅されて結果が狂ってしまう可能性もあるので、資料を慎重に扱う必要がある。
このDNA鑑定は極めて初期の方式に基づいて行われたものであり、
「科学の名による冤罪—足利事件」再審無罪を求める東京集会参加報告−JanJanニュース
SさんのDNAは「16-26」という型ではなく、「18-29」の型であることが判明しました。
弁護士によると、型の違いはB型とA型のちがいほどの違いであり、当時の技術水準は低かった、と語りました。
S受刑者の受刑者の髪の毛から採取したDNA型が違うという鑑定結果を出した。
O教授は言う。
「可能性は2つある。1つは当時のDNA鑑定が間違っていた。
もう1つは真犯人でない人を捕まえていた。
hontoネットストア:本、コミック、雑誌の通販【共通hontoポイント貯まる】
これが我が国におけるDNA鑑定の名誉ある第1号であると同時に、
それはまたDNA鑑定の足枷をはめられた被告の長くて苦しい冤罪の闘いの始まりであった。
「俺は、事件など起こしてはいません。DNA鑑定は間違っています。もう一度やってもらいたいものです」
被告の願いは2審結審後、弁護団独自の再鑑定という形で実現する。
Aちゃんの死体は,本件の被害者Mちゃんの死体が発見された渡良瀬川の河川敷から
約200メ-トル離れた対岸で発見されていたため,
最高裁の段階で,Sさんの髪の毛を使って,MCT118法の型判定をしたところ(日大のO先生による鑑定),
SさんのDNA型は,18-30ではなく,18-29だということがわかりました。
「F・Mちゃん事件」の捜査が難航したまま、半径2Km圏内で幼女の失踪・殺害事件が続発する。
’86年にH・Yちゃん(5)、’90年にはM・Mちゃん(4)が、ともに衣服を脱がされた状態で、遺体で発見されたのだ。
だがその内容は、矛盾だらけだった。
足利幼女殺人事件の再審棄却への疑問: 教育に情熱をかける教師のために
棄却理由は、今回提出された鑑定に使用された毛髪のDNAが請求人の毛髪から採取したものであるとの証拠がないとのことであった。
だが、そういう疑いも考えられるかも知れないが、それなら、裁判所の職権において再鑑定すればよいと思うのだが、なぜそこで終わってしまうのだろうという疑問が残る。
Amazon.co.jp: 魔力 DNA鑑定: 佐久間 哲: 本
第二審でDNA鑑定で逆転無罪になった大分短大生殺害事件 について知りたいです
はてなブックマーク - 5号館のつぶやき : 政治に翻弄される科学者 (横田めぐみさん遺骨事件)
刑事裁判を考える:高野隆@ブログ:プッテン殺人事件 - livedoor Blog(ブログ)
DNA鑑定で無罪、全米で200人 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
【海外】強姦罪で服役19年、DNA鑑定で無罪判明 「誰も恨んでいない。自由に感謝している」
<かくも多き冤罪事件>米の死刑囚ら188人、DNA鑑定で続々、無実を証明(朝日新聞)
愚慫空論 無実の“死刑囚”124人の衝撃 ~冤罪に揺れるアメリカ~
内科開業医のお勉強日記 : オリンピックレスリング選手では汗による感染対策すべき
ボンソワール書房日誌 Éditions Bonsoir Journal: B型肝炎ウイルスが汗から発見、感染の可能性も?
一卵性双生児はDNAがまったく同じ。
DNAに左右されないところはある。
<遺伝子を操る>DNA鑑定、超微量でも 犯人像の再現も視野に
コピー用紙や感熱紙に残された指紋からDNAを解析する技術を確立した。
アルコール溶液に浸すなどして指紋の中にあった細胞からDNAを取り出す。
指紋から性別、嗜好、人種なども判別可能な新技術: Do you think for the future?
任意提出を受けた「男子学生の試料」(自宅を訪ね部屋から髪の毛を採取した模様)と、
「ひもに含まれた汗」のDNAを照合したところ、これが一致。
今枝弁護士が受け取ったとされる脅迫状から指紋・DNAが検出されたというのは本当なのか - TERRAZINE
未解決事件捜査班、31年前の事件解決も - 社会ニュース : nikkansports.com
14年前の殺人とDNA一致 女性下着を投棄の男、再逮捕へ (2/3ページ) - MSN産経ニュース
ひったくり未遂の18歳少年、バッグの汗のDNA型で御用 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
そういうわけでもないんじゃない?
実際に幾つかのエロゲをやってみるとわかるけれど、ヒエロパートとエロパートとで明らかに性格が違うキャラがいる。ゲームによるけれど、長編純愛ものなんかだと、最初はイラスト重視だったとしても、プレイしているうちにヒロインの性格に惚れ込んじゃうってことが多々あるよね。すると、性格が変化すると、萎える。飛影はそんなこと言わないじゃないけれど、違和感を感じてしまう。
エロゲやったことのない人のためにもわかりやすい例を挙げておくね。一卵性双生児な人の一方とだけ友達になったとするよ。そのとき、顔が似ているからって、もう一人とも友達ってわけじゃないよね。今度は、両方と友達になったとするよ。二人は、顔は似ていても、れっきとした別人だよね。
・anond:20070623090711のための追記
セックスを持ち込まないんじゃなくて、ヒロインの性格ねじ曲げて(≒似ている別人と)セックスに持ち込ませるのを嫌がるんじゃないかなーと。
久々に興味ある話題なので転載してまとめるよ。
巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。
確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!
と、定義できればこれほど簡単なことはない。
実際、そのような定義が正しいとは思う。
しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学は脆弱すぎる。
科学がニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。
なぜ進化論がニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である。
人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない
猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。
進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様な化石の存在がある。
そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである。
クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。
恐らく多くの人間は遺伝子が同一なクローンはオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう。
私もそう予測した。
しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞の寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。
つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。
科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。
しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。
更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。
例えば、中国政府が北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人は存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)
◆進化論の背景
現在、進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。
このような証左を求めることが出来ない存在は現在の科学では入り込む余地がない。
しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。
実は科学とはアインシュタインの相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。
それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。
しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間が存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。
これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。
しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。
(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)
さて、話は戻るが進化論はアインシュタインの相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学が錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。
はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタインが科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。
◆本文を書こうと思った背景
ちょうど大阪大学の菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学とニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。
伝えたいことは進化論の科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論を科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。
進化論が流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。
既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、
この考えが根本となり、ナチスの優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。
淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。
(追記)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936
実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。
私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。
タイトルが釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方に乾杯。
07:41:09-12/27(水)/2006
インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正
14:11:45-12/27(水)/2006
【A】に対して。
科学の中でも追試が行われ易い分野とそう出ない分野がある。これは、時間スケールが関係しているよ。長い時間をかけて出来るような、天文学や進化の関連では検証が簡単ではないものが多いです。
でも、進化でも検証されてきてる分野はでてきてる。たとえば、大腸菌を使った進化を検証したものでしょう。だから、まったく、追試が出来ないかと言えばそうではない部分も持ち合わせているようです。それ以外にも社会性の昆虫の分野の性比の問題なども進化的な検証から成果を上げていますよ。パルサー天体のようなものもあるくらいだから恐らく、天文も同じでしょう。また、検証が難しくとも現存するデータで理論が正しいかどうかを確かめる為に統計学を利用しているが、20世紀半ばの集団遺伝学を引っ張ったフィッシャーのように統計学へかなり影響を与えたような事も産まれている。
科学ってものは未解決なものをといていく事で知見が深まっていく。未解決な例を上げて、否定する論法は偽科学と科学の関連でよく使われてるが、それでは説得力が乏しい。たとえば、進化が関連しそうな未解決なものを進化的な方法を取り入れずに解けたならそれは一つの有力な考え方になるだろうし、進化を否定する事につながるかもしれない。要するに、他の方法で未解決なものを説明する試みをしてみないと行けないです。もちろん、インテリジェントデザインのように、超自然的な存在がそうしたのだ。と一言で言われたら、変わりの未解決問題の解決説なのかもしれないが、ここで大きな問題は、超自然的な存在を持ち出す事によって、ブラックボックスを常に作ってしまう事にある。
このブラックボックスってのは、何か都合が悪い事があれば、超自然的な存在の影響だと言う捉え方も可能だし、逆に良い事があってもです。そうする事によって、それ以上の知見を求めない事に問題があると考えていますね。もし、超自然的な存在がいたとしたら、知見を深める事をタブーとはしないと思うけど。倫理的な問題はちょっと別だが。思考を止めて盲目的に信じる事がどのような事に通じるかそれは書かなくてもわかる人が多いだろう。
ただ、偽科学と科学の間にある対立で残念なのは、相互理解が全くないところにある。偽科学だと言われてるものたちが科学(=科学的手法)に対して誤解があるし、科学者が偽科学に対して攻撃的なだけのことも多い。科学じゃないけど、感情的な理解を少しはしていかないと理解はされない。情緒と論理の間の対立のようなものだ。ただし、科学への誤解が解ければ、おそらくニセ科学の多くは科学の顔をしないようになるだろう。
【A】に対して。
そもそも一卵性双生児の性格がまったく一緒かというと、そんなことはないわけで、つまり性格は遺伝要因と環境要因のうち後者の影響が大きいと考えられます(通常は似たような環境で育つので近いものになるとは思いますが)。昔の人はいいことを言った。「生みの親より育ての親」
模様については以下を参照のこと
http://plaza.rakuten.co.jp/kemusiro/diary/200608170000/
素人考えで性格も模様も一緒になるはずと考えるのは勝手ですが、みんなもそう思ってたと考えるのはどうかと思います。どちらも知識さえあれば事前に予測できたことです。昔の人はいいことを言った。「下手の考え休むに似たり」
以下蛇足。
この手の文章を読むと、だいたいどういう方面の人かというのが分かるのだけど(インテリジェントデザインがキリスト教右派の主張の焼き直しにしか過ぎないことがバレバレなように)、この文章はどうも分からない。分からない原因は対立概念が書いてないからだと思うのだけど、「進化論」がニセ科学だとするならば、人間その他の生物はどのようにして発生したと考えているのでしょうか。そこを詳しくききたい。
俺にとって「反証可能であるか」「追試可能であるか」どうかなどどうでもよく、
血液型性格判断も、マイナスイオンも、ゲルマニウムも、水への言葉も
「ナゼ」「どのような仕組みで」と言う部分をすっとばしているから「科学ではない」ではない。と言いたい。
「理由はよく分らないのですが、こうするとこうなります」
ではただの経験則であって、万人に通用するかは分らない。
「B型は身勝手だから」「マイナスイオンは体にいいから」「水が人の心(の波動)を受けるから」
全て「どのような仕組みで」をすっ飛ばしている。
だから『科学ではない』これではいかんのか。
ひとつの理由。
偽者と本物が同じ土俵に立つわけにはいかない。
同じ土俵に立って戦えばピエロになるだけ。
科学とはできないを突き詰めるもの。
可能性を夢想するものではない。
科学は万能などではない。
我々にはできないことの方が多すぎる。
だから前提条件が必要なのだ。
空を飛ぶ為には人間が両手を広げてブーンと言うだけでは飛べない。
これは前提条件だ。
「人間が飛べない」というものを証明したものではない。
同じ論点で、宇宙人がいないと断言するのは間違っている。
「宇宙人は少なくとも確認されていない。」
科学からすれば、それ以上でも以下でもない。
それを「居る」と断じる人たちと戦おうとするのが間違っているのだ。
「居る」「居ない」で戦おうとする人たちに
「いまは確認されていないのでは?」と問う声は届かない。
すべてはおまじない程度の可能性。
すべての可能性は否定はしない。
テレビが映るのを不思議と思わないのに幽霊を見るのは特殊な才能だと思っている。
そんなアンテナ感度の違う人たちと同じ土俵で戦えるわけがない。
仮説にもなっていない言説ということなんでしょうか?
かせつ 0 【仮説】
〔hypothesis〕ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。
http://anond.hatelabo.jp/20061226222936
>模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。
そもそも一卵性双生児の性格がまったく一緒かというと、そんなことはないわけで、つまり性格は遺伝要因と環境要因のうち後者の影響が大きいと考えられます(通常は似たような環境で育つので近いものになるとは思いますが)。昔の人はいいことを言った。「生みの親より育ての親」
模様については以下を参照のこと
http://plaza.rakuten.co.jp/kemusiro/diary/200608170000/
>つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。
>科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。
素人考えで性格も模様も一緒になるはずと考えるのは勝手ですが、みんなもそう思ってたと考えるのはどうかと思います。どちらも知識さえあれば事前に予測できたことです。昔の人はいいことを言った。「下手の考え休むに似たり」
以下蛇足。
この手の文章を読むと、だいたいどういう方面の人かというのが分かるのだけど(インテリジェントデザインがキリスト教右派の主張の焼き直しにしか過ぎないことがバレバレなように)、この文章はどうも分からない。分からない原因は対立概念が書いてないからだと思うのだけど、「進化論」がニセ科学だとするならば、人間その他の生物はどのようにして発生したと考えているのでしょうか。そこを詳しくききたい。
巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。
確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!
と、定義できればこれほど簡単なことはない。
実際、そのような定義が正しいとは思う。
しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学は脆弱すぎる。
科学がニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。
なぜ進化論がニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である。
人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない
猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。
進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様な化石の存在がある。
そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである。
クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。
恐らく多くの人間は遺伝子が同一なクローンはオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう。
私もそう予測した。
しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞の寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。
つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。
科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。
しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。
更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。
例えば、中国政府が北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人は存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)
現在、進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。
このような証左を求めることが出来ない存在は現在の科学では入り込む余地がない。
しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。
実は科学とはアインシュタインの相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。
それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。
しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間が存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。
これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。
しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。
(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)
さて、話は戻るが進化論はアインシュタインの相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学が錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。
はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタインが科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。
ちょうど大阪大学の菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学とニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。
伝えたいことは進化論の科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論を科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。
進化論が流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。
既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、
この考えが根本となり、ナチスの優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。
淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936
実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。
私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。
タイトルが釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方に乾杯。
(続・科学が『ニセ科学』を糾弾できない本当の理由 - はてな匿名ダイアリーに続く)
07:41:09-12/27(水)/2006
インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正
14:11:45-12/27(水)/2006
15:05:07-12/28(木)/2006
続編リンク追加