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2024-06-12

すすぎ一回モードを信じない増田住まいな人士をドーモ医かっ意義煤(回文

おはようございます

だんだんなんか蒸し暑くなってきたわよね。

なんか1回洗濯機洗濯もの凄く取り外して掃除したいような気がするんだけど、

いっぺんちゃんとあれ洗濯槽は定期的に洗浄剤入れてやってるのよ。

だけど長年使っているとやっぱり洗濯機もくたびれてくるので

まあ壊れない限り替えることはないけれどちょっと気になるわね。

洗濯槽を取り外せないので、

取り外せなくても言い洗濯槽の洗浄方法ってなにか動画を漁れば見つかりそうだけど

見付けたら見付けたで大変そうな予感なので

わざわざ自分がそんな大変なことに頭を突っ込まなくて済むように

洗濯洗浄剤とかを投入してみたいところなのよ。

あれって多めに入れたところで

すごい綺麗になる度合いがアップするわけでもないでしょ?きっと。

だけれど

なにか多めに入れちゃいたい気持ちもあるし、

洗濯洗剤も決まった水量の量の洗剤を入れればいいもの

それよりも気持ちちょっと追い洗剤することで、

洗浄力が期待度がアップするような綺麗になるような気がするのよね。

そんな気がしない?

あいまの洗濯物の仕上がりに不都合がある事実がるってワケじゃないけど、

1回綺麗にしてみたいな!って欲望ありのままにひしひしと沸いてくるのよ。

これから

湿度も多くなってきて洗濯物も捗らない季節になるけれど

ふと思ったけど、

時間が無いとき時短のすすぎ1回モードって信じてる?

ちゃんと濯げてんのかしら?って

すすぎ1回モードオーケーな洗剤を使っていても

なんか信用できない気がして

なんかいつも2回濯ぎの通常運転をしちゃいがちなのよ。

私だけ?

たぶん、

すすぎ1回モードと通常すすぎ2回運転とで洗濯物を乾かしてどちらの仕上がりが良し悪しを

鈴木さんに鑑定いや判定してもらっても

どちらが1回か2回かって区別がつかないと思うの。

所詮これも気持ち問題よね?

効率とか時間とかそう言うので計るんじゃなくって結局自分気持ちよくお洗濯できたかっ!ってことに重点が置かれる重要ポイントである論点なので

そこは論点ずらしは避けてやめて欲しいのよ。

今まだ梅雨入りしていないので、

今日も天気が良いか

もっとすすぎ1回モードを信じてみることにするわ。

たぶん薄手のブラウスとかシャツとかは洗ってもそんなに差し支えなさそうだし、

もっとすすぎ1回モードを信じてみるわ。

どーも信じられないけれど

時短ってことを有効にして

信じてみる!

うふふ。


今日朝ご飯

久しぶりにタマサンドしました!

最近帰りが遅くて

ちょっとギリギリまで寝ちゃいがちぎみな日々が続きがちなのよね。

から朝ご飯を悠長にというより、

タマサンド買ってきてヒーコーと決めちゃったわ。

たまにはそれも良いとしましょう。

デトックスウォーター

水出し緑茶ウォーラーが残っているので、

飲みきってしまってスッキリとした味わいの爽やかな緑のグリーン香りが口の中に広がるわ。

またなにかこしらえないとね。

だんだん暑くなってきたので

水分補給はまめにこまめにね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-06-09

弱者男性に対する不快感ってどこからくるんだろ

自分の中で上手く言語化出来ない

ネット匿名からってことで正直にありのままを話すと

弱者男性って女性としては全くいらない存在なんだよね

弱者男性がいなくても、強い男性複数人女性相手にすれば全く問題なく繁殖出来るし、その方が自然なんだと思う

弱者男性には社会ステージから降りてもらって、純粋労働力として生きてもらうほうが多分、大多数の女性からすると安心なんだと思う

けど、実際はもっと遺伝子レベル拒否感がある

弱者男性に対する女性が抱く拒否感を言語化出来る人いる?

ありのままは生きづらすぎる

マナーなんてクソ喰らえありのままが素晴らしい!って思想発達障害傾向のある親に育てられた定型発達だけど

マナーとか不文律とかの処世術身につけたあとの方が生きやすいや

2024-06-08

anond:20240608214520

ありのまま自分を好きにならんでもいいので、まぁいっかぐらいに思える日がきっと来るよ。

見た目に関してはそれで気持ちが上向くなら整形するのも選択肢だし。私は二重にして気持ちが軽くなった。

anond:20240608131414

例えば、Aさんがミスをしたとする。

ミスの内容を上司のBさんに報告したとする。

他責とか自責かに拘る人は、「私がミスしました。申し訳ありませんでした。」っていう態度が欲しいだけ。

プログラミングを実行してときエラーメッセージみたいに、ありのまま不具合だけ言われても「わからん!!」

ってなる。

からといって、エラーを出したコードの全文を見せるかのように、Aさん自身のやったこと全てを洗いざらい説明したって、やっぱりBさんは

「なぜそうしたのかわからん!」とキレると思う。

全ての行動には目的意図、全体計画があり、ログだけ見せても理解できない。

じゃあ、Aさんがそれを説明すると、言い訳に聞こえてやっぱりキレられる。

AさんがBさんが炎上させた挙句、とにかく火を消せと当たり前の指示が飛ぶものの、その指示だと不具合根本が消えない。

またプログラミングに例えると、意味はわからないけどエラーメッセージを消すことを目的にうまく行ってる例からコピペしても、うまくいかいかエラーメッセージは消えてもまた別のところでエラーになる。

まず落ち着いて、関係者情報共有、ミスの波及範囲特定して、応急処置根本原因を考える。

必要であれば対応チームを組織して責任者アサインする。

ということをしたくても、最初から責任論を始める人がいると、Aさんが悪い、Aさんは他責思考、みたいな方向にいってしまう。

2024-06-05

オオアリクイみたいに美しくなりたい

オオアリクイみたいに美しくなりたい。

写真には写らない美しさがあるから

鏡の前に立って、そんな美しさを追い求めるのが私の日課だ。でも、実際のところ、それは簡単なことじゃない。オオアリクイの美しさって、外見だけじゃなくて、その動きや佇まい、そして存在感にあると思うんだ。

自然で悠然とした佇まい、他を気にしていないように見えて警戒を怠らない繊細さ、そして外見的な存在感

ところで、私は表参道を歩く間にカフェラテを飲まないと死ぬタイプの女ではありません。

実際、コーヒーカフェイン依存してるわけでもないし、流行りのカフェに通うことに価値見出しているわけでもない。でも、オオアリクイみたいな美しさを手に入れるためには、何かしらの「自分らしさ」が必要なんだと感じた。

自分らしさって、どうすれば見つかるんだろう。雑誌SNSで見かける「完璧な美しさ」は、ほとんどが加工されたもので、実際には存在しない幻影だ。それに比べて、オオアリクイの美しさは、自然ありのまま。その自然体が、本当に魅力的なんだと思う。

歩きながら、ふと考えた。もしかしたら、自分らしさって、無理に何かを足そうとすることじゃなくて、ありのまま自分を受け入れることなのかもしれない。オオアリクイだって自分の美しさを誇示するわけじゃなくて、ただそこにいるだけで美しい。それって、とても素敵なことじゃない?

家に帰って、鏡の前で再び自分を見つめる。完璧じゃなくてもいいんだ。むしろ、不完全だからこそ、そこに美しさがある。オオアリクイみたいに、自然体で、自分らしくあること。それが本当の美しさなのかもしれない。

明日も頑張リンダ。

モテ論争だかなんだか知らんが

結局どうすればモテんだかわかんねえだろこれじゃあよ〜!!!

とキレキレになったので自分なりにまとめてみたぞ!!!!!!

そもそもゴールはどこか?

モテる、彼女を作るといっても

・誰でもいいからヤッてみたい(その状態を維持したい)

・心から安心していられる一生のパートナーがほしい

ではやるべきことが全然違ってくる

ここをごっちゃにしたままだから、「人として見ろ」と「ヤリチンは人として見なくても大丈夫じゃん。人としてみるとか綺麗事」が錯綜してしまうのである。(まあ元ヤリチンが一生のパートナーを得ている場合もあるが、希であると思う。大体映画の愚行録で殺された夫婦みたいになりがちだ)

というわけで、まずゴールを決めよう

この時非モテ努力するのが苦しいあまり「いつでもいっぱいヤレて一生安心できるパートナーがほしい!見た目も超タイプで!」とか求めだしてしま

しか普通は全部一気には無理なので、「まずはつきあえたらいいな」とか「ヤリまくるのは無理でも心の繋がりが持てたら」とか「性格が最悪で多少歳いって太っててもいいからせめて顔は死守したい…」とか決めてスモールステップするといい

▼ゴールが決まったら、ここからアプローチ方法を考えていく

・ヤリたい、とりあえず経験として異性とつきあってみたい派

→ガワから入るといい。一般的モテ動作、話し方、ファッション友達作りなど頑張るといい。自分はあまり好きではないが、ここにおいては恋愛工学有用かもしれない。

こういう恋人作りを批判する人もいるだろうが、女でも「寂しいし誰でもいいか彼氏欲しい」タイプ存在するので、そういう相手マッチングする分にはなんら問題ないと思う。

・ある程度長期的なパートナーがほしい派(または上記方法でうまくいかない時)→自己分析のターンに入る

自己分析のターン

パートナーがほしい!となった時に重要になるのが、「自分相手から何が欲しいのか?」「自分は何を相手にあげられるか?」という分析である

・何が欲しいのか

個人的には「可愛がられたい」か「可愛がりたい」かで分けるとわかりやすいと思う

自分を取り繕えない、嘘つけない、よく見せることに罪悪感のあるタイプは大抵「可愛がられたい」だ。とにかくありのまま受け入れられたい。

そういうタイプが探すべきは「懐の深い」「情にあつい」「優しい」「偏見の少ない」タイプだ。

一方で「可愛がりたい」タイプターゲットにできる層が厚い。可愛い!と思うタイプが広ければ広いほど枠は広がる。ただ可愛い!と思うタイプ一般的美少女とかモデルとか倍率が高いものになると途端に厳しくなるのでご注意。

自分は可愛がられたい/可愛がりたいからこの辺のタイプがよさそ〜とわかったら次は「何をあげられるか?」を考えよう。

・何をあげられるか

恋愛とはお互いがwin状態になって初めて成り立つものである。「自分と付き合うことで相手にどんな益が生まれるのか?」を考え提供しなければまず成功はしない。

ここで「そんなん金があればいいんだろ!」となって稼ぐことに必死になってしまう人は大抵モテない。女は金だけで釣られるわけではない。大体金だけで釣られる女がきても嬉しくないだろう。(そんなこんなで医者の知り合いは合コン身分を隠すようになってしまった)

俺みたいな非モテ、益なんて与えられねー!金くらいしかない!と思ってしまう人もいるかもしれないが、落ち着いて考えて欲しい。世の中、当たり前にあるものが実は宝だったりする。

例えば、のんびりしたおおらかな性格なら「リラックスした穏やかな時間」をあげられる。

キチっとした性格なら「整理整頓されたスマート生活」を提供できる

映画オタクだったら「映画豊富知識」。料理好きなら「美味しいもの」などなど…本当に小さくてもいいので「これならちょっとはあげられる」というものを見つけてみよう。卑屈にならず長所を見つけまくろう。

そうすると多少見えてくるはずだ。

おおらかな人なら、ちょっと気難しいタイプや気が強いタイプ必要とされそう

キチっとした人なら、そういうのに憧れるズボラタイプ必要とされそう

映画オタクだったら、芸術好きで好奇心旺盛なタイプ必要とされそう

料理好きなら、食べるの好きなタイプ必要とされそう

のようなような

そこまでわかったらあとはトライである

そういう子がいそうな場所に行くのだ。もしくはマッチングアプリでそういうタイプを探すのだ。

(恋愛目当てに行くなんて社会人サークル荒らしみたいでイヤッ!という方はマチアプ全力投球で頑張るのもあり)

そしてようやくここ…っ

ようやくここから相手に人として接する」が始まる!!!!(パンパカパー)

結局人としてってどゆことやねんであるが、簡単にいうと「その人個人として見る」ということである

女は(誰でもいいけど付き合いたい勢を除き)基本、体目当てで寄ってこられて消費されるのを嫌う。「女なら誰でもいい」系の男は相当アウトローな魅力がない限り蛇蝎のごとく嫌われる。

その辺わからず「かわいいから〜」「好みだから〜」というテンション最初から異性として意識してまーす!という匂い漂わせ近づくと「こいつ顔と体しか見てねえだろ!」と思われ嫌悪感を持たれてしまうのである

からあれだな、「人としてみる」は「女として見すぎない」でもある。

いきなり向けられる好意は、それがもし純粋ものだとしても、女性からしてみたら「なんで話もしてないのにこんなに好いて来るの?」→「顔と体で寄ってきたんじゃないか?」と不信感を抱かせる。

なのでまあ、しっかり関係を構築したいなら、初手から好意を見せるのは悪手である。どんなに見た目がタイプアタックしたくても、まずは相手の中身、パーソナルについて触れていく方が勝率が高い。

!!!パーソナルを掘る相手可愛い子ばかりだと、「こいつ結局…」とモロにバレるので注意が必要だ。

普段からいろんな人に興味を持ち、コミュニケーションを取っていくことでこの露骨さは消えるので、モテたいなら友達積極的に作っていこう。あと単純にたくさん友達作るとコミュニケーション経験値が上がるし、いろいろとFBをもらえるようになるしいいことづくしである。それができたら苦労しねえ!という方は、好意を隠す訓練を頑張るしかない

そしてここまでくるとあの考え…「それだとぬいペニになるのでは?」が浮かぶはずだ。

もちろんその可能性はある。ただ、考えても見て欲しい。「ごめんそういう気持ちはなくて友達だと思ってた」は女でも男でも好意を見せた時に発生する確率のあるイベントである

まり…起こるものは起こる!!!!ある程度みんなある!!!!!

ただ、ぬいペニを起こさなテクはある。それがどっかの増田も書いていたが「徐々に好意を見せていく」という手だ。

例えば一緒にご飯を食べに行った時、「◎◎さんて美味しそうに食べるよね」とか「字が綺麗だよね」とか「いつもきちんとしてるよね」とか褒める。ふんわりと「あなたのこといいなーと思ってるよ」と伝えるのである

この辺りで反応を見る。嬉しそうだったら多少脈アリ、簡素な返事だったり距離を置かれたりしたら脈なしなので残念ながら次に行こう。

脈アリそうならもうちょっと褒めてみる。「髪型凝ってるね!すごい!」「笑ってる顔可愛いって言われない?」「その本読んでみたいな」

こうやって少しずつ「大丈夫かな?嫌じゃないかな?」と近づいていく。(もし嫌がったら「ごめんね」と離れること。それがセクハラをしないために必要なことである)

そして最終、「◎◎さんの恋人幸せだろうな」とか「ふたりきりで行きたいところがあるんだ」等に乗ってきてくれるようになったらあとはゴー!である

これをせずただ友達として過ごし、ある日突然好きだと言っても相手も面食らってしまう。「そういう相手だと思ってなかった」となってしまう。

なので「あ、この人自分のこと好きそうだな」と微妙に気づかせるため、好きの種を蒔いておくといい。

更に言えばこの際に、「日曜はおれ美味しいご飯いっぱい作るよ」とか「おすすめ映画まくろう」とか付き合ったらどうなるかをイメージさせられるとよい

(まあここまでやっても好意理解しない恐るべし鈍感女もいるので、そういうのに当たった場合は運が悪かったと思って次にいこう…)

ここまでくればかなり目的に近づけると思うが…それでもたまに「いい人だとは思うんだけど」となってしまう人もいるだろう。

そんな人に足りないのは、ズバリ、「ドキッとさせる力」である

これは男性なら少女漫画女性なら男性向け恋愛漫画を読んである程度ドキっとパターン学習することをおすすめする。

基本はこの二択だ

1、ワガママだったり我の強いヤツが強引にくるor自分にだけ弱い顔を見せる

2、真面目で優しい子が、自分にだけ男っぽい(女っぽい)側面を見せる

非モテは基本2で攻めるといいと思う。いつもふにゃっとした男が「◎◎さん大丈夫!?」とかっこよく駆けつけたりしたらやはりドキーッとする。

そんなシーンないがな!という場合は「エスコート風の動作」が効果的だ。車道側に立つ、エスカレーターで登る時後ろに立つなど、「女性として大事にしていますよ」ということを動作で伝えるだけでだいぶ好印象だ。女性ならたまに裾を掴むとか、もしできちゃうなら肩とかくっつけてしまうのもいい。性的な魅力をちょっとアピールするのだ。

男性で手が骨張ってたりしたら、楽器を弾くところやPCを叩くところを見てもらうのもいい。女は大抵かっこいい手が好きなので。イケボならカラオケ効果的!

…そしてここまでやってようやく彼女彼氏ができる…というわけでもない。

人間関係は良くも悪くも所詮相性である。巡り合わせが悪ければどうにもならない。

でもそれは裏を返せば、振られてもそれは本人の問題というより相性の問題であると割り切れるということでもある。

非モテはここですぐ自己否定された気になって異性を恨み出してしまうのだが、それは無駄行為である。なんせ合う異性もいれば合わない異性もいる。それだけの話であるモテ男は大変例外的ものだ。)

なので、いつか巡り合うその日のため、自分のペースで少しずつ進んでいくのが良いと思う。自分を責めたり異性を責めたりしてもあまりいい方向にはならんので。

…と長々書いてしまったが、参考になっただろうか。上から目線のクソバイスと思う人もいるかもしれないが、一応私なりに非モテの皆さんの幸せを願って書いたので、一人にでも役に立ったら幸いだ。

頑張れ非モテ恋人ができたからといって必ず幸せになるわけではないが、それでもその経験あなた人生を豊かにするぞ!グッドラック!!

2024-06-04

anond:20240604200031

俺としては、認知されてないアイドル無責任に推すというのが人生の潤いになってる

関係性があるとどうしても忖度してしまうので

発達傾向があるとあまりにも気を遣わずありのまま友人と関わるというわけにはいかないので

2024-06-03

anond:20240603190345

ありのままを受け入れて欲しくて色々言い訳して何もしないだけなんだよね

要はメンヘラと同じかまってちゃん

2024-06-01

弱者男性が取るべき戦略は長期持久戦

弱者男性短期決戦ばっかりしすぎなんだよ

ありのまま自分を受け入れて欲しい」「受け身でも構って欲しい」なんて言うとたいていは批判に晒される

自分から動けとか甘えんなとかね

でも人間って掘り起こせば良いところが見つかるもの

弱者男性にも良いところはあるはずなんだよ

それが見た目や態度によって「即チェンジ」されるから恋愛まで発展しない

弱者男性が取るべき戦略は多くの男女が行う短期決戦ではなく、長期持久戦

サークル趣味の集いなど「強制的に関わらないといけない」場に参加して「即チェンジ」を無効化する

それがスタート

あとは徐々に弱者男性の良いところに気づいてもらえることを待つ

ひたすら待つ

もちろん会話はしないといけないぞ?告白とかアプローチはせずに待つという意味

相手彼氏ができようが我慢だ。どうせ元彼存在する。同じ同じ

あとはこの長期持久戦をできるだけ多い場所で実行する

これって就職面接と同じなんだよ

初見評価されにくいタイプっていうのは絶対いる

それを覆すために見た目を整えたり、学歴つけたり、資格取ったりして評価を上げようとする

でも、初見評価が実際の仕事っぷりとイコールにならないことは社会人ならみんな知ってる

恋愛就職と違って面接しか入口がないわけではない

弱者男性面接対策に終始せす、いか仕事ができるかを普段生活から見せつけていく手法が合っている

2024-05-27

嫌われオタク面白すぎる

 人運のなさを年がら年中SNSで嘆いてるオタク女友達、傍から見てて本当に面白い。まじ人の心なくてゴメン

基本的自業自得すぎる

実家の太さ自慢(親の年収大公開

年収自慢(同年代より貰っているアピール

・有能自慢(部門レベルが低すぎる、無能上司同僚のせいで仕事がない)

・あたし箱入り娘で〜〜育ちいいみたいなんだよね〜〜

・体型(巨乳アピール

男性向けジャンルでのチケ乞食自慢

・とにかく自分が分かる話題じゃないと不満

・何からでも自分話題にする

・不幸自慢の再放送家族不仲・金欠・友人関係職場関係

 こんな調子相互オタクに切られて鍵アカで晒された挙句「あたしかわいそう😩」「人間不信🥺」とのことなので、晒した側が至極真っ当すぎる

 個人SNSから個人的な愚痴を吐き出す気持ちは分かる、分かるんだけど、どうして、何でそんなピンポイントで人に嫌われる要素を投下できるんだ???感動すら覚える。そら縁切られるって

 あらゆる自慢、マウンティングの数々と対人関係愚痴整合性が取れすぎている。仕事も単に周囲からの信用がなくて任せてもらえる仕事がないのでは…

まりにも嫌われ要素ビンゴ打率が良すぎる。釣りなのか?それとも本当にありのまま本心なのか…???

追記

 増田にこんなん書いてる自分も同レベル性格悪いな…と思う。彼女に対しては定期的にうわっ香ばしいって思う程度で、実害はないんだよね

なぜ弱者男性ときメモから学ばなかったのか

ときメモはかなり「まともな」ギャルゲだったと今になって思う

ときメモをやりこんだ弱者男性は、少なくともミソジニーハラおぢみたいな汚物には成り果てないはず

2024-05-26

anond:20240526183006

ありのまま大事だよね。

アナと雪の女王も言ってたね。

そもそもの土台よくないのに、さらにそれ隠していたらなおさら印象悪いよね。

anond:20240526172225

まずは心中お察しする。

うーむ。結婚って難しいよな。小生は離婚歴1回の現在独男だが、小生の場合は両家とも背伸びした形だったが、結局うまく行かなかった。ありのまま大事なんだろうな。

増田学生時代から等身大で付き合っていたのなら、両親に合わせるときありのままで良かった気がする。

でも、学生時代から彼に合わせて背伸びして無理して付き合っていたのなら、どの道結ばれなかったように思う。

結婚生活は長いからな。死ぬまでだぜ。

長く連れ添うにはお高いのは窮屈だ。気楽な男を選ぼう!次行こ次!!

2024-05-25

anond:20240525083327

ありのままになったら人里離れて孤城建ててひきこもっちゃったしな

2024-05-20

陰謀論・反ワクにハマり、デモに参加しようとする友人を説得したい

 親しい友人が、ディープステートをはじめとする陰謀論にハマりました。

 趣味SNS陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。


 私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。

 せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論実態を知るために読んだ十数冊の中から中立的立場から書かれていると感じたものを選びました。特に情報パンデミック」は読みやすおすすめです。


 なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています

  友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワード検索たか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。




 パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。


 あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ち否定したいのではありません。

 でも、私との友人関係「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなた後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感覚悟を持って、今この文章を書いています

 陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難攻撃をしたいのではないということ、分かってください。


 ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます安易レッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。

 一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀陰謀があるという前提で世の中の事象説明しようという試み=陰謀論、と捉えています史料証拠があり明るみに出ているもの陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するもの陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます



 

 デモに行って欲しくない理由は主に二つです。


 ひとつめは、デモの主張内容の根底陰謀論があること。

 今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます

 しかし、主催者発言などを見ていくと、おそらく陰謀論論理価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。


 陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論姿勢こそに、問題本質があるように思います


 あなたは、デモ主催者陰謀論であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽ものから真実に近そうなものまで多々ありますしかし、荒唐無稽ものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。

 「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実理解しない者は反対勢力洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。

 あなたの主張には、おそらく正しいもの現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープステートによる世界支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープステート存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます

 利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。

 しかし、少子化報道感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます


 世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります

 ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。

 もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからいかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。

 もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます


 しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。


 カルトマルチ自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったもの陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。

 真実からスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実錯覚するのです。


 私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。

 世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画簡単説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論スタンスとは相容れないのです。

 そもそも、隠された世界的な陰謀本当にあったとして、それを一般市民YouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。



 もうひとつは、エコーチェンバー問題

 デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見多数派正義のように思えてくる。リアル陰謀論コミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界ますます傾倒してしまうことを恐れています

 デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います

 また、陰謀論スピリチュアル自然派マルチカルト親和性が高いです。これらは、日常生活人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。



 「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているか自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。

 あなた政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治立ち位置陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。

 ネットYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思いますあなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています


 参考までに、陰謀論歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的調査をもとに分析している書籍を挙げておきます

陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年

情報パンデミック読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年

陰謀論」秦正樹 中公新書 2022年



 私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体個人自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます


 あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治生活から政治のことを発信していく」と言っていましたね。

 しかし、まず大前提として、趣味SNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。

 もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。


 陰謀論本質は、全てを二元論帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。

 それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だっていから。


 すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。


 陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するもの断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。

 陰謀論思想から、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。


 最近あなた言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論ひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。


 先月、攻撃的な言動非科学的な情報拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味アカウント積極的思想を発信し、周りからかに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわから困惑していました。


 しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。

 受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。

 しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。


 趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。

 信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体賛否があることはもちろん、その他の発言陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています

 陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。


 陰謀論は、カルトマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係破壊するのです。



 くり返しますが、あなたが心からこの国と未来を憂いて、善意と使命感から陰謀論を信じていることを非難するつもりはありません。

 あなたはきっと世の中の不条理無理解に対し、大変な憤りを感じているのでしょう。あなたが世の中の問題真摯に向き合った結果、周りへの影響を過小評価し、私との関係犠牲にすることすら厭わない態度を取らせるに至らしめた陰謀論が憎いです。同時に、それをあなたへ広めた陰謀論者の人々もまた、心から善意と使命感からそうしているのだということにやるせなさを感じます

 だれも悪くないのにどうしてこんなことになってしまうのか、言葉が見つかりません。ただただ悲しいです。


 結局のところ、私が何を言おうと、あなた自身が気づかなければ私の言葉が響くことはないでしょう。あなたもきっと、私に対して同じように思っているのではないですか。私は体制側に洗脳されている、陰謀論レッテルを貼ることで真実から目を背けている、結局は自分の力で気づくしかないと思っているのではないですか。

 極端な思想を語ることのリスクはこれです。どんなに気が合うと思っていても、世界観、価値観の相違をあぶり出してしまう。関係の薄い相手であれば容易に分断を生み、親しい間柄にさえ話しても無駄という諦めが溝を生む。

 自分思想押し付けたりしていないのに、私からは考えを押し付けてくるのは干渉しすぎだと思いますか。そうかもしれません。これが例えば宗教の話だとして、キリスト教仏教なら何も言いません。でも、統一教会オウムなら全力で止めますよね。陰謀論はそういう性質のものからです。少なくとも無害ではない。これ以上深入りすれば、あなたは私の知っているあなたではなくなってしまうかもしれない。だから、行き過ぎを承知で言っています。同時に、陰謀論と言われても仕方ないと解っているのに、信じるのを止められないことへ無力感を覚えます


 初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。

 それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなた失いたくないからです。どうか、私のために頭を冷やしてほしい。

弱者男性眉毛を整えた連中から虐められ、好きな女子を奪われてきた

弱者男性に「モテたきゃ眉毛を整えろ」と言うのは

黒人に「良い扱いをされたきゃ白塗りしろ」と言うのに等しい

持って生まれありのまま自分が受け入れられる社会

2024-05-18

弱者男性ありのままのオレを尊重してくれ!!🥺」

無理だよ。キモいもん

2024-05-17

初デートサイゼ論争が噛み合わない理由

初デートサイゼ論争はことごとく議論が噛み合っていない様子である

サイゼ論争を眺めるにつけ、みんな明後日の方を向きながら演説しているだけなのに距離が近いか議論ぽく見えてしまっている……といった印象を毎回抱いている

この噛み合わなさの要因は一体何なのか

議論を観察するうちに気づいたことだが、実は「初デートサイゼ」という事象には3つの捉え方があるようなのだ

初デートサイゼを語っている人間は大きく3つのグループに分類され、それぞれ常識経験世界観が全く異なっているために同じ「初デートサイゼ」を語っているように見えても実は全く異なるデート事象を取り上げている

ここでは初デートサイゼ論争を繰り広げる層を3つに分類し、それぞれの層が指す初デートサイゼの正体について深堀りしてみようと思う

それぞれの誤解が解きほぐされ「初デートサイゼ」にまつわる相互理解に少しでも繋がれることを願っている

層1.婚活女性の思う初デートサイゼ

まずは初デートサイゼに対して激烈な嫌悪感を示している層である

概ね下記のプロファイリングに該当する層であり、初デートサイゼ論争においては否定派に回っている

20代後半から40代女性

マッチングアプリ婚活アプリ結婚相談所等の利用者

結婚願望が強い

恋愛経験豊富とは言えない

恋愛経験があったとしても自分理想恋愛経験ができた経験はなく、過去恋愛黒歴史だと思い込む節がある

自身ハードルを越えてこない男に対して嫌悪感を持つ

相対的価値観幸せを感じる傾向がある(自分が好きかどうかではなく周りからどう見られるかを重要視している)

・「〇〇すべき」「〇〇しないとみっともない」といった「べき思考」を内面化している

自己肯定感は低いがプライドは高い

こういった層が想定する「デート」とは、マッチングアプリ等によって知り合った人間との初めての顔合わせである

婚活をしない層からすると信じられないことだろうが、彼女らの思うデートとは「相手スペックを品定めするための場」であり、純粋恋愛過程を楽しむためのものではない

さながら、事前に定められた規格に対してその製品合格できるかどうかを確認する試験のようなモノなのだ

そういった層からすれば当然のことながら「初デートサイゼ」はナシとなる

この層における初デートサイゼとは、「相手男性給料は相当低い」「自分を魅力的に見せる努力を怠っている無能力者」「こちらを舐めている、足元を見ている」「こちらを楽しませようという甲斐性は一切ない」などといったことを意味する符牒となるのだ

故に初デートサイゼ肯定派を見たとき彼女らは自身価値毀損させられたかのごとく怒り狂うし、あるいは「初デートサイゼ悪くないじゃん」的なことを言う女性に対しては「穴モテのクソ女!!」といった反応を寄越すのである

層2.チー牛非モテ弱者男性の思う初デートサイゼ

初デートサイゼを支持する層ではあるが、こちらもこちらでデートに対する認知は歪みまくっている

プロファイリングは下記の通り

10から50代くらいまでの男性

恋愛経験はない、陰キャ

リアル恋愛事情等には疎い

基本的恋愛知識ネットアニメ漫画から得たものしかない

他人気持ちを読むことが苦手

ルーティンから外れることを嫌う特性がある上に周りの目を過度に気にする

・そのため外食はもっぱら通い慣れたチェーン店しか利用しておらず、恥をかくのが怖すぎてひとりで行きつけのお店を開拓することができない

恋愛幸せに対する考え方が幼稚で独善的自分が好きなことと相手の好きなことが一致することが幸せだと思っている、相手の喜ぶことに合わせるといった思考がない)

自己肯定感は低いがプライドは高い

この層はデートを「恋愛関係に至ったあとにする行為」だと思ってる

より正確に言うなら、「好きです!付き合ってください!」などという告白によって交際スタートし、その後初めてふたりで出かける行為を「初デート」だと思っている

しかも、基本的女性に対して歪んだ幼児的な見方しかしておらず0か100かでモノを考えているうえ、「ありのまま自分をそのまま認めてもらえるのが良い恋愛」だという幼児的な世界観脳みそ支配されている

そのため初デートサイゼに連れていくという行為について、

初デートサイゼになるのは仕方ない(他にお店を知らないし怖いから)」

理解のある彼女ならこちらの事情を察して初デートサイゼ文句は言わない」

「っていうか初デートで高い飯奢られようとするとか普通に性悪ビッチなのでは?」

サイゼうまいんだし普通文句言わないでしょ」

初デートサイゼは何もおかしくない!むしろ初デートサイゼ文句言ってんのは性悪のクソビッチ!」

と思っている

彼らからすれば層1の主張をする人はみんなビッチになるというわけだ

層3.一般人の思う初デートサイゼ

ネット上の初デートサイゼ論争は主に層1と層2が噛み合わない議論を延々と繰り返すことによって形作られている

が、実は層1も層2もノイジーマイノリティであり大半の人間が思う一般的初デートサイゼの印象からはだいぶ外している

ではここでいう一般人とはどんな人なのかというと、

・ある程度の恋愛経験があり恋愛の酸いも甘いも知っている

大人として成熟しており自と他の区別ちゃんとついている

自己肯定感もそれなりにある

といった人だ(逆に言えば層1と層2にこのような要素はない)

この層3は初デートサイゼと聞いた時、

中学とか高校デートだとどうしてもそうなるよね」

趣味で知り合った間柄だと初デートサイゼ普通にあるよね、好きなバンドライブ行ったとき食事とか簡単ものになりがちだし」

「あとから振り返って「そういえば俺達の初デートってサイゼだったねー」ってなることあるよね、友達以上恋人未満ときにノリでファミレス行ったりすることあるじゃん」

などと、個々の事情次第でそういうのもあるよね、といった反応になる

層1や層2と異なり「こうなるべき!!」といった思考には支配されていない

またそうであるが故にネットレスバに参加することも少なく、仮に参加しても過激なことは言わないので意見は埋没しがちである

しか社会一般普通感覚といえば層3だと言っていいだろう

結論相手立場になって考えよう

サイゼ論争を実りあるものにしたいならまずは相手過去ツイートなどを漁って相手の人柄が何なのかを把握するべきだ

また、その姿勢自分に向けて「なんで私は初デートサイゼにここまで感情が高ぶっているのか」を分析することも重要だろう

ここで紹介したプロファイリングも全部が全部当たるわけではなく、例えばこの間話題に乗っていた「女性サイゼに連れて行って試すことの何が悪いんだ!」みたいなこと言っていた人は層1の異性版といえる

いずれにせよ、初デートサイゼに口角泡を飛ばしている時点で恋愛に対して歪んだ認知を持っていると言えるのでカウンセリングを受けたほうがいいかもしれない

2024-05-16

anond:20240516141348

さっきも言ったけど男女平等現代式の扱いに加えて、女性男性を「ありのまま」「無条件で」受け入れてほしい。

実現が難しいのはわかってるけど、それでも、恋愛だけは特別であってくれという願いがある。

入試入社テストのようなデジタルな線引きで足切りされたく無い。

女だけど過去の彼は100点通過じゃないよ。全員。

点数付けしてギリギリ及第点くらい。

夫も含め。

悪いけど、どうしてテストしてほしくないのか分からない。

男性ありのまま丸ごと受け止めるなんて無いと思う。

anond:20240515221358

続きです。

しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった

「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった

しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロ自由からだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコ子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガエロ同人エロいのだ

そして俺は漫画家になりたいのではない。エロ二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし精緻な設定も重厚ストーリー人生経験エロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは読子まほろさんをんほおさせること。それだけだから

とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサン勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして

マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ

だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガ形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う

そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ

いきなりコミケハードルが高すぎるし、何よりもサークル当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロしか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる

そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)

そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在から、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして

初めてのエロ同人完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ

そこから俺はイベントごとにコンスタント新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店メッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫ショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった

一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入エロ同人から得ていたからだ。就職卒業もする意味理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった

から就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家フリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ

さて、無事に大学卒業して「職業エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメゲームを見ては妄想股間を膨らませて、いかにこのキャラアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は

だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガ技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初デビュー作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ小学生の描くバカみたいなマンガプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人作家」としては何も進歩進化もしてないのではないか。そう思った

学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなもの不要だと考えた。エロ同人必要なのは、一にも二にも画力エロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった

しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか小手先エロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか

俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家ありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした

から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない

から俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックス体験すれば、それが何らかの形でマンガフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった

だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しか女の子イチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ

話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある

でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望ありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ

俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ

とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかエロ同人的な世界観内面化している自分が、常識的セックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれ

話を戻すと、いざ実際に現実女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった

だがこの感覚マンガフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロ昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした

ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった

後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事同人イベント敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀なのだと俺は思う

そして迷走してはいものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性サークルスペースに現れた

まだ続きます。。。

2024-05-15

anond:20240515211834

令和だけど

それに俺の趣味嗜好の話だしデブありのままじゃなくて自堕落なだけだよ

anond:20240515171302

yes

逆に聞くが世間イメージする男らしさをドブに捨てたふるまいをする男をお前は好いているか

壁にぶちあたるとすぐ逃げだす男、すぐに人のせいにする男、当たって砕けず言い訳をグチグチ繰り返すだけの男、恥をかくことを恐れる男

そういう男をお前は好きか?

俺は嫌いだ

壁に当たるとよじ登ろうとする男の方が好きだし諦めて逃げたと思ったら梯子を持ってくる男が好きだ

人のせいにしている暇があったら解決策を考え実行する男が好きだ

当たって砕けて泣いてスッキリ立ち上がり翌日は笑顔の男が好きだ

カラオケで初対面の相手臆面もなくノリノリで歌い、それでいて初対面の人には遠慮する男が好きだ

思い出せ、お前も就職するために企業要望に沿う答えを用意し背伸びした自分を演じただろう?

好き放題やって好かれると思ったら大間違いだ

世間の求める姿からオリて在りのままの自分を愛してもらえるのは、お前が愛した女の嗜好とありのままのお前が一致している場合だけだ

好かれたいなら好かれるために努力しろ

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