はてなキーワード: パターナリズムとは
日本のTwitterには野蛮な未開人しかいないので英語のコメント参考にまとめてみた。
1.ジェイダ(妻)が応じればよかった
→ジェイダは子供でもなければ一般人でもなく、あのアカデミーという華々しい場において共演者らと対等に渡り合える立派な女優だ。ウィル・スミスに”守られる”必要はなかった。
パターナリズムと男尊女卑に染まった日本人からすると「女だから」「奥さんだから」と守られて当然に見えるのかもしれないが、個の自立が当然のアメリカでは違和感がすごいらしい。
2.その場では何もせず、あとで裏で妻に謝るよう頼めばよかった
→クリス・ロックはハゲを揶揄したのであって、病気(円形脱毛症)を揶揄したわけではない。
病気なのを知ってたのかどうかもわからない。ブチ切れて何もかもを台無しにする前に、事情を説明して謝罪を求めるべきだった。
記事を読んで全貌を知ってる日本人は事後孔明なコメントをしがちだが、リアルタイムで考えれば確かにそうだよな。
テレビを見ていた何千万ものアメリカ人はジェイダの病気のことなんて知らない。ただのよくあるハゲいじりなのになぜかウィル・スミスがブチ切れて聴衆の面前でビンタして放送禁止用語を叫んだ。頭のおかしい奴にしか見えない。
逆鱗に触れるのはよくないことだが、何が逆鱗なのかなんて近しい人間にしかわからないのだから、うっかり触ってしまうこともある。
そのときにブチ切れて取り乱すのは子供だ。大人に許される振る舞いではない、との意見。
他にもあったけど疲れたのでまあこんな感じでいいでしょ。
世界にはいろんなひとがいる。いいやつも悪いやつもいる。愛も暴力もある。それを知るのが文学を読むとか映画を見るとかいう経験で、それが人文知なるものの原点だと思っていたぼくからすれば、世界を善悪で分けることに忙しい最近の人文学はもはやまったく人文的に見えません。
https://twitter.com/hazuma/status/1491313061130817539
なるほどお。東浩紀さんがかつて「しおちゃんレイプ寸前w」などというツイートをなぜしたのか、これで腑に落ちましたよ。
娘の貞操を守ろうとする父でもなく、また娘を性的とりひきの材料とする父でもなく、ただ善悪を越えて、年端もゆかぬ自分の娘が知り合いの成人男性から股を広げられているさまを、敢えて「レイプ寸前w」と笑ってみせることで、古典的パターナリズムから脱した新たな父親像を示そうとされたわけですね。
「しおちゃんレイプ寸前w」ツイートは当時かなり炎上し、東さんもやむを得ず消してしまいましたが、今こそ評価されるべきものだと思います。
善悪を越え、わが娘の「痴態」さえも笑って見せ、なおかつ世界に発信する――これこそが人文学の精神なのでしょう。ゲンロンの未来は明るい。
ツイッターは自分が望む人だけフォローしたりRTオンオフできるじゃん。不快ならコントロールすればいいだけ
それに高校生以下のフォロワーがいるかどうかなんて、それはRTしてる側じゃなくて見てる側の責任じゃん
パターナリズムに毒され過ぎでは
違う。民主主義社会では、すべての国民が賢くなっていこうとしないと、温室栽培のパターナリズムによって国民も白痴化するし、国も腐敗するんだ。
国民各自が過剰に自主規制しようとしてしまうほどにお利口で体制に寄りすぎると、国はそれに甘え、恣意的な運用をしはじめ、法のアップデートもされず、腐敗が起こる。国民による自発的パターナリズムがそれを誘発してしまう。太平洋戦争を開戦に向かわせたのもそれが一因だ。
国民を裁くのはあくまで法であるべきで、国民による自警団であってはならないんだよ。本来は、法的に曖昧なラインを攻めていくくらいの態度の方が、アップデートが促され、民と官の綱引き関係が保たれる。より明瞭で怯え隠れる必要のない秩序に繋がる。
風営法だとか、パチンコだとか、技適だとか、アップデートされない時代遅れなまま恣意的な運用をされている法は多々あるが、ここでは関連深いわいせつ物頒布等の罪で考えてみよう。
まあ面倒だからwikipediaとブコメ、ニコニコ大百科を見てほしい。
このへんを読んで俺の言っている問題意識が伝わればいいが。
俺は腐女子文化に興味はないが、最大限尊重され守られるべき文化の一つだとは思っている。こそこそしていてほしくはない。ゾーニングどうするか問題のようなものも、隠れているうちは表現者各自の裁量に委ねられてしまい、不要な負担が表現者にかかってしまうだろう。そういうのは良くない。やり方を洗練させ、法を時代に追いつかせ、社会をより風通しよくしていくには、隠れずに前に出していかないと。
岸信介は異端であり、政権中枢はおおむね国家社会主義を嫌っていたため実際の日本の政策は国家社会主義的ではなかったが。
近衛はそれに近いものを目指したが、批判されたらヘタレだったのであっさり断念し、大政翼賛会は政治組織としては失敗している。
日本の上層部はほぼ一貫して「戦争への効率的な動員」にしか興味が無く、戦争に関係ない国家改造には後ろ向きだった。
まあそれはそれとして、既に全体主義・権威主義・国家社会主義などの言葉を元にした研究は山ほどあるのに、それを「福祉国家」やら「パターナリズム的国家」に言い換えてなんか広がる視座とかあるんですか、と言いたいのだが。