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『美とミソジニー』、読んでみたけれど、本当にほぼ全て「装飾」の話題なんだね
化粧とかハイヒールとか美容医療とか。特に豊胸手術とかは日本では一般的とは言えないし、あくまでも西洋の現状を描いた本であって日本にそのまま当て嵌めてはいけないだろうと思った(まぁこの本に書かれている事が現地の実態にどれだけ即しているのかも分からないが)。
唯一意義を感じたのは黒人女性に関する部分かな。黒人女性も白人女性基準での美を求められ、成功した黒人女性も白人的な容貌を持つ人ばかりとかの記述。でもアジア人については特に触れられていないようだったのでやっぱりあんまり。
日本において美とミソジニーと言ったら寧ろ、ナチュラルメイク信仰やショートカットは美人しか似合わない信仰といった
装飾しないありのままの容姿で値踏みされる事にあると思うので、「装飾」に焦点を当てて論じる事自体に違和感がある。
最近は日本でも美容整形が格段に普及したけれど、それだって骨格からしてブスなら美容整形でもどうにもならず、美容整形で可愛くなれるなら元々の素材が良いんじゃんって方向だし。評価されているのは「装飾」ではなくあくまで、「素のスペック」それ自体。
客を見た目で判断するな!って人もいたけど、まずは自分の今までの経験から見た目で判断するのは当たり前。
歳を取るごとに性格は顔に出るし
ちゃんと制服を着た警察官を警察だとは思わない人、その店の制服を着た人を店員さんだと思わない人だけが石を投げなさい
つまりここでの場違いとは、貧乏人(庶民)がありのままの姿でハイブランド店に入るのは、その層の人から見ると、場違いでマナーを理解できない社会通念上おかしいヤバい人種って意味です。
つまりデパートは誰でも入れるが、あの空間だけは特別な空間なのです。
そこへ自由な服装で入っても許されるのは、店側の求めるマナーを跳ね除けられるレベルの、つまり店のランクよりさらにハイクラスのセレブリティくらいでしょう。
知り合いとも以前話題になったことがあるんだけど、男の人って妙なところない?って。
"男は不幸になってもなんか平気"でちょっと笑っちゃったけど、でも改めて考えるとモヤモヤする。
男性が承認なしで孤独にやってける秘密って精神構造にあると思う。
男性が承認なしで孤独にやってける秘密って精神構造にあると思う。
ありのままの自分の承認なしでも多くの男性が持続可能なのは、やっぱり何かあると思ってて。
想像だけど、心構えの時点でもう違う、なんか自分を社会の道具とか消耗品としてみてるような感じ。
傷つきへの感度を犠牲にして人を傷つけても傷ついても気にしにくくなってるみたいな。
醜形恐怖症ではないこと、というかメンタルに著しい問題がないことが最重要だと思います
醜形恐怖がありのままの子どもやパートナーや自分自身を受け入れるとか不可能だし
かと言って生活能力がなくて育児放置したり、過干渉だったり思春期に茶々いれたりでも、子どもがコンプレックスを抱えることになりかねないし、
毒親の影響は続くよどこまでもだわ
男は女に対して滅私奉公を求める言説がフェミニズムの普及と共に本当に増えてるんだよ
だからありのままの自分を認められる=理解のある彼くんがいるというのはよくある話なんだけど、理解のある女さんというのはいないんだよ
おう、今日はハッキリ言わせてもらうぜ。「私たちから“キモイ”という言葉を奪わないで」って話さ。
私たちが嫌な思いをしてきた長い歴史の中で身に付けた、自己防衛のための大事な手段なんだよ。
これは正義の剣みたいなもんだ。
女性が社会で不快に感じることに対して、自分の感覚をありのまま表現するための言葉、そう、それが「キモイ」ってわけ。
何か文句があるとか言ってくるなよ。
これだけ長い間、女性がどれだけ抑圧されてきたかってことを考えたら、こっちの「嫌だ」には、何倍もの重みがあるんだぜ。
あのな、私たちがここまでくるのにどれだけの苦労があったと思ってるんだ?
平等だの優しさだの、そんなそれっぽい言葉で押し付けてこられても、私たちには通じないんだよ。
むしろ、平等ばかり押し付けてくることこそが不公平だってことを理解しろってんだ。
とにかく、私たちから“キモイ”を奪おうとする動きには断固反対!