もうふざけんなよと
こりゃ投票率も下がるだろ
若者だけのせいにするなよ、なあ
誰が首長になっても大して何も変わらんと思うような選挙に、誰が積極的に行きたいと思うんよ
話はそれからだ
その上でまともな選挙をさせてくれ
毎回そう思うような選挙だったがね
石丸伸二
今までいそうでいなかったタイプだと思った
少なくとも一本筋の通った主張をしているな、と思う
今までは政治の場での質疑というものは噛み合わないのが基本、と思っていた
みんなそうだったから
しかしみんな直球の答弁を避けたり、単に議論が下手なだけだったのではないか
石丸伸二の答弁を聞いているとそう思わせられる部分がある
うーんしかしな
ちょっと発言に痛い部分も見られるし、安芸高田市議会での論破パフォーマンスは少しやり過ぎ感があったのも否めない
それに全部が全部公約に賛成というわけでもないし、実力についても高々4年小さい市の首長やっただけじゃ判断できねえよ
それでも、政治家の姿勢、態度、というものは少なくともこうあるべきである、という点において、ブレていないというのは評価できる
例えば、原発推進かどうか、yesかnoかで答えろと、そういう質問
小池、蓮舫は長々と思いの丈を述べるだけでyesかnoか、はっきりと答えない
0点
で、お前はどうしたいの?????
リクルートも聞いて呆れるわ
お前の考えを聞いてんだよ
政策に票を入れさせてくれよ
人気投票やってんじゃねんだわ
当たり障りのないことだけ言って無難に票集めようとすな
そういう態度が気に食わない
もういいよ
もういいから
えらいよ、石丸伸二えらいと思うけど
聞き飽きたわ
しょーもな
当たり前のことを当たり前にやれや
当たり前のことが当たり前にできた上で、その上で各々の政策聞いて票入れたいんや
でももう他にないじゃんよ
1484年:コロンブス「ポルトガル王! 西に進めばインドに行けるんや! ワイの計算では可能なはずなんや!」
→ポルトガル王「うちはアフリカ探索が順調に進んどるし、東から行ったほうが有望そうやから却下やね」
1486年:コロンブス「スペイン王! 西回りでインドに行って香辛料貿易でがっぽがっぽ! どないでっか!?」
→スペイン王「ちょっと待っててな、いまイスラム教徒と戦うので忙しいんや」
1492年 スペイン王「イベリア半島からイスラム勢力を駆逐したった! 異教徒から金も奪ったからコロンブスに出資したろ!」
→コロンブス「サンキュー! ワイもスペイン王みたいにインドから異教徒を駆逐してキリスト教を布教したるで! 出航や!」
→コロンブス「苦しい航海の末にインドの島々に到達したで! サン・サルバドル島やイスパニョーラ島と名付けたで!」
ちなみに、当時の「インド」はインダス川以東のすべて、つまり南アジアだけでなく東南アジアや東アジアも含む概念だった。
コロンブスを含め当時のヨーロッパ人は、コロンブスが「南アジア」に到達したと思ったわけではなく、「東アジアのどこかに到達した」と考えていたのである。
1493年:コロンブス「スペインに帰ってきたで! ワイは英雄や!」
→スペイン王「おまえが見つけた土地はおまえに統治を任せるで! エンコミエンダ(委託)やで!」
→コロンブス「ほならすぐに出航するで! 今度はイスパニョーラ島に植民地を建設するために農民や職人も連れて行くで!」
→コロンブス「イスパニョーラ島に帰ってきたで! 原住民も働かせて街を作るで! 金や真珠もどんどん見つけたるで!」
1494年:スペイン王「西回りでアジアに到達した私らと、東回りでインド到達を目指すポルトガルが衝突したら困るなあ……」
→スペイン王「西経46度から東側の新領土はポルトガルのもの、西側の新領土はスペインのものっちゅうことでどや?」
→トルデシリャス条約締結
1495年:コロンブス「反乱を起こした原住民を奴隷としてスペインに送るで! 思うように金を採掘できてへんけど、それでなんとか補填できんか?」
→スペイン王「いきなり奴隷を送りつけてくるし、イスパニョーラ島から戻ってきた連中も文句言っとるし、向こうはどないなっとるんや」
1496年:コロンブス「スペイン本国でワイの悪評が広まっとるらしいで……いったん帰るわ……」
1497年:ジョン・カボット「伝説の島ハイ・ブラジルを目指して、イギリスから大西洋横断したら、新しい島に着いたで!」
1497年:ポルトガル王「西のほうでどんどん成果が上がっとる……俺らも早くインド目指さんと……!」
→ヴァスコ・ダ・ガマ「ほい、アフリカ周回してインドに到達したで!」
1498年:コロンブス「今回で航海も三度目やし、ちょっと探検したろ! おっ、植民地の南のほうになんや大陸があったで!」
1499年:スペイン王「なんかコロンブスが新しい大陸を発見したとか報告しとるけど……ちょっと見てきてくれへん?」
→オヘダ「私にお任せください」 アメリゴ・ヴェスプッチ「ワイもお供します」
→オヘダ「ブランコ岬くらいまで南下したけどこれ以上は無理やわ……いったん帰るで!」
1500年:ボバディージャ「コロンブスさん、ちーっす! スペイン王の命令で査察に来たで! うーん、残虐な統治をしとるなあ……アウトーっ!」
→コロンブス失脚
1500年:カブラル「ヴァスコ・ダ・ガマに続いて、ワイもインドに行くよう命じられたで〜!」
→カブラル「大西洋を西に流されて変な土地に着いたで〜! 未知の島っぽいからポルトガルの領土宣言するで〜!」
1501年:ポルトガル王「なんかカブラルが新しい島を発見したとか報告しとるけど……ちょっと見てきてくれへん?」
→ゴンサロ・コエリョ「私にお任せください」 アメリゴ・ヴェスプッチ「ワイもお供します」
→ゴンサロ・コエリョ「パタゴニアくらいまで南下したけどまだ陸地が続いとるわ……いったん帰るで!」
1502年:コロンブス「最後の出航やで! きっとパナマに海峡があるはずやから、そこを通って(南アジアの)インドを目指すで!」
1503年:アメリゴ・ヴェスプッチ「南の大陸を何度か航海したワイが考えるに、あれはアジアやないで! 新大陸や!」
1507年:ヴァルトゼーミュラー「うおおアメリゴさんすっげえ! アメリゴさんが言ってる新大陸を『アメリカ』と名付けたるで!」
→ヴァルトゼーミュラー地図に「四方を海に囲まれた南北アメリカ大陸」が描かれ、そのうち南アメリカ大陸が「アメリカ」と命名される。
アメリゴの説は広く受け入れられたが、南アメリカがアジアとは別の大陸だったとしても、まだ「北アメリカはアジアの東端である」という主張が完全に否定されたわけではなかった。
たとえば、同じく1507年に、コロンブスが発見したイスパニョーラ島と、東方見聞録に書かれた日本とを同一視するルイシュ地図が作成され、こちらもベストセラーになっている。
1511年:アルブケルケ「インドのゴアとマレーシアのマラッカ占領したった! 香辛料貿易はポルトガルの独占や!」
1513年:バルボア「パナマのあたりまで進出して植民地を作ったで! パナマを横断したら海があったで! この大陸は海に挟まれてるんや!」
1519年:スペイン王「ポルトガルが着々とアジアに進出してるやんけ! 私らも早よ西回りでインドに行かな!」
→マゼラン「ワイはポルトガルのマラッカ遠征にも参加した歴戦の船長やで! スペイン王のために世界一周を目指すで!」
1522年:マゼラン「ワイはフィリピンで殺されてもうたけど、部下が代わりに世界一周を達成してくれたで……ほな……」
→世界一周の達成
これによりアジアとアメリカが遠く隔たった別の地域であることが実証され、あらためてアメリカ大陸は「新大陸」と認められた。
南アジアや東南アジアといった本来のインドは「東インド」、南北アメリカは「西インド」として呼び分けられた。
「東インド諸島 / 西インド諸島」や「東インド会社 / 西インド会社」などの呼称はそれに由来する。
さらに200年後、ベーリング海峡が発見され、ようやくユーラシアとアメリカが完全に別の大陸であることが証明されたのだった……。
毎日電車で一緒になる子と話すのが楽しい。明日はなに話そうかなと考えるだけで楽しい。恋をしている。
ただその子から見れば僕はただの同級生の一人で、自分も同級生として接するようにしている。けど最近、理性では同級生であることが分かっていても、もっと喋りたい、あわよくばデートしたい、と本能がその子を渇望してくる。それと同時にエネルギーにも満ち溢れてきてそれを抑えるのにも一苦労する。好きがとまらない。恋心が暴走しそうだ。
萌えアニメの定義がないのだから1stガンダムは萌アニメというのは一理あるよ。めぐりあい宇宙公開当時の映画館ではセイラさんのお風呂シーンで写真が撮られていたという。シャアとガルマを可愛く猫化したパロディ漫画もあった。少なくとも当時萌え消費はされていたし、制作者側もある程度それを狙っていた。萌えアニメとしての側面はある
VIPでやれ(激寒)
良かった点
・とにかく褒めた
・遠回しであるが好きをいえた
・相手の顔を見つつ話すことができた
良くなかった点
・身体の近づけ方が湿っぽかった
・褒めて持ち上げるばかりになっていた
改善点
・メリハリをつけて褒める
PENTAX 17、どうよ?
嫌がらせに決まってんじゃん