はてなキーワード: 広島焼きとは
山陰と山陽では、間違いなく山陽が優れています!そもそも山陽地方の方が観光スポットやアクセスの便利さも圧倒的に優れていますし、気候も暖かく快適です。山陰ファンの方もいるかもしれませんが、それは単なる特殊な趣味であり、マイナーな観光地を好む一部の人たちに過ぎません。
見てもらいたいのは、山陽地方には広島や神戸、岡山などの大都市があり、活気に溢れ経済発展も著しいのに対して、山陰地方はどこも過疎化が進んでおり、これからの展望があまり明るくありません。それに、山陰地方の観光資源が活かせているのは、せいぜい温泉地くらいでしょう。山陽地方はそんなことはありません!大阪湾をはじめとする海岸線の美しさや、しまなみ海道など赤道度の高い空気を提供してくれるサイクリングコースがそろっています。
それに、山陰地方をなんとか支えているのは、やはり境港市にある「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるさんただひとりでしょう。彼が亡くなったので、もはや山陰地方に行く理由はほとんどありません。一方、山陽地方には倉敷美観地区や広島平和記念公園、神戸のポートタワーなど、数え切れないほどの有名観光スポットが存在します。
さらに、グルメに関しても山陽地方が圧倒的に優れています。広島焼きや岡山の桃、そして神戸ビーフなど、誰もがうなる名物料理が揃っています。これに対して、山陰地方の名物はせいぜい松江のしじみ汁や境港の魚料理くらいでしょう。どう考えても、山陽地方の方が食の面でもイチコロです。
総合的に見ても、山陽地方が圧倒的に優れています!これ以上議論するまでもなく、山陽地方が勝利しているのは明らかですし、それに反論する余地はまったくありません。山陰地方を支持するのは、ズレた情報に踊らされているだけでしょう。山陽地方の魅力を受け入れて、堂々と胸を張って言えるようになりましょう。対比すれば、山陰地方は劣っているのは明らかです。
広島県民にとってのお好み焼きは、あのクレープでキャベツ挟んだやつがお好み焼きなのだから、そもそも概念として「広島焼き」なんてものはこの世に存在しないのだ、だから「広島焼き」なんて言ってる人たちのほうがファンタジーなのだ。陰謀論者なのだ。
ところで台湾には「るうろう飯」なる食べ物があり、台北と台南でまったく見た目が違う。違うんだけど、お互いはそれぞれを「るうろう飯」だとして主張し譲らない。2023年、もうそろそろ国連による仲裁が必要なのではないか。興味がある向きは調べてみて欲しい。
もう少し南に行くと越南という国がある。日本人は「べとなむ」という怪奇な発音で彼らを呼ぶがおそらく彼の国では誰一人として伝わらないだろう。ブンチャーという料理があるがこれを頼むとハノイとホーチミンでまったく別の料理が出てくることがある。種明かしをすれば越南人同士では違う発声をしているのだが日本人は耳が悪いのでその違いがわからない。結果として期待と違ったものが出てくる。カタカナで外来語を表示した発明者がもたらした副作用。
なお、お好み焼きは越南語にもなっており「Banh Okonomiyaki」である。直訳すればオコノミヤキケーキだろうか。越南を訪れることがあれば探してみて欲しい。そんじゃーね。
「肉玉そば」とか「肉玉うどん」「肉イカ玉」とかあるらしく、そばも選べるトッピング(という言い方でいいのかな)の一つに過ぎないらしい。
聞いた範囲では広島焼きの最低構成要件はあのうっすい小麦粉焼きとドカ盛キャベツの組み合わせみたい。
今どきはそんなプレーンな広島焼きを注文する客がいなくし「肉玉そば」が一番多いからそれが標準みたいに思われてるだけみたいね。
広島焼きは薄い卵焼きと薄い小麦粉焼きに野菜と肉とイカを挟むやつだよね。
ちょっとゴージャスになると焼きそばと焼きうどんが追加される。
なんでこれも「お好み焼き」に入るんだろう。作り方ぜんぜん違うし、わりと謎。
大阪人に教わった長芋たっぷりお好み焼きという話が拡散されている。
という感動はまあいいのだが、反応を見ると関西人の歯切れが悪い感想が書かれている。
そもそも「大阪のお好み焼き」というのがなんなのか、関西人もわかっていない。
家で食べるやつと店で食べるやつ、どれも違うから、例えば長芋が入ってないやつもあるし、粉メインだったり、だし汁を入れているのもある。
大阪人は家ではそうするらしい、もう粉買わない!とコメントもあったが大阪人わりと長芋粉入りお好み焼き粉愛用してる。関西のスーパーそこら中にあるのだ。
「粉少なくてふわふわしてるからおかずになるのだ!」という意見もあるが、普通にがっしりしたお好み焼きで美味しいソースかけて濃い味に白ご飯が合うだけ場合もある(ソース文化なのだ)。
キャベツたっぷりのお好み焼き!と言われると「広島焼きには負けるしな」とか思うだろう。
でも広島焼きはお好み焼きだと認めたくないしな、と大阪人は考えるだろう。
他人の家のお好み焼きには口を出すべからずという暗黙の了解があるのだ。
だから「お好み言うてんねんから好きにせぇ…」歯切れの悪い関西人たちの反応の出来上がりだ。
しかし関東人は無邪気だ。無闇に関西人のデリケートな部分に土足で踏みこんでいく。
時代は変わった。大阪人の中にも関東人の思想に影響を受け「正しいお好み焼き」を求める動きが出だした。そして令和5年、ついに戦いの火蓋が切られたのだ。