先に言ってしまうが、推しは既に公式で公式に死んでいる。少なくとも私の中では。
真っ直ぐで捻くれていて、冷徹で感情的で、家族を想いながらどんな手でも使い、そうして最期には自らの役目として自ら死に向かっていった。
彼以外の人物を主軸に据えたスピンオフも、かなり早い段階から幾つもあったように記憶している。私がそれらに手を伸ばす事は無かった。
時間的金銭的余裕があまりなかったこともあるし、彼の物語を追うので手一杯だったというのもある。とにかく原作だけを追って、彼の生きざまに熱を上げた。
その末に見届けた彼の死は、悲しく寂しいものであったが納得のいくものだった。
不遇の死でも理不尽な死でもない、彼自身が選択した、芯の通った終わり方であった。
最終回の後、「実は彼は死んでいない」という二次創作が大いに流行った。
私とて彼に死んで欲しかったわけではない。けれど彼の想いと死に至るまでの展開を思うに、生きてました~☆というノリは受け入れ難かった。
私は二次創作を見るのをやめ、彼への想いも胸の内に留め、一人静かに寂しさを反芻する事にした。
(幸いにも当時はまだSNSではなく個人サイトが主流であった。自ら見に行かなければ目に入る事もない。今にして思えばこれはかなりの救いだった)
彼を失い半ば虚無に身を浸しながら、劇場版の発表を聞いた時には既にTwitterに拠点を移していた、気がする。
この辺りからは時系列や記憶が酷く曖昧である。この件に関してあまり関わりたくない、考えたくないと思っていたからだろう。
この時点では単発なら見に行ったかも、くらいの気持ちはまだあったが大して心動かされはしなかった。なんせ私の中ではこの作品の主人公は彼なのである。
作中に彼が登場するという話も耳にした。原作では描かれなかった空白の時間の物語という事だったと思う。
彼のエピソードは、彼が主人公として描かれる中で知りたかった。意地になっていたのかもしれないし、拗らせていたのかもしれない。映画館に足を運ぶ事は終ぞなかった。
不思議な事に、劇場版の評価や感想を耳にする事は一度も無かった。
それから更に幾年か経ち、新たに発表されたタイトルは、私に大きな衝撃を齎した。
彼が生きていたか、はたまた生き返るか、そう思わせるに十分なタイトルは到底受け入れられるものではなかった。
もしかすると納得のいく展開や説明があるのかもしれない。そもそも彼の死後の時間軸ではないのかもしれない。
そう思っても、どうしてもその作品に触れる事は出来なかった。
「公式が解釈違い」などというアホ極まりない言葉が頭を過ぎる。あれほど厭った展開をまさか公式にやられるのだろうかと、大好きな作品を、それを生み出した側の人間を、呪いそうでさえあった。
結局私は何も言わずに最大限の距離を取るという事しか出来なかった。愛した作品を嫌いたくない一心で。
自らの目で確かめた上で折り合いをつけなければ、この感情は消化される事は無い。
長きに亘り胸中に秘めてきた感情をこうして吐露したところで何ら意味は無いのだが、この匿名ダイアリーという場所でなら書けるような気もして初めて文章として認めてみた次第である。
殆ど読み返すこともなくそのまま投げるのでどのような文章になったかは分からない。きっとよく分からない冗長なものになっているだろう。
彼の死を見届け、もう10年以上が経った。前へと進むことが出来ないまま彼との歳の差は開くばかりだ。
誕生日、おめでとう。
20代30代のうち30%くらいしか結婚してない。結婚できてない。
その30%が3.33倍の子供を作るわけでもないし、年収が2倍になれば子供を作る数も2倍になるわけでもない。
だから「子供が生産される可能性のある下限ライン」の以上に入れる人を増やすことにお金使うほうが有効。と政府は判断して、高収入世帯の手当をカットしたんだっけ最近。
セミコロンがないくらいでウダウダ言うな JavaScriptくんを見習え
友達とどこかに遊びに行くと、道中ずっとドラクエウォークやってる
なんなら着いてもやってる
道の途中で立ち止まるし、前から来た人に気付かないし、こっちの話に生返事だしでつまらない
私も同類だと思われてんだろうな
そこはゾッとしたって書かなきゃ
それだけの話だろ
当たり前の話
問題の本質から目をそらしてるのは自分のほうだって自覚なんで持てないの?
それがNIKEがとるべき行動なんだよ
https://anond.hatelabo.jp/20200803190330
投稿して以降、記事への反応の部分しか見てなかったんだけど、『ブックマークコメント』を見落としてました。
たくさん意見を頂いていて、ありがとうございます。しっかりと読ませて頂きました。
ごめんなさい、一つだけ訂正を…。
私は、自分で神絵師と思っているわけではなくて、『神絵師が云々という意見の、この神絵師の部分は私のことを指して言っている』と表現したかったわけで…けして自分で神絵師だと思っているわけでも、自称しているわけでもなくて…。
『奥付や後書きなどに彼女の名前を入れる』『彼女が協力者であると発信する』というコメントをたくさん頂いていた。
もちろん奥付に彼女の名前を入れるし、後書きか挟み込みペーパーで彼女がどれだけ尽力してくれたかを書くつもりだ。
でも、なんというか、そういうの書いたところで彼女のことを非難してる相手に痛む心はないんだろうなって思う。
彼女が協力者であることを発信しても、彼女のアカウントをブロックし、彼女の名前をミュートしていたら、こちらがいくらツイートしても届かない。
彼女と共同サークルという形にすることや、彼女を購入の窓口にする(つまり彼女をブロックしていたら買えない)形を取ることは一番に考えて、彼女に提案をしたんだけど、『お前の名前とキャラで売ってる部分も大きいんだから、わざわざ自分を挟んで売上が下がるようなことをしなくていい』と言われてしまった。
どなたかもコメントに書いてくれていたけれど、『こいつ、自分が大嫌いな人間が作った本を有難がってるんだよなwバッカみてえ〜w真実を知った時の顔が見てえ〜w』とゲラゲラ笑える…とまでは言わないが、友人は『嫌っていた人が作った本を大事にしてるとか想像しただけで笑える』って言ってた。
彼女のことを批判している人をブロックしないのは、彼女に言われているのだ。
『お前のことを言っているわけじゃないんだし、私を嫌っているだけで本は買ってくれるんだから、迷惑料として売上に貢献してもらおうって思ってるのに、自分から売上減らそうとするなよ』と。
『そんなこと考えるくらいなら1冊でも多く売ってボーナスくれ。ちなみに絵の稼ぎ以外での金は受け取らない』と。
さっきも書いたけど、彼女を批判していた人が本を手に取って、奥付に彼女の名前があったり挟み込みで彼女の功績を讃えたりしても…やっぱり心に罪悪感とかは抱かないんだろうなって思う。
なんか、人間って『見たいもの』しか見ないじゃん?奥付に彼女の名前があっても突然そこだけ文字読めなくなったりしてんじゃないかなって。
商業漫画家がスペシャルサンクスに協力者の名前を入れても、読者からしたら『誰ソレ?』だし、いくら発信しても彼女の名前を出しても、私のフォロワーは『私の本(グッズ)』だと言う。それが歯がゆい。
彼女の最大の意向が『私は何言われてもいいから1冊でも多く売ること』だし『積極的に売上を減らすようなことはするな』だし…自分に無関係なら先行ブロックもするな物申しもするなって…この子なんでこんなに精神が鋼なの。羨ましい。
今私が彼女の為にやるべきことは、本を1冊でも多く売ること。
元々彼女は私の絵のファンだった。感想をくれて、仲良くなって、私の絵を愛してくれて、その愛情が重すぎて鬱陶しく思ったこともあるけど、彼女はずっと『絵師』『アカウント名』といった表面的な看板を越えて、その奥にある私自身に接してくれた。
だから私は、彼女が好きだと言ってくれている私の絵で、彼女に恩を返したい。
私の本を手にとってくれる人たちが、彼女の存在を認知してくれて、『本を出してくれてありがとう』という言葉を私だけじゃなくて彼女にもかけてくれることを願っている。
ニャンコじゃあかんのか?
判決文もう公開されてたっけ?
どうなんだろう、現代でも「恋愛」と「結婚」は区別されているよね。
それってのは、つまり結婚は「恋愛だけでは決定できない戦略性を考慮する人が多い」ってことですよね。
まあその「恋愛だけで結婚を決断する」っていう若気の至りパターンもあるだろうけど。