はてなキーワード: 女性とは
かつて強力な国家であったイスラム国家と虐げられてきたイスラエルは、近代以降の欧米という後ろ盾と自らの軍事力によって形勢逆転したが、今現在でもイスラエルは被害者ヅラしてやりたい放題だ。
翻って男女の関係も同様であり、かつて腕力と社会的地位で優っていた男性とその男性に保護・あるいは虐げられてきた女性が、近代以降の国家・人権という後ろ盾、力の不要な労働形態によって形勢逆転しつつあるが、今現在「私たちは男性より不利な状況にある」とする主張を繰り返し、男性の権利を蹂躙し続けている。
マナーを守らない人は女性も注意はしてるけど、外国人観光客そのものを毛嫌いしてるのってほぼ男じゃないか?
日本のなかで日本人だけなら、男というだけで女性を虐げて猿山の頂点でふんぞりかえって偉そうにできるけど、
体格のいい外国人観光客には怖くて強く出られないから、自分の頂点を脅かす存在だから、本能的に嫌いなんだろうね。
今まで女性が感じてきた恐怖を男も味わえてなにより。
「アンチフェミやめたぞ、彼女できた」って言ってた人の意見が好意的に受け取られたよね。
これは多くの男性が、男を女性と不可分な存在だと自明に分かっていて。
女性は41〜60に5人ずついるとすると
平均値は同じぐらい
「感情的な人」を「極端に感情的な人」と解釈して81以上に設定すると女性は0で男性は20となる
「成人は常に理性的であるべし」として41に設定すると男性は感情的でない人が40人いるが女性は100人全員が感情的ということになる
名古屋「22歳頂き女子」にだまされたおじさん2人が特別対談「僕らがバカだった。若い女子がおじさんとの“餃子の王将デート”を喜ぶはずがない」
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05280603/?all=1
Aさん 僕は彼女の裁判を傍聴するつもりです。どこまでが嘘でどこまでが本当だったのか知りたい。73万円は結構な大金です。こちらは一度たりとも「対価」を得られていないんです。
記者 もし何度か男女関係があれば、ここまで怒っていないということですか?
Aさん 正直、そういうところはあるかもしれません。
Aさん 婚活を諦めるつもりはありません。外見や年収にとらわれずに人間性で判断してくれる女性がきっといるはずです。いいお嫁さんをもらって、いつか加藤被告を見返してやりたいと思っています。
下心丸出しで若い女に貢いで「ヤれてたら許した」とかいうてるおじが「俺の人間性が評価されるはず!」と思ってるのどんな自己評価やねんww
「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」
そもそも、誰かがそう主張すること自体は自由です。その主張を議論の俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権を保障するために1人の人権を犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活を犠牲にすることによる解決は、少数意見を尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見を封殺することは非民主的な行いです。
従って、
という態度は望ましくありません。意見が荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性を奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義を標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢が必要です。もちろん、相手がマサカリで武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権と民主主義を尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手を人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論を封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者」男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。
差別主義とは何か。それは、社会に、本来は存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合でしかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナーを提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行・ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行・ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるものは実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇を引き起こします。「文化・伝統」「宗教・信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来は信仰の守り手として受益者であるはずの行為の宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。
ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考が差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。
同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります。一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的な利益や権力を得る、そんな行いだからです。人権も民主主義も、この社会の構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考法から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。
私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分が民主的で人権を尊重する人間であると自負していたとしても、私たちは不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか、再確認する必要があるでしょう。人権や民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用の最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。
「いやオレらは必要なら男同士でバーベキューしたり、傷を舐め合ったりもするぜ、バカにすんな」
って突っぱねるはずなのに、たとえ嘘でも甘え/ケアのジェンダーロール分担を拒絶できない哀しさ。
根深さ。
でも夜は女性が下方ですよね
感謝を言葉にできない女性は本当に多かったとか言われていて、いやわかる
感謝できないのは本当によくない
受け身でやってもらおうとばっかりするのもよくない、わかる
でもあんなに盛り上がったのに断られたのはなんなんだよ、と落ち込んでる(もしくはブチギレてる)男性もよく見る
結局正しい振る舞いはどっちなのか
ひどい目にあったわけじゃないけど女性の自己紹介の文面で「溺愛系の漫画が好きなので溺愛してくれる方を求めています」(大意)という人がいた。メンヘラ系の人なのか「未来の旦那様になってください」と絵文字だらけの文面を送ってきた人とかも。
あとはプロフィールが日本語だったので日本語話者だと思ったら、ほぼ日本語が話せなくて終始英語で会話することになった人とか
婚活でひどい目にあった女性の話はよく聞くし、それとは比べるべくもないけど。まあ、私も含めて売れ残りには問題が多いってことですね